45・☆アレスタとシリウス
会議が終わった後、シリウスは、疲れたから、と告げて、一人で逗留先の自室に篭ってしまった。
カイルもアルファも、父も兄も、みんな心配しているのはわかっていたけれど、少し一人で考えをまとめたかったのだ。
ウェスタリアでは、誰もがシリウスに優しくしてくれて、不安を感じたことなどなかった。
竜人たちが傍にいてくれる事が日常で、彼らが世界中の人たちからどんな風に想いを寄せられているかも知らなかった。
同時に、彼らを独占している自分がどう思われているかも。
会議場で、大勢の人たちに、憎まれたり恐れられたりするのはつらかったけれど、誰に文句を言われても、カイルやアルファと一緒にいたいという気持ちに変わりはないのだから、あんなふうに会場がめちゃくちゃになってしまう前に、自分でちゃんと伝えるべきだった。
「ぼくが自分で調べて知っていないといけなかったんだ……」
ウェスタリアの大人たちは、たくさんの愛情でシリウスを守っていたが、どうにもガードが固すぎた。
今回の件だって、大人たちはできることなら会議場そのものに、シリウスを入れないつもりだったふしがある。
会議の内容の都合上、どうしてもシリウスがその場にいないという状況は許されなかったため、仕方なく連れて行った。
けれどシリウスは、子供なのだから知らないままでいいと、守ってくれる大人たちにすべてを任せて暢気にしていられる性格ではなかった。
シリウスはひざを抱えて椅子に座ったまま、窓から見える夕闇の港町に視線をやった。
水平線に沈み行くオレンジ色の太陽を数羽の海鳥が横切って飛び、絵画のように美しい風景だった。
ウェスタリアの自室から見える、森と草原、城下の街とはまるで違っている。
「ぼくは何も知らない……」
シリウスは細い両膝のなかに顔をうずめ、自分が次に何をするべきか、一人真剣に思案し始めた。
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その日の夜、アレスタの首脳陣は宿泊している宿の一室に集い、あらためて会議を開いていた。
あの場で荒れ狂っていたのは黒竜公で、暴風が吹き荒れる中でもカイル様はじっと動かずいたのだから、まだしも取り戻せる可能性があるのではないか、と宰相は訴える。
だがこれに異を唱えたのは他でもない、カイルの父、国王の甥であるガーラントであった。
「宰相殿、二年前にカイルが家を出たとき、私も、私の妻のミーナも、すでにカイルが二度と戻らないとわかっておりました」
妻の手を握る。
「あの日、恥ずかしながら私たちはカイルが竜になった姿を初めて見たのです。19年間で、初めて……。カイルは主君と定めた人物の元へ、一刻も早く戻りたいのだと、私たちには見せたことのない満ち足りた笑顔で飛び去っていきました」
ミーナも、さみしげに、けれど微笑をうかべて発言した。
「あの子は、一度も振り返らず、一切ためらわず、生きる道を見つけたと笑ったんです。今日あの子が黒竜公のように荒れ狂わなかったのは、おそらく私たちがあの場にいたから気持ちを抑えていたのでしょう。私は黒竜公が怒りをあらわにしていた間も、ずっとあの子を見ていました。私にはわかります。……カイルは黒竜公と同じか、それ以上に怒っておりました……」
ガーラントも頷いた。
「カイルは確かにじっとしていた。けれど、内心は黒竜公以上に、主人への暴言を聞いて怒り狂っていた。いつも身近にいた我々には確かにそれとわかる。取り戻せる可能性などまったくないし、私たち夫婦もそれを望んでいない」
「望んでいない!?」
宰相が立ち上がり、泣きそうな声で叫んだ。
「カイル殿は国の宝ですぞ!」
「やめなさい」
宰相を制止したのは、それまで黙って会議の進行を見守っていた国王だった。
白い美髯を撫で、深くため息をつく。
「そなたこそ、竜人の所有権を主張してはならないという法をおかしておる」
「……!」
自覚なく、カイルを自国のものと認識していた人々は瞠目した。
「竜人らは自由なのじゃ。彼らを縛ることは、物理的にも不可能であろうことは、今日世界中の代表が痛感したことであろう? まさに会議中、黒竜公が申していた通り、竜人の所有権を主張するな、などという法律は、人が人のメンツを守るために勝手に作り出したもので、彼らがそれを守る保障などなにもなかったのじゃ」
国王は消沈してしまった宰相に、おだやかに微笑みかける。
「幸いなことに、彼らは実に理性的で、敵対さえしなければ、決して理不尽な攻撃をしかけたりしてこぬ生き物じゃ。彼らに頼りたいと願うなら、思いのままにさせてやるのが一番ではないかな。というより、他にやりようがないのも事実ではあるがな」
ははは、と、豪快に笑った国王の表情は、すでになんの未練も感じさせなかった。
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宿の会議場にしていた二階の一室には、すでにアレスタの国王ルーファウスと、カイルの両親、ガーラントとミーナだけしか残っていなかった。
他のみなは疲れ果て、憔悴し、自室へと引き払った。
信頼できる臣君の関係であり、近い親戚でもある彼ら三人は、愛しい血縁者であるカイルについて、身内だけでまだまだ語り合いたかったのだ。
それぞれがワインのグラスをのんびりと傾け、寂しくも楽しく、思い出を語らいあった。
そんな風に一時間ほども過ぎた頃、羽音と共に、窓のガラスにコツン、と何かが当たる音がした。
「?」
ガーラントが立ち上がり、用心深く窓に近づく。
すると今度は、夜の闇の向こうから、コンコン、と、ドアをノックするように窓を叩かれた。
室内の三名が視線を交わす。
ここは二階であり、ベランダなどの人が留まれる足場もない。窓を気軽にノックできるような場所ではなかった。
窓を開けて確認するべきか、まず護衛を呼び寄せるべきか、ガーラントが迷っている間に、外側からそっと窓が開かれた。
「……突然ごめんなさい、こんなところから……」
小柄な体を、するりと室内に滑り込ませたのは、誰あろう、昼間の騒動の中心人物、金色の髪の少年シリウスだった。
「誰にも見つからないで、お会いしたかったんです」
ぺこりと頭を下げると、金絹のような髪がさらさらと肩に落ちる。
ミーナはすかさず立ち上がり、椅子にかけてあったスカーフをシリウスの細い首に巻いた。
「まあ、頬がこんなに冷えて……、どうやってここまでいらしたの?」
シリウスは薄手のズボンにケープを羽織っただけの格好だった。
ちなみに翼を出して飛んできた都合上、ケープの下には何も着ていなかったので、裸なのを悟られないように気をつけていた。
「ルーファウス陛下、実はお願いがあってきたんです」
「シリウス殿、まずはおかけなされ」
老人におだやかにすすめられ、シリウスはルーファウスの隣、カイルの父、ガーラントの向かいに座った。
ガーラントはこの美しい少年を、初めて間近でまじまじと見つめた。
失礼にならないよう気をつけながらも、その美貌には感嘆するしかない。
カイルも存外に美形であったけれど、この少年の美しさは性別を超越した天使のようだ。
はっきりとした目鼻立ちのなかで、ひときわ輝く紫の瞳に吸い込まれそうだった。
三人の見つめる前でシリウスはミーナの淹れた熱い茶を一口飲むと、ほっとしたように微笑んだ。
そのお茶が、いつもカイルの淹れてくれる茶と同じ味だったからだ。
シリウスはそれでなおさらここを訪れた決意を硬くすると、思い切ってアレスタ国王に自分の想いを告げた。
「陛下、もしお許しいただけるなら、ぼくをアレスタに留学させていただきたいのです」
「なんと?」
意外な申し出にルーファウスは目を丸くする。
「祖国では、ぼくを知らないものがほとんどいなくなってしまいました。みんな慈しんでくれるけれど、ぼくは市井に溶け込んで人々の生活を学びたいんです」
「ご両親やカイルたちは、そのことを知っているのかね?」
「いいえ、きっと反対されます。それで、ルーファウス陛下にもお口添えをいただけないかと思って、突然お邪魔してしまいました」
物思いにふけるように顔を伏せると、長い金の睫が紫の瞳に影を落とす。
「それに、祖国ではみんながみんな、あまりにもぼくに過保護で甘すぎるんです。このままではぼくは何も出来ない大人になってしまう」
これにはカイルの父、ガーラントが答えた。
「そのような自覚のあるものは、決して無能な人間になりはしない」
「でも、カイルのお父様、ぼくを誰よりも甘やかすのはカイルでもあるんですよ」
苦笑気味に言うと、ガーラントもミーナも顔を見合わせた。
息子は確かにやさしい青年だったが、子供に甘いかと聞かれるとそうでもなかったからだ。
子供に好かれることはあっても、自分から子供の傍によることなどはまったくなかったように思う。
「ぼくは他の国の生活の様子を拝見したい。それも、可能なら隣国でもあるカイルの育った国を見てみたい……」
ルーファウスは白い髭を撫でながら、孫を見るようなおだやかな表情でシリウスを見た。
金色の髪を撫でてやる。
「アレスタとしてはもちろん大歓迎じゃが、ご両親がお許しになられなかった場合はちゃんとあきらめられるかの?」
「……」
シリウスが答えなかったので、ミーナはつい笑ってしまった。
見た目は弱々しくさえある細身の少年なのに、頑固な一面もあるようだ。
「シリウス殿が我が国に遊学にきていただけるとなった場合、もちろんお一人だけでいらっしゃるというわけにはいかぬだろう、その場合……」
ルーファウスが言いかけたとき、宿の廊下で騒ぎが起こった。
なにやら言い争いながらこちらに近づいてくる音。
シリウスは、しまった、という表情をしたが、ガーラントの顔を見て肩をすくめる。
その瞬間、
「シリウス様!」
勢いよく扉を開いて、炎の色の髪の青年が飛び込んできた。
「やあ、カイル、思ったより早かったね」
「早かったね……じゃありません!」
カイルはあからさまに動揺しながらシリウスの前に駆け寄り、すかさずシリウスの着ていたケープをはだけた。
「あ! こら!」
「やっぱり何も着ていないじゃないですか!」
「……」
カイルを追いかけて宿の廊下から部屋を覗いていたアレスタの近臣たちも、カイルの両親も、国王ルーファウスも、二人のやりとりをあっけにとられて見守っていた。
カイルは膝をついて、腕に抱えていたコートをすかさずシリウスに着せ掛ける。
「外を飛んできたのですね。ああ、まだこんなに冷たい……!」
「服をきてたら飛べないよ」
「歩いていらしたらよかったじゃないですか!」
「窓以外の場所から部屋を出たら、カイルもアルファもついてくるでしょ」
「あたりまえです!!」
主従のやりとりはよくわからない内容ながらも、なにやらとても面白い。
特にカイルの方は、アレスタの人々が見たことないほど、じつに生き生きとしているのだった。




