護衛(後編)
車は坂狩街の門をくぐり、狭い道を進んでいく。そして北東区の厳重なゲートを通過した。坂狩街の北東区は大国フェニズとの国境を持ち、過去の戦争のこともあって軍の駐屯地となっている。故に、一般人はまず入る機会のない区画だ。
そこで車を降り、殿下の後についていく。無機質な壁に囲まれた建物。青緑色の軍服を着た兵士達がそれぞれの持ち場につき、皇太子殿下の姿を認めて敬礼した。殿下は彼らに手を振って応え、視察を続ける。場所によっては穏やかな表情もあったが、控えている者の顔には緊張がうかがえる。特に国境にある壁の周りは、ひどく張り詰めた空気が漂っていた。殿下の姿を見つけても、彼らの緊張と憔悴の色は消えない。
「ぴりぴりしてますね」
ぽつりとワラが呟いた。おそらく誰もが感じていたことだろう。連れ立つ仲間の顔にも心配の色が見て取れた。
「フェニズとは和平条約が締結されたとはいえ、まだ何が起きるかわからないからな」
シオンが言葉を付け足す。龍凰戦争は一応の幕を閉じたが、フェニズ国がまだ龍朝国を狙っていないとも限らない。向こうは大国であるが故に、軍隊や工作隊を入れてしまったら一大事なのだ。
「ええ。ここを守る方々にはできれば穏やかな気持ちで居て欲しいですが……そういうわけにはいかないのが悩ましいですね」
皇太子殿下はそうおっしゃって眉を下げる。顎に手を当てて首を傾げる様はどこか悲しげだった。誰も言葉をかけられないまま、ぐるりと入ってきた場所に着いてしまう。殿下は車の傍で待機していた運転手に微笑みかけた。
「私はこれから中央区を見てくる。車は手はず通りホテル前に頼む」
「かしこまりました」
運転手は頭を下げ、車に乗り込んでエンジンをかける。
「では、中央区に行きます。頼みますよ」
皇太子殿下は俺たちにそうおっしゃって、優雅に歩き出した。
機械的な北東区とは打って変わって、中央区は人々の活気で賑わっている。それは俺たちにとっては日常だが、殿下には違って見えるらしい。あれはいい、こっちはもっとこうすべきだなど、しきりにおっしゃる。それだけでも普段と違って世界が見えるし、何より警戒心が映る景色を変えていた。挨拶しようと皇太子殿下のもとへ寄ってくる人々の中に、良からぬ考えを持った人が紛れ込んでいるのではないかと疑ってしまう。大多数は好意的だとわかってはいる。杞憂に終わるのが一番いい。けれど、そういう訳にもいかないのが皇太子という立場なのだろう。何も心配いらないというのなら、護衛は一切付けないはずだ。
辺りを警戒しながら歩いていた刹那、ぞくりと嫌な気配を感じた。注意深くこちらをうかがう視線が、どこからか向けられている。その向こうにある心は、好意とはほど遠いものだろう。俺は殿下を囲む皆の顔を盗み見た。カンナやシオンは気配を察知しているらしく、目だけで返事をしてくる。そのことを確認し、俺は再び気配を探るべく神経を尖らせた。感じる視線と、殺気。
「殿下!」
突き刺す気配に俺はすぐさま動いた。殿下の腕を掴んで引き寄せ、かばうように覆い被さる。体制を低くした直後、傍にあった鉢植えが割れた。一点からヒビが入り、中の土がずるりと落ちる。
「敵襲!?」
ワラの驚く声が聞こえる。俺は殿下を立ち上がらせた。
「ちっ、こそこそ隠れるな!」
シオンは縄標を素速くほどき、銃弾が放たれたと思しき方向に切っ先を投げつける。縄標の先は逃げ始めた人の波を切り裂き、拳銃を握った腕を捕まえた。捕まえられた男は引っ張られるままに引きずり出される。男の着るジャケットは、この街に巣くうギャングの物だった。
「ぐっ、こうなったら……おいお前ら! 一斉にかかれ!」
引きずり出された男は腕を掲げて合図を出す。それをきっかけに、裏通りから武器を所持したガラの悪そうな男達が現れた。ざっと見て、二十人はいるだろう。
「ぞろぞろと……おかげで暴れ甲斐がある」
シオンは縄標を回した。錘は華麗に舞って拳銃を弾く。刃は本人以外に予想の付かない動きで相手を喰らう。たった数瞬の間に何人もが戦闘不能になった。
「突き進め、シラギ!」
「ああ。後ろは任せた!」
俺は抜刀し、ちらりとカンナを振り返った。
「カンナ、殿下を頼む」
「任せて」
彼女は心配いらないとばかりに拳銃を構えている。俺は頷きを返してから、取り囲む男達を見据えた。殺気が肌に刺さる。わずかな動きを見逃さず、刀を振り上げた。金属同士がぶつかり、黒光りする物体が宙を舞う。手の空いた体に向かって振り下ろす。よろけていた相手に刃が掠り、赤い線が斜めに引かれる。どさり、と鈍い音がした。それに構う間もなく、殺意をみなぎらせた刃が迫ってくる。刀で受け止め、つばぜり合いのまま押し切る。体勢を崩したところに一太刀浴びせ、返す刀で別の男の武器を弾く。数は面倒だが、一人一人は敵ではなかった。
「さあ、命のいらない奴からかかってこい!」
威嚇の意味も込め、俺は空で刀を振るった。
「加勢しなくていいのかい?」
皇太子は傍に控えるカンナに声をかけた。カンナは顔だけ振り向いて答える。
「私は彼らを信じていますし、あなた様のことを頼まれましたから」
前をゆく背中を見やり、心配はいらないと言いたげに微笑んでいる。彼女は一度言葉を切り、周囲を見回した。
「それに――」
左手に輝くのは黒い金属。筒の先から火を噴き、銃声がこだまする。
「何が起こるかわかりませんから」
崩れ落ちる男を省みず、わきから現れた別の敵に照準を合わせる。戦場に立つにしては楽しげな顔であった。
「オレたちの目的は、あくまでも護衛なんで」
槍の穂先を下げ、視線だけ皇太子に向けてワラが言う。振り上げた切っ先で銃器を払い、槍を回して攻撃を防ぐ。間合いのある突きを繰り出し、武装の上から押しこんだ。彼の戦い方は、見る者が見れば荒く映るだろう。それでも槍の穂先は害意の波を寄せ付けなかった。
一行の進行方向とは逆に駆け出し、シオンとコドセルの二人は追っ手を食い止める。縄標の小さな切っ先が飛び回る傍ら、トゲのある鉄球が振り回される。重みのある衝撃は男達の防具をものともせず、後方へと吹き飛ばした。
「やるじゃねえか」
「俺も貢献せねば、カエデ荘に置いてくれた恩義を返せぬからな」
笑いかけるシオンにコドセルは答える。間合いに踏み込んできた敵に、スコーピオン・テイルを振るう。鈍い音がして、トゲが胴体に食い込んだ。
人垣が切れた。その先に、きらびやかで立派な建物が見える。皇太子殿下がお泊まりになる予定のホテルだ。俺は入り口前まで走り、刀を構え直す。
「カンナ、殿下を中へ」
「わかってる。そっちは任せるから」
カンナは殿下を案内しながら建物に入る。二人に沿うようにしてワラもホテルに駆け込んだ。追いかけようとする者の前に立ちはだかり、素速く刀を振るう。鈍い音が耳に付き、どさりと男が倒れた。送れてシオンとコドセルの二人が走ってくる。
「殿下は?」
「既に部屋に向かわれた」
「では、我々はどうすれば?」
コドセルの問いに、決まってるだろとシオンが答える。
「ここまで来ても諦めてくれないのなら――」
彼は縄標を振り回し、取り囲む者達を見回した。
「始末するしか」
その言葉がきっかけとなった。鋭い刀と、俊敏な錘と、豪快な鉄球と。人数では圧倒的不利な状況ながら、誰一人として建物に押し入ることはできない。攻め来る者がいなくなるまで、そう時間はかからなかった。
この事件は後に、実力と栄誉をたたえて、カエデ荘の名を広く知らしめることになったという。
書いていたら思ったより長くなったので前編と後編に分けました。
一人称の時は戦闘シーン、特に乱戦の描写が難しいです。
だから断りなく視点変更したりしてますが……慣れないのもあってかこの視点も上手く書けませんね。
さて、次話からは新章に入る予定です。今後もお楽しみに