1・☆五年後~赤竜の青年訪問する
ウェスタリアの街道を、隣国、アレスタの馬車が通過していく。
磨かれた黒い車体には侯爵家の家紋、雄鹿と麦穂が金で装飾されていた。
馬車を引く四頭の黒馬はみな逞しく壮健で、目にした人々を感嘆させずにはおかない。
馬車を守るのは、同じく黒馬にのった騎士たちだ。
その馬車の中にスラリとした長身を収めているのは、今年十七才になったばかりの若き竜人、カイル・ディーン・モーガンだった。
見る人すべてが、炎のよう、と形容する赤い髪。
燃え盛る炭火を思わせる、熱く輝くルビーのような瞳、なめらかな白い肌。
外見は炎そのものなのに、常に冷静沈着で、スマートな言動が人々をひきつける青年だった。
しかし竜に化身するというその人物の、実際に竜になった姿を見たものは、まだ一人もいなかった。
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カイルは豪奢な四頭立ての馬車の中、暇つぶしに、先日届いた手紙をあらためて読み返していた。
何度も読み返していたが、他にすることもなかったし、持参してきた書籍類も読みきっていたからだ。
もうじき目的地に到着することであるし、読み返しておいて損はない。
「お前、またその手紙を読んでるのか」
カイルの旅に同行してきた、友人でもあり部下でもあるジャンが呆れた顔をする。
カイルに対して、このようにくだけた口調で話しかけられる人物はごく限られている。
ジャンは平凡な貴族の家の五男で、茶色の髪を短く切りそろえた、活発で明るい好青年だ。
貴族の家の男子とはいえ、五男などなんの権限もないに等しく、幸か不幸か、おかげでジャンはかなり自由な立場であった。
つい真面目すぎて固い行動ばかりのカイルにとって、ジャンは幼馴染であり、同級生であり、よい緩衝材になってくれる親友だ。
その親友にカイルは笑顔を返す。
「まあな、そろそろ暗記しそうだ」
「オレにも内容を教えられない極秘の招待理由が書かれているんだろう?」
「公式な理由は親善ということになっている」
「……なんでもいいが、お前、いつもよく馬車の中で下向いて文字読んで具合悪くならないよな」
見ているだけでめまいがしそうだ、と文句を言って、ジャンは眉間にしわを寄せると馬車の椅子にゴロリと寝そべった。
「もう五日も馬車の中だ。はやく到着するか、盗賊の一団が襲ってくるか、どちらか頼むぜ」
「盗賊団なら途中で壊滅させただろ」
ここへ来る道中、近道である森の中を抜け、豪華な馬車だと喜び勇んで襲ってきた盗賊団を、カイルたち一行はあっさり一網打尽にしていた。
「壊滅させたのは大体お前だ。オレには全然残してくれなかったじゃないか。どうせなら盗賊の一団、じゃなくて、二団も三団もあったらよかったのになあ」
冗談などではなく、心の底から言っているらしい友人を放っておいて、カイルは手紙に視線を戻す。
手紙にはありえない訴えがつづられていた。
曰く、王妃が五年前に出産した卵が、いまだに孵る気配がない、と。
その上、うまれたときは両手で包み込めるよりやや大きいぐらいのサイズだった卵が、いまや両腕で抱え込んでようやく、というような巨大さに成長しているという。
確かに五年前、アレスタにいるカイルの元にも、隣国の王妃が「卵」を出産したとの報は届いていた。
けれどカイルもカイルの国の重臣たちも、それはきっと何かの間違いで、もし「卵」のようなものが万一うまれていたとしても、病の一種だろうと話されていた。
赤子が膜に包まれて生まれてくる際、まれにその膜が硬く病変している場合があり、その場合、赤子は生まれてもすぐに死んでしまう。
実際、ウェスタリアからはその後「卵」から子供が誕生したとの報もなく、やはり膜が硬くなる病の赤子が生まれ、すぐに亡くなったのであろうとアレスタ国内ではとっくに結論を出していたのに、今回の手紙はまさに青天の霹靂であった。
……卵のような物体が年月とともに大きくなったというなら、腐敗による膨張かなにかかもしれない。
カイルは軽くため息をついた。
ウェスタリアの国王夫妻は藁にもすがる思いで、隣国にいる竜人、カイルに手紙で救いを求めてきたのだ。
もしも竜人の卵であるならば、当の竜人が見ればどういう状態なのかわかるだろうと。
けれどカイルは「卵」のように見える赤子の死体を見るのが憂鬱だった。
これは亡くなったあなた方のお子様です、と伝えることが。
――見なくてもわかる。
竜人が四名とも健在である今、絶対に「卵」ではありえない。
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ウェスタリアの国都ティラーナは、カイルの生国アレスタの国都と同等か、それ以上に繁栄しているように見えた。
街道の白い石畳はきちんと整備され、レモンの街路樹が美しい緑と黄色のコントラストで心を落ち着かせてくれる。
城下の人々もみな清潔で、目に付く限り、少なくとも表通りにはごろつきどもの姿も見当たらなかった。
街角の要所要所には騎士が立ち、街の治安を守っている。
人種も雑多であり、肌の白い人間が主であったが、黒い肌や赤い肌、黄色の肌の人間もいたし、まれにドワーフなどの人ではない種族が歩いている様子も見られた。
ジャンは街なみをつくづくと眺め、あまり面白みがなさそうな街だ、と、ため息をつき、任務のあとに他の部下たちと繰り出すべく、酒場の場所をいちいち確認していた。
彼にとっては騒々しく活気に満ちた街が理想であり、多少の犯罪は体を動かすいい口実になるのでむしろ大歓迎。
こんな風に静かで落ち着きのある成熟した街はいまひとつものたりないのであった。
目指す城が近づくにつれ、カイルの憂鬱だった気分が徐々にではあるが晴れてくる。
もともと前向きな性格だったし、白い石壁の城が、予想よりもずっと清潔で優美な佇まいだったからだ。
ウェスタリアの国王は元軍人で、己にも他人にも厳しいが誠実な人物であると聞いてきた。
城下町の落ち着いた雰囲気を見ても、間違いではないようである。
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城に到着すると、カイルも同行の騎士たちも、控えめだが丁寧な歓迎を受けた。
式典などは行われなかったが、宰相と高官たちが出迎えてくれ、馬たちも速やかに装具をとかれて馬房に移された。
派手派手しいものが苦手なカイルには、その静かな歓迎がとても好意的に思えた。
国王夫妻が政務中であったため、部下とともに客室へと案内される。
客室のオーク製の扉を、ウェスタリアの近衛が緊張の面持ちでノックした。
カイルは眉をひそめ、半歩後ろに控えていたジャンと視線を合わせた。
ノックをしたということは、部屋の中に先人が居るということだ。
「誰だ」
部屋の中から、低く響く落ち着いた男性の声が答える。
扉をノックした近衛を見ると、額に冷や汗を浮かべ、緊張、というよりも若干の恐怖も見えたが、覚悟を決めたようにコクリとつばを飲んでから扉の内側へ向けて「アレスタの赤竜公様ご到着です」と伝えた。
「通せ」
この国の主のような堂々とした応答に、カイルは国王が先んじてこの部屋にいたのかとも思ったのだが、ジャンや部下たちをその場に待機させ、ためらう近衛を促すようにして二人で部屋に入ったとき、窓辺に立つ、カイルよりもなお長身の人物を見て自分の勘違いを悟った。
銀糸で縁取られた漆黒の衣装に身を包み、カイルを一瞥したその男は、外見こそ二十五才ほどに見えるが、実際の年齢は百才を越えるとカイルは知っていた。
鋼色の黒髪と黒曜の瞳、安易に近づくことを許さない威容。
北の国々を守護する竜人、アルファ・ジーンだ。
会うのは初めてだったが、カイルの髪や瞳の色がそうであるように、竜人の持つ独特の色は唯一無二のもので他の人間が所有することはなく、そのため間違いようもない。
赤い髪の人間も黒い髪の人間もそこらに存在はするが、竜人たちの髪や瞳は、良く見ればみなどこか金属や宝石を思わせる複雑な色の光沢があった。
竜人の髪の色は鱗の色だとも言われている。
カイルの燃え盛る炎を連想する紅玉石色の髪や、アルファの鋼に輝く黒髪は異様にすぎ、普通の人間にはあまりにもふさわしくない色だった。
アルファはカイルが今まで出会ったどんな人物よりも強大なオーラを放っていたが、その堂々とした美丈夫ぶりも人外であった。
男の持つ魅力をすべて最大限に所有したような立ち居振る舞い。アラバスター彫刻のように、彫りの深い顔。
どうやらウェスタリアから招かれた竜人はカイルだけではなかったようだ。
「黒竜公……。アルファ・ジーン殿、ですか」
威容に飲まれないよう慎重に聞いたが、相手はチラリとカイルを見やってすぐに興味なさそうに視線をそらした。
「アレスタのカイル・D・モーガン。噂以上の優男だな」
カイルが反論しようとするより早く、アルファは背後に控えている近衛をにらむ。
「俺は用件が片付けば速やかに帰参する。早々にその「卵」とやらに対面させろ」
近衛はあからさまに動揺しおびえていたが、さすがにすぐ是とは言わない。
「黒竜公閣下、国王陛下ご夫妻におかれましては、現在謁見公務中のためいましばらくのご辛抱を。まもなくこちらにいらっしゃるはずですので……」
近衛は最後まで言葉を続けられなかった。
「見るだけなら王は不要。挨拶はあとでいくらでもできるであろう」
カイルはジャンと部下たちを用意された客間に留まらせ、操り人形のようにふらふらと先頭を行く近衛と、その首根っこを掴んでいるアルファの後を追った。
どうも単に脅しているだけではなく、己の強大なオーラを操って、近衛の青年の意識を朦朧とさせているようだ。
(なんて横柄な男なんだ)
カイルは内心でそう毒づいたが、初めて出会う自分以外の竜人に圧倒されてもいた。
若すぎて成人にも達していない自分と違い、そこにいるだけで人々に大きな影響を与える、完成した竜人だ。
年齢のせいかやたらと古臭いしゃべり方のような気もするが、アルファの落ち着き払った態度にふさわしく、とても自然で不快ではなかった。
黒竜公は「国家に縛られない」という世界共通の竜人に対する条約を最大限に生かし、相手が誰であっても決して態度を変えないと聞いていた。
確かに今のやりとりでの態度を見ると、他国の騎士はもちろん、国主に対する敬意すらもまるで感じられない。
侯爵家の長男に生まれ、竜人として以前に、嫡男としての生を余儀なくされている自分とは大違いだと、カイルは若干落ち込んだ。
「こ、こちらです」
城内を長々と歩かされ、階段を上りきった先、塔のてっぺんに近い場所に、その部屋はあった。
兵士が二名、扉の左右を守っていたが、近づいてくる人物たちの正体をひと目で察すると慌てて下がる。
「この先に入ることを我々は許可されておりません、竜人の方々だけでご入室いただけますか。私はお二人が「卵」の君に面会なさっていると、上司に報告してまいります」
その「上司」からの叱責を覚悟しているのか、今にも泣きそうな声でそういうと、近衛は扉を守っていた兵士たちを伴って階下へと降りていく。
(たまごのきみ……)
語彙的にも面白かったし、卵を主君のように呼んだこともおかしかった。
カイルはかすかに笑ってしまったが、アルファは一切気にかけていなかったようで、とっとと扉をあけていた。
カイルとアルファ登場。
カイルは絶大な力を持つ竜人の一人、赤い髪の生真面目な好青年です。
若さゆえ、本人の意図に関係なく、その真面目さが脱線して愉快なことになりがちです。
その力の真価はいずれ。
盗賊団退治の話は外伝で書いたのですが、UPする機会があればいつかお見せしたいと思います。
アルファは恐ろしい威圧感を持つ無愛想で強力な竜人です。
ですが頼まれると嫌とは言えない性格のようで、今回も遠くウェスタリアまでうっかりやってきてしまいました。




