43・☆闇竜の逆鱗
首脳会議は議長による開会の挨拶のあと粛々と開始された。
最初に紹介を受け発言を許されたのは、開催国であるアレスタの宰相だった。
まだ40歳代半ばほどに見える若い宰相は、自国からカイルを奪ったウェスタリアへの怒りを隠そうとしなかった。
「赤竜公、カイル様は我が国で生まれ、いまだ未成年であらせられる。ウェスタリアが身勝手な主張を繰り返し、二年もの間カイル様の御身を拘束していることは各国が周知しているとおりの事実だ。しかもウェスタリアはカイル様だけではあきたらず、北方をお守りしていた黒竜公様をも独占しようとしている。これは見過ごすことの出来ない世界への反逆行為である。即刻お二人を解放し、分不相応の野望を捨て去るべし」
声高に宣言し、ウェスタリア以外の代表の頷き交わす様を見て、満足げに着席した。
これに答えたのはウェスタリアの代表ではなかった。
カイルが立ち上がり、会議場に集まっている人々へ落ち着き払った視線を投げかける。
炎の色の髪がゆれ、たちまち魅了された人々は感嘆のため息を漏らした。
実のところ、この場にいるほとんどの人間は竜人を見たことがなかった。
その美しさや、堂々とした風格、視線に篭るゆるぎない意思の強さ。それに比類なき魔力も、想像をはるかに超えていた。
見ただけで、彼らのすべてが尋常ではないことが伝わってくる。
竜人と言う存在がいかに貴重か、あらためて痛感せざるをえない。
その竜人の一人、カイルが、全員の視線の集まる中、気負いもなく立ち上がり、静かに発言した。
「何か誤解があるようだが、私は、私の意志で、ウェスタリアに留まっている。むろん拘束などされていないし、誰に強制されてもいない」
続くアルファは起立さえしなかった。
王者のごとく深く腰掛けたままだ。
肘掛に片ひじをつき完璧な曲線を描くあごを乗せ、議長を睨みすえると、低くうなるように言った。
「これは会議ではなかったのか。我々は被告人のような扱いをされるために来たのではないぞ」
不快感を隠そうとしない発言は場内を凍りつかせた。
「そもそも、俺は誰かに何かを説明しなければならない立場ではない。だがこのままでは我が君と我が君の近親に害が及ぶと見て参上したにすぎない」
深いバリトンの美声は淡々としていて、それでなおさらアルファの冷たい怒りを含んだ声は聞く者の心を萎縮させた。
けれどもそこで、勇気を奮い起こして発言したものがいた。
アルファに関わりの深い北方の国、シャイアの代表だ。
「恐れながら黒竜公閣下、いかなる国や個人も、竜人の所有権を主張してはならない、というのが世界に定められた条約なれば、お二人がウェスタリアの王子に忠誠を誓うなどという行為は許されないのではありませんか」
声は震え、今にも泣き出しそうであったが、それでもシャイアの代表はできる限り思いのたけをぶつけきった。
彼は過去に何度かアルファに会った事があった。
北方で流行り病が蔓延したとき、黒竜が遥か南東の湿地帯まで赴き、薬草を手に入れてきてくれた。
その時に病人のため、黒竜の持参した薬草を平等に配布したのが、たった今発言した彼だった。
心から黒竜公を尊敬し、また、威圧感に溢れる黒衣の青年が、見た目よりもずっと温厚で優しい人物だということも知っている、数少ない人物の一人でもあった。
黒竜公に戻ってきてほしいと心から望み、アレスタから打診された首脳会議への誘いに、一も二もなく同意して駆けつけたのだった。
だが彼の必死の訴えを聞いたアルファは、いささかも動揺していなかった。
「誰も、わが身や、そこにいるカイルの所有権など主張しておらぬではないか」
ざわめく会議場の様子も気にせず続ける。
「俺が自分で勝手に誓ったのだ。身命を我が君にささげると」
カイルも頷き、真紅の瞳を議長へ向ける。
「アルファの言うとおりです。竜人はどこの国にも個人にも所属しない。されば、我々が誰に忠誠を誓おうと自由なはず」
「で、では! 誓われた相手は、黒竜公と赤竜公の忠誠を、拒絶するべきではありませんか!」
今度の発言は、再びアレスタの宰相によるものだった。
少し前まで自国を守ってくれていた、そしてこれからもそうだと妄信していたカイルを憧憬のまなざしで見つめ、続いてウェスタリア側の面々を深い憎しみをこめて睨んだ。
「竜人を所有してはならないという条約を守るためにはそうする以外にないのです。人類の宝である竜人の方々らを独占しようなどと、強欲にもほどがある!」
このとき、シリウスは会議場の一番奥、人々の目に留まらない場所に、兄であるルークと数名の騎士たちに守られるようにして座っていた。
兄がアレスタの宰相の言葉を聞いて、怒りに震えている様を見る。
隣に座る兄の袖をぎゅっと握ると、ルークはシリウスにやさしく微笑み、大丈夫だよ、と、手の甲を軽く叩いた。
そもそも、ルーク個人にとっては、竜人たちなど厄介ごとの種以外の何者でもなかった。
守るといいつつ、実際には弟に依存しているだけだ、とも思っていた。
常にシリウスから離れようとしないし、他人に対してはやたらと警戒心が強い。
その上この首脳会議でウェスタリアは非常に苦しい立場となってしまった。
全面的に竜人たちのせいであり、まごうことなき厄介者だ。
けれど竜人たちが、損得の感情一切なしでシリウスに忠誠を誓い、まさしく身命を賭して行動していることも、ルークはよく知っていた。
ウェスタリアを襲った魔物を倒し国を救ってくれた時も、彼らは何の見返りも求めなかった。
ひたすら一途にシリウスを守り、もしかしたら主人に少しだけ褒めてもらいたかっただけなのだ。
どんな場合でも常に、彼らはそうだ。
正直言ってルーク自身もかなり納得いかなかったのだが、ルークは竜人たちがそれなりに好きだった。
相変わらず言ってやりたい事は山ほどあったが、今はそれよりも彼らを応援してやりたかったし、何より今のこの状況が気に入らない。
会議の詳細を知って、いつも明るく前向きな弟が、とても不安がっていることも、この状況ではまったく当然の事だと思っていた。
この会議場に集まっている各国の代表たちは、そのほとんどが、竜人たちを尊敬しているといいつつ、彼らのたったひとつだけの望みを否定し、決して許そうとしない。
ルークが弟を励ましながら静かに怒りを募らせている間も、アレスタの宰相は大声でウェスタリアの王子を糾弾し続けていた。
「黒竜公と赤竜公の忠誠は本来ありえないものであり、個人にはあまりにも過ぎた恩恵だ。条例を見ても公らの忠誠を受け入れてはならぬのは明らかではないか! 拒絶しないというならば、その人物は世界中の国々にとって、私欲にまみれた敵であり、許されざる大罪をその身に帯びることとなる!」
アレスタ側の発言に怒りを募らせていたのはルークだけではなかった。
シリウスの父、ウェスタリア国王であるライオネルも、愛する息子に向けたあまりにも不遜な発言に立ち上がりかけた。
だが隣に座る自国の宰相に袖をつかまれ、続けて視線で合図されて留まった。
信頼する宰相は、竜人らを見ろ、と、目線で言っている。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
会議場の中央、そこに、さきほどまで座っていた黒衣の竜人が、いつのまにか立ち上がっていた。
三百名もの人間がその場にいたのに、彼が立ち上がったことに気づかなかった。
黒衣黒髪の人物はアレスタの宰相をヒタと睨みすえ、微動だにしない。
漆黒の彫像のようであった。
「……宰相殿、それは、我が君に向けた発言か」
スラリとした長身から目に見えぬ圧力が噴き出し、殺意となって会議場内を覆い始めた。
彼の足元から闇がじわじわと広がって行く。
「我が君を、敵だと、そう申したのか」
会議場の中につめていた異国の年若い随従が、場内に満ちる闇色の殺意に耐え切れず気を失いその場に昏倒した。
戦いを知る騎士たちは、アルファの怒気にあてられて、会議場から逃げ出したいという本能を押さえ込むことに必死だ。
北の地に住む黒竜は、その偉大なる力で人々を守護し、平和に貢献してきたという。
だが彼が魔法を使っている姿をみたものも、竜に化身した姿を見たものも、この会場にはウェスタリアの国民以外にはいなかった。
今、アルファの頭上、会議場の天井付近に、手のひらに収まるほどの黒い玉が出現していた。
誰にも気づかれないまま、玉は闇の色を濃くして行く。
「宰相殿、答えられよ。そなたらは、我が君の敵であるのか」
ヒッと、上ずった声をあげ、アレスタの宰相は後じさった。
後ろの椅子に躓いてその場にしりもちをつく。
その拍子に、天井付近に不思議な球が浮いていることに気づく。
頭上に出現した黒い球の存在に最初に気づいたのは、アレスタの宰相だった。
「な、なんだ、あれは……」
宰相の言葉とほぼ同時に、まるでアルファの怒りを恐れたように会議場が細かに震えだした。
「死にたくないものはその場を動くな。久しぶりなので加減を間違うかも知れぬ」
アルファが言うと同時に、会議場の天井が音もなくゾロリと崩れた。
崩れたといっても瓦礫となって崩壊したのではない。
砂粒のような黒い霧となり、中央に浮かぶ闇色の球へと静かに吸い込まれていく。
議長を勤めていた法王は、教会に収められている禁術のひとつを思い出していた。
「闇の球……黒の特異点……」
畏怖とともにつぶやき、体を硬直させる。
あらゆるものを吸収し、闇へと同化させ異空間へと消し去るその球は、物質の質量を無視し、付近にあるすべてを飲むこんでしまう。
人も、馬も、建物も、すべてだ。
術式を起動させるためには莫大な魔力を必要とし、国中の魔法使いがそれのみに準備を費やしても、発動までに数年かかると記載されていた。
敵味方区別なく異空間へと吸い込んでしまうため、禁術とされ封印されている魔法だ。
しかも、そうやって作られた闇色の球は、記録にある限りの最大サイズでも指先ほどの大きさにしかならず、それでも大隊をまるごと消し去るほどの威力があった。
今、人々の頭上にある球は、記録にあるよりもはるかに大きく、黒衣の竜人、アルファがその気になれば、街ごとあとかたもなく消滅してしまうだろう。
闇の球が出現したその数秒後には、天井はすっかり消えうせていた。
曇天が頭上に広がり、あっけにとられている人々は声もない。
困惑し、動揺し、その場から逃げたくとも動けない人々の視界が闇色に染まった。
場内に影が落ちる。
怯える人々が見上げる視線の先に、黒鋼色の鱗をきらめかせた長大な竜が、怒りに満ちた低いうなり声を上げていた。
巨大なギロチンのような歯が打ち合わされると、金属を叩きつけるのに似た恐ろしい打撃音が響き、火花と共に雷撃が散る。
体の芯までその音に打撃され、人々は心臓を握りつぶされるような恐怖に打ちのめされた。
「俺をこきおろすことも、過去の恩を忘れて身勝手な要求をつきつけてくることも、すべて許そう。だが我が主君を一言でも侮辱するならば話は別だ。そなたらに宣言されるまでもない、俺のほうから敵とみなす」
巨大な黒曜石を埋め込んだような、漆黒の瞳が燃えている。
「そなたらが遠い昔に作った法に、我らが従う義理はない。そもそも、竜人を所有してはならない、などという条約は、竜人を所有できなかったそなたらが、体裁を守るためにとってつけた法にすぎぬ」
曇天が徐々に闇色に染まり、黒竜の唸りが地を這うように雷鳴に重なった。
「竜人を所有してはならない、だと、片腹痛い! 所有したければやってみればよいのだ! 己ができぬからと言って我が君を恨むなど愚かしいにもほどがある!」
空に稲妻が光り、轟音となって会議場の周囲を襲った。
神の怒りの槌が、光り輝く強弓となって降り注ぐ。
激しい地鳴りと雷撃で世界が揺れ、暴風が場内を荒れ狂い、怯える人々を翻弄した。
稲妻が光るたびに、黒竜の鱗が百万の火花を散らしたようにきらめき、この世のものとは思えぬ美しさで会場の上空を占拠していた。
会議場に集まった人々は死を覚悟した。
何名かは恐怖のあまり気絶していたし、そうでないものも動けない。
動いた瞬間、速やかに死は訪れると思われた。
腰を抜かすもの、立ち尽くすもの、様々であったが、逃げ出そうとするものはいなかった。
逃げたくとも、彼らの足は一歩たりとも動かなかったのだ。
だがアルファを知るウェスタリアの一行だけは、畏怖はしても恐怖はしていなかった。
どんなに怒り狂っていても、あの竜人がシリウスの近親を傷つけることは絶対にないと知っていたからだ。
実際、場内を吹き荒れる暴風も、ウェスタリアに割り当てられた座席付近にはほとんど届いていなかった。
黒竜は人の腕ほどもある牙をむき出し、気の弱いものなら聞いただけで心臓が止まってしまいそうな恐ろしいうなり声をあげた。
「我が君を世界の敵と呼ぶというのであれば、今この瞬間から我々もそなたらの敵だ。俺は一切ためらわぬ」
その言葉が嘘ではない証拠に、ことさらにまぶしい稲妻が空を裂き、ずしん、と、大地が鳴動した。
人々を絶望に突き落とし、肉体と精神を打ち震わす轟音と光が途絶えたのはその直後だった。
上空に留まっている黒い竜が、会議場の中央へ深く頭をたれ差し出していた。
黒竜のあごの先には金色の髪の少年が立ち、おそるべき竜神に紫に透き通る瞳を向けている。
「シリウス!」
ルークは思わずその場に立ち上がった。
すぐ隣で自分にしがみついていた弟が、いつのまにか会議場の真ん中に立っていたからだ。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
会議場に集まった人々は、竜を恐れる様子もなく、中央に立って手を伸ばす子供に目を奪われていた。
腰まで届くまっすぐな金の髪、天使もかくやと思わせる、美しいかんばせ。
その子供が、怒りにうなり狂う黒竜の前に平然と立ち、漆黒の巨大なあごに白く細い腕を伸ばした。
なだめるようにやさしい声音。
「アルファ、もういい。――ぼくは大丈夫だから」
きっぱりと言って、黒竜のあごに触れる。
「これ以上はだめだよ」
まだ幼さの残る声は、決して大声ではなく、むしろささやくように静かな声音だったが、その場にいる全員の耳に届いた。
黒竜は自らを落ち着かせるように目を閉じたまま上空に留まり、さきほどまで会議場に満ち満ちていた殺意は、今、何事もなかったかのように霧消していた。
金色の髪の少年は、次に背後に控えた赤い髪の竜人に切ない笑みを向けた。
「カイルも、我慢してくれて、ありがとう」
世界中の代表が見守る中、金の髪の子供の前に、カイルはためらわず膝をつき、深く頭をたれた。




