22.「74門艦」の時代と「ナポレオン戦争」
蒸気機関が登場する前の海は、数千年に渡って帆船の時代だった。特に、大航海時代を経てナポレオン戦争に至る時代は、ヨーロッパ各国の帆走戦列艦が覇権国家に於ける自国の権威代表や植民地支配の象徴として描かれる場合が多かった。
大英帝国海軍の帆走戦列艦や戦列艦同士の戦闘シーンを描いた古風な油絵を観る時、イギリス人の今に続くプライドを感じる。特に、大英帝国にとっての大敵だったフランス皇帝ナポレオンとの戦いは、英国が総力を挙げての苦しい戦いだった。
ナポレオン海軍をネルソン提督が「トラファルガー海戦」で潰滅させた記念のロンドン市内にあるトラファルガー広場やウェリントン将軍が大勝利を挙げたウォータールーの古戦場を記念して付けられた、同市のパリ方面への出発駅の駅名として現在、残っている。
前回、アメリカと英国が争った米英戦争で大活躍した、アメリカの2層砲甲板を持つ44門フリゲート艦、「コンスティチューション」に触れたので、今回は、帆走戦列艦全盛時代の「74門艦」の概要について、アプローチしてみたいと思っているので宜しくお願いしたい。
まず、最初に「74門艦」とは何かについてお話ししてみたい。74門艦とは、その表現の通りの74門の大砲を搭載している2層の砲甲板を持つ帆走軍艦のことである。等級的には、コンスティチューションの項でも少し触れたが、第3級戦列艦に該当する。俗にいう帆走戦列艦は、大きな範囲では第1級から第4級までを含むとされているので、戦列艦に於ける等級の違いを次に示す。
第1等級 砲100門以上 3層または4層の砲甲板を持つ大型戦列艦
第2等級 砲90~98門 3層砲甲板を持つ戦列艦
第3等級 砲64~80門 2層砲甲板を持つ艦隊の中核を構成する戦列艦
第4等級 砲50~60門 2層砲甲板を持つ小形の戦列艦
この帆走軍艦の等級も時代によって多少の変動があるが、ここに記載した内容は、今回の主題の時代、「ナポレオン戦争」頃の等級格付けとご理解頂きたい。
(海上覇権の変遷)
ルネッサンス期の地中海世界、特にイタリア諸国の繁栄を奪ったのは、16世紀に於ける大航海時代開始早々のポルトガルとスペインだった。17世紀に入ると海運業と造船技術でオランダは両国を圧倒、世界経済を一時主導したが、英蘭戦争の敗北により主権は大英帝国の手に移っている。
英国は16世紀以来、私掠船という国家補償による海賊行為と奴隷貿易の甘い汁を享受、17世紀からは羊毛繊維製品の輸出により、長い間、世界最大の貿易、植民地国家として君臨していた。
その英国のライバルとして18世紀に海軍力を整備してきたのがフランスだった。アメリカの独立宣言もフランスその他のヨーロッパ諸国の援助無しには、達成出来なかった偉業と考えて良い位である。
しかし、フランスのアメリカ独立への膨大な援助は、フランス国内の経済的な破綻を早め、王制の崩壊と革命、そして、軍事的な怪物ナポレオンを出現させたのであった。
そのナポレオンの大陸制覇に真正面から挑戦したのが、イギリス海軍であった。この世界最大の帆走戦列艦群を有する英海軍が無ければ、ナポレオンの全ヨーロッパ制覇の夢は達成されたかも知れない。
しかし、逆の視点から英国海軍を見る時、ナポレオン戦争後に確立した英海軍とは大きく異なった欠点の多い海軍が見えてくる。
その第一は、帆走軍艦に関する設計や製造の技術の低さである。その結果、この方面での先進国、フランスやオランダの優秀な設計の戦列艦やフリゲート艦を戦闘の度に拿捕して、自国の戦列に加えていたし、最も優秀だと感じた敵艦は、そのままコピーして建造している。
そんな中、フランス海軍が設計、建造した第3級戦列艦である「74門艦」は、最も帆船時代の戦列艦として優れた性能を持っていた。3層の大型艦には無い優れた帆走性能と大型艦並の32ポンド砲を砲甲板に装備した戦闘力の高さは、たちまち、敵国である英海軍を魅了し、その高性能に貪欲な英海軍は直ぐに食い付いている。
英国での「74門艦」の建造は、18世紀半ば、1757年進水の「ダブリン級」から始まって、15種類以上の多くの「74門艦」が長期間に渡って建造されている。
英国で、最期に「74門艦」が建造されたのが、1822年進水の「ヴァンジュール級」のラッセルで、「74門艦」は、60年以上に渡って造られた帆船時代の大ベストセラーの艦種であった。
因みに、「ヴァンジュール級」は、1809年から1822年の長期間に渡って多数が建造、使用された「74門艦」として有名で、総計40隻が造られている。
その結果、「ナポレオン戦争」を中心とした帆船時代の大きな海戦で、「74門艦」が登場しない戦いは無かったと断言しても、そう大きな間違いにはならないくらい活躍している。このフランス海軍設計の第3級戦列艦の代表選手「74門艦」が無ければ、英国の誇る名提督ネルソンの栄光にも若干、影が差したかも知れないと思っている。(笑い)
(「74門艦」の登場とその背景)
「74門艦」は上に述べたように、フランス海軍によって、ナポレオン戦争の遙か前、ルイ15世のフランス海軍再建時代に開発された艦種である。
巨大な3層甲板を持つ巨大な戦列艦は、スペインの無敵艦隊以来の大海軍の象徴として、ヨーロッパ諸国の海軍で長年建造されて来た。3層の砲甲板を持つ大型艦は、当然のように搭載する備砲の数も多く、3層戦列艦では、少ない艦でも100門、少し多い艦では、110門や120門の巨砲を装備する戦列艦も多かったのである。
因みに、何故、帆船時代の戦艦を「戦列艦」と呼ぶかというと、現代と違い、帆と舵による不自由な操艦しか出来なかった時代の戦闘艦は、旗艦を先頭に一列になって海戦に望むケースが多かったので、大海戦に耐えうる当時の戦艦を戦列艦と呼んでいるのである。
戦列艦同士の大砲撃戦に耐えられない第5級艦以下のフリゲート艦やスループ艦は戦列艦とは呼ばれていない点は、既に述べた。
各国の戦列艦には、1等、2等、3等、4等と4つの等級があった点は、既に指摘したとおりだが、1、2等級艦は、3層以上の砲甲板を持つ大型の戦列艦であり、3、4等級艦は砲甲板が一つ少ない2層である分、軽量で帆走性能に優れた戦列艦であった。
1754年頃の第3級戦列艦の備砲は、70~80門と英国では規定されていたが、搭載砲の口径は小さく、1、2級艦に比較すると戦力として微弱な艦種であった。
ところが、フランス海軍は、当時、1、2等級の大型戦列艦にしか搭載していなかった大型の32~36ポンド砲を下層の砲列甲板に搭載した2層甲板艦を新しく設計したのである。
加えて、上部甲板には、18ポンド砲または24ポンド砲、30門を主な備砲とし、一、二級戦列艦に準じる砲戦力を持つ艦として整備されている。
その結果、製造コストは3層構造の主力戦列艦に比較して大幅に安くなった反面、従来の2層戦列艦よりも砲戦力が大きく向上した堅艦が出来上ったのである。
当然ながら、2層艦のため中型艦であるフリゲート艦に近い優秀な帆走能力を維持しており、従来の2層艦に比べて高価である物の、走攻守を兼ね備えた名艦が出来上ったのであった。
フランス海軍との交戦による拿捕によって「74門艦」を入手した英国海軍は、その高性能に惚れ込み直ちに、自国海軍艦艇として編入させると共に、英国での建造に着手している。
「74門艦」の使い勝手の良さと卓越した諸性能は、フランスや英国以外の各国海軍にも認められて、ナポレオン戦争開始時にはヨーロッパの諸海軍の戦闘用中堅艦種として、標準的に配備される状態になっていた。
即ち、ナポレオン戦争時代の海の戦いは、大砲を多く積んだ大型の第1、2級戦列艦が主では無く、第3級戦列艦である「74門艦」がメインで戦われたのであった。
ネルソン提督の次席指揮官として有名な、コリングウッド提督麾下の英国海軍の74門艦「ベレロフォン」もナイルの海戦、トラファルガー海戦と歴戦の74門艦であった。
また、「ベレロフォン」の活躍からも理解できるように、第1級戦列艦の下層砲甲板の主砲と同じ、32ポンド砲を搭載した「74門艦」の登場により、第1級戦列艦や第2級戦列艦と渡り合える第3級戦列艦が史上初めて出現したのである。
(ナポレオン戦争当時の英仏の戦列艦)
戦列艦の等級は上記の通りですが、第4級戦列艦は、搭載砲数60門以下と戦力が劣るため、場合によっては同一戦列を組まない場合も大かったらしく、ナポレオン戦争の後半には第4級艦の建造数自体の建造数も低下している。当時の戦力の中核である第1等級艦から第3等級艦を中心に、ナポレオン戦争当時の英国海軍の現役艦を考えてみたいと調べてみたが、入手出来た個々の資料の現役艦の数字が余りにも違いすぎて困惑する事態に陥ってしまった。(笑い)
推論だが、どうも、その原因の一つに英国海軍の保有する艦艇の就役艦と修理その他でドック入りしている艦艇の変動が大きすぎて、正確に追跡したデータが乏しい印象を受けた。
小規模な衝突や大規模な戦闘が繰り返されたこの期間、フランス、オランダ、スペインの軍艦の拿捕による英国海軍軍艦への編入が相次いでいる事も、この数字の不明確な大きな要因だった。英国の軍艦よりも優れた設計のフランス艦の自国海軍への編入は、英国海軍の提督や艦長に取っても喜ばしい事態であり、奮戦しながらも拿捕された敵艦の場合、艦名さえ変更せずに自国海軍の仲間に入れている。
それに、自身が拿捕した敵艦の自国海軍へ編入は、艦長達にとっても莫大な報奨金の収入源であった。
加えて、戦闘時のマストやジブ、ブーム等の帆走に欠くことの出来ない帆走軍艦独特の損傷箇所の多さは、修理が遅れると致命傷に成りかねない危険性を常に含んでいたのである。
帆船時代重大な損傷を受けた艦船は、直ちに自国の権益の及ぶ港に回航の上、就役艦旗を降ろし、ドック入りする場合が頻繁起きたのであった。
その様な状況ながら、1803年から1804年頃の英国の第3等級艦以上の戦列艦の就役艦数を推測してみたいと少々調べた結果が、次の通りである。
英国の持つ、当時の第1、2等級の戦列艦の総数は10~20隻だったと想像され、常時戦力として寄与できる第1、2等級戦列艦の就役艦の合計は約15隻前後では無かったかと考えられる。
それでは、戦列艦の中核である第3等級の「74門艦」の数は、どうかというと70隻の後半から90隻の間だったようだ。合計すると英国海軍の戦列艦は、90隻から100余隻の隻数で、ナポレオン戦争を戦い抜いたと考えて大過が無いように感じるが如何であろうか!
一説には、スペインが英国に宣戦を布告した1803年12月の時点での英国の戦闘可能な戦列艦は、当時英国が保有する全戦列艦105隻の内、たった83隻だったといわれている。
英国と戦う相手側の連合軍の戦列艦はどうかというとフランス及びオランダ艦が66隻、スペインの戦列艦が32隻の合計98隻だった。しかし、こちらの方も戦闘可能な戦列艦になると引き算が必要であろう。
しかし、英国海軍が一国の全艦隊で世界中の広い海域を守備、封鎖しなければならなかったのに対し、フランスを中心とした連合艦隊は、戦術的な攻撃目標を絞って戦える大きな利点があった。
しかしながら、フランスのヴィルヌーヴ提督にとって、長く自国の港に閉じこもっていた関係で両国の各艦船は訓練不足であり、総司令官の意志に従って完全に動く艦隊では無かったのである。特に、フランス艦隊の有能な艦長クラスが危惧していたのが、砲戦時の主砲の速射能力であった。どんな巨砲を多数搭載した戦列艦であっても、練度の低い兵員の操作する砲は、時間当たりの発射弾量と命中精度に大きな差が生じることをフランス海軍の艦長達は良く知っていたのであった。
フランス海軍に関して、最後に、もう一つ加えると、それは、フランス独特の「74門艦」の改良型である「80門艦クラス」の第3級戦列艦が多数、戦列に加わってきている点である。80門艦は74門艦ほどの成功作では無かったが、若干備砲数が増えた関係で、強化型74門艦とでも呼べる性能を保持していた第3級戦列艦だった。
(64門艦「インディファティガブル」と74門艦「シーシュース」)
もう少し、「74門艦」をご理解頂くために同じ第三級戦列艦として建造された64門艦の「インディファティガブル」と「74門艦」の1艦、「シーシュース」を比較しながら見てみよう。
64門艦の「インディファティガブル」はサー・エドワード・ペリー艦長指揮の下、12隻におよぶ多くの私掠船や敵艦を拿捕したことで名声を得た英艦である。備砲は下層砲甲板に24ポンド砲、26門、上甲板に18ポンド砲、26門、艦首楼その他に12門の合計64門を搭載していた。
一方、74門艦の「シーシュース」は、「インディファティガブル」と同じ第3級戦列艦として、同時期に英国で建造された。
64門艦「インディファティガブル」と74門艦の「シーシュース」の最も顕著な違いが、下層砲甲板に装備する搭載砲の口径の違いにある。
「シーシュース」の下層砲甲板は第1級戦列艦並の32ポンド砲、28門を搭載し、上層の砲甲板に18ポンド砲、28門、船首楼その他に9ポンド砲を16門、合計、74門を搭載していた。
「インディファティガブル」の砲甲板の主砲が、前述の44門フルゲート艦の「コンスティチューション」並の24ポンド砲なのに対し、「シーシュース」の砲甲板の主砲は、100門戦列艦並の32ポンド砲である点が大きく異なっていたのである。
因みに、トラファルガーでのネルソンの旗艦ヴィクトリーは、砲104門の第1級戦列艦であり、同艦の下層砲甲板の備砲は、32ポンド砲、30門で、砲数が「シーシュース」よりも2門多いだけだった。最もヴィクトリーは3層甲板の大型艦なので、中甲板の備砲24ポンド砲、28門や後甲板で睨みを効かす68ポンド・カロネード砲、2門があるので、第1級艦と第3級戦列艦の正確な比較は難しい。
しかしながら、当時の各国の海軍軍人の常識として、第1級艦1隻の戦力は、第3級74門艦2隻の戦闘力と同等と評価されていたという。特に、接舷時の近接戦闘に於ける英海軍戦列艦独自の後甲板の68ポンド・カロネード砲、2門の働きは大きかった。何故ならば、この巨大な破壊力を持つカロネード砲は、フランスやスペインの戦列艦には搭載されていなかったからである。
話が多少、横道に逸れてしまったが、74門艦「シーシュース」の戦歴について掻い摘まんで、振り返って見ると、同艦は、ナイルの戦いの前のテネリフェ島「サンタ・クルズの戦」では、ネルソンの旗艦も務めている。それに続く、有名な「ナイルの戦い」にもネルソンの攻撃部隊の戦列艦の1艦として参加して大活躍している艦歴の持ち主であった。
このように、74門艦の「シーシュース」が戦列艦として活躍しているのに対し、同じ第3級戦列艦である64門艦の「インディファティガブル」の行動が、高速を生かしたフリゲート艦的な戦闘である点に着目する必要があろう。同じ、第3級戦列艦であっても「74門艦」は、戦列艦の一翼を担う有力な軍艦だったのである。
当時、英国海軍自身、第1級、第2級戦列艦抜きの第3級戦列艦74門艦だけでの戦隊編成も良く行なわれている。その代表例として良く知られているのが、「ナイルの戦い」又は、「アブキール湾の戦い」と呼ばれる海戦であった。
「ナイルの戦い」でネルソン提督は、艦歴の古いアロガント級74門艦の「ヴァンガード」に乗艦して総指揮を執っているが、この時の英国艦隊の戦列艦14隻は全て、「74門艦」であった。因みに、相手方のフランス艦隊の戦列艦は、旗艦のロリアンが118門の第1級戦列艦であり、残りも80門艦3隻、74門艦9隻で構成されていた。艦隊の搭載砲数も英国938門に対し、フランス艦隊1,026門と大砲の数だけから見るとフランス艦隊が圧倒的に有利だったが、ナポレオン陸軍を揚陸後、停泊中だったフランス艦隊は自由に動けず、奇襲側のネルソン提督有利の内に英国艦隊が圧勝している。
(帆走戦列艦時代最大の戦い、「トラファルガー海戦」)
「ナイルの戦い」に続く、帆走戦列艦時代の最大の海戦が、有名なネルソン提督が英国に勝利をもたらした「トラファルガー海戦」である。
ヨーロッパに於ける陸上戦闘で連戦連勝のナポレオンは、英国上陸を果たして英国を屈服させるべく戦略を立てていた。だが、強力な英国艦隊によってフランス本土及び同盟国の港を封鎖されており、強気なナポレオンにしても、直ぐに英国遠征が実施出来る状況に無かったのである。
その戦況を打開すべく、ナポレオンは当時のフランス艦隊司令長官ヴィルヌーヴ提督の活躍に期待していたのであった。
同提督は、同盟国スペインの艦隊との合同を果たした結果、戦列艦の数からいっても英海軍と戦えるだけの29隻の戦列艦を準備できたのであった。
但し、実戦での経験と兵員の練度を考える時、必ずしも連合軍が優位な情勢に無い点を充分に把握していたヴィルヌーヴ提督は慎重に作戦を練っていたのである。
何度か両艦隊は、相互の位置と相手の作戦を誤解して空振りを重ねたが、やがて、スペイン南西岸のトラファルガー沖で、遭遇、戦闘準備に入った。
フランス、スペインの連合艦隊は若干歪んだ三日月型の縦陣で航行していたのに対し、英国艦隊は、ネルソン提督と次席指揮官コリングウッド提督指揮の2つの縦列で、連合艦隊中央付近を横撃している。
まず、横撃した英国艦隊の構成から見てみよう。
この海戦を戦った英国海軍の戦列艦は、27隻、第1級艦3隻、第2級艦4隻、残りの20隻が74門艦を中心とした、第3級戦列艦であった。ネルソンは、連合艦隊の縦列を横から攻撃すべく風上の戦隊と風下の戦隊に分け、自身は104門艦ヴィクトリーに座乗して風上部隊を指揮、次席指揮官コリングウッド提督には、100門艦ロイヤルソベレンを旗艦に、風下部隊の指揮を委ねている。
即ち、英国艦隊の戦列艦の内、20隻、74%は、74門艦を中心とした第3級戦列艦であった。
一方、フランス艦隊の18隻の戦列艦は、100%、74門艦と74門艦をベースに改良を加えた80門艦の第3級戦列艦であった。
三ヶ国の艦隊の中で、最も大型の戦列艦を保有して戦いに望んだのがスペイン艦隊で、100門以上の搭載砲を持つ第1級戦列艦4隻を有していた。中でも、ビダルゴ提督の旗艦「サンティシマ・トリニダー」は140門艦で、この海戦に参加した最大の戦列艦でもあったのである。そのスペインにしても、残りの戦列艦11隻全てが、74門艦を中心にした第3等級戦列艦であった。
このようにトラファルガー海戦の船の主役は、間違いなく74門艦を中心とした2層砲甲板を持つ第3級戦列艦だったのである。即ち同海戦に参加した三ヶ国の戦列艦56隻の内、約88%の49隻が第3級戦列艦で占められていたのであった。
(英・仏・スペインの旗艦の比較)
それでは、次に、「トラファルガー」で激突する英国とフランス、スペイン艦隊の各々の旗艦と大型戦列艦をもう少し詳しく見てみよう。
三ヶ国の艦隊の中の最大の戦列艦は上に述べたように、スペイン、ビダルゴ提督の旗艦140門艦の「サンティシマ・トリニダー」だった。同艦は、当時世界最大の戦列艦で建造されてからトラファルガー海戦で沈没するまで、殆どの期間を通じて、世界最大の4層戦列艦であった。
備砲の数も下層砲甲板に36ポンド砲、32門、中層甲板に24ポンド砲、34門、上甲板に12ポンド砲、36門、その他を装備し、近接戦での備砲の破壊力は大きな物があった。しかし、この140門艦は、帆走性能が低く、海軍仲間からは、「のろま」と陰口を叩かれていた。
一方、ネルソン提督の旗艦「ヴィクトリー」の主砲は、サンティシマ・トリニダーの主砲の36ポンド砲よりも若干、口径が小さい物の32ポンド砲を30門搭載し、中層、上層の甲板にもサンティシマ・トリニダーと同様の24ポンド砲と12ポンド砲を搭載していた。
強いて、スペイン艦隊の旗艦と「ヴィクトリー」が大きく異なる点を挙げるとすれば、後甲板に搭載している2門の巨大な68ポンドカロネード砲であろう。このスコットランドのキャロン製鋼所で製造された大口径砲は、英国の1級戦列艦の後甲板のみに装備されている大口径砲で、近接戦闘時の破壊力は圧倒的だったし、この海戦でも近接戦で絶大な効果を発揮している。
一方、フランス、スペインの両艦隊を指揮したピエール・ヴィルヌーブ提督の旗艦は、帆走性能重視のトナン級80門戦列艦「ビュサントール」だった。この級の戦列艦は、従来の74門艦にフランス独自の改良を加えた帆走性能を重視しながら攻撃力を高めた船で、フランスの造船技術の優位性を示すような戦列艦であった。同艦は、スペイン艦隊の旗艦「サンティシマ・トリニダー」に続行している。仏とスペインの旗艦は前後に並んで航行していたのである。
因みに、トナン級戦列艦は、全部で11隻が建造されたが、英国との戦闘で、11隻中6隻が捕獲され、その内、5隻が英国海軍の戦列艦として就役している点を見ても、如何に、このクラスのフランス艦の性能が優れていたかの証明になると思う。
この3隻以外でも、トラファルガー海戦に参加した1級戦列艦として、英海軍の100門艦ロイヤルソヴレンがある。しかし、この100門艦もサンティシマ・トリニダー程では無かったが、帆走性能が低く、通常、軽快な74門艦と合同の艦隊運動時には苦労していた経歴がある。しかし、トラファルガー海戦の同艦は、両国の戦列艦の中でも優速の艦であった。何故かというとこの開戦の直前に母港で船底の汚れを全て落とし、船底の銅板も新しく張り替えたばかりであったからである。
しかし、動きの遅い操艦のしにくい第1級戦列艦や第2級戦列艦を少数ながら各国海軍が保持し続けたかというと、第1級戦列艦の大きな持つ攻撃力はもちろんながら、3層甲板の大型艦故の居住スペースの余裕もその一因だった。艦隊の指揮官である提督とその幕僚を収容しても2層甲板の74門艦と異なり、十分なスペースを確保できたのである。
それ以上に、3層の大型艦故に船体は堅牢であり、砲門数も多く、ネルソンのように敵の縦陣中央を突破するような無謀な操舵を行う戦隊の先頭艦には、帆走性能が優れた3級戦列艦よりも、両舷からの敵の弾雨の中、着実に敵戦隊に割り込み攻撃位置を確保できるだけの戦力を持った第1、2級戦列艦は楔として重要だったのである。
トラファルガー海戦でも、フランス、スペイン連合艦隊の長い三日月型になった縦陣の中央付近を二ヶ所で突破、切断すべく、ネルソンは英国艦隊を2つの戦隊に分けて横撃している。風上側の第1戦隊の先頭艦はヴィクトリーであり、それに続く風下側の第2戦隊の先頭艦は、この100門艦ロイヤルソベレンであった。ロイヤルソベレンもネルソンの次席指揮官であるコリングウッド提督の指揮の下その重責を果たしている。
(仏テレメール級第3級戦列艦「ルドゥタブル」の戦い)
このように、三ヶ国のどの艦隊も74門艦を中心とした第3級戦列艦が艦隊の中の大多数を占め、戦闘の中核を担って活躍している。しかし、海戦に参加した三ヶ国の第3級戦列艦49隻について個々に詳述する紙面の余裕も無いので、「トラファルガー海戦」に参加した多くの74門艦の中から1隻を選んで、その戦闘経過を略述してみたい。
「ルドゥタブル」と聞いてもピント来ない方が多いと思うが、帆船軍艦好きの方々の中には、フランス海軍の「テレメール級第三級戦列艦」の1艦だとご紹介すれば、ニヤッとされる方もいらっしゃるかと想像している。
しかし、相当の帆船軍艦オタクでも、1782年から1813年にフランスで建造された「テレメール級戦列艦」の同型艦の艦名を明確に列挙出来る人は、まず、居ないと確信している。(笑い)
何故ならば、テレメール級同型艦(89隻)は、その系列の74門艦を全て含めると全部で107隻に及び、世界最大の同型艦系列を持つ帆走戦列艦だからである。この107隻という同型艦の多さの記録は、現在でも破られていない。
なかでも、この「テレメール級」は優秀で、英海軍はこのクラスの74門艦を拿捕した場合、完全修復を急ぎ、完了と同時に、自国海軍の1艦として、艦名も元のままで、就役させる場合が多かったのである。
改良型も含めて多数建造された、この優秀艦種はナポレオン戦争の全期間を通じて、敵味方の双方で大活躍している。仏海軍のテレメール級は、ナポレオンと英国海軍の大きな戦闘の殆どに参加しており、特に、「ナイルの戦い」や「トラファルガー海戦」にも何隻も参加している。
「トラファルガー海戦」では、有能なリュカ艦長指揮の下、「ルドウタブル」は両艦隊を指揮したピエール・ヴィルヌーブ提督の旗艦80門戦列艦ビュサントールに続航する形で、ネルソンの旗艦ヴィクトリーとの砲戦に突入している。リュカ艦長は、自身の属するフランス艦隊の砲戦能力や操艦能力が百戦錬磨の英国海軍に遠く及ばない現実を良く認知しており、英艦への接舷切り込みとマスト上層部からの狙撃に重点を置いて、戦闘開始と同時に多数の熟練したマスケット銃手をマストの上部に配置する指示を出していた。
「ルドウタブル」から見て、敵の旗艦「ヴィクトリー」を先頭艦とする英国艦隊は、左側から2本の槍を突き刺すような得意の『ネルソンズ・タッチ』で攻撃して来た。もう少し詳しく表現するとヴィクトリーは仏の旗艦ビュサントールの艦尾と続航するルドウタブルの艦首の間に侵入、フランス艦隊旗艦は、そのまま直進している。リュカ艦長は、当初の意図通り、ヴィクトリーと同航戦となった後、もつれ合うように接舷して先頭に入っている。接舷時に恐ろしい威力を発揮したのが、ヴィクトリー左舷の巨大な68ポンド・カロネード砲で、ビュサントールの船尾楼を瞬く間に破壊している。
しかし、ヴィクトリーの多数の搭載砲が、ビュサントールの艦体に痛撃を加える一方、リュカ艦長がマスト上層部に配置したマスケット銃兵の狙撃も大きな効果を挙げていた。その中の一弾が最上甲板に居たネルソン提督に命中、致命傷を与えたのであった。
ビュサントールとリュカ艦長はというと、艦体は2倍の戦闘力を持つヴィクトリーからの砲撃でマストも含めて大きく破壊された上、漂流してきた英国の第2級戦列艦テメレーアの2隻に挟まれるという、絶望的な状況に陥っていたのである。
テメレーアの砲撃により、リュカ艦長自身も負傷したが、屈すること無く上甲板で指揮を続行している。2倍の戦闘力の104門搭載の第1等級戦列艦ヴィクトリーと98門艦テメレーアの2隻に挟まれながらも激闘を重ねた満身創痍の74門艦ルドウタブルは、損傷が激しく、翌日、操艦不能に陥り嵐の為、難破海没している。
その間、『ネルソンズ・タッチ』の戦術効果は絶大で、力戦したスペイン艦隊の旗艦サンティシマ・トリニダーは後日焼失、フランス艦隊の旗艦ビュサントールは難破して消失してしまった。その他、多くの連合艦隊の艦船が戦闘後、英海軍によって捕獲されている。海戦の結果は冷酷で、連合艦隊の総司令官ピエール・ヴィルヌーブ提督自身も英国海軍の捕虜となって海戦は終了したのだった。
海戦の結果、ルドウタブル始めとする何隻かの勇戦はあったもののフランス、スペイン連合艦隊は惨敗し、戦死4千、捕虜7千、降伏、拿捕された艦22隻を出す結果となった。
(帆走戦列艦のその後)
「トラファルガー海戦」は帆走軍艦時代後半の最大の海戦であったと同時に、帆走戦列艦を代表する「74門艦」が大活躍した最期の海戦でもあった。
帆走軍艦としての最期の海戦は、1872年にギリシャの独立に関連して行われた「ナヴァリ海戦」である。同海戦は、トルコ帝国と英、仏、露連合軍との戦いであった。戦列艦10隻、フリゲート艦10隻を主力とするトルコ帝国の艦隊に対し、連合軍は、戦列艦3隻、フリゲート艦17隻、コルベット艦30隻、その他で挑戦、圧勝している。
しかし、それ以前の1860年、世界最初の装甲艦「ラ・グロワール」がフランスで建造されて就役している。ラ・グロワールは、機帆走の木造フリゲートだったが、新しい時代を象徴するように、舷側の殆どを100mm強の練鉄の装甲板で覆っていた。同艦以降、世界の海軍の軍艦の動力は帆走から蒸気機関に替り、装甲を施した船体の時代に入って行くのであった。
大砲も舷側の砲門から射撃する滑空砲に変わり、甲板上の旋回砲塔から自由な角度で発砲できるライフル砲の時代に入っていくのである。




