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14.アンバランスな条約型重巡洋艦

第一次世界大戦の惨禍が史上希に見る悲惨で甚大なものだった点を反省して、再び戦争を防ぐために戦後、英米日仏伊の主要五ヶ国は協力して大軍縮条約を締結している。1922年の「ワシントン軍縮条約」と1930年の「ロンドン軍縮条約」である。

この両軍縮条約で締結された軍備縮小のポイントは何かというと陸でも空でも無く列強の海上戦力の大規模な制限であった。海上の主戦力である戦艦、空母の隻数、排水量、搭載する主砲口径が列国間の話し合いで厳しく規定されたのである。

続いて、戦艦、空母の補助艦艇である巡洋艦の排水量トン、主砲口径、隻数が主用海軍国間で制限されたのである。特に、戦艦に次ぐ重要艦種と位置付けられた「重巡洋艦」は、多くの細かな規定が適用されて、最大排水量1万トン以内、搭載の主砲の口径8インチ以内と大きく制限された上、各国間の大型巡洋艦保有隻数も戦艦に準じて決められたのである。

その為、この軍縮条約下に建造された重巡洋艦を『条約型重巡洋艦』と呼んだ。


戦艦、空母に次いで重巡洋艦を重視したのは、それだけ、列強各国にとって、まだ、重要性が未知数の戦車や飛行機に比べて、「大艦巨砲主義」の象徴である戦艦と戦艦に準ずる大型巡洋艦の保有隻数や兵装が軍縮の重要なテーマとなり得たのであった。これも、第一次世界大戦の余りにも甚大な損害とそれによる大英帝国の国力の低下を外交面でカバーして、効率よく列強の戦力のガイドラインを設定しようとする英国政府の隠された意図があったのである。

 けれども、逆の見方をすれば列強各国が同一の規定に従って建造した条約型重巡洋艦の建造は、同一のスタートラインでのコンテストであり、国家の技術力または国民性を考察する上でも多くの興味を引く諸点を内蔵していたと考えられる。その一部でも解明出来れば楽しいと考えて今回、諸資料を当たることとした。


(ロンドン条約締結前の各国の巡洋艦の様相)

巡洋艦の場合、第一次世界大戦を各国は、3,500トンから5,000トンの軽巡洋艦及び大型の装甲巡洋艦を主として戦い抜いている。当然のことながら、戦後、各国共に従来型の敵巡洋艦を凌駕する砲戦力と防御力を達成した新設計の艦を次々と進水させている。

当時、計画された代表的な巡洋艦を挙げると、英国が1915年に計画した「ガヴェッンディッシュ級」、米国が1917年に計画した「オマハ級」がある。ガヴェッンディッシュ級の主砲は従来の6インチ砲から、大口径の7.5インチ(19.1cm)砲に増大して、攻撃力が格段に増加しているし、巡洋艦の速力が一般的に30ノット以下だった当時、オマハ級の最高速力は世界最速の35ノットを達成している。

そんな中で、最も各国海軍の興味を惹いた艦が、帝国海軍の「古鷹」であった。1926年に完成した古鷹は、排水量7,100トン、主砲約8インチ(20cm)砲単装6門、速力33ノットの優秀艦であった為、ロンドン条約における巡洋艦に関する会議の議題として、巡洋艦の最大口径砲を検討する際、古鷹の搭載主砲は重要な議論対象となっている。


(条約型重巡洋艦建造の開始)

英米日仏伊の主要海軍国五ヶ国によって、ワシントン、ロンドン両海軍軍縮条約で締結された重巡洋艦に関する諸仕様は、最大排水量1万トン、搭載できる最大主砲口径8インチ(20.5cm)と規定された。その結果、これらの重巡洋艦は『条約型重巡洋艦』、またトン数から、『1万トン級重巡』と呼ばれることとなった。

この第一次世界大戦の終了から第二次世界大戦開戦少し前までの期間に建造された『条約型重巡洋艦』の各艦は、結果的に第二次世界大戦の主要な海戦に参加、大活躍することとなる。


始めに条約締結後の1928年から1930年に掛けて就役した主要条約国である英日米の条約型重巡洋艦の主要項目と特徴について考察してみたい。  

3ヶ国海軍のサンプルとしてピックアップした巡洋艦は、ケント(英)、妙高(日)、ペンサコーラ(米)であり、就役年次と排水量、主砲の門数は下記のとおり。


ケ ン ト     1928年6月就役    9,750トン     20.5cm砲X8門

妙   高     1929年7月就役   10,902トン     20.5cm砲X10門

ペンサコーラ   1930年2月就役    9,097トン     20.5cm砲X10門


これら英日米の条約型重巡洋艦3隻の特徴を挙げると、


ケント(英):世界中に広大な植民地を持った英国は、世界中何処にでも単艦単独で急行できる長大な航続力(12ノットで13,300海里)と長期間の遠征が可能な優れた居住性を持ち、出来る限りの武装を搭載したバランスに優れた巡洋艦であった。

妙高(日):日本近海での敵艦隊の短距離迎撃を主眼として設計、航続距離(14ノットで7,000海里)や乗員の居住性を大幅に犠牲とし、各国重巡中最大レベルの砲力(8インチ砲10門)、魚雷発射管(16基)を誇り、更に軽巡並の高速性能を合わせ持った攻撃力に主眼を置いた重巡洋艦であった。

ペンサコーラ(米):当初計画では各国中最大級の主砲搭載(8インチ砲12門)を目指し、3連装砲塔4基で設計をスタートさせたが、実用上、3連装2基+連装2基=10門となり、妙高と同程度の武装となった。装甲も各国の重巡中優れている方で、米国の艦艇らしく重武装、重防御の伝統を受け継ぐ重巡であった。


こうして、3ヶ国の条約型重巡洋艦の特徴を列挙してみると、どの艦も各国の政情と軍事的な要求に充分に答えられる優れた艦に感じられる。

しかし、攻守全ての点で完璧な兵器は少ないように英日米3ヶ国の条約型重巡もそれぞれ多少の弱点を内蔵して気がしている。次に各国の重巡洋艦の問題点をピックアップしてみよう。


(条約型重巡洋艦の問題点)

英国ケント:前述したように各国重巡中最大の航続力(12ノットで13,300海里)と熱帯から北極海まで対応可能な優れた居住性を持っていた反面、艦全体に渡って軽装甲で舷側装甲の厚さが25mmの上、特に主砲砲塔側面が脆弱であった。武装も仏伊を含めた各国重巡中、標準的な兵装の平凡な重巡洋艦となってしまった。

日本(妙高):太平洋戦争では、妙高が建造された当初に全く予想されていなかった南太平洋やインド洋等の赤道直下を含む熱帯への航海や想像位上の遠距離への艦隊派遣が相次いだ分、短い航続距離と窮屈な居住空間(駆逐艦に比較すると天国だったらしいが)は兵員の志気に大きく影響したといわれる。ぎりぎりの排水量で初期設計に苦労した造船士官は太平洋戦争後期の対空火器増設で更に、大変苦労することとなった。

米国ペンサコーラ:重装甲、重武装ながら航続距離は日英の重巡の中間で、15ノットで1万海里であった。こう述べると攻守共に優れて、遠距離航海も可能な優れた重巡洋艦のようにみえるが、実態はそんなに甘い物ではなかった。過大な武装を乗せすぎた為、艦の乾舷は低く、凌波性に劣り、前甲板は直ぐに波を被りやすく、口の悪い英国海軍からは凌波性の悪かった昔の、「第一次世界大戦型の英国海軍の軽巡洋艦並の重巡洋艦」と揶揄されている。

このように海戦の主力である戦艦と空母に加えて、ワシントン条約では戦艦に準ずる存在の大型巡洋艦にも大きさと搭載砲の規制が厳しく規定された中での重巡洋艦の新造となったため、各国共に異常に背伸びした設計となり、攻守のどちらかを犠牲にして建造されたのである。

残念ながら、両条約による制限下で建造された初期の条約型重巡洋艦は、各国共に鋭意努力して建造した割に、完成度の高い優れた合格点の艦にはならなかったと個人的には思っている。


その原因の一つに主砲とする8インチ砲弾の破壊力に充分耐えうる装甲を1万トンの制限排水量内で広範囲に施すことは至難の技であり、現実的には重要部分に対する集中防御と成らざるを得なかった点がある。

また、攻撃力を重視すれば装甲や航続力、居住性が犠牲となるし、逆に、遠洋航海能力の向上を図れば、砲戦力や魚雷装備率を低く抑える必要があった。

その結果、主要各国共に自国が最も重視するテーマに絞って設計せざるを得ず、優先順位の低い機能には目をつぶらざるを得なかったのである。言うなれば、各国が心血を注いで建造した『条約型重巡洋艦』は自国海軍にとって望ましい個性豊かな艦であった。


(各国重巡洋艦の苦心と特徴)

それでは再度、米国から順に各国重巡洋艦の苦心している点と特徴を挙げてみたい。

米国の重巡は、主要各国の中でも強力な砲戦力と長大な航続力を重視した設計で、砲塔の装甲も日本の重巡の数倍(3~5インチ)の重装甲の上、最初に設計したペンサコラ級では3連装砲塔と連装砲塔各2基10門を搭載した為、重心が高く動揺が激しかったといわれている。この為、次のノーサンプトン級から3連装砲塔3基9門に設計を改めて成功、この方式が米国重巡洋艦設計の基本となって、最終型のデモイン級まで蹈襲されている。

魚雷兵装は、2番目のノーサンプトン級まで搭載したが、のちに撤去、後期の重巡では誘爆を考慮して搭載しなかった。米重巡の長大な航続力は、広い太平洋戦域での空母機動部隊の随伴艦として優れており、帝国海軍の重巡と共に活躍している。


英国の重巡の特徴として、英国の生命線である海上交通路の維持と殖民地の警備と保護の任務を重視して建造された。その結果、重巡の性能として航洋性と居住性を重視しながら、巡洋艦の隻数を最も必要としたのが英国であった。ケント級に続き、ロンドン級、ノーフォーク級と三本煙突が特徴の重巡を次々と建造した英国だったが、巡洋艦総数を増やす為設計した艦が「ヨーク級」2隻である。排水量は各国の重巡の中で最も少ない8,250トンに押さえ、主砲も8インチ砲連装3基6門で我慢しているが、装甲に関しては前級に比較して完成度の高い設計となっている。しかし、英国海軍は「ヨーク級」以降、重巡の建造を取りやめて、6インチ砲搭載の軽巡洋艦(有名なベルファースト等)の建造に注力、巡洋艦総数の増加による船団護衛能力の向上に努めている。


一方、英米海軍と対抗関係にある帝国海軍の重巡洋艦設計は、「古鷹級」の経験を下敷きにした「妙高級」からスタート、上記のように、列国海軍の中でも最も重武装の巡洋艦であった。その為、水線部の装甲はほどほどだった物の砲塔装甲は米重巡に比較して薄く、兵員居住区の住み心地は英国の重巡に比較して劣悪で、南洋での遠洋航海時の乗員の疲労蓄積は大きかったといわれている。居住性を犠牲にして高い攻撃力を備えた帝国海軍の重巡洋艦の性能は、太平洋戦争緒戦の各地での夜戦の際に遺憾なく発揮され、連合各国の巡洋艦を圧倒、米国は対抗すべく後述するように「デモイン級」の建造に着手している。


フランスとイタリア両国の重巡洋艦は、日英米と異なり、互いのライバル意識が強かったせいか、お互いに高速を重視した重巡を設計、就役させている。

フランスの「シュフラン級」重巡やイタリア最初の重巡洋艦「トレント級」は、8インチ砲連装4基8門搭載で、戦力的には英国重巡に近似した性能ながら、トレントは各国の重巡の中でも高速な35.5ノットを誇っていた。しかし、戦前活躍が期待されたフランスのシュフラン級の3隻はツーロン港で自沈、イタリアのザーラ級の3隻は、英国とのマタパン沖海戦で撃沈されていて、両国重巡共に活躍の機会は少なかった。


各国重巡の中で最も攻撃力を重視した設計の帝国海軍の重巡だったが、用兵側の重武装の要求を艦制本部は可能な限り受け入れて建艦した結果、「妙高級」で約一割、次級の「高雄級」は約三割を超える排水量超過の条約違反(もちろん内部秘密だった)となってしまった。

次に、日本重巡の欠点として、よく挙げられるのが、「砲塔装甲の薄さ」である。砲戦重視の米国重巡の主砲塔装甲が格段に厚かったのに対し、砲戦と共に夜間の魚雷戦を重視した日本海軍は、水線甲帯は重視したものの主砲塔の装甲は、断片防御程度の薄い装甲しか持たなかった。この点に関しては、今日でも大きな問題点として指摘される方が多い。

けれども、薄い装甲しか持たなかった設計の日本の重巡の砲塔だが実戦では、致命的な問題点にはならなかったと個人的には思っている。それよりも、条約締結時には予想もされなかった航空機の発達により、実戦では艦隊上空の制空権の有無が巡洋艦の最終的運命を決めている。


その他の条約に拘束されない国の重巡として忘れてならないのは、第三帝国ドイツのアドミラル・ヒッパーやプリンツ・オイゲンがある。ナチス海軍は軍縮条約破棄後自由な立場で設計できたため、1万トンの排水量の枠に拘ること無く、攻撃力と装甲、航続力を自由に設定して設計が出来たのである。その結果、両艦共一万4千トン前後の巨艦となったが、攻防のバランスの良く取れた重巡であった。強いて欠点を挙げるとすれば、通商破壊戦を目的とした艦としては、やや航続力が短い欠点があった点と、多勢に無勢で少数のドイツ重巡3隻は十分な活躍場面の無いまま主力を潜水艦に譲らざるを得なかった所であろうか!


(それでも大活躍した各国の重巡洋艦)

条約の制限排水量以内で攻防走のバランスが取れた重巡洋艦を製造して戦場に送ることが難しい事実を略述したが、その難しい条件下で各国の重巡洋艦は良く戦っている。

最初に挙げてみたいのが、世界の重巡洋艦の中でも、最も非力だと思われていたヨーク級の2番艦「エクセター」の活躍である。排水量8,390トン、8インチ砲6門搭載に過ぎない同艦は、軽巡洋艦2隻とチームを組んで、11インチ砲6門搭載の独のポケット戦艦「アドミラル・グラフ・シュペー」をラプラタ沖海戦で撃破、後に自沈させている。エクセターと軽巡2隻の2つのチームで夾撃した英国指揮官の優れた作戦と指揮能力に負うところも大きかったが、ポケット戦艦といえども艦体全てに充分な装甲を施すことができず、非装甲部分の被弾により「アドミラル・グラフ・シュペー」は重大な損傷を受けた為、自沈に至ったと推測される。同艦は、その後、東洋に回航されて、帝国海軍と次に述べる「スラバヤ沖海戦」で交戦、損傷、その後撃沈されている。


次に紹介したいのが、アメリカの重巡「ノーサンプトン級」5番艦の「ヒューストン」である。8インチ3連装砲塔3基、9門を搭載するヒューストンは太平洋戦争開始時、東南アジアにあった。

開戦劈頭ジャワ島占領を目指した日本軍上陸船団及び護衛の第5戦隊に対し、米、英、蘭、オーストラリアの四ヶ国は合同でABDA司令部を設け、5隻の巡洋艦と10隻の駆逐艦で阻止行動に入った。オランダのドルーマン少将率いる蘭デ・ロイテル(軽巡)、米ヒューストン(重巡)、英エクセター(重巡)、オーストラリア、バース(軽巡)、蘭ジャワ(軽重)の混合部隊は、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦3隻の戦力であった。

連合国の混成艦隊と最初に遭遇したのは、帝国海軍の第5戦隊(重巡那智、羽黒)を主とした部隊であった。スラバヤ沖海戦の開始である。海戦の結果、連合艦隊のデ・ロイテル(蘭)、ジャワ(蘭)が沈没、エクセター(英)は初期段階での損傷のため戦場を離脱、戦死した司令官ドルーマン少将最後の命令によって勇戦したヒューストン(米)とバース(オーストラリア)も後退している。

この海戦に続いて発生したバタビア沖海戦は、日本軍上陸部隊の輸送船を襲撃すべく再出撃したヒューストン(米)、エクセター(英)、バース(オーストラリア)の3隻に対し、帝国海軍は栗田少将の第7戦隊の重巡洋艦三隈、最上を主として、第5水雷戦隊原少将が迎撃している。始めにエクセター(英)が沈没、続いてバース(オーストラリア)、最後に奮闘したヒューストン(米)が沈没して連合国の艦隊はジャワ周辺から一掃されたのであった。

勇戦したヒューストン(米)の乗員は自分達の重巡洋艦ヒューストンを『戦艦ヒューストン』と親しみを込めて呼んでいた。


日本の重巡の中で、どの重巡洋艦を取り上げるかに悩んだが、「条約型重巡洋艦」の後継巡洋艦にあたる「利根」にした。妙高級と高雄級で、規定の枠内の重巡洋艦12隻の建造を終了した帝国海軍は、旧式軽巡洋艦の代替えとして、6インチ砲搭載の「最上級」軽巡洋艦を建造、続いて8,500トン型の「利根」を就役させている。「利根」は当時、重要性の増してきた航空偵察力を強化するため、後部甲板に水上偵察機6機を搭載、その結果、8インチ連装砲塔、4基全てを全部甲板に集中した特異な形状の艦となった。主砲配置は、英国のネルソン級や仏のダンケルク級に近く、巡洋艦としては、世界各国の中でも風変わりな艦形の艦となった。

利根の艦載機は開戦劈頭の真珠湾攻撃前の航空偵察で貢献したのをスタートに、続く、ミッドウェー海戦でも偵察用水上機を発進させている。唯、利根機の発進が遅れたせいで、同作戦全体の展開に遅れが生じてしまったと指摘されている。しかし、利根機の発進遅れが幸いして敵艦隊の発見に繋がった説もあるので、この件に関しては一度、専門家のご高説をお聞きしたいと思っている。サマール沖海戦では、筑摩と共に米護衛空母部隊を砲撃するなど、「利根」は、太平洋戦争の殆ど全ての作戦に参加、呉に帰還後、昭和20年7月、米艦載機の攻撃により、大破着底して輝かしい艦歴を終っている。


(その後の重巡)

『条約型重巡洋艦』の問題点ばかり挙げてしまったので、条約型重巡洋艦とその後継重巡洋艦は、全く役に立たない艦種と誤解されかねないので、最後に第二次世界大戦での重巡洋艦の重要性を強調して置きたい。日本も含めて各国戦艦の中には、最高速度25ノットや27ノットの艦が多かった為、空母を基幹とする高速の機動部隊に随伴できない戦艦も多かった。その点、30ノット以上の高速を誇り、十分な砲戦力と対空砲火網を持つ重巡洋艦は理想的な随伴艦だった。

加えて、搭載する8インチの重砲は敵巡洋艦との交戦や上陸支援の艦砲射撃に絶対必要な兵装であったし、重巡の搭載燃料は多く長期間巡航速力を維持出来る上、駆逐艦のように高速が出ても、艦体が小型のため荒天時に機動部隊から落後する心配も無かった。重巡洋艦という艦種は作戦指導部にとって極めて使い易い有用な艦種だったのである。『条約型重巡洋艦』を含めて第二次世界大戦型重巡洋艦の何隻かは、戦後ミサイル巡洋艦に改造されて長く使用されている。

しかし、誠に残念ながら、米機動部隊による制空権下、帝国海軍の優秀な重巡洋艦は次々と失っていったのである。一方の米海軍も緒戦で劣勢を味わわされた我国の重巡洋艦に対抗すべく、攻防力に優れた満足できる設計の重巡を太平洋戦争前半に建造を開始している。「デモイン級」1万7千トンである。どうも、バランスの良い攻防力に優れた重巡洋艦を建造するためには、『条約型重巡洋艦』で制限された1万トンでは不十分で、「デモイン級」程度の排水量を持つ、より大型の艦体が必要だったようだ。しかし、完成度の高い同艦が就役できたのは戦後の1948年で、肝心の太平洋の戦いには間に合わなかったのである。

(参考文献)1)世界の艦船(回想の条約型重巡)  (株)海人社    H.18年6月号


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