79・☆保護者の苦悩
シリウスは頬にかすり傷を受けたほか、転んだ際に左手首をひねったせいで軽い捻挫をしていた。
それ以外には元気だったが、ショーン先生はシリウスを医務室に運んだ。
同じく気絶していたワグナーも運ばれたが、彼の方は、防具がズタズタになり、短剣が砕け散ったもののすぐに意識も戻り無傷だった。
最初は医務室の同じ部屋に二人を運んだのだけれど、蒼い狼はワグナーを決して許しておらず、ひたすらに彼を睨み、ワグナーがほんのわずかでも身動きするたびに歯をむき出してうなるので、怪我もなく、意識の戻ったワグナーは別室へ移された。
その後もフォウルはシリウスから決して離れようとせず、シリウスがどんなになだめても医務室から出て行こうとしなかった。
大学で臨時講師をしていたところに事故の知らせを受けたアルファが蒼白になって医務室に飛び込んできたとき、シリウスはショーン先生と校長、養護の先生とに囲まれ、治療も済んでベッドに腰掛けていた。
「かすり傷と捻挫なんだから、すぐ治るし心配ないよ」
真っ青になっているアルファにそう言って笑うと、シリウスはショーンを見上げた。
「先生、ワグナーは大丈夫だった?」
「もちろん大丈夫だ。君の狼のおかげで大事故にならずに済んだけど、ショックを受けているから今日は保護者の人に迎えに来てもらって帰ったよ。明日、うんとお灸をすえる」
ショーンはすでに他の生徒から事情聴取を済ませていた。
ワグナーがこっそり木剣から自分の短剣に持ち替えたうえ、打ち合いの途中で呪文を詠唱して鞘に埋まった石の魔法を使ったことも知っていた。
実を言うと、ショーンはワグナーがシリウスに対抗意識を燃やしていることも知っていた。
知っていたけれど、子供同士のことだし、いつか自然と打ち解けると考えていたのだった。
ワグナーは早くに母を亡くし、少し前には屋敷を魔物に襲われ失った。
その際に父も行方不明になってしまい、その結果なれない学校に転校となり、身分も資産もある貴族の子息とはいえ子供には辛い運命だと思っていた。
これ以上負担を強いるのがかわいそうで、あまり些細なところをいちいち強く注意したくなかったのだ。
いままではワグナーも、それほど表立ってシリウスに敵対しようとしておらず、表面上は行儀良くしていたので油断していた。
「先生が悪かった。明日からまた安心して学校に来てほしい。君を守った狼にもそう言ってあげてくれ」
頭を下げると、ショーンは続けてアルファに向けて謝罪した。
「大事なお子様に怪我をさせてしまい申し訳ありません。すべて私の監督不行き届きです。怪我をさせた少年には私から厳重に注意を行いますが、お叱りは私がすべてお受けします」
アルファはそれまでずっと無言だったが、ベッドに腰掛けるシリウスの前にひざをつくと、包帯で圧迫治療を行っているシリウスの手首の捻挫に触れた。
「……っ」
わずかに痛みを感じて顔をしかめると、今度は頬のかすり傷に指を当てられる。
やさしく触れてくれる指先が冷えきっていて、シリウスはアルファがとても悲しんでいることを察した。
「……ホントに怪我するつもりなんかなかったんだ。ごめんね、アルファ」
謝罪すると、アルファは苦しそうな表情のまま首を振った。
「我が君のせいではございません。俺が……」
搾り出すように言って、シリウスを抱きしめる。
アルファがこんな風に、シリウスを抱きしめることはめったになかった。
シリウスから抱きつくことは良くあったけれど、アルファの方はいつも一歩引いた場所から愛情をこめて見守ってくれていることが常だった。
「大怪我をなさらずにすんで本当に良かった……。俺は愚か者です」
「アルファは悪くないよ。ぼくが見に来ないでって言ったんだから」
「いいえ、なんと言われようと、おそばにいるべきでした。実際フォウルがそうしていたおかげで、大事にならずに済んだのですから」
アルファの言葉を聞いて口を開いたのは校長だった。
「ジーンさん、今回のことはすべて学園に責任があります。保護者の方の授業の参観は許可された日に限られておりますので、たとえジーンさんが中庭にいらっしゃろうとなさっても、できなかったでしょう」
「そうだろうな……」
アルファはうなずいて立ち上がり、シリウスを抱きあげた。
「このまま帰りましょう、我が君」
シリウスのカバンも肩にかける。
「足は怪我してないんだから自分で歩けるよ」
「帰るのは下宿ではありません、ウェスタリアに帰りましょうと言っているのです」
その場にいたフォウル以外の全員が目を見開いた。
シリウスが驚いて、自分を抱いているアルファの服をつかむ。
「今、このまま? ウェスタリアに?」
「どうしても剣術が学びたいのであれば、われわれの眼が届く場所で。ここではお守りすることもままならない。そのせいでこんな……こんなお怪我を……。 一歩間違えていたら、取り返しのつかない事態になっていた」
絞るように言って、再びシリウスの頬の傷を見つめる。
「お許しください……」
「怪我なんか誰でもするよ。お願いアルファ、もうおろして」
「いいえ、なんと仰られようと、ウェスタリアに戻ります。――フォウル、宿に戻ってカイルを呼んで来い。荷物はあとで送り返すよう手配する」
狼がうなずいて立ち上がると、シリウスは蒼白になった。
アルファが本気だと悟ったからだ。
「やだ! おろしてアルファ! 助けてショーン先生!」
振り返り、担任教師の名前を呼ぶと、あっけに取られていたショーンがあわてて黒衣の青年に声をかけた。
「ま、待ってください。今回のことは本当に申し訳ありませんでしたが、二度とこんなことがないように勤めます。私にご不満でしたら担任の変更もお受けします。ですから、シリウス君の気持ちも……」
「黙れ!」
ショーンの必死の訴えは、アルファの殺気交じりの一括で消し飛んだ。
思わずショーンの喉の奥から小さく悲鳴が漏れたが、一瞬ひるんだものの、再び気合をこめてアルファの前に立つ。
恐怖のあまり膝が震えていた。
「い、いいえ、黙りません。子供は怪我をするものです。こんなことで留学が終わってしまったら、シリウス君がかわいそうではないですか!」
シリウスは、いつも軽い調子の担任教師が見せた思わぬ根性に驚いていた。
アルファのショーンに対する怒りは本物で、これ以上無茶をすると、まじめにショーンの生命が危ぶまれると思った。
だが若い担任教師は肩をいからせ、目を三角にして、必死で踏ん張っている。
「シリウス君は、ようやく友達とも打ち解けてきて、毎日楽しく学校に通っています。そりゃあ、クラスの全員と仲良く、とはなかなか行きませんが、それだって人間関係を学ぶのに大事なことです。必要でしたら治癒魔法も手配します。ですから……」
「そこをどけ」
アルファの周囲に、バチバチと音を立てて小さな雷が発生していた。
先生を攻撃するつもりなのだと察したシリウスは、必死にもがいてアルファの腕の中から抜け出した。
すかさず教師の前に立つ。
「おどきください」
「先生は悪くない。事故だったんだから」
「ですが」
「ウェスタリアには帰らない。アルファが今日ぼくを連れて帰っても、一人でまた戻ってくる。何回でも戻ってくるから」
シリウスらしからぬ、厳しい声音だった。
動揺する黒衣の青年の手を握る。
「アレスタに来る時に決めたんだ。留学の期間が終わるまでは絶対帰らないって」
逃れたアルファの腕の中に自分から戻ると、たくましい腰に腕を回した。
「心配かけてごめんね……。でも本当になんともないんだよ」
アルファは腕の中に戻ってきてくれたシリウスを再び抱きしめた。
さらさらの金の髪をそっと撫でる。
少年の細い体は二年前と比べれば確かにずっと大きく成長している。
アルファは、シリウスが何もできない子供のままでかまわないと考えていた。
自分たちが完璧に守っていれば、それでいいのだと。
護身用に短剣を贈ったが、それすらも使えないままでかまわないと思っていたのだった。
だがやはり完璧な守護などありえないと思い知らされ動揺していた。
手の届かない場所でシリウスが傷ついてしまうなど、到底許容できない。
今は腕の中にいる大事な存在をあらためて強く実感し、アルファは己の愚かさを呪った。
怪我をさせてしまったのも、留学をあきらめさせたいのも、すべては自分が至らないせいだったからだ。
ちゃんと守ってあげられていたなら、今もシリウスは怪我などせず、ウェスタリアへ帰るなどという騒ぎにはならなかった。
シリウスは自分を抱きしめたまま動かなくなってしまったアルファの背中を宥めるように撫でた。
じっと見ているフォウルに微笑みかける。
「帰ろうか。……ウェスタリアじゃなくて、エリカさんちだよ」
一部始終を見ていた校長が、安堵したように大きく息をついた。
「……ジーンさん、いずれにしても、シリウス君は手首の捻挫が治るまで、剣術の授業は見学になります。我が校は可能な限り子供の自然な治癒能力にまかせる方針ですが、事件が事件なので、治癒魔法をご希望でしたら当校で手配させていただきたく思います。ですが、怪我が治ったら剣術の実技をお休みできません。どうなさるか、今日、帰ってから良くお話し合いになられてください」
ショーンも頷く。
「私にできることはなんでもします。でもどうか、シリウス君からここで学ぶ機会を奪わないであげてください」
アルファは校長たちに対して一切返答しなかった。
しばらくのあいだ、シリウスを抱きしめたまま彫像のように動かなかったが、やがて再びシリウスを抱きあげると、フォウルを伴って歩き出した。
「あ……」
ショーンが困惑して後を追うように片手を伸ばしたが、シリウスが逞しい青年の肩越しに振り返ってそっと手を振った。
もう大丈夫、という意味だったのだが、ちゃんと伝わった。
「先生、また明日」
「あ、ああ。気をつけて帰るんだぞ」
先生のほっとしたような声を背に受けながら、シリウスは思っていたよりもずっと、アルファが自分を心配していることをあらためて知って、うれしいような、困ったような、複雑な気分だった。
それにこのあと家に戻ったら、何も知らないカイルにまた一から説明しなければならない。
カイルはアルファ以上に動揺して悲しむ可能性が高かったので、アルファと手をつないで歩きながらも、どうやって宥めようかと頭を悩ませていた。
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「校長、あまり聞いてはいけないのかもしれないのですが、もしかしてシリウス君はウェスタリアでかなり身分の高い家柄の子供なんじゃないですか?」
シリウスの担任、ショーンは、校長と二人きりになったとたん、そう上司に聞いた。
まだほんの短い期間しか担任していないけれど、シリウスという少年には、極めて身分が高い人間独特の威厳と輝きがあった。
それこそ、同じクラスのワグナー少年よりもずっと。
護衛だという黒衣の人物の迫力も尋常ではない。
連れている狼も、今日の様子を見る限り、かなりレベルの高い使役獣のようだった。
「そう、聞いてはいけません」
校長はそう答え、続けてショーンをじっと見つめた。
「答えられないことが答えです。これ以上の詮索は無用。あの子が無事に残りの期間を楽しく過ごせるよう、普通の子供と同じように接してあげてください」
「は、はい。担任は私のままでいいのでしょうか」
「おそらくシリウス君のほうはもう大丈夫でしょう。あの子は見た目よりもずっとしっかりしているから……。問題はシリウス君よりも、ワグナー君のほうです。あの子はここにきた時から深く傷ついていて、今もまだ取り巻き以外に友達もいない。今日、格下扱いしたかったシリウス君に失神させられたことが、どんな影響を与えたか、よく見ていてあげてくださいね」
「はい。今日これから、ワグナーの家に行こうと思っています」
「……そうですか。くれぐれも、事件はシリウス君のせいではないことを伝えてください」
校長の言葉に、深刻な表情でうなずいて、ショーンは校長室を出て行った。




