37・☆あなたへ贈る2
バナードが帰宅し、夕食の時間をすぎても、カイルは帰ってこなかった。
さすがに心配になってきたシリウスが、アルファの袖を掴む。
「お願いアルファ、カイルを探してきて……」
普段だったら、シリウスにお願いされては否と言えないアルファだったが、カイルがこの場にいない今、主人を一人きりにしたまま傍を離れるわけには行かない。
「我が君、カイルなら大丈夫です。帰ってきたらうんと叱ってやりましょう」
「でも……」
寂しげなシリウスの髪をそっと撫で、アルファは内心でカイルへの怒りを募らせた。
いくらなんでも帰りが遅すぎる。
心配をかけることはわかりきっているだろうに、何をやっているのかと。
そこへ、兄のルークがいつものように部屋を訪ねてきたので、シリウスは何も知らない兄に潤んだ瞳を向けた。
「兄上……」
「ど、どうしたっ!?」
ルークは慌てて駆け寄ると、わけも聞かずにとりあえず弟を抱きしめる。
「カイルがまだ帰ってこないんだ……」
「あー……」
思わずルークはアルファと顔を見合わせる。
すぐに事情がわかったからだ。
「シリウス、カイルは大丈夫だ。明日は朝からやる事がたくさんあって忙しいから、もう休んだほうがいい」
「でも、カイルがこんなに長い間帰ってこなかったことなんかなかったのに」
シルウスはルークの胸に顔を摺り寄せて、我慢できなくなったのか、ついに頬から涙がすべり落ちた。
「誕生日なんかこなければよかった」
「そんな寂しいことを言ってはいけないぞ。みんなお前の誕生日を祝いたいんだから」
「でも、誕生日のせいで、カイルは帰ってこないんでしょ? カイルだけじゃなくて、みんなもこの何日か様子がおかしかったし……」
めずらしくシリウスは見た目の年相応の子供のように泣いていた。
アルファは膝をついて大事な主君と視線を合わせる。
「我が君、ルーク殿がいらしてくださったので、ここは兄君におまかせして私があいつを連れ帰ってまいりましょう」
「いいの……?」
くすん、と鼻を鳴らして、シリウスは涙にぬれた瞳をアルファに向けた。
澄んだ湖に沈むアメジストのような瞳に魅入られながら、アルファはルークと頷き交わすと立ち上がる。
「その代わり、戻るまでにちゃんとお休みになっていてください」
「うん」
返事と同時にシリウスはアルファに抱きついた。
「アルファごめんね。……ありがとう」
ルークはアルファが部屋を出て行ってしまってもなかなか涙が止まらないシリウスを促してベッドに入らせ、そのベッドの枕元に腰掛けた。
新しい本ではなく、すでに何度か読んでいるお気に入りの本を広げると、シリウスは兄にぴったりと身を寄せて鼻をすすり、泣き止もうと努力しているようだった。
弟の肩に触れながら本を読み、そっと微笑む。
内心、こんな風に弟が甘えてくれたことがとても嬉しかった。
シリウスは見た目のか細さに反して精神的にとても強く、めったに泣いたりすることがなかったからだ。
子供っぽいわがままを言うこともなかったし、勉強なども嫌がらず素直に楽しんで参加した。
けれどシリウスがあんまり「いい子」なのでルークは時々心配だったのだ。
ルークがシリウスほどに幼かった頃は、もっと外で遊びたいと大泣きしたり、新しい子馬が欲しいと騒いだこともあった。
勉強がいやで城の倉庫に立てこもったこともある。
決して自分が特別わがままだったとは思わない。
子供とはそういうものだ。
けれどシリウスはそういう「わがまま」をほとんど言わなかったし、子供らしい独自の理由で泣き続けたりもしなかった。
だからこんな風に、泣きつかれて今にも眠ってしまいそうな、子供にふさわしい様子を見られたことがとても嬉しい。
徐々に規則的な寝息が聞こえ始めても、ルークはシリウスの肩に触れたまま、物語の終わりまで本を読み続けた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
シリウスがルークに慰められて眠りに落ちる少し前、カイルは貴族の人間が好んで通う、高級店が並ぶ通りを歩いていた。
ここは最初に誕生日プレゼントを探しに出た日に一度、一通りの店を見ている。
しかし誕生日が明日に迫っていたので、とにかくひとつでも買い物をしたくてもう一度やってきたのだった。
最高級の毛皮の店や、食器の店、家具の店。――しかしどれもありふれたものばかりに見える。
一番端の宝石店に到着したとき、店主の老人はちょうど店を閉めるところだった。
「すまないが、少し店内を見せてもらえないか」
カイルは丁寧に頼んだのだが、店主はメガネの奥の瞳を不審げに光らせ鼻を鳴らした。
「もう閉店なんだがね。……確実に何か買うのならどうぞ」
一瞬迷ったカイルだったが、ここを逃せばもうこの先に店はない。
「わかった。約束する」
なんとか店に入れてもらい、カイルは必死の思いで店内を物色した。
貴重な宝石類や、特殊な魔法によって様々な恩恵を与えられた装飾品まで、様々なものがある。
ただでさえあせっているところに品数が多すぎて、とても選び出すことなどできそうになかった。
「すまないが店主どの、贈り物を探しているのだが、ふさわしい品はないだろうか」
なりふりかまっていられず、カイルは店主の老人に助けを求めた。
「贈る相手によるわ」
ぶっきらぼうな答えが返ってくる。
「私がこの世でもっとも大事に思っている方だ」
「恋人かね?」
「いや、ご主君だが、とても美しい少年であられる」
カイルは大事な主人を思い浮かべ、ついうっとりと目を閉じた。
喜んで品物を受け取ってくれる様子を想像してしまったのだ。
「金はあるのかい」
「ある。足りないなら必ず調達するから、とにかくふさわしいと思われる品を見せてくれ」
老人はしばらくのあいだ、カイルの顔をじっと見つめていた。
穴が開くほど無遠慮に。
カイルの身なりや挙動から、言うほど金の無心ができる人物なのか確認しているのだった。
カイルも文句を言わず店主の凝視に耐えた。
ほどなくすると、店主はカイルから視線を放し、カウンターの奥からいくつかの小箱を出してくる。
どうやら店主の値踏みに合格できたようだ。
「ほれ、これらはみなそれなりにいわくつきの宝石ばかりじゃ」
ドワーフの王子が所持していたアレクサンドライトの指輪。
魔物の気配を察知して淡く輝くアクアマリン。
祈りをささげれば身に着けたものの回復力を上げ、傷を癒すダイヤモンド。
そのような品ばかりがざらざらと出てくる。
カイルは品物をひとつひとつ検分しながら選んだが、どれもシリウスに贈るにはいまひとつ物足りない気がして決められない。
「他にはないのか店主どの」
「これで終わりじゃ。この中のもんだったらどれだってみんな大喜びするとおもうぞ。とっとと決めてくれんか」
「喜んでは下さるだろうが……」
いまひとつ決め手にかけるのだ。
カイルは店主が品物を片付け始めるのを溜め息とともに眺めていたが、ふとテーブルの隅に置かれた小箱に気づいて手に取った。
箱は手のひらに乗るほどに小さかったが、紫檀でできた表面を金で縁取られ、箱だけでも十分芸術品のように美しい品だった。
「お前さん、それは売りもんじゃないから端っこによけといたもんじゃ。元に戻さんか」
店主が取り戻そうと手を伸ばしたが、カイルは箱をあけてしまった。
箱の中には親指の先ほどの大きさをした、紫色の宝石が入っていた。
アメジストかとも思ったのだが、それよりも奥行きのある、やわらかで深い紫だ。
楕円形の石の中央に、星のような白い輝きが封じ込められている。
台座はなく、ただ石だけが、赤いベルベットの布の上に沈みこむように鎮座していた。
「これは……」
石そのものが王者のような佇まいだ。
思わず息を飲み、夜明け前の空に似た、深く複雑な紫に魅入られる。
「パープルスターサファイアじゃよ」
店主は呆然としているカイルから箱を取り上げ、さっさと蓋を閉じてしまった。
「それを売ってくれないか!」
カイルは勢い込んで店主に迫った。
今まで目にしたどんな品物よりも贈り物にふさわしく、何より、主人の紫の瞳に似ている気がしたのだ。
「売り物ではないと言うとるじゃないか」
「たのむ! 金はいくらかかってもかまわない。お願いだ!」
必死に訴えるが、店主は首をふって是といわない。
カイルも老人も引かず、押し問答が続いている店内に、さらにもう一人、客が現れた。
「もう閉店したんだよ!」
すかさず店主が大声で警告したが、全身に黒い服を着た来客は、店主の恫喝も一切気にした様子がなく、ためらわず堂々と店内に入ってくる。
――新たな来客、アルファは、黒い瞳でカイルを睨んだ。
「カイル、我が君が心配しておられるぞ!」
怒りもあらわに相方を叱ると、とたんにカイルが青ざめる。
「シリウス様が……」
「そうだ。誕生日のせいでおぬしが帰ってこないと泣いておられた」
「泣いて……?! そんなっ!」
自分のせいでそんなことになっていたなんて、夢にも思わなかったのだ。
「店主殿!」
さっきよりもなお必死な様相で、カイルは店主に迫った。
「お願いです。金で売っていただけないのなら、ええと、そ、そうだ、私に出来ることなら店番でも掃除でも、なんでもしますゆえ、どうしてもこれを譲っていただきたい!」
「店番も掃除もいらんわい!」
胸倉に掴みかからんばかりの勢いで迫ってくる青年から、老人は視線をそらしてため息をついた。
「……これはな、わしの先々々々代のじーさんが、昔々竜人様から頂いたものなのじゃ。家宝だからして、売るわけにはいかん」
「竜人から……?!」
「うむ。じーさまは竜人様のお使いになる装飾品を探すのに、ご助力差し上げる機会があったのじゃ。そのお礼にな」
メガネを押し上げ、小箱を開き、中の宝石をあらためて観察している。
「本当は、鱗が欲しいとねだったのじゃが、鱗は簡単にはやれぬと断られて、代わりに頂いたのがこのパープルスターサファ……」
「鱗なら差し上げる!」
言葉が終わらないうちにカイルが老人の手を握った。
なにしろカイルの部屋には、先日自分から剥がしたばかりの竜の鱗が一枚、無用の長物として放置してある。
皿ぐらいにしかならないと思っていたモノが、思わぬところで役に立つかもしれないと、カイルは必死だ。
「鱗となら交換していただけるか!?」
「鱗といってもアレじゃぞ、魚の鱗などではない。人魚の鱗でもない。貴重な竜の鱗じゃぞ。わしにはわからんが、この宝石には特別な魔法の力があるのじゃというし、簡単には譲れん」
「無論だ! 赤竜の鱗となら交換していただけるか!」
ためらわないカイルを老人は疑いの目で見つめた。
「いくら先日この街に赤竜様があらわれたと言ってもな、そなたのような若いもんが竜の鱗を持っておるとは思えんが。もし持っているとしても、偽物かなにかを掴まされとるのではないかね」
疑ぐり深い老人に、カイルは地団太を踏みそうになった。
一刻も早く城に――シリウスの元に戻りたかったのだ。
「私が! その赤竜なのだ!」
「はあ?」
今度こそ、老人はあきれ果てたという顔で口をあけた。
顔の前で手を振って、交渉はここまで、と、箱をしまいそうになる。
口を挟んだのは、それまで黙ってなりゆきを見物していたアルファだ。
「ご老人、うさんくさいのは十分理解できるが、この男は間違いなく赤竜公、カイル・ディーン・モーガンだ」
老人に継げたあと、カイルを睨む。
「そこの通りででも竜身に戻って、この老人に直に鱗を剥ぎ取らせればいい。そのまま城へ帰るぞ」
アルファとしても、あんなふうに泣いていたシリウスの姿を思うと、一秒でも早くカイルをつれて城に戻りたかった。
こんなくだらない言い争いに巻き込まれている場合ではなかったのだ。
カイルは深刻な顔で頷くと、すばやく店を出た。
老人の方はアルファの言葉に半ば呆然としていたが、店の外から青年の呼ぶ声が聞こえてきたので躓きながらも店を出る。
老人が通りに出ると、カイルがすかさず店主の腕を取った。
「店主殿、ここでは狭すぎる。お手数をおかけするが、お付き合い頂きたい!」
言うなりカイルは店主を横抱きに抱え上げ走り出した。
「ひえっ!? わ、わかった、わかったから、降ろさんか!」
店主の声も耳に届かないままカイルは大通りを抜け、商店街の中心、噴水のある広場でようやくとまった。
抱きかかえられたままだった老人は息も絶え絶えだ。
乱れた髪を直す余裕もなく、宝石店の主人は呼吸を整えながら訴えた。
「はあ、はあ、……まったく、わかったと、言っておるのに……」
「わかった、とは?」
「おぬしは、自分を赤竜公殿だと言うのじゃろう? 信じがたかったが、よく見ればその瞳、それに髪の色も……。わしもあの日、街を守って戦って下さる赤竜様のお姿をこの目で見たのじゃ」
はー、と息をつき、
「商店街から見たもんで、かなり遠くではあったが、確かに、赤竜様は、おぬしの髪と同じ色をしておられた」
抱えられている間も、懐に大事に持っていた小箱を差し出す。
「街を守って下さった赤竜様とは夢にも思わず、数々のご無礼、お許しくだされ。わしは老い先短い身じゃが、娘夫婦や孫もこの街におりますのでな、お助けくださり本当に感謝しております。強欲なことを申してお恥ずかしい。いまさらじゃが鱗は不要じゃ。これは街の皆からの礼と思ってお持ちくだされ」
カイルは、すっかり毒気を抜かれたようになっている老人に頷くと、そっと手を伸ばし、金と紫檀でできたその箱を受け取りそうになった。
だが、寸前で指先を握って思いとどまる。
「……店主殿、あの日、私は私の主を守るために戦ったが、あのあと主人から十分以上の報酬を頂いたのだ」
たくさん褒めてもらった上に、鼻先をなでてもらったのだった。
存外の報酬だったと言えよう。
今思い出しても喜びで胸が温かくなる。
「この上、店主殿からあらためて謝礼を頂いてしまっては、主人に会わせる顔がない。宝石を譲っていただけるなら、やはり鱗は受け取っていただこう」
カイルは老人から数歩下がると、静かに目を閉じ深く息をついた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
噴水広場に現れた赤い竜は、穏やかな瞳で老人をじっと見つめた。
その瞳の色は燃え盛る火炎のような赤だったが、老人はその瞳に、確かにさきほどの青年の眼差しを見た。
赤竜は巨大な爪を器用に使い、肩の辺りの鱗を一枚剥ぎ取ると、老人に向け差し出す。
「私のわがままを聞き入れ、家宝の品を譲って下さった店主殿に、心より感謝を。鱗などと交換していただくのは心苦しいが、私には他にお譲り出来るものがないので、ご容赦いただきたい」
「い、いや、そ、そ、そんな」
腰を抜かしそうになっている店主に、赤竜は少し申し訳なさそうな顔をした。
「驚かせてしまって申し訳なかった。本当にありがとう」
気づけば、商店街のあちこちから野次馬が集まり始め、驚愕の表情を浮かべながら、みな遠巻きに赤竜を注視している。
「済んだか?」
いつのまにか赤竜の足元に立っていたアルファが、憮然とした表情でカイルを見上げた。
「人身に戻るな。このまま帰ったほうが早いからな。俺を乗せていけ」
赤竜の代わりに老人から小箱を受け取ると、アルファは躊躇なく竜の背に飛び乗った。
カイルは優美な曲線を描く首を地面近くまで下ろし、老人に頭を下げると穏やかにうなる。
「強引にここまでお連れしたのに、店までお送りできず申し訳ない。後日あらためて礼に伺う」
「い、いや、お気になさらず。わしの方こそ、このような素晴らしい品を頂いてしまい申し訳ない……」
恐縮した様子の老人にうなずくと、カイルは目を細め、城のほうへ首を向けた。
「シリウス様のもとへ帰ろう、アルファ」
赤竜が巨大な翼を広げると、人々の感嘆する、悲鳴とも、ため息ともつかない声が周囲にあふれた。
暖かな風が舞い、ルビーを連ねたような鱗が家々の明かりを反射して美しく輝く。
しかしそれもほんの一瞬で、赤竜はうれしげに一声感謝の咆哮をあげると、まっすぐに城の方向へと飛び去ってしまった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
猛スピードで城に迫り、城壁をすれすれに飛び越えて、それでも彼にできる最大限の配慮をもって、可能な限り静かに中庭に着地した赤竜を目にした近衛騎士たちは、予告のない竜の飛来にもまったくあわてたりしなかった。
彼らが赤竜を見るのは今日で三度目。
国中の人間が総出で戦っても敵わない相手だということも、あっという間に城を滅ぼしてしまえるほどの強大な魔力を持っている事も、竜たちの戦いを間近で見知っているウェスタリアの近衛騎士たちは、ほかの国の兵士たち以上に理解していたが、それよりも、もっと、大事な事を彼らは知っていたからだ。
どんなに強大で、どんなに恐ろしい存在であろうとも、竜人たちの主人は、近衛騎士たちの上司でもある、かわいらしくやさしい少年だ。
あの王子が城にいる限り、竜の飛来はこれからも日常茶飯事だろうし、竜人たちがどれほど人知を超えた神のごとき存在であろうとも、何も恐れることはないのだった。




