80・☆素直になって
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事故のことを何も知らなかったカイルは、いつものように変装して下宿の外でシリウスを待っていた。
遠くに主人の姿を見つけ喜色をうかべて駆け寄り、その途中で異変に気づく。
「……?!」
まずはじめに気づいたのは、手首に巻かれた白い包帯。
そしてさらに、スベスベだったほほに走る赤いあと。
「シリウス様……! いったいどうなさったのです……!?」
駆け寄り、震える手を伸ばしてほほの傷に触れようとして寸前で止まった。
「ここだと目立つから、部屋で説明するよ」
カイルがアルファを見上げると、黒衣の青年は何も言わなかったが、苦悩の表情でこぶしを握り締めていた。
重苦しい雰囲気に、不安が急上昇する。
見た目にはそれほど大きな怪我に見えないが、アルファの表情からするとただ事ではない。
フォウルも何も言わないが、こちらはいつものことだ。
今日は剣術の実技授業があったはずだが、そこで何かあったのだろうか。
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「だから、もう何も心配ないんだよ」
シリウスは、授業のはじめから、アルファがウェスタリアに帰りましょうとひと悶着おこした件についてまで、詳しく丁寧に説明してくれたが、カイルは「心配ない」という境地とは遠かった。
もし万が一フォウルが間に合っていなかったらどうなっていただろうかと、恐ろしい想像に支配されていた。
アルファも、帰ってきてからずっと、シリウスの説明に口を挟まず沈黙している。
フォウルは人の姿に戻っていたけれど、主人の背後にぴったりとつき、決して離れようとしなかった。
三人のそんな様子を見たシリウスは、小さくため息をついた。
これ以上どう伝えれば三人が安心してくれるのかわからない。
大丈夫、と言い続ける事に疲れてしまった。
痛み止めの薬も眠気を誘う。
「ごめん、ちょっと疲れたみたいだ。……今日はもう寝るね」
シリウスが立ち上がると、すかさず三人も立ち上がったが、シリウスは首をふった。
「寝るだけだから一人でいさせて。本当に心配しなくていいから」
三人が、特にフォウルはついてきてしまうかと思ったけれど、彼らはシリウスを一人にしてくれた。
ベッドに倒れるようにもぐりこみ、毛布をかぶる。
小さく丸まると、アレスタに来てから初めて、兄や両親に会いたいと思った。
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「フォウル、お前はついていくと思ったが、いいのか?」
アルファは本当を言うと、切実にシリウスの傍にいたかった。
けれど、一人になりたいという気持ちも良くわかっていた。
数歩でシリウスの部屋に入れる位置だったからこそ、身を切る思いであきらめたのだ。
「ボクの一部がついている」
フォウルはそう言って手のひらを上に向ける。
手のひらにはフォウルの親指ほどの小さな小さなねずみが乗っていた。
「ボクの中の水分で作っただけだから数時間で蒸発して消えてしまうし、大したことはできないけれど、見ている物と聞いている音ぐらいは伝わる」
「もしかしてそれでシリウス様の危機を察することができたのか?」
カイルが聞くとフォウルはうなずいた。
「武器を扱うような状況で、誰もあの人を見守っていないなどありえない」
きっぱりと言い切るフォウルの言葉を受け、アルファはこぶしを握る力を強くする。
「だが、我が君は護衛を望んでいなかった。俺は授業なのだから安全だろうと結局はたかをくくっていたんだ……」
「あの人がなんと言おうと、ボクはあの人を守る。嫌われても、疎まれても、ついてくるなと言われても」
「そなたが正しい。取り返しのつかない大変な事態を招くところだった」
フォウルはうなずいたが、同時にアルファとカイルをじっと見つめた。
「でも、可能な限り、思うようにさせてあげたい。だから今日もギリギリまで我慢した。あの人が望むことは……」
そこで言葉を切り、ハッとしたように顔を上げると立ち上がる。
「どうした?」
カイルが聞くと、振り向いたフォウルはひどくショックを受けたような顔をしていた。
「泣いてる」
胸を押さえ、フォウル本人が泣きそうな表情だ。
「泣いている? シリウス様が?」
フォウルはうなずき、うろたえたようにまばたきする。
「ベッドの中で、声を殺して泣いてる。ボクたちに気づかれないように……」
どうしよう、と、フォウルは自室の出口にすすみ、再びカイルとアルファのいるテーブルまで戻り、その両方を交互に見た。
「行ってあげないと」
アルファも腰を浮かせている。
「しかし我が君は、泣いていることを我らに知られたくないのだ。それにいま伺えば、フォウル、そなたが室内の様子を盗み聞きしていたことが知られてしまうぞ」
「知られるのはかまわないけど……」
行くべきかどうかわからず、フォウルはうろたえるばかりだ。
フォウルだけでなく、アルファもうろたえていたが、意外にも普段悩んで行動が遅れがちなカイルが、決意したように立ち上がった。
「このままにしておけない。様子を伺ってくる」
「まてカイル、原因もわからないのに、むやみに行くな」
アルファはカイルを止めて、額を押さえた。
「お怪我が痛むのか、それともお寂しいのか……。そうだ、手首の湿布と包帯を持っていけ。交換を口実に、泣いている事は気づいていないふりをして入室していいかお伺いしろ」
かくして、一人でも世界を相手に戦える竜人たちは、一人の少年の涙に大いにうろたえ、相談の結果、代表としてカイルが様子を伺いに行くことになった。
大役を受けおったカイルは緊張の面持ちだ。
盆に包帯と湿布用の塗り薬、それに白湯と痛み止めの飲み薬を乗せ、カイルはシリウスの部屋の扉の前に立つ。
アルファとフォウルが向かい側の部屋から様子を伺っている中、そっとノックしてから、小さく声をかけた。
「……シリウス様、まだお起きになっておられますか?」
返事はない。
「湿布の交換をしてからお休みになられたほうがよろしいかと。薬をお持ちしましたので……」
そのまま少し待ったが返事はないままだ。
後ろを振り返ると、アルファとフォウルが、向かいの部屋の扉の隙間から、もっと声をかけろと身ぶり手振りで伝えている。
カイルがもう一度、扉に向かって口を開きかけたとき、扉の向こうに人の動く気配があった。
「カイル……?」
細く扉が開いて、紫の瞳がカイルを見つめた。
ほほの傷も眼に入る。
部屋の中が暗くてよく見えないが、やはり泣いていたようで、目元が赤くはれていた。
「は、はい。あの、薬を……」
「痛くないよ」
「ですが、今、薬を飲まないと、夜中に痛むかもしれません」
部屋に入れてもらいたくて、若干必死な声になってしまったが、シリウスは少し考えるように金のまつげをふせたあと、結局は扉を開いてカイルを部屋に招きいれた。
「よかった、なんとか部屋に入れていただけたようだぞ」
「やっぱりボクも一緒にいったほうが……」
「それを言うなら俺も」
アルファとフォウルは目を合わせ、二人同時に深くため息をついた。
ここは三人で押しかけたりせず、カイルだけに任せるのが、どう考えても一番良い解決法だったからだ。
ベッドに腰掛けたシリウスの手首に、カイルは慎重に触れた。
少しでも痛い思いをさせたくなかった。
包帯を解いて、初めて怪我を見る。
細い手首が赤くはれて痛々しい。
薬を塗った湿布を新しくつくり、腫れに当てると、そこでシリウスは少しだけ顔をしかめた。
「痛かったですか?」
「ううん、冷たかったんだ」
それきり会話のないまま治療を終え、包帯を巻きなおしていると、シリウスは自分を手当てするカイルの顔を見上げた。
「あのねカイル……」
「はい」
シリウスは長いまつげをふせ、再び口をつぐんでしまった。
カイルはせかしたりせず、包帯をわざとゆっくり巻く。
しばらくためらってから、シリウスは再び話し出した。
「アルファとフォウルには言わないでくれる?」
「シリウス様がそうお望みでしたら」
カイルがそう答えると、シリウスはカイルに抱きついた。
細い肩が震え、泣いている。
「……今日、ほんとはすごく怖かったんだ」
「それが当たり前です」
そう答えたカイルだったが、内心ではショックを受けていた。
シリウスはずっと、誰よりも平気な顔をしていたし、むしろ興奮する竜人たちをなだめていたからだ。
心配するあまり、まだほんの子供のシリウス本人が一番傷ついているということを失念していたのだった。
下手をすると命にかかわるような大きな事故だったのだから、普通の子供だったら寝込んでいても不思議ではない。
故意ではなかったとはいえ、同級生に殺されそうになったのだから。
腕の中で震えている、命よりも大事な存在を、カイルはやさしく抱きしめた。
ひとしきり泣いた後、シリウスは自分からカイルを解放し、時折鼻をすすりながらゆっくりと息を吐いた。
「カイルの服がぬれちゃうね」
「そんなことはかまいません。お傍におります」
一人でいたいと断られるかと思ったが、シリウスは素直にうなずいた。
「ほんとは他のみんなもぼくが泣いてること、知ってるよね」
「そ、それは」
答えられずにカイルが言いよどむと、シリウスは笑った。
「いいんだ。いっぱい泣いたからすっきりした。もうついでだから、他の痣も薬を塗ってくれる?」
「ほ、他にもお怪我があるのですか?!」
「うん。さっさと治った方がいいもんね。隠してもそのうちきっとみんなにはわかっちゃうし」
そういって、ズボンのすそをまくった。
ワグナーに蹴られた脛が青くなっている。
それからシャツをまくって、わき腹に受けた打撃のあとも。
カイルがあわてて、痛々しいそれらのアザに薬を塗った。
「あのねカイル」
「はい」
すかさず顔をあげたカイルに、シリウスは真面目な顔で
「今日は怖かったし怪我もしちゃったけど、普通の子供もみんなこんな風に泣いたり怪我したりするんだ。男子なんかみんな膝小僧をすりむいてるし。なるべく怪我しないように気をつけるけど、だから、あんまり心配しないでくれると嬉しいな」
そう言って、再びカイルに抱きついた。
「はやくみんなみたいな竜になりたい。……どうしてぼくだけなれないんだろう。――強くて大きな竜になったら、みんなに心配かけたりしないのに……」
「シリウス様……」
カイルはシリウスがそんな風に悩んでいたなんて、まったく想像していなかった。
金色の髪をなで、紫の瞳を覗き込む。
「私がはじめて竜になったのは7歳のときでした。シリウス様はまだお生まれになって2年しか経っていないではないですか」
「卵のときもいれたら7年経ってる」
桜色の唇を尖らせ、不満そうに訴えた。
それから、やっぱり心配そうなカイルを見て苦笑する。
「竜になれなくても、たくさん勉強して、魔法も剣術もがんばる。ようはみんなに守られなくても大丈夫なぐらい強くなればいいんだから」
「シリウス様は、もうすでに我々などよりずっとお強いですよ」
カイルは本気で言っているのだろうが、シリウスは甘すぎる竜人の言葉を鵜呑みにしたりしなかった。
首を振って、兄のように慕っている青年の、紅玉のような瞳を見上げた。
「強くなる。……でもカイルが嫌じゃなかったら、今日だけ一緒にいてほしい。ぼくが寝るまでだけでいいから。 ……兄上のかわりに」
「ルーク殿の代理なら、本をお読みしましょうか。さあ、ベッドにお入りになって」
「うん……」
カイルはシリウスの枕元にあった子供用の小説を手に取った。
途中まで読んであるらしく、しおりが挟んである。
カイルが本を読み始めると、シリウスは手を伸ばしてカイルの腕に触れた。
触れていることで不安が消えて、さっきまで怖かったこともわからなくなった。
カイルの、人を安心させる美しい声が、傷に染み渡って癒してくれるようだった。
「カイル……」
朗読をやめてシリウスを見てくれる、炎のような瞳に深い愛情と優しさがこめられていた。
世界中の人が赤竜公は特別な存在なのだと言っても、シリウスにとって、カイルはいつも傍にいてくれる、やさしい兄のような存在だ。
きっと今、カイルと同じように心配してくれているアルファもフォウルも、シリウスにとっては家族だったのだ。
「ありがとう……」
大事な主人が寝息を立て始めたのを確認し、カイルは本を閉じた。
腕に触れてくれている小さな手を握り、カイルは朝まで主人の傍を離れなかった。




