55・☆蒼い狼
「それで、蒼竜公どのはもうどこかへ旅立たれたということだが……」
シリウスの父ライオネルは、大事な大事な次男坊が無事に無傷で帰ってきたのでホッとしていた。
港町に集まっていた各国の要人、特にアレスタ側は事後の様々な処理に追われていたが、まだ子供であるシリウスはとりあえず父と兄の下へ戻っている。
シリウスはミノタウロスと戦っていた間、蒼竜の手の中に収まったまま、地上の人々に見つからないように気をつけていたので、内心はどうあれ、いまのところ蒼竜とシリウスを即座に関連付ける人はいなかった。
シリウスの傍から常に離れようとしないアルファとカイルは、めずらしくこの場にいない。
この街の市長から依頼され、怪我人の救助を手伝っていたからだ。
いつもなら主人を守ることに専念している二人だが、今回はシリウス本人にも頼まれ、加えて他に「護衛」がいたのでしぶしぶ要請に従った。
「それで、シリウス、その犬はいったい……」
今、シリウスの足元に蒼灰色の大きな獣が座っていた。
この獣が竜人二人の代わりの「護衛」だ。
「犬じゃなくて、オオカミですよ! 父上」
「オオカミ……」
ふさふさとした毛並みが銀色に輝いて美しい。
美しいがしかし、そこいらの大型犬よりもかなり大きく、おとなしく座っていても、うかつに近寄ることを躊躇させる迫力があった。
狼のサファイアのような瞳はシリウスだけをじっと見つめている。
シリウスは恐ろしげな狼の首元に遠慮なく抱きついて嬉しそうに頬をうずめた。
「ウェスタリアに連れて帰ります」
ルークはしみじみと睫を伏せる。
「うーん、シリウス、兄上は、なんとなくだけれど、そのイヌ……いやオオカミか? 普通のオオカミじゃないんじゃないかなあ、……なんて気がするんだけど」
そういうと、シリウスは目を輝かせ、尊敬のまなざしでルークを見上げた。
「すごいや兄上、どうしてわかったの?」
「うん、まあ、わかるよな」
ロンと頷きあい、改めて、きらめく毛艶のオオカミを眺める。
青い瞳は知性にあふれているが、シリウス以外の人間をまったく見ようとしない。
その一点だけでも、ルークには大いに心当たりがありすぎた。
ライオネルは自分の額に手を当てて、これから始まりそうな頭痛を押し込める。
あんまり深く考えたくない。
「シリウスや、もしかしてもしかすると、そのオオカミは蒼竜公と関係あるのじゃないかな」
「うん。父上もあたりだ。すごいね」
おとなしくしている獣に向かってシリウスが微笑むと、オオカミは静かに瞳を伏せた。
その足元からキラキラと蒼い水の渦が発生し獣を包む込み、そのまま上へ上へと伸びて人の形へと変わる。
穏やかな水の竜巻が消え去ると、そこにはきらめく蒼髪を無造作に伸ばした青年が静かに立っていた。
「蒼竜公……」
ロンが感嘆したようにつぶやく。
紫の霧が襲ってきたとき、確かにその姿を見た。
蒼竜、フォウルは、他の竜神たちと違い、恐るべき威圧感も、堂々とした衣装も身に着けていなかった。
知らずに見れば、街に住むごく普通の、美しいだけのおとなしげな青年に見えただろう。
シリウスがフォウルの手を握った。
「フォウルがぼくと一緒にいると、ますます他の国の人を刺激しちゃうから、バレないようにしようって……」
「それでオオカミ……?」
ライオネルは眉間を押さえる。
「うん。それならいつも一緒にいてもおかしくないよね? 犬や狼は使役獣になるんだから」
動物を使役獣として訓練し、ペットや護衛に使うことは確かに一般的だった。
けれどさすがに狼を連れ歩く人間はほとんどいない。
少なくとも、今この部屋にいる人々は、狼を使役している人間を見たことがなかった。
懐きやすく、主人に逆らう危険の少ない、犬や猫、鳥などが一般的だ。
人と同じで獣にも生まれつき魔力の備わっているものとそうでないものがいたが、その分手なずけるのは難しい。
「どうせ変化できるのなら、ネコとか小鳥とか、もっと目立たないものになれないのか」
ルークがため息をつくと、これにはフォウルが短く答えた。
「肉体のもつエネルギーの全体量は変えられない。猫にも鳥にもなれるけど重さは一定だから、小さな獣だと質量が高くなりすぎて動きにくい」
それから、シリウスをじっと見つめる。
「やはり、ボクはここにいない方が……」
控えめなことを言う、その蒼い瞳が涙で光っている。
美しくきらめく蒼い湖のようだった。
「フォウルはぼくと一緒にいたくないの?」
「そんな……、そんなわけない。でも……」
切なく訴える。
「……ボクがいるとあなたの立場が悪くなる……」
「ぼくは君といたいし、フォウルもぼくといたいんだから、もうそれ以上は何も必要ない」
変声期前の男子特有の透き通る声の中に、反駁を許さない強さがある。
子供とは思えない威厳に満ちた口調でキッパリ言うと、シリウスはフォウルの頬を伝う涙を指でぬぐった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ルークside
蒼い毛並みのオオカミが蒼竜公だと察したとき、またかとうんざりした私だが、彼の様子を見て気分が変わった。
なんと控えめで大人しい方だろう!
赤い誰かと、黒い誰かとは大違いだ。
シリウス以外にやたらと攻撃的で、他の国との摩擦を大いに高めてくれたあの二人に爪の垢をせんじて飲ませてやったらいい。
もしあの二人のどちらかが今のフォウルと同じ立場であったなら、他国との関係など気にすることなく、堂々と我が国に居座ろうとしただろう。
私の弟、シリウスは、蒼竜公に会えたことがよっぽど嬉しいらしく、帰ってきてからはずっとニコニコと幸せそうだ。
「フォウルは変身魔法が得意だって言うから、なにか動物になって傍にいてもらおうかなって思ったんだ」
わりと無体な弟の提案だったようだが、フォウルは素直に頷いている。
「オオカミは攻撃力がとても高い。見た目にイヌとそれほど変わらないし、人の姿よりもむしろ常にお傍にいられる。不埒者が現れても噛み殺してやれるし」
噛み殺す……!?
ま、まあそうだな、護衛なのだものな、攻撃力は必要だ。
「そういえば、フォウルは二年前にもぼくを助けてくれたんだよ」
父上もロンもハッとした表情になった。
私にも心当たりがあった。
シリウスが城を抜け出してこっそり遊びに出てしまったときの事だ。
確かにあのときシリウスは、見知らぬ青年に助けてもらったのだと言っていた。
あの時の青年が彼だったのか!
父上はすかさずフォウルの手を握った。
「シリウスはあなたに助けてもらわなければ、きっと大変なことになっていた。遅くなったが、心からの感謝を」
「私からも礼を。本当にありがとう」
私も頭を下げた。
あの日、シリウスは悪漢どもに誘拐されかけ、あろうことか殴られて怪我をしたのだ。
治癒の魔法が早かったせいで出血も少なくすんだ。
なにもかもこの青年のおかげだったのか!
私たちの感謝に、だがフォウルは目を伏せた。
「いや、ボクは自分のやるべきことをやりきれなかった。本当はあのときの5人を全員殺してやりたかったんだ。止められても殺すべきだった」
「でも殺さないでいてくれたんだからフォウルはやっぱり優しいよ。一人は死にかけちゃってたけど……。あれ、なんて魔法?」
「名前はありません。血液の中の水分同士を衝突させて、沸騰させるだけ。体中の穴から血の蒸気が噴き出すけれど、脳への血流を正常に保たせると意識は死ぬまで維持される。あいつらは自分のしたことを後悔しながら死ねばよかったんだ」
大人しげな顔で、恐ろしいことを平然と言う。
気の弱い女性だったら卒倒しそうな状況説明だ。
けれどシリウスはそんなフォウルの手を優しく握った。
「そんなことする必要ないんだよ。あのときフォウルのおかげでぼくは大丈夫だったんだし、これからも大丈夫」
シリウスのアメジスト色の瞳がかぎりなく穏やかで、私まで落ち着いた気分になってくる。
父上も、ロンも、たちまちやさしい表情に変わった。
だが! だが、だ!
私はごまかされない。
いや、最初はごまかされそうになったが、もうだまされない。
このフォウルという青年は、一見ひかえめでおっとりと優しげだが……。
「でも次、あなたがまたあんな目にあったら、ボクは止められてもきっと相手を殺す」
ほらみろ、まったくもって、大人しくも控えめでもない。
出会った竜人は彼で四人目だったが、竜人はそれで全員なのだから、まともと言えるのは白竜公だけなんじゃないか。
あの美しく儚げな女性だけはまともであると信じたい。
最後の砦と言えよう。
蒼竜公は二年前の事を思い出したのか拳を震わせている。
「あなたを侮辱するやつは許さない」
実に恐ろしい。
殺されかけて、正当防衛で反撃するのならまだしも、侮辱も許さないとなると、先日のような各国思惑が入り乱れる場所には到底連れて行けないだろう。
実際、昨日シリウスに対して無礼を働いたナスル将軍は竜人たちから永遠に憎まれることになったはずだ。
――まあ正直に言うと私もあいつは許せないんだが……。
フォウルは、少し困った顔をしているシリウスに優しく頷くと、再びオオカミの姿に戻った。
そのオオカミを、シリウスがまた抱きしめる。
一見すると、非常にほのぼのとかわいらしい光景なのだが私としては複雑だ。
たぶん、父上とロンも同じように感じたのだろう、なんとなく二の句が告げずに黙っていると、そこへ街の手伝いに出ていたカイルが戻ってきた。
予定よりもかなり早い。
「!」
カイルは入ってくるなり目を見開くと、すかさずシリウスに注意した。
「シリウス様、この狼は狼のようで蒼竜なのですから、そんなに気軽にホイホイ抱きついてはいけません!」
「どうして?」
「どうしてって……」
そうだ、どうしてだカイル、言ってみろ。
全員が見守る中、カイルの中で様々な言い訳が駆け巡っているのだろう、だがシリウスはそんな赤竜よりもずっと上手だった。
「カイル、しゃがんで」
「なぜですか?」
「いいから」
首を傾げつつも、主人の言葉にしたがって膝をついたカイルに、シリウスは腕をまわしてだきついた。
「っ!」
カイルの目が驚きに見開かれ、炭の中に燃える火のように揺れた。
「シリウス様!?」
「いいから」
シリウスはカイルを抱きしめ、そのまましばらく動かなかった。
「カイルのことだって、いつでもぎゅってしたいよ」
「わ、私はそんなつもりで言ったのでは……」
「してほしくないなら、我慢するけど」
「!!!」
カイルがたちまち情けない顔になる。
わかりやすい。
実に簡単だ。
シリウスはカイルを立たせ、もう一度、その腰の辺りに抱きついた。
「街の人を助けてくれてありがとうカイル。今日は勝手なことを色々お願いしちゃってごめんね。カイルがぼくのわがままを全部聞いてくれたから、ぼくも安心して戦えたんだ。――ほんと言うと、フォウルがずっと戦ってくれて、ぼくはほとんど何もしてないんだけど」
えへへ、と笑って、カイルを見上げる。
牛鬼との戦いのあと、ずっと機嫌が悪かったカイルもたちまち相好を崩した。
シリウスが抱きついて、ほめてやって、それでまだ機嫌が悪いなら、それはもうカイルじゃない。
なんだか私も妬けて来た。
シリウス、兄上にも抱きついてくれていいんだぞ。
「父上、兄上、アルファがまだ外にいるし、ぼくも少し出てみようと思うんですけど」
問われて私は父上の顔を見た。
父上は気を取り直したようにうなずく。
「そうだな……、私も一緒にいこう。ルーク、ロン、お前たちはどうする?」
無論、一緒にいく。
私も頷くと、シリウスの手を握った。
竜人どもがどれだけ権利を主張しようとも、これだけは譲れない。
私はシリウスの兄なのだから。




