24.戦い抜いた「ソードフィッシュ艦上攻撃機」(英国)
今回から、第二次世界大戦で大奮闘した各国の第二線級兵器の幾つかを選んで検討してみたいと思っている。
テーマとして最初に選んだのは、英国海軍が第2次世界大戦の開戦からヒトラードイツの降伏まで長期間に渡って使用した「ソードフィッシュ艦上攻撃機」である。同機は複葉羽布張りの第1次世界大戦当時と見まがう機体でありながら、多くの輝かしい戦歴を残した名機であった。
しかし、第二次世界大戦開戦当初の各国の一般的な雷撃機を思い浮かべる時、複葉の「ソードフィッシュ艦上攻撃機」との外観の大きな相違に驚きを感じざるを得ない。
我国の機体では、真珠湾、ミッドウェー、珊瑚海と活躍した中島飛行機の「97式艦上攻撃機」があり、米国空母の艦載機としてはダグラス社のTBDデヴァステイター攻撃機があった。それから、これはミッドウェー海戦以降の機体だがグラマン社の「アヴェンジャー攻撃機」が有名である
これらの機体は、何れも全金属製単葉機で引込脚(但し、一部の97式艦攻には少数だが固定脚の機があった)の近代的な機体が特徴だった。
海軍機を殆ど持たなかったドイツの雷撃機としては、双発の爆撃機ユンカース「Ju88」に2本の航空魚雷を搭載出来るように改造した機体が思い浮かぶが、この機もドイツが誇る近代的な双発の万能機である。
さて、今回の主役、「フェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機」はこれら各国の雷撃機に比較すると外観からは旧式機の印象を免れない機体だった。金属単葉の機体が主流だった当時、第1次世界大戦期同様の羽布張りの翼を持つ複葉機で、外見的には、如何にも時代遅れの旧式機の印象は免れない形状をしていた。
性能的にも巡航速度160km/時、最大速度も220km/時、程度と各国の雷撃機の中では最も遅く、その割に航続距離も1,655kmと、そう長い方でも無かったのである。
その様な旧式機だった「ソードフィッシュ」が英国海軍航空隊の誇りとなり、『不滅の雷撃機』として称讃されるようになった背景を探ってみたいと思っている。
(旧式な艦上攻撃機「ソードフィッシュ」とその置かれた環境)
話は変わるが、第2次世界大戦で第1次世界大戦型の旧式戦艦を最も巧く活用したのが英海軍だったと云われている。英海軍にとって最も用心しなければ成らない世界最大の海軍国米国は有り難いことに英国の同盟国であったし、世界第3位の戦艦群を持つ危険な相手の大日本帝国は幸いにも極東に位置していた。
続く、戦艦保有国は、フランスとイタリアだったが、フランス海軍はドイツへの降伏時に自滅状態となっていたし、イタリア海軍が地中海から大西洋に進出してくる可能性は殆ど無かったのである。
そうなると英国海軍が大西洋で要注意の戦艦群を持つ国はドイツ海軍しかなかった。しかしながら、新興ドイツ海軍は開戦前の段階で戦艦整備が間に合わず、シャルンホルスト、グナイゼナウの巡洋戦艦2隻に続いて、ビスマルク1隻がやっと間に合った程度であったので、ドイツの北欧進出作戦に於いても、第1次世界大戦型の英国戦艦は大活躍している。
一例として、ノルウェーのフィヨルドにおける「第2次ナルヴィック海戦」がある。狭いフィヨルド内に大きな艦体を進めた第1次世界大戦型エリザベス級戦艦のウォースパイトが侵攻してきたドイツ駆逐艦隊を相手に奮闘、駆逐隊の全艦8隻を撃破して、ドイツ海軍の作戦計画を頓挫させている実例もあるくらいである。
一方、近代戦に不可欠の戦力である航空母艦の視点から各国の整備状況を見ると実用性の高い船体と練度の高い艦上戦闘機や艦上攻撃機を持って居る国は、世界でも当時、日米と英国の3ヶ国しかなかったのである。
その他の列国の航空母艦は建造途中か計画段階であり、実戦に投入可能な海軍航空隊も未整備の国が殆どだった。
その点、海軍の先進国英国は、第2次世界大戦の開戦時に、既に多くの航空母艦を保有していたし、艦上戦闘機や艦上攻撃機の整備も着々と進行していたのだった。
その結果、英国周辺のヨーロッパ諸国の中で戦力的に英国に対抗出来るだけの航空母艦と艦載機を保有する国家は皆無だったのである。開戦初期の陸上戦闘の勝利者ドイツ陸軍とヒトラーが幾ら力んでみても、同盟国側には、大西洋でも地中海でも英国海軍に正面から戦いを挑むだけの海上戦力、空母を中核とする機動艦隊が全く存在さえしなかったのである。
敵国であるドイツやイタリアの戦艦が出撃してきたとしても、直衛空母や艦上機の護衛が随伴してくる可能性を全く考慮する必要が無かったし、万一護衛航空機上空を援護したとしても、それは航続距離の短い陸上機に過ぎなかったのである。
大型の戦略爆撃機を除くと陸上機の足は短く、航続力の長い海軍機に滞空時間で勝負することは難しかった。バトルブリテンでもドイツ空軍戦闘機の足は短く、英国上空での対空時間の短さと英国の優秀なレーダー網によって、敗退したことは良く知られている。
そうなると例え、第1次世界大戦型に近い機体形状の鈍足の複葉羽布張りの雷撃機であっても活用方法次第では、充分に活躍出来る下地が英海軍航空隊に取って整っていた背景があったのである。
(「ソードフィッシュ」地中海の戦い)
二次大戦が始まると英国海軍は地中海方面の制海権と輸送路確保の為、ジブラルタルとエジプトのアレキサンドリアに各戦艦3隻と空母1隻を配置して、ドイツ海軍とイタリア海軍の攻撃に備えた。
地中海でのドイツ海軍は潜水艦の活躍が若干あったものの同盟国側の主戦力はイタリア海軍であった。
当時のイタリア海軍は、コンテ・ディ・カブール級とカイオ・デュイリオ級の「ド級戦艦」を大改装して再就役させた高速戦艦4隻とヴイットリオ・ヴェネット級の新型戦艦3隻を保有する地中海最大の海軍国であり、1940年7月には、英伊の戦艦同士が交戦して、損傷艦を出している。
イタリア海軍の最大の問題点は、艦載の水偵を除くと海軍独自の航空部隊を所有していなかった点にある。ムッソリーニ首相の稚拙な頭脳では、洋上作戦実施時における航空機の重要性を理解できず、艦隊決戦時の上空援護でさえ、作戦毎に空軍に支援要請をして実施しなければならない不徹底さだった。加えて、イタリア本土に近い海域の航空偵察でさえ不十分で、アレキサンドリアの英国海軍の戦艦や空母、巡洋艦の近接を許す始末だった。
1940年11月、英国海軍はイタリア半島の南端イオニア海の奥にある「タラント軍港」に停泊しているイタリアの戦艦5隻への攻撃計画、「ジャッジメント作戦」を立案したのだった。
当初、攻撃隊は新鋭空母「イラストリアス」とアレキサンドリアの「イーグル」の2隻によって、実施される予定だったが不都合が生じたため、イラストリアス1隻での決行となった。
当夜、タラント軍港の一番奥の市街地寄りに防雷網に囲まれて戦艦5隻が停泊、戦艦の外側の海寄りに巡洋艦群、更にその外側に駆逐艦隊が停泊していた。
イラストリアスから発艦した第一次攻撃隊「ソードフィッシュ艦上攻撃機」12機は、夜の11時少し前に侵入を開始、西側の海側から攻撃を開始している。英海軍の作戦は、最初に照明弾を2機のソードフィッシュから投下後、爆装の4機が攻撃、最後に魚雷装備の6機の攻撃により伊戦艦を撃沈する計画であった。
この第一次攻撃によって、コンテ・ディ・カブールとリットリオの戦艦2隻に魚雷が命中、大破させている。イタリア海軍の設置した防雷網は英海軍の深々度魚雷に効果が無く、ソードフィッシュ6機が投下した魚雷の内、3本が命中して上記の初期戦果を挙げたのであった。
続いて、ソードフィッシュ9機からなる第二次攻撃隊が陸側を迂回して、やや北寄りのコースから再度の攻撃を実施した。第一次と同様に照明弾投下が2機、爆装が2機、魚雷装備のソードフィッシュが5機であった。この第二次攻撃によって、リットリオに再度、魚雷が命中、同艦は合計3発の魚雷が命中している他、新たにカイオ・ドゥリオにも1本が当たり、イタリア戦艦5隻の内、3隻に大きな被害を与えたのだった。
それに対し、英海軍のソードフィッシュ艦上攻撃機の被害は、第一次、第二次併せて2機の損失に止まっている。これは、イタリア海軍の巡洋艦と駆逐艦による対空射撃により撃墜されたものである。
洋上の空母から発艦した僅か21機の少数の艦上攻撃機によって、軍港内に停泊中とはいえ戦艦3隻は何れも大破着底した他、重巡洋艦と駆逐艦各1隻小破の大戦果を史上初めて挙げた「ジャッジメント作戦」におけるソードフィッシュ艦上攻撃機の活躍に対する海軍航空史上の評価は高い。
(ドイツ戦艦ビスマルクとの戦い)
1941年5月、ドイツ本国を出航して大西洋での通商破壊戦に向かうドイツ戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンがデンマーク海峡で警戒中の英重巡ノーフォークとサフォークに発見された。英国海軍は直ちに、世界最大の巡洋戦艦フッドと新造の戦艦プリンス・オブ・ウェールズの2隻をビスマルク迎撃に派遣した。
しかし、両艦隊の遭遇戦でビスマルクの第5斉射が命中したフッドは轟沈、その後の砲戦でプリンス・オブ・ウェールズにも3発が命中、司令塔を破壊されて待避する手痛い打撃を英海軍は受けたのであった。対するビスマルクの損害は、多少の浸水と燃料タンクに命中した1弾によって重油漏れを起こした程度だった。
緊急事態に、英海軍はジブラルタルの「H部隊」から戦艦レナウンと空母アークロイヤルを呼び寄せる一方、本国艦隊所属の空母ヴィクトリアスからソードフィッシュ雷撃機9機を発艦させてビスマルクを攻撃、魚雷1本が命中させたものの、ビスマルクの損害は軽微だった。
攻撃隊9機は空母上空まで無事帰還したものの、当時、周辺は豪雨の為、着艦用指示器も故障、最悪の状況での深夜の着艦となったが、全機無事着艦に成功している。この点から見ても当時のソードフィッシュ搭乗員の技量と練熟度は相当高かったと判断される。しかし、熟練の搭乗員と云えども、必ずしも完璧に任務を遂行させないのが実戦であった。
空母ヴィクトリアスに続いて、アークロイヤルから2日後の26日午後、第一次攻撃隊ソードフィッシュ15機が発進して、単艦の艦影を発見、直ちに攻撃を開始した。
しかしながら、同隊がビスマルクと誤認した相手は、自国の軽巡洋艦シェフィールドで、完全な味方への誤爆だった。シェフィールドの優秀な操艦によって大事には至らなかったものの、敵味方が錯綜する戦場では、まま起こる事故であった。
同日の夕方、アークロイヤルから第2次攻撃隊のソードフィッシュ15機が再度発艦、今度は正確に敵艦ビスマルクを攻撃、同艦の左舷中央部と右舷艦尾に各1本の魚雷を命中させている。
このソードフィッシュ艦上攻撃機による三度目の攻撃が英独の戦いの帰趨を決める重要な分かれ道だった。右舷後部に命中した魚雷により、ビスマルクは高速航行に最も重要な片側のスクリューと舵に大きな損傷を受けている。スクリューは船底方向にねじ曲がり、舵は取り舵状態12度で固定されてしまい、ビスマルクの自由な行動を奪う結果となっている。
アークロイヤルから第2次攻撃隊の攻撃終了後、英国第4駆逐隊が徹夜で攻撃を続行したが、歩行不自由な状態のビスマルクの砲戦能力は衰えを見せず、全て失敗に終っている。
しかし、翌朝8時47分、本国艦隊の戦艦キング・ジョージ5世とロドニー、重巡2隻が現場海域に到着、砲撃を開始、43分間の砲撃戦でビスマルクの全ての38cm主砲塔が機能を停止してしまったのである。
けれども、ドイツの優秀な戦艦製造技術を証明するように、ビスマルクは英海軍の滅多打ちに近い砲撃でも沈没しなかったのである。
最後は、英海軍の重巡洋艦ドーセットシャーの魚雷で10時20分、ビスマルクは沈没したのだった。
ビスマルクとフッド及びプリンス・オブ・ウェールズの交戦から始まる4日間の息詰まるような英独海軍の戦闘で、ソードフィッシュ艦上攻撃機の果たした役割は限りなく大きかった。
ソードフィッシュの雷撃の成果が全く無かったとすれば、ビスマルクは悠々と広い大洋を逃走するのに成功、ヒトラードイツの成果と栄光を全世界に喧伝したであろうことは間違いなかったであろう。
しかし、空母艦上機の攻撃が全て巧く行ったかというと、そうでは無かった。ヴィクトリアスとアークロイヤルの2隻の空母からの3次に渡る合計39機による執拗な攻撃も大きく戦局に影響を与えた攻撃は26日夜に敢行された第3回の雷撃だけであった。
この間の英海軍機の喪失機は驚くほど少ない。プリンツ・オイゲンを分離して単艦単独航行だったビスマルクだったが、その対空機関砲と機銃は敵機ソードフィッシュを正確に捉えていた節がある。アークロイヤルの第2次攻撃隊の中のスフォルトン中尉機には帰還後、175ヶ所の被弾箇所が認められたという。金属単葉の当時の一般的な雷撃機と大きく異なった構造の複葉布張りのソードフィッシュの機体は、エンジンや搭乗員に致命的な損傷が無い限り、無数の損傷を受けても浮揚力を失わずに母艦まで到達出来る生命力が、その機体に備わっていたのかも知れない。
旧式な機体のソードフィッシュの度重なる攻撃によって、ドイツの傑作戦艦ビスマルクは、燃料が漏れて重油の長い帯を引きながら航行せざるを得なかったし、アークロイヤルの第2次攻撃隊に因るスクリューと舵の損傷は、戦艦としての自由な行動力への致命傷となったのであった。
ビスマルク沈没への序曲は、旧式のソードフィッシュ艦上攻撃機の雷撃によって奏でられたと見ても過言では無いと思う。
(ソードフィッシュ艦上攻撃機のその後)
タラント軍港空襲とビスマルク追撃戦で偉大な戦果を挙げたソードフィッシュだったが、やはり鈍足の艦上機が行動できる範囲は、敵機の居ない海上か英軍機の制空権が確立された空域であった。
1942年、フランスの軍港に停泊していたドイツの巡洋戦艦2隻、シャルンホルストとグナイゼナウ及び重巡洋艦プリンツ・オイゲンの3隻に、ヒトラーの本国帰還命令が出された。「ツェルベルス作戦」の発令である。英国軍の予想に反して、ドイツの巡洋戦艦2隻と重巡は白昼堂々とドーバー海峡の高速突破を計画、実施している。
予想を裏切る独海軍の行動に後手に廻った英海軍は、苦肉の策としてソードフィッシュ6機の攻撃隊を急遽編制、攻撃を下令した。
しかし、低速なソードフィッシュ6機は、独艦隊の対空砲火と独の護衛戦闘機によって、全機、撃墜されてしまったのである。
この事例を見ても、敵戦闘機の制空権下での低速攻撃機の行動が如何に無謀なものだったかが理解できよう。
戦争後半になるとソードフィッシュには、対潜レーダーが装備されたし、新たなロケットの装着もあって対潜哨戒任務に用いられることが多くなっていく。ソードフィッシュが乗せられる空母も正規空母から船団護衛用の小型護衛空母が多くなっていったが、複葉機で発艦距離が短くてすむソードフィッシュは、理想的な船団護衛機の役割を果たしている。
その成果として、対潜レーダー使用による世界で初めてのUボートの夜間撃沈もソードフィッシュによって達成されているし、ロケット攻撃によるUボート破壊の事例も多い。
1936年の運用開始から、ヒトラードイツ降伏の1945年5月まで戦い続けた「フェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機」は長く輝かしい戦歴を残して退役している。




