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12.第二次大戦型各国戦車の生産性について

小学校5年生の時に初めて第二次大戦型の各国戦車の写真を見た。戦車に関して何の知識も無く、興味も持って居なかったが、不思議な物で幾つかの疑問が国毎の違う型の戦車を見ているだけで、次々と浮かんできた。その疑問を記憶に残っている範囲で列記すると次のようになる。


・日本の戦車は小さく、鉄板を画鋲リベットで留めたような変な構造だった。

・独のパンターやティーガーは直線的設計で搭載する砲身が長く、精悍で名称通りタフ

 で獰猛な戦闘車という感じがした。

・ソ連の「T-34戦車」は砲塔も傾斜設計でバランスが取れ、機能性に溢れて見えた。

・アメリカの「M4シャーマン戦車」は砲塔、車体共に曲線的でつるっとした印象だった。


今、思うと如何にも幼稚な記憶だが、中学、高校で一部軍事知識を補充する折があって、若干年齢が進んだ分、修正することが出来た。幼稚ながらも新たに加わった十代での知識を追加すると次のようになる。


・近代戦車の元祖的な「ルノーFT戦車」を初めとする初期戦車はリベット留めが普通で、

 日本の97式中戦車も含め大戦初期の当時としては世界的に見て常識的な造りだった。

・「スペイン動乱」、「ノモンハン事件」等でリベット留めの脆弱性は各国で見直され、早

 期に溶接や鋳造工法に改善されたが、日本はリベット留めをその後も継続して用いた。

・世界で初めて傾斜鋼板を多用した「T-34戦車」防御力はもちろん、攻撃力、機動力に

 優れた第二次世界大戦を代表する『傑作主力戦車』だった。

・多分、初めて見た写真のシャーマンは砲塔、車体上部共に鋳造の「M4A1」だったと思

 われる。M4の中では鋳造のため無用な突起物や角の無い外観が特徴であった。

・日本の戦車が鋳造砲塔や溶接車体を本格使用したのは戦後生産の61式中戦車が最初で、 

 世界の戦車製造技術レベルから考えると相当後年になってからであった。


この中で、鋳造砲塔に関して述べるとソ連、米国の二国は、第二次世界大戦型戦車において大型鋳造技術を多用して、戦車砲塔の効率的な量産化を推進、戦車全体の増産に貢献している。


その後、第二次世界大戦中の各国の戦車を含めて軍事関係技術に関して高校卒業と共にすっかり忘れてしまった。

後年、社会人になってからの友人に、第二次世界大戦型の戦闘機や戦車にやたら詳しい数人が居て、搭載機銃一つとっても、実戦上の問題点を聞きに零戦の名パイロット坂井三郎氏の所までお邪魔して質問する猛者も居たためもあって、今日まで勉強する機会を逸していた。

しかし、自分なりに「第二次世界大戦中の各国の戦車」について何か調べてみたいと漠然と心の何処かで思っていたが、丁度良い切り口が見つからずに今日に至っている。

そこで、第二次世界大戦型中戦車を何台かピックアップした上で、小学生時代からの疑問をスタートに各国の戦車生産を中心にした当時の工業力を考えてみることとした。


(第二次世界大戦型名戦車とは)

何人か軍事好きの人と会話すると第二次世界大戦型の名戦車として、独の「Ⅴ号パンター中戦車」や「Ⅵ号ティーガー重戦車」の名前やその高性能振りが直ぐに出て来るし、攻防走の三拍子揃った第二次世界大戦最高の名戦車といえばソ連の「T-34戦車」であると力説する方もいる。

如何にもアメリカらしい工業製品の塊のような「M4シャーマン戦車」の総合力と戦果、戦後長くイスラエルで使用されたように搭載砲の拡張性を強調するご意見もあった。

別の方面からは、我国の「97式中戦車」も比較対象の一つとして忘れないで欲しいとの声も聞こえて来たし、英国の「バレンタインMk.Ⅲ」、「クロムウェルⅦ」戦車やチェコのスコダ社の35t戦車を推薦するマニヤックな人までいた。


そこで、各国の名戦車をピックアップして詳細な特徴や戦績を調査分析することは諦めて、始めの目標の通り各国の相対的な工業力や国民性による設計・製造能力の違いをピックアップして、「各国の主力戦車」の工業的な生産性を中核に勉強してみる方向で考える事にした。

選考の条件として各国国民が今でも誇りに思っている「中戦車」で、第二次世界大戦開始から終了までの間に生産された戦車であること。生産数が各々の国の中で1位か2位の順位を誇る戦車であること。実戦の場で敵味方双方から高い評価を受けた戦車であることを念頭に置いて選んだ。

やや例外としては、世界的な戦車の将来性を的確に予測出来ず、後の時代から物足りない戦車であっても当時の国民性や工業力の限界を示す戦車は除外すること無く、今回のメンバーに入れた。その結果、次の6台の戦車を勝手に選ばせて貰った。


・ソ  連   T-34中戦車

・アメリカ   M4シャーマン中戦車

・独     Ⅳ号中戦車

・独     Ⅴ号パンター中戦車

・英     バレンタイン歩兵戦車

・日 本   97式中戦車


以上だが、ソ連のT-34、アメリカのM4、独のパンターに関しては皆さん異論が無いと思う。独のⅣ号戦車を選んだ最大の理由は、独戦車トップの生産数量を達成した戦車である点と第二次世界大戦初期からベルリン陥落の終戦時まで戦い抜いた独陸軍自慢の戦車である点である。

それに対して、各国戦車と同列に並べると最も見劣りのする戦車が、我国の97式中戦車(チハ車)である。日本陸軍では中戦車と呼んでいたが重量は15tと軽く、同時期のアメリカの「M3軽戦車スチュアート」の重量14tや英国の「バレンタインMk.Ⅲ」の17tとそう大差無い軽量級戦車であった。主砲も後期型で47mm砲と小口径な上、各国の主力戦車に比べて装甲も薄かった。このような劣弱な条件ながら比較対象に選んだ理由は、第二次世界大戦の全期間を通じて日本陸軍の戦車部隊の主力戦車として配備され続けた点と生産数が我国戦車の中で最大の量産数を達成している点にある。

また、英国の「バレンタインMk.Ⅲ歩兵戰車」を選出した理由も97式中戦車に似ている。97式同様、バレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車も各国の主力戦車に比較すると二次大戦参加の戦車の中でも初期段階の戦車であった関係で、速度(24km/時)も遅く、搭載した砲も6ポンド(47mm)砲と小さかった。しかし、参加した戦域は広く北アフリカ戦線を中心に、行動範囲はロシア戦線、太平洋戦域に及んでいる点も考慮して入れることにした。


(各国の製造技術と各戦車の活躍)

それでは、各国の国民性も含めた製造技術及び量産能力の問題と個々の戦車の戦場における評価等を個人的に考察してみたい。

少し粗っぽいが、上記で選んだ戦車を年代順に記述したい。


(バレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車)

 第二次世界大戦の開戦劈頭からナチスドイツと戦った英国は、ダンケルクの撤退によって多くの戦略物資を失っている。そして、北アフリカ戦線の構築に備えてエジプトに送った戦車が「クルセイダー巡航戦車」と「バレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車」であった。


この巡航、歩兵の二つの名称からも解るように英国は伝統ある海軍を持っていた性か、高速巡洋艦的な巡航戦車と歩兵との強調を重視した低速重装甲の歩兵戦車の二系列の戦車開発を戦前から行っていた。この思想は、第二次世界大戦の中期には現実の戦場の実態に完全に合わなくなっていたが、大戦初期段階では、まだ、一部で有効な考え方として遺っていたのである。

その結果、バレンタイン歩兵戦車の初期型の時速は15kmに過ぎず、後期の改良型でさえ24kmの低速であった。その上、主砲の6ポンド砲の口径は小さく、敵を圧倒できる十分な攻撃力にも乏しかったのである。

しかし、バレンタイン歩兵戦車が北アフリカ戦線に送られた第二次世界大戦初期の段階では、独のⅢ号戦車やⅣ号戦車、アメリカのM3スチュアート軽戦車、我国の97式中戦車、ソ連のT-26戦車等の搭載砲も37mmや47mm砲で、世界的に見て標準的な主砲の口径であったのである。


一方、製造はイギリス本国とカナダで生産され、その内、約3,800両がレンドリースとしてソ連に送られて南部地域のカフカス方面に配備されて活躍している。

バレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車に対する評価に関しては、イギリス人よりもレンドリース先のソ連の印象の方が的確かも知れないので、それを挙げて見たい。①小型で使い易い ②エンジンを含めて機構的な信頼性が高い ③装甲強度が高く安心して乗車できる

以上である。

イギリス人の設計らしく「バレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車」は、最先端の戦略的機能を持つ戦車では無かったが、ジョンブルの頑固さの伝統を持つ手堅い戦車だったのである。


そして、幸運な事に、巡航、歩兵等という旧式の思想による戦車開発によって、次世代戦車開発が遅れていた英国に膨大な量のM4シャーマン戦車がアメリカから供与されて、戦車開発の間隙を巧く埋めてくれたのであった。


(97式中戦車)

独と同じように江戸期からの職人による感と手作業の尻尾を引きずりながら近代化に勤しんだ日本は、三菱の零式艦上戦闘機もそうだったが、一機一機、一台一台が手造りだった。

日本の戦闘機も戦車も大量生産の工業製品と呼ぶよりは、大手企業の手作り品と呼んだ方が良い製品だった。戦車とは直接関係ないが戦争中に軍需産業の技術士官だった方に伺った所では、ちょっと組み立て調整に行き詰まっても、職工のベテランに酒の一升も渡して頼むとパス(寸法測定用の簡易器具)で嵌合する金属の凹凸部を計り、あっという間に旋盤で調整してくれたと聞く。

確かに、その組み立てに行き詰まっていた戦闘機や戦車はそれで軍に納入できて、目出度し目出度しとなっただろうが、激戦の戦場に同じような職工の達人が居るとは限らなかった。

専門の人材が殆ど居ない戦場では、素人同然の戦車兵が交換出来る精度の互換性を持つ規格品の供給体制が重要な事実を日本人は理解していなかった。


日本が米軍の軍事規格(MIL)を本当に理解し始めたのが昭和30年代以降であり、工業分野で日本工業規格(JIS)を立ちあげて、実製品において規格の重要性を理解して海外の信用を得ることが出来たのは、更に後の昭和40年代以降だった。

英国や独よりも工業化の遅れた当時の日本は、アメリカと比較すると更に工業生産力が低かったし、今述べたように工業規格に関しては、数段劣った国だったのである。

そのような工業力が格段、連合国に比べて低かった我国では、97式中戦車(チハ車)の後継戦車にあたる新型戦車の開発さえ順調に進めることが出来ず、1式戦車、3式戦車、4式戦車の構想や少数の試作品はあった物の現物の最新型戦車の実戦配備は遅々として進まなかった。その為、世界の先進国が大戦後期型の新鋭戦車を戦場に配備していた1944年後半から1945年の時点でさえ、1930年代後半の主力戦車だった旧式の「97式中戦車(チハ車)」を本土決戦のために配備せざるを得なかったのが実情であった。


日露戦争終了後、比較的平和が続いた日本で戦車の戦場での実戦評価と問題点を検討する貴重な機会が「ノモンハン事件」であった。同事件は、当時、伝えられているような日本軍の惨敗では無く、日ソ両軍に大きな痛手が生じた事件だったが、「97式中戦車」も少数ではあるが実戦参加して力戦している。

事件終了後、詳細な報告書が提出されているが、日ソ双方大損害の全貌が明らかになる事態を厭がった軍上層部は文書の死蔵と非公開を決めている。その結果、折角の日本戦車の性能向上に寄与する絶好の機会を永久に奪ってしまったのである。

日露戦争以来、日本軍には戦場の冷徹な真理と現実を素直に受け止める気概に欠ける兆候がまま見られたが、ノモンハンの結果は、更に、敗因追求の全面拒否体質の全陸軍への浸透という最悪の実績を残す結果となってしまった。

ノモンハン事件が戦車の将来に示したのは、近い時点での対戦車戦闘激化の兆候で有り、主砲の大口径化の必要性と最新の対戦車徹甲弾開発の重要性であった。日本陸軍には一部の技術将校と中国戦線の前線指揮官を除いて、同分野の開発計画の抜本的な方針変更を検討した上層部は全く存在しなかった。日本陸軍の無能さは上層部に行けば行くほど激しかったと聞く。


日本人を意地悪く表現する言葉の一つに「胴長短足」がある。日本戦車に搭載している主砲はどれも短く、砲口制退器も付属していない機種が多いが、世界最大の陸軍国ソ連の二次大戦型戦車はどれをとっても長い砲身で、砲口制退器が付属している戦車が多い。日本人は自国の工業製品の完成度と品質が高いと信じているが、この百年間だけとってみても勝よりは負けた工業製品分野が多い事実を心に銘記して、将来に備えるべきであろう。自動車一つとっても累卵の上の製品である。


(T-34中戦車)

ポーランド戦とフランス侵攻の電撃戦の信じ難いような快勝によって、ヒットラーも独陸軍首脳部も自国の機甲部隊と所有する戦車の戦力に心酔していた。その為、ソ連侵攻時にはソ連陸軍を破り共産党政権崩壊に要する時間を、それ程必要では無いと思っていた節がある。

独首脳部のその甘い考えを一台の傑作戦車が打ち砕いた。ソ連軍の所有する「T-34/76中戦車」である。

今までの西ヨーロッパ諸国で製造された戦車とは全く違った発想の優れた攻撃力と装甲、そして機動性に富んだT-34中戦車は、独軍の主力である「Ⅲ号戦車」や「Ⅳ号戦車」を遙かに凌駕する優秀な戦車であった。

強いて独戦車の優位な点を挙げるとすれば、実戦経験豊富な優れた乗務員と優れた通信機能を活用した集団戦闘によるソ連軍戦線の突破であった。1対1で遭遇した場合、T-34中戦車の持つ傾斜装甲の優れた避弾経始によって、独戦車の主砲弾は命中しても弾き飛ばされ、T-34に損傷を与える可能性は極めて低かったのである。


独ソ戦の開戦以後、連合国アメリカと英国の援助により、軽戦車、装甲車、大砲、軍用車両の大半を供給されていたソ連は製造技術と生産資材の大半を「T-34/76中戦車」の製造に一極集中して大増産を開始出来た背景があった。

独ソ戦が開始されるとソ連首脳部は、T-34戦車の生産工場を戦場から遠いウラルに移転させ、製造工程での改善提案や改良を部品点数の削減を除いて殆ど認めず、ひたすら生産数の向上のみを追求させている。製造機種の単一化は恐ろしいほどの日産数の増加となり、戦争後半の日産数は最大180台に達したと伝えられている。

更に、生産数増加の為には、資本主義国家独や米英では考えられないような雑な仕上げを不必要な部位では大幅に容認、乗員の苦労を無視してひたすら多量のT-34戦車を戦場に送り続けたのであった。

しかし、捕獲した「T-34/76戦車」を調査分析した独が認めるように、必要不可欠な部分の加工精度は決して妥協せず、最後まで高精度加工を保っていた。

要するに全体主義の下ながら、工業上バランスの取れた精度配分が出来る公差の維持によって高性能戦車を大量に供給し続ける体勢をソ連は早期の開戦初期の段階で確立出来たのであった。


更に、ソ連技術の凄みを挙げると独が戦場で入手した「T-34/76戦車」を徹底的に分解、分析して、従来のⅣ号中戦車の搭載砲其の他を強化して戦場に送り込み、加えるにT-34/76戦車撃破用の「Ⅴ号パンター中戦車」と「Ⅵ号ティーガー重戦車」を戦場に投入するとソ連はT-34/76戦車を土台とした「新T-34改良型戦車」を開発、戦場に送っている。

搭載砲を大口径の85mmに強化した「T-34/85中戦車」である。T-34/76戦車とT-34/85戦車の大軍は独陸軍を圧倒して、「大祖国戦争」を完遂し、ロシアから独軍を追い出し、ポーランド戦線の独軍を崩壊させてベルリン陥落まで戦い抜き、ソ連軍の勝利に貢献している。

 「T-34/85戦車」の優れた点は、主砲の大口径化だけでは無かった。「T-34/76」以来の足回りの良さと機動力はそのままに、量産能力において、独のⅤ号パンターとⅥ号ティーガーを完全に圧倒したのである。詳しい、独ソ両国戦車の量産数量の比較は後半で行いたい。


(Ⅳ号中戦車+Ⅴ号パンター中戦車)

第一次世界大戦で独参謀本部が立案したフランス攻略の「シュリーフェン計画」を現実の第二次世界大戦の戦場で再現して、独の勝利に大きく貢献したのが独機甲師団による電撃戦であった。

フランス侵攻時の独機甲部隊の主力戦車はⅢ号及びⅣ号戦車であり、その前のポーランド侵攻がⅣ号中戦車のデビュー戦である。

Ⅳ号戦車が大活躍したのが北アフリカ戦線における名将ロンメル指揮下で、Ⅲ号戦車と共に英軍のクルセイダー巡航戦車やバレンタインMk.Ⅲ歩兵戦車と何度も死闘を交えている。「砂漠の狐」の愛称と共に激戦地のハルファヤ峠やトブルク、エル・アラメインの地名を聞くと心ときめく戦車ファンも多いと思う。


独ソ戦開始の「バルバロッサ作戦」でもⅣ号戦車は先陣を切ってソ連領内に侵攻している。当時のⅣ号戦車の最新型はF1型で、搭載砲は75mmながら砲身が短い24口径砲で、ソ連軍のT-34戦車の75mm30.5口径砲と撃ち合った場合、装甲板貫通力で大きく劣り、不整地での走行性能でも劣勢は免れなかったのである。

予想もしない強敵の出現に驚愕した独首脳部は、急遽、T-34戦車撃破のための二つの戦車開発に着手している。先に述べた「Ⅴ号パンター中戦車」と「Ⅵ号ティーガー重戦車」である。この二つの独戦車は名戦車と呼ばれ、特に、「Ⅴ号パンター中戦車」の評価は高い。


さて、話を本題に戻して、戦車による電撃戦を実戦の場で最初に実現させた独は、中世以来、今でも続く「マイスター」の伝統がある。マイスターは戦車に関連する技術だけでは無く、食品、建築、楽器等々の独の文化、生活に直結する各分野に深く根付いていて、第二次世界大戦における兵器製造のある部分でのバックボーンになっていた。国民的にも日本人に似て勤勉であり、行動も規律的で創意工夫も好きな国民性であった。

この優れた国民性が、逆に主力戦車の多品種化を維持し、規格統一の不備をカバーする働きをしてしまった。ドイツ人から見れば人種的に遅れているスラブ人やアメリカ人が規格統一をして、主力戦車一つに絞り込む姿が理解できなかったかも知れない。

それから忘れてならないのが、ヒトラー総統の新し物好きの困った性格である。新開発の最新兵器が好きで好きでしょが無い所があり、未完成の試作品を無理矢理戦場に投入する癖は死ぬまで直らなかった。この独裁者の性癖に独の戦車生産は大きく振り回される事になる。


ドイツ滅亡の日まで、3台の主力戦車(Ⅳ号戦車、Ⅴ号パンター、Ⅵ号ティーガー)を併行して生産した上に、加えてⅢ号戦車等の旧型戦車の再活用を図って、砲等の無い簡易戦車、突撃砲の種類が際限も無く増え続けている。新型、改良型の戦車、突撃砲多数を併行で生産した為に製造現場は大混乱に陥った上、複数多機種の戦闘車両が必要とする弾薬、資材、補充部品の多品種化が、更に拍車を掛けて量産の渋滞を引き起こしてしまった。


その点、主力戦車がT-34とM4に一本化していた米ソは、主砲弾の品種も少なく、供給しなければならない交換部品も規格統一によって整合されている溜、十分な数量の保守部品と消耗品を戦場に送ることが出来たのであった。


(M4シャーマン戦車)

アメリカが「M4シャーマン戦車」の検討に入ったのは、英仏が独の電撃戦に破れた1940年6月以降であり、連合国の中で最も襲い戦略戦車開発だった。急な開発企画立案の為、基礎設計から開発を行う余裕が無く、手持ちのM3中戦車の車体に75mm旋回砲塔を乗せる急場凌ぎの案で急遽出来上がったのが「M4シャーマン戦車」である。

それでも、アメリカの工業生産力は1942年2月には、砲塔と車体上部が量産に向いた鋳造品のM4A1を出荷して軍に納入している。


アメリカがM4A1を発注した時に、アメリカらしく同時に、国中の自動車産業、機関車製造業、エンジン関連企業を総動員してM4の生産を行っている点である。クライスラー、フォード、GMの三大基幹自動車メーカーはもちろんのこと、エンジンに至っては、航空機エンジンで基本設計を初めたが、戦車に搭載可能と思われる自動車用エンジン、船舶用エンジン、トラクター用ディーゼルエンジン等、ありとあらゆるエンジンを搭載させて生産数達成に努力している。

当然ながら、何種類ものM4シャーマンが次々と出現したのであった。この一見、無謀に思える寄せ集めの生産が可能だったのは、大きく、二つの理由が存在したと考えられている。

第一は、世界最大の自動車産業の存在である。平和時の自動車産業と戦時の戦車産業は一見何の関連も無いようだが、砲と装甲板を除くと極めて近似した構造の工業製品なのであり、その世界最大級の自動車製造ラインの多くが、アメリカ国内に存在し、且つ、ルーズベルト大統領の方針の基、戦車生産に邁進していったのである。

もう一つ、忘れてならないのは、アメリカの工業規格である。元々、独のようなマイスターや日本の職人さんのような人種が少なかった上、移民が多く人種の混交国家だったアメリカでは、工業に関連する国民全てが尊重する「規格」は極めて大事な社会基準であった。「規格」の存在によって、信じ難い位多くの工場から集まった複雑多岐な部品が集積され、組み立てられてM4シャーマン戦車となって行ったのである。

戦時中から徐々に整備されていった軍事関連の規格は、戦後、「米軍軍事規格(MIL)」として、集大成される事になる。戦後、旧海軍の技術者の一人から、「我々(日本軍)は、米国の物量と軍事規格に負けたのだ」と聞いたことがある。


(各国の主力戦車の生産数の比較) 

それでは、最後に各国主力戦車の第二次世界大戦終了までの総生産数を挙げて、まとめてみたい。


・ソ  連   T-34戦車           約57,000両

・アメリカ   M4シャーマン戦車      約49,000両

・独     Ⅳ号中戦車          約8,500両 

・独     Ⅴ号パンター中戦車      約6,000両

・英     バレンタインMk.Ⅲ      約8,300両

・日 本   97式中戦車(チハ車)     約2,100両


何といってもソ連のT-34/76とT-34/85戦車の合計生産数が5万両を超えてダントツであった。T-34/85に至っては、第二次世界大戦終了後もソ連を始めとする東欧諸国で生産は継続されてT-34戦車が達成した生産数最高記録は今後も破られる可能性は薄い。

一方の第2位のアメリカのM4シャーマン戦車の約49,000両の生産量であるが、英国やソ連及び連合国各国に対して、各種の武器支援を行いながら達成した記録で有りながら、T-34戦車に生産機能を集中してソ連が達成した記録に次いで、2位に位置づけた総合力には脱帽したい。対日戦の為、信じ難い数の正規空母、護衛空母と膨大な数の艦載機を生産しながらの数字である事実を考えるとアメリカ工業力の底知れぬ力を感じる。


第二次大戦を代表する独戦車として評価の高い「Ⅵ号ティーガー戦車」にしても、総生産台数は約1,500両に過ぎず、連合軍生産量の戦車の1位のT-34と2位のM4シャーマンを合計した数量の約1.4%に過ぎない僅少な生産量であった。機能的に如何に優れた兵器であっても敵の戦車の投入量の70分の1の戦車では、戦局を大きく左右する力が無いことは明確である。

仮に、T-34とM4に対抗した独軍のⅣ号戦車、Ⅴ号パンター、Ⅵ号ティーガーの3戦車の総生産数を合計したとしても約16,000両であり、T-34とM4の推定総生産量約106,000両に対して、約15%にしか達せず、兵器としての機能以前の数量で既に勝敗の帰趨は明白であった。


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