勝敗
後ろに逸らしたバックの上体をナイフが掠めていき、彼のジャケットを切り裂いた。
「ああぁ、どうしてくれんだよ俺の一張羅。これ銀貨何枚したと思ってんだよ」
「そんなもん、船旅に着てくるあんたが悪いんでしょ」
次々と突き出されるナイフをいなしながら、バックはわざわざ自分の間合いから離れて会話を再開した。
「にしては、あんたもなかなか上等な服着てんじゃん。切り裂かれちゃってるけどさ。それってうちの奴らがやったのか」
「自分でやったのよ。このほうがあんたを殺しやすいでしょ」
「そりゃ殊勝な心がけだ」
バックに再び切りかかってきたナイフを握るのは白く細い腕だった。その腕が動くたびに癖の無い長い赤毛が踊るように揺れる。明らかに上等そうなドレスは膝と肩のあたりで雑に切り裂かれ、航海とは無縁そうな美しい手足が伸びていた。まだ幼さが多少残っているもののすっと通った顔立ちは今や必死の形相へと変わっており、薄い青色の瞳は焦りでかげっていた。そして、控えめに膨らんだ胸元や低めの身長が動く姿は戦場よりも舞踏場のほうが似合いそうであった。
バックに迫っていたのはそんな女性だった。
「俺は女に迫られるのは嫌いじゃないんだが、ナイフはしまって欲しいかな」
「うるさい」
「なぁ、あんた。もしかして売られるとこなのか?」
「あなたには関係ないでしょ」
「まあ、そうなんだけどさ。俺はあの人身売買ってのがどうも好きになれなくてな。俺は売り飛ばしたりしないぞ」
「私より自分の心配したらどうなの」
そんな会話をしながらも易々と刃物をかわし続けるバックに対して、彼女は肩で息をしながら必死に言葉を絞り出してる有様であった。周囲の戦局が変わる気配なども一切見えない中での悪足掻き。それを続けるのは誇りを掲げる騎士でさえ難しいのだ。女性ならなおさらである。しかし、その表情から戦意が消えることは無く、バックへと向けられるナイフの切っ先は常に心の臓へ刺さらんと迫っていた。そんなナイフさばきを見ているバックの口元にはわずかな笑みが広がっていた。
「もう、お前がいくら頑張っても戦局はかわらないぞ」
「どうかしら、少なくともあんたを殺せば時間は稼げるんじゃない」
甲板に立ちはだかる船員が少なくなっていき、バックの仲間の一人がついに甲板から船内に続く扉を斧で破った。その音が鳴り響いた瞬間にバックは間合いを一気に詰めて彼女のナイフを叩き落とした。そして、痛みに膝をついた彼女の腰に手を入れて肩に担ぎあげる。
「な、ちょと。降ろしなさい。降ろしなさい」
自分の背中のあたりから聞こえる声を無視して、バックは甲板をマストに向かって歩きはじめた。途中で襲いかかってきた船員を蹴りのみで追い返しながらバックは少し重くなった足取りで歩いて行った。暴れる彼女をものともせずに歩きつづけ、到着したマストは根元だけを残してきれいに無くなっていた。バック達が大砲でへし折ったのだから当然である。そこには既に何人もの船員が縛られたうえで転がされていた。バックは彼女を近くにいた仲間に渡した。
「こいつは任せた、丁重に扱えよ」
「了解。ってか、キャプテン。女の趣味が変わったんすか?」
「言ってろ」
お決まりの台詞を聞き流して、バックは船の制圧へと参加していった。船上での戦いの流れはバックが参加するまでもなく決まっていた。だから、戦闘への参加は単なるバックの気まぐれだ。嬉々として周囲を全てなぎ倒しながら進むバックの登場はこの戦いを容易に最終幕へと導いていった。
恐るべき速さで船を制圧した海賊達は甲板で捕えられた船員の周りを囲んでいた。四十人程になった船員達は皆一様に不安を隠しきれない表情を浮かべていたが、その中でバックを睨んでやまない視線が一対あった。どうやら、この船に乗っていた女性が視線で人を殺す能力が無いことをバックは感謝すべきなのかもしれない。
ラツィオに小突かれて耳打ちされるまでもなく、バックはその視線に気づいていた。だが、バックは彼女から視線を外した。バックには船長としてやるべきことがあった。バックは船長格の男へと大股で近づいて行き、その男の前で膝を折って視線を合わせた。
「バック様、これはどういうことです」
「あぁ?」
いきなり下手にでた船長にバックは不快な表情を返した。目つきが鋭くなり、口元が真一文字に締まる。もともと、頬の削げた海賊らしい肉付きも相まって、今やバックの表情は荒れた海のような顔となっていた。そして、その荒れる海に放り出された当人は見ている海賊達が情けなくなるぐらいに震え上がっていた。
「だだだだってそうでしょう、わ、われわれは、ダンク商会に、属しており」
「あぁ?」
バックの眉間に皺が寄り、海が嵐へと変わる。バックが一歩歩み寄り、相手が半歩程腰を引いた。
「あんたらが本当にダンク商会ならなんで俺達から逃げ出した」
「ににににげ逃げ出したなど、めっそうもありま、われ、はやくつみにをとどけねばととと、おもったのであります。」
「積荷を捨ててまでもか?」
「いいいいえ、すててなどおりりおりません」
あくまでしらを切るつもりなのか、船長は震えながら顔を横に振り回した。バックを筆頭に海賊達の誰しもが一発ぶん殴ってでも吐かせようかと拳を握りしめていた。そんな中、この船長の言葉を信じた者が約一名いた。バックの傍にラツィオが歩み寄る。
「つまり、この船の積荷はまだ全部捨ててないということか。一番重要な積荷が残っていると、そう言いたいわけだ」
船長の顔が赤から青へ、そして白へと変わっていった。
「私よ!」
叫びに近い声が甲板へと響いた。声の主に目を向けると、例の女性が身を乗り出していた。バックは船長を突き飛ばして彼女へと近づく。
「お前が、なんだって?」
人を蔑むような目線を向けながら、挑発するような口調のバック。そんな彼に彼女は真っ直ぐにその瞳を向け、強気な声を返していた。
「私がその一番大事な積荷よ、私はある国の王族関係者。私の密航がこの航海の目的なの」
船長にそうしたように、バックは膝を折って彼女と目線を合わせた。
「へぇ、それはそれは大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
周囲の海賊から冷やかしの笑いが起きるも、彼女は動じることなく言葉を繋げた。
「ねぇ、あなた達この船を私たちの目的地まで曳航してくれない。お礼ならいくらでも出す」
「『お礼』ねぇ」
「そうよ、悪い話じゃ無いはずよ。危険だってそんなに無いし」
「そうそう、安全だよな、海賊に襲われることも無いしな」
また、周囲に笑いが走った。今度は少し愉快な声も聞こえてきた。
「受けてくださらない?」
低姿勢へと転じてきた女性を前にバックは腕組みをしてわざとらしい考える仕草をし始めた。
「いやぁ、お礼がもらえるならやってもいいかもしれないけどな」
「それじゃあ・・・」
ほんの小さな光を宿した瞳を一瞥して、バックの口元に笑み走らせた。
「戦闘にも関わらず誰にも守ってもらっていない王族からのお礼なんざ、たいして期待できないがな」
彼女の目が強く開かれ、その中の青い瞳が激しく揺れた。バックは立ち上がり捕まっている連中を見渡した。全員がバックと目を合わせまいと視線を落とした。
「ち、違う。それは契約に入っていなくて・・・」
それでも縋ってくる女性を振り払い、バックは彼女に背を向けた。
「お前らこの船にはまだお宝が眠っていやがる。壁ぶち抜いてでも探し出せ。多分このお嬢さんの大事なもんだ。傷でもつけたらゆるさねぇからそのつもりでかかれ」
各々から最低限の返事が返ってきた。小さく頷くのも、大声をあげて得物を振りかぶるのもそれぞれの最低限ということだ。
「ロクル、そっちの組で下を探させろ。二重底を見逃すなよ。」
ロクルと呼ばれた濃いひげ面の筋骨隆々の大男が周りの海賊達に指示を与え始めた。
「バンチ、てめぇは上だ。俺も行くからそのつもりでな。」
「へぇいよっと。」
茶色の髪を伸ばした猫目猫背の長身痩身の男が返事をする。彼は船の揺れに合わせて体を揺らしながら、海賊の間に消えていった。
「ラツィオ、ルーブの組と一緒にここに残れ。こいつらの扱いは任せる。」
「了解」
「おら、他の奴は俺らの船に戻れ。こんなに甲板に人が集まってたら邪魔で仕方ねぇ。」
「ま、待ちなさい。交渉しましょう、交渉を・・・」
「御嬢さん、おちついてください」
嫌味も皮肉も無い、優しい声。そんな声はバックには出せない。声の主を彼女が見上げると、そこには芸術に近い造形美を備えたラツィオの顔があった。柔らかい笑みを向け、逆光で陰ったその顔だけを見ればこの人が海賊だとわかる人間はそうはいないだろう。
「我々は海賊ではありますが、不用意に人を傷つけたりはいたしません。落ち着いてください」
そんな、ラツィオにも彼女は鋭い視線を浴びせかけた。
「あなた達みたいな人間を信用できるものですか」
ラツィオはそれでも柔和な笑みを崩さなかった。
「あなたが本心からそう思っているのなら、『交渉』などという言葉が出てくるとは思えませんけどね」
彼女は何かを喉の奥に詰まらせたような顔をして下を向いた。
「御嬢さん、私達はあなた達をどうこうする気はありません。金目の物を奪ったら近くの港まで送って差し上げます。つきましたら、麗しい御嬢さんあなたのお名前を教えてください」
その時、甲板より上にある船室に向かっていたバックが遠くから声をかけた。
「お~い、ラツィオに名前言うなよ。魂もってかれるぞ」
「俺は悪魔かなんかか」
周囲の海賊が笑い、捕まった船員達も思わず吹き出す中、彼女はバックが向かう船室の扉を祈るように見つめていた。