83・☆月下黒竜1
シリウスがワグナーと和解してから数日が経過していた。
あれからワグナーはまだ一度も登校しておらず、怪我もしていないはずの彼が学園に来ない理由は、シリウスにはわからなかった。
魔物にさらわれた父の捜索に協力しているのではないだろうかとクラスメイトたちはうわさしている。
ワグナーが騎士たちと一緒にいるところを目撃した生徒がいて、以前住んでいた屋敷を調査しているようだった、と証言したからだ。
けれど、ショーン先生は何も言わないし本当のところは不明だ。
仲直りしただけではなく、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思っていたので、シリウスはワグナーが登校するのを心待ちにしていた。
夕飯のあとアルファに宿題を見てもらいながら窓の外に目を向ける。
細い三日月が夜空に美しいカーブを描いて輝いていた。
満月の日と違い、淡く光る小さな星達も精一杯に自己主張している。
「いまごろウェスタリアの人たちも月を見てるかなあ。父上も母上も、兄上もバナードも、みんな元気にしてるよね」
隣に座るアルファを見上げると、黒衣の青年はこの上なく優しい表情で頷く。
この青年が微笑んでいる姿を目にした事のある人間はごく少数だったが、シリウスにとっては笑顔のアルファの方が標準だ。
「ご家族にお会いしたいですか?」
「うん。会いたい。すごく会いたいよ。でも我慢できる。今だってアルファがいてくれるから寂しくないよ?」
正直な気持ちを包み隠さず素直に言うと、シリウスは再び宿題のノートに向き合う。
うれしい言葉を受け取ったアルファの方は、真面目に勉強に取り組むシリウスを愛しげに見つめた。
それから先日怪我をした箇所をさりげなく観察する。
手首の包帯はそのままだったが、良い薬を使っているし、子供の治癒力もあってさほど時をおかずに完治するはずだった。
すでに痛みを訴えることもなくなっている。
頬の傷もほとんど治り、うっすらとピンクの筋が残るだけだったが、こちらはどんなに薄くともアルファの心を締め付けた。
自分の至らなさをあらためて痛感し、その光景を目にやきつける。
同じ過ちを繰り返さないためにも、どんなに目にしたくなくとも絶対に忘れないつもりだ。
「終わった! ね、アルファ、間違ってないか確認してくれる?」
差し出されたノートに目を通していると、シリウスは立ち上がって窓辺に歩み寄り、また空を見上げていた。
紫の瞳に星が映りこみ、キラキラと輝く宇宙のようだ。
どこか寂しげなその様子を見ていたら、アルファはシリウスが怪我をした日にこっそり泣いていたことを思い出した。
あの日、直接部屋に入って慰めたカイルと違い、自分は何もできていないと感じていたのだ。
「我が君」
ノートを閉じ、黒鋼色の瞳を主人に向ける。
「少し外を歩きませんか」
「いいの? 夜なのに?」
じつをいうと、シリウスはウェスタリアでも、もちろんここアレスタでも、一度も夜の街へ出たことがなかった。
両親や兄は夜会に出かけることもあったが、まだ子供のシリウスはそれもかなわず、たまに許される外出も昼間だけ。
「はい。ですが、カイルたちには内緒にしておきましょう。大勢で出かけると目立ちます。少しだけ散歩して星の観察をしたら戻りましょう」
いたずらっぽく言われてシリウスは大きく目を見開き、信じられないというようにポカンと口を開いた。
まさかそんな提案をしてもらえるとは思っていなかったのだ。
「どうやって外に出る?」
小声で聞くと、アルファはにっこりと微笑んで、窓を示した。
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「竜人って、みんな窓から出入りするのが好きなのかな?」
アルファと二人で外に出て、シリウスは大好きな青年の手を握ってスキップするように歩く。
いつも窓から出入りしているシャオはもちろん、フォウルも窓から入ってきたことがあるし、アルファも今回、シリウスを腕に抱いたまま窓から部屋を出た。
シリウスは知らなかったが、カイルも実家の窓から飛び立ったことがある。
部屋にはアルファが書置きを残してきた。
気分転換のため少し散歩に出るので後を追わずに下宿で待つように、と。
扉の外にいるフォウルはもしかしたらすでに外出を悟っているかもしれないが、今のところ後を追ってくる気配はない。
「あのね、ぼく、くすのきの丘に行ってみたい」
くすのきの丘は、クラスの子供達がいつも遊んでいる小さな丘だった。
住宅地の中ほどにあり、いくつかの遊具もあるので、子供達はそこで追いかけっこをしたりして遊んでいるらしい。
らしい、というのは、シリウス自身が一度もそこに行ったことがないので実際には知らなかったからだ。
「では、そこまで歩いてみましょうか」
アルファは足元を照らす光魔法の範囲を広げようとした。
闇魔法は無意識でも延々と続けられるが、自身とは正反対の属性である光魔法は、どうしても時間の経過と共に効果が弱くなる。
「待ってアルファ、ぼくやってみてもいい?」
そう聞かれてアルファは手を止めた。
照明魔法はごく初歩に学ぶ基本的なもののひとつだ。
確かに練習にはちょうどいい。
アルファが見守っている前で、シリウスは手のひらを向かい合わせ、短く呪文を詠唱した。
「ウト エニム ルクシス」
ほんの短い呪文だったが、強い光がシリウスの両手の内側からあふれ、一瞬空に届くのではないかと思うほど遠くまで輝いた。
だが過剰な明かりはすぐに収まり、そのあとには制御された穏やかな照明がカンテラのようにふよふよと宙に漂う。
「光魔法だといつも最初はこうなっちゃうんだ。パーッって光っちゃう」
「我が君と光属性の魔法は非常に相性が良いのです。そのため光魔法を形成するための要素が必要以上に集まってしまうのでしょう」
アルファにしてみれば、主人がここまで魔力を制御できるようになっただけでも感無量だった。
初めて魔力を使ったとき、この小さな少年は自室の窓を粉砕してしまった。
今のところ、あんなふうに魔力を暴走させたのはあの一度きり。
シリウス個人にしか使えない創造の魔法は魔力自体が異質のものだったが、通常の魔力も二年前より増加している。
今シリウスが使ったのはごく初歩の魔法だったが、最初に発せられた光は最上級の照明魔法と同等の輝きがあった。
あのまま魔法を維持すれば、街全体を明るくするほど光は増していただろう。
それを押さえ込み、足元と周囲を照らす程度に小さく維持制御するのは、上級魔法を直接使うよりも難易度が高い。
宮中に仕える魔術師たちでも困難なのではないだろうか。
光以外の魔法も練習している最中だが、真実魔力を使いこなせるようになったとき、総合的な魔法力ではもしかしたら自分もかなわないのではないかと考えると、アルファは心が震えるほどに嬉しかった。
すでに光魔法ではかなわないとも思える。
試したことはないのだろうが、おそらく無詠唱でも発動するだろう。
子供のうちから魔法を無詠唱で使える人間などおそらく世界中を探しても一人も見つからない。
「どうやったら最初にパーッってならない?」
「そうですね……」
再び手を繋いで、アルファは魔法のコツを丁寧に解説しながら歩いた。
いつか立場が逆転する日が来るかもしれない。
それまでは教えてあげられることはなんでも、全部、教えてあげたかった。
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くすの木の丘は、周囲を住宅街に囲まれた中規模の公園だった。
芝生に覆われた丘のてっぺんに、大きなクスノキが植わっている。
周囲から家々の明かりが漏れているのでそれほど明瞭ではなかったが、住宅街の真ん中にいるよりは星も良く見える。
「ねえ、アルファ見て、あの星!」
空をゆびさしうれしそうにアルファを振り返る。
「兄上は、あの星の名前をぼくにくれたんだ」
空に輝く一番明るい星をアルファも見上げた。
アルファにとって、シリウスはまさしくこの世で一番強く輝く光そのものだ。
何者にも代えがたい、唯一無二の存在だった。
周囲の人間は、アルファや他の竜人たちがシリウスを守っていると思うだろうし、アルファ自身もそうありたいと願っていたが、実際には表面に見えることとはかなり違うことも良く自覚していた。
この小さな少年がいなければ、アルファは自己の存在の意味を見出せない。
闇の中の、たった一つの光だった。
「我が君、上空からの方が街明かりに影響されず星が見えるかもしれません」
「空から?」
シリウスが聞き返すと、アルファは頷いてからそっと瞳を閉じた。
膨大な量の魔力が黒衣の青年の周囲を覆い、限界値まで濃く凝縮されていく。
凝縮された魔力は結晶化し、金剛石よりも硬いうろこを形成しながら、巨大な生物を形作った。
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丘の上に現れた黒竜は漆黒の巨体を夜の闇に紛れさせていたため、その存在に気づいたものはほとんどいなかった。
黒曜石のようにきらめく鱗は周囲の家々から漏れるわずかばかりの光を反射しながら流れ、晴れ渡った夜空に輝く流星のように見える。
差し出された竜の手のひらに、シリウスは躊躇なく触れた。
黒衣の青年と手をつないで歩いたさっきまでとなんら変わらない気軽さで。
見た目の恐ろしさとは違い、鱗と鋭い爪に守られた竜の手の平はとても暖かい。
その手のひらの中にシリウスが納まると、黒竜は両手を胸元に引き寄せ慎重に抱きしめる。
「我が君、万が一お寒いようでしたらすぐにお知らせください」
「わかった」
返事と同時に体がふわりと浮き上がる感覚があり、地上はたちまち遠くなった。
さっきまで見上げていた丘の上のクスノキが今ははるか眼下に小さく見える。
道に沿って街の明かりがキラキラと広がり、地上が夜空になってしまったようだった。
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地道にがんばろうと思いますので、引き続き見守ってやってください。
夜間に散歩するときも、黒い服の男、アルファは光魔法もそれなりに使えます。
では赤い彼はどうかというと、実はわりとがんばっていて、反対属性の水魔法を結構使えます。
子供のころはうっかり燃やしすぎることが多々あって、消火の必要があったからです。
もう一人、フォウルは炎の魔法を使ったことがありません。いらなかったんだな。
シャオの氷魔法はそれらの属性とは別系統のものなので、彼女は魔法の使い方も男性陣とは少々違っています。
次回は、楽しく上空を散歩するシリウスとアルファ。
前半は平和。




