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海賊時代  作者: からんBit
4/6

少女

その少女は自分の周りが静かになったのが遠い昔のように感じていた。


少女は元々小さい体をさらに縮こまらせ、なるべく息すらしないようにしていた。ここに隠れてから本人は何年もの時を過ごしたかのような心持ちであった。

だが、実際にはほんの数刻しか時間が過ぎていないことはわずかに差し込む日の光が教えてくれている。


目の前の厚手のコートを掴み、姉にもらったイルカのぬいぐるみを握りしめ、少女は姉が笑顔で目の前の扉を開けてくれるその瞬間を待ちわびていた。

波の揺れを楽しむ余裕すら無く、船体が軋む音にすらおびえ続けながらも、それでも泣き声一つ、しゃくり声一つあげないその肝は先程震え上がった船長をはるかにしのぐだろう。

だが、目元に光る小さな滴がこの少女の幼さを表していた。


「おい、この部屋やけに小奇麗だな」


少女は不意に聞こえた声に悲鳴をあげそうになる自分の口を両手で抑えた。ぬいぐるみを抱え込んだままの芸当はなかなかに器用だ。


「だな、ベッドもあるし。船長の部屋かもな」

「いや、さっきの強気な御嬢さんかもよ」


その瞬間、少女の目に動揺が走った。少女はこの船に自分と姉以外に女性が乗っていないことを知っていた。自分の姉の安否を聞きたくて少女はぬいぐるみを抱えて口を塞ぎながら扉へと歩み寄った。


「しかし、お頭に切りかかるとはな。お頭のこと知らなかったのか」

「あの剣幕なら知っていても切りかかりそうだったけどな」

「へぇ、俺見てないんだよ」

「凄かったぜ、スカートの中何度も見えたしよ」


下卑た笑い声が聞こえ、少女は少し体を引いた。

少女の足がコートに引っ掛かる。

バランスを崩した小さな体が壁にぶつかった。


「ん、今音がしなかったか?」

「ああ、あの衣装箪笥だよな」

「ネズミだな」

「やけに大きいネズミだな」


少女は体を震わせて、膝を折り曲げた。

足音が近づいてくるのを聞きながら、少女は必死に体を小さくしようとしていた。

口を抑え込み、震える体を抑え、それでも声をあげまいと頬に指をめり込ませ、窒息寸前まで掌で唇を塞いでいた。


「なにがいるのかな」

「さっさと開けろよ」

「おう」


取手に力がかかる気配が少女を包む。最後の抵抗とばかりに目の前のコートを横に引いた。確かに自分の姿は隠れるが、不自然に張りつめたコートはそこに人が隠れているのを教えるようなものだった。

日の光が差し込む、少女の震えが一際大きくなった。

その時、開いた扉の隙間から何かが壊れる音が割り込んでいきた。


「せ、船長。扉は手で開けてくださいっていつも言ってるでしょう」

「別にいいだろ俺らの船じゃないんだしよ」

「あんた、自分の船でも扉蹴り飛ばすだろうが」


幸か不幸か扉は完全には開かれなかった。

別の扉が蝶番ごと吹き飛んだおかげであった。


「それよか、お前ら下にいってやれ。なんか水樽が崩れて手間取ってるらしい」

「まじっすか、んじゃ行ってきます」


二組の足音が遠ざかり、最も暴力的な両足が残された。

本来なら恐るべき状況となったが、不思議と少女の体からは震えが消えていた。

一度恐怖の絶頂を体験したからなのか、少女は自分でも驚く程に怖がってはいなかった。

少女はコートを手放して、ぬいぐるみを抱きしめ、残されたわずかな隙間を涙で曇る視界で見つめ続けた。


「さ~て、この部屋だな」


若い男の声がして、やや重い足音が聞こえる。

椅子を引く音、引出が開く音、布が擦れる音、カモメの驚いたような鳴き声。

わずかな隙間からでは男が何をしているのかを知る術は無かった。


「どこまで~行っても~変わらぬ~海~」


歌声が聞こえ始めた。


「波を越え~風に乗り~潮の~おもむくままに~」


さらに足音が動きまわり、部屋の中を物色している気配が歌声に乗っていく。


「明日は~わからぬ~だ~か~ら~飲み干せ~今日の酒~っと。」


歌声が止んだ。少女はそれと同時に身を引いた。足音が近づいてきていた。


「ほんじゃ、やりますか」


次の瞬間、扉が大きく開いた。突然差し込んだ光に目を逸らしながらも少女は自分の正面を垣間見た。そこには、肌の浅黒い男が立っていた。


「へぇ、こりゃ驚いた」


男はそう呟き衣装箪笥の前に片膝をついた。男の突然の行動に体を硬直させながら、少女はぬいぐるみを握りしめた。


「私の名前はバック=マロック。お迎えに上がりましたよ御嬢さん」


部屋の中が波の音で満たされた。

それも当然である。

白いバンダナに黒いジャケットを一枚着ただけの紳士などいるはずもなく、その声はこの状況を楽しんでるとしか思えない嬉々とした感情が詰こもっていた。

少女が言葉に詰まるのも無理は無い。

窓から暢気なカモメの声が聞こえても、バックは動かなかった。そんなバックに近づいたのは少女のほうだった。

恐る恐る衣装箪笥から這い出し、頭を下げるバックの前まで自分の足で近づいた。


「お兄さんはなんなの?」


そんなあやふやな少女の質問にバックは大仰に立ち上がった。


「よくぞ聞いてくれました。我こそはこの近隣の海を駆け廻る、波上の駿馬」


手を広げ、体を回転させ、まるで舞台の上かのような恥ずかしい台詞をいけしゃあしゃあと謳いあげるバック。

そんな彼を少女はその栗色の大きな瞳できょとんと見つめていた。


「東へ、西へ、北へ、東へ、私にたどり着けない場所などありはしない」

「南は?」


少女の素朴な疑問にバックの動きが止まる。

そして少し体の位置をずらして、バックは再び動き始めた。


「東へ、西へ、北へ、南へ、私にたどり着けない場所などありはしない」


わざわざ言い直したバックに対し、少女は思わず笑ってしまっていた。

時間が遡ったかのように同じ場所からやり直すバックの動きは確かに滑稽ではあった。

ぬいぐるみを抱えながら小さく笑う少女を見てバックは目元に笑い皺をよせた。

少女は5か6の歳の頃のように見え、身に付けたレースの装飾がなされたドレスも相まってまさに人形のようなかわいらしさであった。ウェーブのかかった金髪は手入れが行き届き、目鼻立ちも整っている。

その中でも特筆すべきは彼女の瞳である。

大きく開いた栗色の瞳が少女に美しさを与えていた。

まさに、美の女神が与えた天賦の姿である。バックも二十年後と言わず、十年後ですら楽しみに思ったほどだ。

だが、今は先にやることがあった。


「では、不肖なこのわたくしめが学んだ古今東西の奇術、とくとご覧あれ」


バックがいきなり突き出した拳から一輪の紫色の花が咲いた。


「わぁ」


思わず感嘆の声を漏らした少女に、バックは畳み掛けるようにその花を同色のスカーフへと変える。少女が瞬きした時には、スカーフは短刀へと姿を変えていた。その短刀でバックの白いバンダナを切り裂くと、頭から落ちたバンダナからカモメが飛び出して窓の外から青い空へと消えていった。

その間、少女は手を叩いたり、バックに称賛の声をあげたり、手品を披露する側としては申し分ない反応を見せていた。


「どうも、奇術師バック=マロックでした」


その他にも数々の手品をバックが披露し、その間も黄色い声をあげながら拍手を送ってくれた少女にバックは恭しく頭を下げた。


「またの名を海賊、バック船長です」

「バック船長?」


不思議な言葉を聞いたかのように、首をかしげながら同じ言葉を繰り返した少女をバックは真正面から見つめた。


「そう、バック船長。君を探しに来たんだよ」


ウィンク付きで少女に投げかけられた言葉に少女は満面の笑みと頷きを返した。

バックの手品がよほど気に入ったのか。それとも、バックの言葉に何かを感じたのか。

なんにせよ、既に少女はバックに気を許しているようだった。


「それで、御嬢さん。お名前を教えていただけますか?」

「うん、私シルフっていうの」

「そっか、んじゃあシルフは今から俺の船のお客さんだ。お客さんにはお菓子をあげなきゃないけないな。ほら、ビスケットだ」


バックはポケットから一枚のビスケットを差し出した。


「ありがとうございます、バック船長」


わざわざ敬礼して海軍ごっこに興じるシルフの手に、バックはビスケットを乗せてやった。


「ほら、食べていいぞ」

「いただきますであります」


言葉づかいがへんになったシルフを笑いながら、バックも同じビスケットを口に運んだ。

バックはビスケットを奥の歯にはさみ、唾液で柔らかくしながら噛み砕く。その隣で、シルフも同じようにビスケットを噛み砕いていた。

その様子を横目に見ながら、バックは何かを突然思いだしたかのような仕草をした。


「っと、こんなことしている場合じゃなかった。早くシルフを連れて行かないと、あの女にまたぶん殴られる」

「え、お姉ちゃんに?」

「そっか、あの人はお姉ちゃんなのか」

「うん、リッカお姉ちゃん。私の大事なお姉ちゃん」


二人は姉妹で、あの女はリッカって名前か。


「しかし、お前のお姉ちゃんはすごいな、俺に真っ向勝負挑んできたぞ」

「え、お姉ちゃんと戦ったの?お姉ちゃんは大丈夫なの?どこも怪我していない?」


いきなり詰め寄ってきたシルフにはバックをうろたえさせるほどの勢いがあった。

二十三にもなる、しかも海賊の頭を張っている男が小さな女の子に押し負けている姿はなかなか見ものであったが、残念ながらそれを語り継いでくれる人間はここにはいなかった。


「落ち着けって、大丈夫。怪我はさせてないって。あぁ、ちょっと窮屈な思いをしてるけどな」

「縛られているんだね」

「察しがいいな」


むしろ良すぎるくらいだと思ったが、バックは口にはださなかった。


「バックは私達をどうするつもりなの」

「それをこれから決めるんだ。さぁ、お姉ちゃんのとこにいこう」


バックが差し出した手をシルフはためらいがちに握った。

二人はそのまま連れ立ってバックが蹴り破った扉から出て行った。シルフの手は震えてこそいなかったが、ひどく冷たくなっていた。


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