44・☆着地点
会議場内は静寂に包まれていた。
いまや天井が消えうせ、ただの巨大な円形の筒のような形になりはてた建物であったが。
空を覆っていた暗雲は霧消し、まぶしい陽光が雲間から差し込みはじめていた。
その明るすぎる光から、主を守るように黒竜が空に留まり、人々を睥睨している。
「議長様」
透き通る声は金髪の少年の口から発せられた。
「ぼく……、私は、ウェスタリア国王ライオネルの次男、シリウスと申します」
まっすぐな姿勢で議長を見つめる。
アメジストのように輝く紫の瞳を向けられて、議長、法王グリーノスはゴクリとつばを飲み込んだ。
竜人たちのように、恐るべき威容も圧迫感もないのに、目をそらせない。
「議長様、ここにいるみなさんも、アルファとカイルの気持ちは十分に伝わったと思います」
十分すぎるほど伝わったあとであったので、誰もが朦朧としながら頷いた。
シリウスは自分の半歩後ろに控えたカイルと、すぐ隣に巨大なあごを差し出しているアルファを見た。
各国の代表たちは、確かにアルファの恐るべき力を目の当たりにし、おびえている。
このまま会議が終わっても、誰もアルファに逆らえないだろう。
けれど力ずくで強引に了承してもらったのでは本当の意味での解決にならないんじゃないかと思えた。
人々の目に入りにくい後方の席で、兄や騎士たちに守られているだけでは何かが違う。
なによりも、シリウスはアレスタやシャイアの代表の言葉を聞いて、今回のこの会議は「自分がいるせいで開かれたもの」なのだと感じていた。
この場所にいる人々の中で、自分は間違いなく一番子供で、知識も力もなにもない。
世界中の人たちが竜人に向ける想いを何も知らなかった。
けれどどんなに無力でも、騒動の中心である自分が、できる限りのことをしなければ、アルファやカイルの力を借りて彼らをねじ伏せることはできても、誰も納得してくれない。
「私は、彼らの友人です。主君だなどとは思っていません。みなさんが彼らの力を必要としたときは、アルファもカイルも、今までどおり、きっと助けてくれるでしょう」
さっきまでのように、話の途中で異議を差し挟む者も、逆に喝采するものもいない。
会議場に、気持ちを込めて訴える、シリウスの声だけが響く。
「みなさんが彼らを畏れる理由も、彼らの意見を受け入れがたいと思う理由もわかります。でもどうか理解してほしいんです。私たちはただ傍にいて一緒に暮らしたいだけです。――他に何も望んでいません」
暴風に晒されて髪も衣服も散々な有様になっている、各国の代表たちは顔を見合わせた。
正直なところ、たとえ「受け入れられぬ」と強硬に主張したところで、どうにもならないことはすでに火を見るよりあきらかだった。
黒竜がほんのわずかな力をふるえば、今この瞬間にも、街ごと闇に飲み込むことが可能なのだ。
今も目の前に輝き光る黒鋼色の鱗には、いかなる武器も魔法も無力であることは子供にでもわかる。
圧倒的な力の差を前に、受け入れるよりなすすべがない。
会議場にいるものであれば、誰でも手を伸ばせば触れられるほどの位置に黒竜は留まっている。
しかしもちろん触れようとする者などいない。
黒曜石のように透き通る闇色の鱗。
よく見ればその鱗が、油膜のように複雑な虹色を封じ込めていることすら、はっきりとわかるほどに近い。
どんなに心から望んで欲していても、手の届く場所にあっても、触れようなどという恐ろしい行為には到底及べなかった。
それほどまでに恐ろしく、近寄りがたい竜神を、まったく恐れず従えている金髪の少年は、誰の目から見ても、間違いなく黒竜の主人だった。
そして同時に、決して誰も、この少年のようには振舞えないことも、会場にいる人々は理解した。
しかしこのまま「じゃあもうみんな自分の国に帰りましょう」と、いかないのが、権力者たちのつらい立場であった。
静まりかえってしまった会議場で、立ち上がり声をあげた人物がいた。
いかなる魔力がはたらいたのか、良く見ればその人物は、衣服も髪も乱れていない。
ウェスタリアの国王でシリウスの父であるライオネルだった。
ライオネルは威厳に満ちた低い声で静かに宣言する。
「我が息子、シリウスの言葉を聞き入れてもらえたなら、ウェスタリアは竜人が我が地に滞在する限り、他国の領土への侵攻を行わないと誓おう。他国からの攻撃があった時のみ、これを迎え撃つ」
もともとウェスタリアは、自らの国民をまかなえるだけの十分な領土と十分な資源を保有し、さらなる侵攻を積極的に行う必要がなかった。
のんびりとした国民性と、豊かな土地のおかげで、歴史にある限り、自国から戦争をしかけたことのない、非常に稀有な国だった。
もちろん、侵攻を受けた際に何度か大きな戦にまきこまれた事はあったが、建国からこれまでの長い年月を大過なくすごしてきた。
だが、竜人が王子の配下につくとなれば、他国の心中は穏やかではなく、ウェスタリアの野心を疑う声は小さくなかった。
大げさではなく、竜人らの力を借りれば世界を併呑することも可能だからだ。
今回の会議に多数の国が参加した理由も、まさにこの件による不安が一番の原因だっただろう。
ウェスタリア国王であるライオネルは、愛しい次男をやさしく見つめ、傍らによりそう竜人たちに頷いた。
「もしもこの誓いが破られたときは、そこにいる、赤竜公、黒竜公の両名に、王である私の命を絶ってもらおう」
「私も、誓います!」
すかさず立ち上がったのは、ルークだった。
父と視線を交わし、心配そうに見上げる弟に微笑みかける。
「竜人の方々は、確かに私の弟につき従っておられますが、弟は一度だって私欲のため彼らを利用したことはありません。これからもそれは変わらないでしょう。父の言葉のとおりです。ウェスタリアが竜人の方々を利用して他国に侵攻することは決してありません」
キッパリと言って、巨大な黒い竜を睨んだ。
視線を受けた黒竜は知らんぷりをしている。
図体こそ巨大になったが、態度はまったく普段のアルファと同じだ。
ルークは本当のところ、この場で黒竜に文句を言ってやりたかった。
いくら頭にきたとはいえ、世界中の重要人物が集まっている中で、いきなり竜になるなんて何を考えているのだ、と。
おかげでシリウスが出て行くはめになった。
弟が止めていなければ、黒竜を止められる人物など誰もいないのだから、どんな悲劇が起こっていたことか、想像するだけで恐ろしい。
けれど各国の代表たちの耳目が集まる中では黒竜公に文句を言うわけにはいかなかった。
我慢するしかない。
ルーク自身も、弟を苛めた連中が黒竜に恫喝され慌てふためく様子を見て、スッキリしなかったといえば嘘になる。
そんなわけで、とりあえずは言いたい言葉を飲み込んだ。
ライオネルは頼りにしている長男が何を言いたいのか察していたが、苦笑してから深く頷くと、再び議長と向き直る。
「彼らが我が国に留まる限り、王位につくものには永劫にこの誓いを守らせる。破ればそこの竜人らが、ためらわず罰を下すだろう」
ライオネルは微笑を含ませたおだやかな声で、腰を抜かしているアレスタの宰相に歩み寄ると手を差し伸べた。
「彼らが滞在している間、ウェスタリアの国土は一分たりとも増えることはない。……さしあたって今日のところはそれでゆるしてはもらえぬかな」
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会議場にいた人々は、なかば呆然、なかば朦朧としたまま、会議終了の合図を聞いた。
気づけば頭上を占拠していた黒竜は人身に戻り、金髪の少年の傍らで何事もなかったかのように穏やかに主人を見つめている。
シリウスはアレスタ側の席にかけより、国王ルーファウスとカイルの両親に頭を下げた。
「カイルを大事にします。いつでも会いにきてください。それと……天井を壊してしまってごめんなさい」
会議場はアレスタの領土内にあり、建物は歴史ある建造物でもあった。
主人にならって頭を下げたカイルは何も言わなかった。
アレスタ国王も、カイルの両親も、何も言わなかった。
シリウスは消え去った天井に視線を向け、目を閉じる。
「完全に元通りにできるかどうか、わからないんですけれど……」
人々がふらつきながらも三々五々、解散のため周囲に散らばった自分たちの荷物などを集めていると、不必要に開放されきって、まぶしいほどに明るかった会議場内が徐々に暗くなっていく。
「……なんだ……?」
ひとり、ふたりと手を上げ、指をさし、その光景に目を見張った。
闇色の砂と化し、この世のどこでもない場所へと消え去ったはずの天井が、金色の光とともに、最初うすぼんやりとしたかすみのように現れ、徐々にその骨格を濃くしていき、数秒後には元通り、なにごともなかったかのように存在していた。
「そなたがやったのか……?」
アレスタ国王、ルーファウスは驚きをこめて目の前の少年を凝視した。
見た目には、ただただ美しいばかりの細身の少年にしか見えない。
シリウスは白髪の国王に向け、秘密です、というように、人差し指を唇に当て、さっきまでの緊張した様子とは違う、少年らしく素直な笑顔を見せた。




