71・☆はじめての授業
「私は、ただ、シリウス様のおそばにいたいだけなんだ……」
シリウスの授業をこっそり覗きに行くつもりが大家たちに捕まって、半ば強引に彼らの茶会に招かれたカイルはブツブツと愚痴を言う。
大家らの『茶』には、過分にアルコールが含まれており、ブランデー入り紅茶、いや、紅茶入りブランデーを三杯ほど飲まされたあと、カイルはさめざめとうなだれた。
事情を知らない女性達がみたら、切ない表情に魅せられて胸をときめかせるかもしれない。
「フォウルもアルファも一緒に出かけたのに、なぜ私だけ留守番を」
「まあなんだ、お前らあの子に過保護すぎだぜ? 留守番なのが普通だろ」
大家の一人、この家で一番体格の良いロックがカイルの肩を叩く。
「過保護などと! そなたたちは事情をしらぬゆえ、そんな事が言えるのだ。われわれは身命を賭して、あの方の心身の健康をお守りする義務がある」
言い切ってから、カイルは自分の胸を押さえ、
「いや、義務などではない、そうしたいから、そうしているだけなのだ。シリウス様ご自身は、我々の助けなどなくとも十分以上にお強くあられるが……。私は……私はただ、シリウスさまのお傍にいたいだけなんだ……」
また最初と同じ事を言う。
「案外アルコールに弱いね……」
「うむ。予想外だった。竜はうわばみだと思い込んでいたのだが違ったようだ。少々まずいことになるかもしれない」
「平気だろ、このあとベッドに放り込んで寝かしときゃ、あの子らが帰るまでには抜けるさ」
女性騎士エリカと、エルフのような容姿のレイがひそひそと言葉を交わす。
「あの、カイルさんは、アルファさんとお友達なんでしょうか」
それまでおとなしく茶をすすっていた店子仲間のマグナスが思い切ったように口を開く。
今日彼は午後から大学の授業があるので、大家らによる茶へのアルコール混入はまぬがれている。
マグナスは、アルファのものすごい魔法知識が気になって気になって仕方がなかったのだ。
「アルファ? あいつは同類、同種、同僚……、ふむ、友達とは違うな」
「そうなんですか。……アルファさんって、魔法の知識すごいですよね。この前、僕の魔方陣に助言をもらったんですけど、的確で繊細でびっくりしました。できればアルファさんにいろいろ教わりたいんです」
「魔法なら、私だってそれなりだ」
アルファへの対抗意識を酔った勢いで高ぶらせたカイルは、たちまち手のひらに白く輝く火球を生んだ。
それはまさしく炎の玉で、一見するとまぶしい水晶のようだ。
高熱のあまり透明に近い白。
ひくく唸るような音を立てながらカイルの手のひらの上で回転している。
「ちょいとあんた、家を燃やす気かい?!」
エリカがすかさず文句を言ったが、マイルズは身を乗り出して目を輝かせた。
炎を生み出す魔法はたくさんあるが、これほど濃度が高く、高温と思われる火球を燃え立たせずに、しかも無詠唱で発生させるのは至難の技だ。
同じ呪文でも、詠唱するのとしないのとでは、難度が百倍は違うと言われているが、少なくともマイルズは、たとえ詠唱したとしても、こんな代物を作り出せる人物を知らなかった。
「す、すごい!」
興奮して立ち上がり、まぶしい光に目を細める。
しかしカイルは炎の玉をこぶしを握りこんで消滅させ、ため息をついた。
「だが、やはり魔法ではアルファにかなわない。アルファに魔法を教わりたいと言っていたが、マイルズ殿は大学生なのだろう?」
「はい。大学で魔法を、主に魔方陣を学んでいます」
「今日からアルファは大学で臨時講師をやっているはずだ」
「?!」
「シリウス様のお供で学園に行っている。校舎はシリウス様と別になるが……」
その言葉を聞き終わる前に、マイルズは自分の荷物をひっつかんだ。
「僕、大学に行ってきます!!!」
引き篭りぎみのオタク大学生とは思えない勢いで叫ぶと、そのままリビングを飛び出していった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「今日の授業は使役獣について、先週の続きだ」
ショーン先生が教科書を広げてチョークを手に取った。
「使役できる代表的な動物には何があったかな?」
担任教師の問いかけに、生徒たちが口々に答えた。
「フクロウ!」
「猫!」
「カラス!」
「ねずみ!」
生徒の答えをショーンは黒板に書き出して行き、
「使役できる動物と、普通の家畜との違いは? リッケルト、わかるかな?」
シリウスの斜め後ろの少年を指名した。
リッケルトは立ち上がって、静かに答える。
「魔力があるかないか、です。先生」
「そう、正解だ。じゃあ、使役獣のなかで、一番簡単に手なずけられる動物は? ワグナー」
ワグナーと呼ばれたのは、紺色のスーツを着た金茶の髪の少年だった。
高級そうな衣服に、色白の肌。
みるからに貴族の子息だ。
ワグナーは、チラリとシリウスをみやり、フンと鼻を鳴らしてから答えた。
「はい。ネズミです、先生」
「そうだね。ネズミは魔力も少なくほとんど何もできないけれど、君たちにも十分使役できる」
実際にネズミを飼っている子が何人もいるようで、教室でヒソヒソと楽しげな声が聞こえ始めた。
「ネズミにできるのは、飼い主の落とした消しゴムを拾ってくることぐらいかな? ネズミ以外の使役獣を持っている子は?」
教師の問いかけに、肥満気味の子供が勢いよく立ち上がって答えた。
「先生! ワグナーが血統書つきの猫を飼っています!」
紹介されたワグナー当人は、当然だ、とばかりに髪をかきあげた。
ショーンはうなずく。
「猫をペットにするのは簡単だけれど、使役するのはなかなか難しい。ワグナーはちゃんと使役できているかな?」
「無論です先生。我が家の猫は、王族の方々が使役する猫に連なる血統の、由緒正しい使役用の猫です。ペットじゃありません」
「それはぜひ先生も見てみたいし、みんなにも見せてあげてほしいなあ。今度よかったら連れて来てくれるかい?」
ショーンは動物が好きなようで、にこやかにワグナーにお願いしていた。
ワグナーの方もまんざらではないようで、シリウスをチラリとみやったあと、
「先生がそうおっしゃるならかまいません」
と、得意げに答えた。
「そういえば、みんな、校門のところにいた狼に気づいたかな?」
教師の問いかけに、教室がいっせいにざわついた。
それまで一度も見たことのない美しく大きな狼が、小学校へ通じる門の見張りをしていることは、学校中の話題になっていたからだ。
狼は非常にプライドが高く、魔力、体力、知性すべてにおいてとても優秀な獣だったので、実際に手なずけて自分のものにするのは非常に難しい生き物だった。
その代わり、もしも使役することができたなら、大変に忠実で役に立つ獣でもある。
めったにみられない獣なので、校長先生か誰かの使役獣かもしれないと、生徒たちも朝から大興奮だったのだ。
おっかなびっくり狼に触ろうとした子供も幾人かいたが、その狼は子供が近づくとヒラリと身をかわし、校門の塀の上に助走もつけずに飛び上がると、それ以後は塀の上から見張りを続けていた。
「あれは、シリウスの使役獣なんだよ」
「まじで!?」
「すげえー!」
ショーン先生の言葉に、教室が一挙に盛り上がる。
実際にはオオカミどころか竜なのだけれど、そんなことはもちろん誰も気づかない。
「シリウス君が学校にいる間、ああやって門を守ってくれているんだ。すごく賢くて忠実なのは狼の特徴だよ」
クラス中の注目を浴びて、シリウスは少々居心地が悪い。
できたらフォウルを紹介するのはもう少し教室に慣れてからにしてほしかった。
気づけば、さきほど猫を自慢していた貴族の少年ワグナーが、するどい視線でシリウスをにらんでいる。
シリウスの戸惑いにも、ワグナーの対抗意識にも気づいていないらしいショーン先生が、のんきに続けた。
「シリウスも、今度あの狼を見せてくれるかい? 先生、使役獣が大好きなんだ。近くで見てみたいし、できたらいつか触ってみたいなあ」
「あ、はい。あの、じゃあ今呼びます」
シリウスは、開いている窓から少しだけ身を乗り出し、
「フォウル!」
と、決して大きくない声で大事な友人を呼んだ。
ショーンが教室にいる生徒の名前を呼ぶよりも、よっぽど小さな声だった。
教室にいる誰もが、そんな小声では目当てのオオカミに届かないだろうと思った。
しかし、シリウスが狼を呼んだその数瞬後、二階の窓から青銀色の獣が音もなく教室に飛び込んできた。
室内のどよめきを一切気にせず、狼はシリウスの足元に座り、呼ばれたことが嬉しかったのか、優美な尾を揺らして身を摺り寄せる。
「す、すごいな! さすが狼だ。触ってもいいかい?」
興奮のあまり、ショーンは若干鼻息が荒い。
「はい。大丈夫ですよ」
教師が狼に触ると、ほかの生徒たちも、自分も、自分も、と、たちまち手を伸ばしてくる。
フォウルは教師にも生徒にもまったく興味がないようで、ちらりと視線をやることすらしなかった。
シリウスの隣でじっと座ったまま身じろぎすらしない。
「なんだあいつ、転校初日でいい気になっているんじゃないですか?」
肥満気味の少年がワグナーにこそこそと耳打ちすると、ワグナーは取り巻きである少年の耳をつまんで引っ張った。
「いて、いててて!」
「うるさいぞ。俺だって、父上さえお戻りになれば、狼ぐらいいつでも買ってもらえるんだ」
嫉妬のこもった目でシリウスと、彼を取り囲むクラスの面々を見つめ、ワグナーは決して狼に触ろうとはしなかった。




