チェアマン号
甲板に照りつける日差しがきつくなり始めた頃、次々と船内から海賊達が戻ってきた。
「なんか見つけたか?」
その質問に首を縦に振ったものはいなかった。
船内はどこを探しても、食糧や水、武器ばかり。金貨どころか、銅貨一枚見つけることができなかった。
そんな海賊達が一様に視線を向けるのはやはり彼女だった。
ラツィオがちぎれた帆でこしらえた日陰に座っている彼女。
王族と名乗った以上、海賊達は目に見えてかなり期待していた。
だが、ここには空っぽの宝箱すら無い。本当に王族なら身代金だろうとなんだろうと金をふんだくれそうだったのだが。こんな船に乗っている以上、やはり嘘だったとみるのが自然であった。
彼女はそんな冷めた視線を完全に無視しながら、不安に満ちた顔である一点を見つめていた。
そこはバックが入っていった船室だった。
だから、バックが少女と手を繋いで現れた時は甲板の誰よりも驚いた。
「シルフ!」
叫ぶようなその声にバックの隣の少女の顔が上がる。
「お姉ちゃん」
いきなり走り出そうとするシルフの手をバック放さなかった。
「放して。放してよ、バック」
シルフが声をあげる。
「シルフを放して、この変態」
リッカの怒声も飛んでくる。
「放してやれよ船長、嫉妬は見苦しいぞ」
「そうだ、そうだ。いくら船長が少女趣味だからってそりゃないぜ」
自分の子分達のあんまりな言いぐさにこめかみをひきつらせながら、バックはしゃがみこんだ。
「放して、お姉ちゃんのところにいくの」
「わかってるっての」
バックはシルフを足から抱き上げた。
「キャッ!」
かわいい悲鳴が聞こえ、小さく笑ったバックはシルフを自分の肩から二の腕にかけて座らせるようにして安定させた。
その時、ほんのりとした花の香りがバックの鼻をくすぐった。
「そこら辺水浸しで、砂まみれの、血まみれなんだよ。そんなヒラヒラしたもの着ていけるか。ぬいぐるみはちゃんと持ったか?」
「うん」
「そんじゃ、手を俺の首に回せ。そう、襟をつかんでろよ」
バックは満面の笑みをシルフに向けた。
ラツィオのような柔らかいものではなかったが、『はじける』といった言葉がそのまま当てはまるような楽しそうな笑顔だった。
「ほんじゃいくか?」
「うん」
元気よく答えたシルフの頭を器用に撫で、バックは軽い足取りで甲板を歩き出す。
海賊達の冷やかしが聞こえる。巧妙にバックの拳の届かないところに移動した仲間を睨みながらバックはシルフをリッカのもとへと連れて行った。
「ラツィオ、縄ほどいてやれ」
「いいのか」
「感動の再開で抱擁が無いってのも残念な話だろうが」
ラツィオは肩をすくめて、帯刀していた剣を抜き放った。
「御嬢さん、少しおとなしくしていてください」
何も言わずに冷めた目でラツィオを見ていることから、バックがいない間もずっとラツィオが黙ることはなかったらしい。
それでも、素直に背を向けて手の縄を見せたので多少の信頼関係ぐらいはできているようだった。
リッカの縄が切れたのを確認したバックは丁寧にシルフを降ろした。
「ほら、いきな。転ばないようにな」
「うん。ありがとう、バック船長」
たどたどしい敬礼を一回バックにして、シルフはリッカのもとへと走って行った。そんなシルフを熱く抱きしめたリッカを横目にバックはラツィオを手で呼んだ。
「どうした?」
「あの二人をこっちの船に連れてこい。客人として扱う。失礼な真似したらそれ相応の罰を与えるって奴らに言っとけ」
奴らとはもちろん海賊達のことである。そしてこの言葉は主にラツィオへと向けられたものであった。
要するに手を出すなという意味である。
この容姿で女性の方から手を出されることも多いラツィオだが、決して彼の手が遅いわけではない。
そんな、言外の忠告を聞き流して、ラツィオはバックに顔を寄せた。
「なんだ?あいつらって金の実る木なのか?」
「まだわからん」
バックはそう言って再び姉妹に目を向けた。いまや姉は妹の体を触り、怪我してないかどうかを必死な顔で尋ねていた。
「おうおうおう」
ラツィオがいかにも楽しい玩具を見つけたかのような面持ちでバックの肩に腕を回した。
「このあたりじゃ、泣く子も黙る海の荒くれ者の頭領がお優しいことだな」
「何の話だ」
バックは腕を外して、ラツィオに背を向けてこの船の下へと続く入口へと足を向けた。その背中にラツィオが彼女達の扱いについての疑問点を投げかける。
「お~い、彼女達の船室はどうすんだよ」
「二人は船長室にいれてやれ、残りの捕虜は倉庫にでも放り込んどけ」
「お前はどうすんだ?」
「俺はこれからしばらくこの船を調べる。お前が船の指揮をとれ。とりあえず一番近い港を目指せ。じゃあな」
その台詞を最後にバックは甲板の下へと消えていった。
「かわいそうに、あいつらも女だったらよかったのにな」
ラツィオはこれから芋洗いのような状態で詰め込まれるこの船の船員達に自分ができる限りの同情を寄せた。もちろん、彼が男に寄せる同情などたかが知れているのだが。
細い橋板をラツィオの手に引かれて渡り、リッカ達がたどり着いた船では既に出航準備に取り掛かった人々が右往左往していた。
ここから先の航海は船を一隻曳航する。自走能力の無い木の塊を引っ張りながらの船旅。仕事が増えるのは仕方の無いことであった。
リッカはそんな船に辿り着くや否やラツィオの腕を振り払い、警戒心を大量に含んだ目で周囲を見渡した。
「で?私達はどこにいればいいの?」
リッカの声には警戒心を通り越して、敵意が含まれていた。
「バックは船長室を使ってよいと言っていました、船尾の方の階段上がったところにある部屋をお使いください」
そう言ってラツィオが指差した方には二層の船尾楼が見えた。
「この船、ガレオン船?」
リッカの後ろにしがみつくように歩いてきたシルフが顔を出してそう尋ねた。
「そうですよ、これはガレオン船『チェアマン号』。ほら、船尾に楼を設けて甲板より高くしてあるのが特徴です。あそこには上級士官達の船室をつくるのが一般的です。小さいのに、よく知っていますね」
バックには決してできない声音と笑顔と共にシルフの頭を撫でようと伸ばしたラツィオの手はリッカに払われた。
「わかりました、あなたはもう仕事に戻ってかまいませんよ。私達は自分達で船室に向かいますから」
「そうはいかない」
不意にラツィオの声色が変わった。
ラツィオは剣の柄に手をかけながら、船尾楼に向かおうとする二人の前に立ちはだかった。
「あなたたちは、うちの客人です。俺らにはあなたたちを安全にこの船で過ごさせる義務があります」
ラツィオが少し声を張ったからなのか、周囲の海賊達も手を止めて三人のほうに視線を向けた。
「汚らしくて、貧相な海賊船ですが、客の一人や二人もてなさないのはうちの沽券に関わる。あなたがたがこの船に乗る以上、ちゃんと俺らにもてなささせてもらう必要があります」
言っていることはそこそこあっているのだが、リッカの顔からは警戒心に似た嫌悪感は消えなかった。
リッカにとってはどんなに御託を並べられても『海賊風情が』という結論にどうしても収束してしまうのだった。
「しかも、君たちはうちの船長が直々に任された客人です。もし失礼があろうものなら、後でどうなるか知れたものじゃありませんので」
その言葉が周囲に浸透した途端、甲板にざわめきが戻った。だが、それは今までの活気にみちた騒音ではなく噂話を語り合う酒場のようなざわめきだった。
その出発前の甲板にそぐわない声を聞きつけてラツィオは振り返った。
「お前ら何やっていやがる、さっさと仕事しやがれ」
自分の一喝ですぐにもとの喧騒を取り戻した甲板を一瞥して、ラツィオは再びリッカとシルフに向き合った。
「というわけで、お供させてもらいますよ」
ラツィオの発言には有無を言わさぬ響きが含まれていた。
剣の柄に手をかけ、威圧感を放つ海賊を目の前にしてリッカはしぶしぶといった風情で頷いた。
「それじゃあ、足元に気をつけてください」
いつもの柔和な声に戻ったラツィオを睨みつけながらリッカは歩き出した。
「シルフ、行くよ」
「うん・・・」
やや元気の無いシルフが気になったリッカであったが、海賊船に乗せられている少女が不安がらない方がおかしいと結論づけてリッカはシルフの頬に手をあてて歩いた。
だが、そんな心配は杞憂であった。
シルフはいままで乗っていた船を見ていただけであった。
バックが顔を出さないかと期待しながら。