76・☆だんだんと
三話続いたカイルがメインの閑話も今回でラストです。
次回からは本筋が進展しますので、よろしくおねがいします。
カイルの講演が終わったあと、その日の授業は感想文を書くだけで終わり、シリウスは校門で待っていたアルファと、狼姿のフォウルと一緒に帰宅の途についた。
帰宅する道中、アルファは主人がいつもより元気がないことに気づいていたが、本人が話してくれるまではと何も聞かなかった。
無理に元気を装おうとすることもなく、素直に落ち込んでいる姿が、めずらしく年齢相応に見える。
今日は午後からカイルが講演をおこなったはずだから、おそらくその関係で何かあったのだろう。
フォウルは外からカイルの話を聞いていただろうし、詳細は蒼竜に聞けばいいと思っていた。
いつもなら帰りの道々、今日あった出来事を一生懸命話してくれるシリウスが口を開かないので、結局あまり会話もできないまま三人は下宿に到着してしまった。
下宿には一旦実家に立ち寄るという超遠回りを余儀なくされたカイルが先に帰宅していて、戻ってきたシリウスの前にひざをつき、満面の笑みで迎える。
自室に茶の用意をしていたカイルは、帰ってきた三名を部屋に招き入れ、さっそく熱い茶を淹れた。
フォウルも人の姿に戻って一緒にくつろぎ、いつものメンバーに囲まれ元気が回復してきたのか、シリウスはようやく今日の出来事を竜人たちに語ってくれた。
「――それでね授業の最初にショーン先生が、今日は赤竜公が来るって発表したんだ。そしたら大騒ぎになっちゃったんだよ。クラスのみんな、カイルのこと大好きみたいで、すっごく喜んでた」
シリウスはカイルの淹れてくれた茶を飲みながら、クラスメイトたちの様子を報告する。
「赤竜公に会えるなんて夢みたいだって」
それを聞いても、カイルはいつものように穏やかな表情でニコニコしながらシリウスを見つめたまま、特に喜んだ様子はなかった。
シリウスに賞賛されれば、それこそ飛び上がって喜ぶだろうが、他の誰に褒められても別に特別なことではないのだった。
茶請けは、バナードの母アティが作った、半年ほど日持ちするドライケーキだった。
せっかく外国にいるのだからと、基本的には毎日アレスタの料理だけを食べているが、アティの菓子はシリウスの好物だったし、日持ちもするので、多少荷物になることは承知のうえで結構な量を持参している。
薄く切ったそれをつまみながら、アルファはシリウスがやはりまだ少々落ち込んでいる事を察した。
どうも視線が下を向きがちだし、桜色の唇がすこしばかりとがっている。
「……カイル、そなた、講演で何を語ったのだ」
口調に非難が篭らないよう気をつけながら問いただす。
「私にとっての生きる意味について」
キッパリと答え、シリウスを見つめたので、アルファはそれだけでかなり大部分の事情を理解した。
カイルが語ったことに対して、クラスメイト……人間たちは、理解を示そうとしなかったのだろう。
けれどカイルを責める気にもなれない。
フォウルも同じなのだろう、黙ったまま茶を傾けている。
人間たちにとって、竜人は神と同等の生き物であったけれど、同時に、国の規模や貧富の差をつけず、世界中のあらゆる人間を無条件で平等に守ってくれる存在でもあるのだ。
それがひどい思い込みと誤解によるものであったとしても、彼らはそう信じていたし、実際に何百年とそんな状況が続いていたのだから、いまさら竜人の忠誠と守護を、どこかの個人が一人で独占するなど、到底許容できようはずもない。
首脳会議のとき、アルファの主人、シリウスは、自分には傍にいるのが息をするように当たり前の存在である竜人が、世界にとっては非常に特別な存在であることを知った。
だが世界の首脳陣が集まり、自国の利益を追求するため喧々囂々やりあったあの時と違い、一般庶民が心の底から竜人たちに向ける想いはまた別だ。
級友たちの竜人に対する反応を、改めて間近で知ってショックだったのだろう。
アルファの予想は大方当たっていた。
ハチミツをたっぷり入れた紅茶を飲んで、シリウスはため息をつく。
「みんな、カイルを独り占めしてる人がいるって知って、怒ってるみたいだった。そんなの贅沢だって」
それを聞いたアルファはやさしく微笑み、シリウスのためにドライケーキをもう一切れ切り分ける。
「贅沢なのは、我が君ではなく、われわれです。真実を受け入れようとしない者の言葉など、気にする必要はございません」
フォウルも頷いて、
「人間のことは放っておけばいい」
と、感情のこもらない声でシリウスを励ました。
元凶であるカイルはというと、主人がクラスでそんな事を言われているとは夢にも思っていなかったので少々慌てていた。
シリウスのカップを交換し、新たな茶を注いで、座りなおす。
「私の話のせいで申し訳ありません……。まさかそんな事になっていたとは……」
炎の色のくせっ毛までもがしおしおとうなだれている。
しょんぼりしてしまったカイルを見たシリウスは苦笑して、淹れたてのお茶をあらためて口に含んだ。
もしもクラスメイトたちの目の前で赤竜公がお茶を淹れ、それを差し出してくれたら、彼らはやっぱり感動して泣いてしまったりするのだろうか。
そう考えると、なんだかとても不思議な気がした。
シリウスにしてみれば、クラスメイトたちとすごせる時間のほうがよっぽど希少だったから。
「いいんだよカイル。だって、本当のことだもの。ぼくはカイルたちと一緒にいられて贅沢だ。ぼくにとって、みんなが傍にいるのは日常だけれど、他の人たちにとっては、カイルをチラッと見かけるだけで、ものすごく大変な非日常なんだって、良くわかった」
真剣な顔でカイルをじっと見つめる。
「ぼくの隣の席の女の子なんか、カイルが歩いているところをずっと前に見たことがあるんだって言って泣いてたよ。
「そ、それはさすがにないでしょう」
「ううん、本当だよ。それに貴族の家の……、この前カイルが調査に行ってくれた家の子も、前にカイルと会話したことがあるって自慢してたんだって。ワグナーっていうんだよ。覚えてる?」
カイルは額を押さえて考え込んだ。
ワグナー少年のことをまったく覚えていなかったからだ。
そんなカイルの様子を見て、シリウスは思わず笑ってしまった。
今日、講堂でみたカイルは、みんなの注目を浴び輝いていた。
まるで別人のように思えて少し落ち着かなかったけれど、今、目の前にいるカイルはいつものカイルだ。
ハンサムでやさしくて、一生懸命だけれど、ちょっとたよりない時もある。
朝、昼、晩と、頼まなくてもせっせと茶を用意してくれて、シリウスをとても大事にしてくれる。
みんなに賞賛されて英雄のような扱いを受ける彼ではなく、いつも隣にいてくれる、大好きなカイルだった。
シリウスが楽しそうに笑ったので、心配していたアルファもフォウルもほっと息をつく。
「でもね、カイルが講堂に来たとき、みんながキャーキャー言ってるのを見て、ちょっと嫌な気分になった」
「私のせいでですか!?」
「嫌な気分っていっても、ちょっとだけ、だよ。それに単なるやきもちだからカイルのせいじゃない」
シリウスはアルファとフォウルにもチラリと視線をやって、ふっきれたように晴れ晴れとした表情を見せる。
「アルファもフォウルも、カイルもシャオも、みんながぼくの傍にいたいって言ってくれる間は、世界中の人がどんなに贅沢だって怒っても関係ない。だからもう何を言われても気にしないことにする」
茶を飲みながらのなにげない会話だったけれど、竜人たち三名は感無量だった。
特にアルファは、主人が思いのほか精神的にたくましく成長していることが嬉しかった。
首脳会議のあとに落ち込んでいる姿をみていたのでなおさらだ。
いつかもっと開き直って、誰の意見や苦言にも耳を貸さず、竜人たちはすべて自分のものだと世界に対して宣言してくれればいいとも思っていた。
その時、相手がどう出るかはわからないが、それが真実なのだから、誰にも文句を言われる筋合いはない。
アルファのするべきことはひとつだけ、誰が何を言おうと、主人の傍を離れず守り抜くことだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
いつものように大家たち三人との騒がしい夕食も終え、全員が自室に戻った後、カイルは昼に自分が生徒達に話した内容が、やはり不適切だったのだろうかと今更ながら悩んでいた。
他に話すことが何も思い浮かばなかったのだ。
次に講演の機会がもらえるのがいつになるかはわからなかったが、その時にも、同じテーマを別の切り口で話すつもりだったぐらいだ。
けれどもし自分の講義のせいでシリウスに迷惑がかかるというなら別だった。
早急に別の話の案を考えなければ。
気持ちを切り替えようと、シリウスと出会ってから欠かさずつけている日記帳を広げ、ペンを取って考える。
毎日毎日、シリウスとの会話や成長具合を長々と記していたのだが、今日はじめて何を書けばいいのかわからなくなってしまっていた。
今日起きた出来事をそのまま書けばいいだけなのだが、書き出しの部分が決まらない。
総合的には大変有意義で良い日だったけれど、同時に根の深い大きな問題が浮き彫りになった日でもあったからだ。
一文字も書けないまま唸っていると、ふと背後に気配を感じた。
突然のことだったので、大いに動揺して振り返る。
「っ!」
「?」
背後に音もなく立っていたのはフォウルだった。
無造作に伸ばしっぱなしの蒼い髪が、淡いランプの光を受けて、満月の下でうねる波のように輝く。
扉は閉まったままだった。
「ど、どうやって部屋に……」
「肉体は99%水分でできている」
それだけ答え、フォウルは右手をカイルに見せた。
フォウルの手はたちまち霧となり、幻のように朧な形となって揺らいだ。
フォウルは他に何も説明しなかったけれど、カイルはフォウルがいきなり室内に現れた方法を察してうなずく。
全身を霧と代え、再構築して扉の隙間を移動したのだろう。
驚かせないでくれと文句を言いたかったが、それもできずになんとなく視線を彷徨わせた。
フォウルのほうは特に表情を動かさず、カイルの手元を覗き込んでくる。
「なにを書いている?」
「あ、ああ。……ええと、日記と……。次の講演で何を語るべきか悩んでいるんだ。本当は今日の続きを語るつもりだったのだが変更する方がいいのだろうかと。フォウルは何の用だ?」
実をいうとカイルは、この蒼い髪をした掴みどころのない性格の青年が若干苦手だった。
フォウルの属性が水で、ほとんど炎の魔法しか使えない自分の天敵ともいうべき相手だったし、過去の悲劇を本当に知っているという事実が怖かったせいもある。
命よりも大切な人が目の前で失われてしまうなんて、自分には絶対に耐えられない。
けれどフォウルはカイルの困惑などまったく気にしていなかった。
察していなかったのかもしれないが、察したところで態度は変わらなかっただろう。
カイルの答えにうなずく。
「昼間の……」
「昼?」
「君の話、とてもよかった。……シ、シリウスさま、は、少し戸惑っていたけれど、――でも喜んでいたし」
「シリウス様が喜んでくださった? 私の話で?」
フォウルはコクリと子供のように頷いて、蒼い瞳をカイルに向ける。
「話の中の「あの方」のことを、大事に思ってもらえてすごく幸せな人だと同級生たちに語っていた」
「本当に……?」
カイルは胸を押さえ、しみじみと幸せを味わった。
そんな風に言ってもらえていたなんて、自分のほうが何万倍も幸せだ。
感慨深く幸福を味わっていたわずかの間に、フォウルはもう後ろを向いて消えかけていた。
「も、もう行くのか?!」
「伝えたほうがいいと思ったから来ただけ。――ボクは今日の話の続きが聞きたい」
言葉の最後は消えかけた姿と同じく、ほとんど音になっていなかった。
わずかばかり残った薄霧に、カイルは急いで「教えてくれてありがとう」と伝える。
室内から完全に蒼竜の気配が消えると、カイルはペンをとり、開いていた日記帳にさっきフォウルが教えてくれたシリウスの言葉をしっかりと記入し、大事に閉じた。
できたら明日、自分からフォウルに話しかけ、もう少し詳細を教えてもらおうと決意する。
新たな話の案は考えないことにした。




