21・☆黒竜公と少年
ご訪問いつもありがとうございます。
最近の恒例ですが、挿絵がありますのでご注意下さい。
描きたい気持ちのときは、なるべく入れていけたらな、と思います。
バナードは産まれて初めて城の中に入り、美しいビロードの絨毯を土足で踏むことに罪悪感を覚えていたが、御者のおやじに案内されて連れて行ってもらった医務室が質素なつくりだったので心底ほっとした。
通っている学校の保険室を十倍きれいにしてうんと広くした「だけ」という雰囲気。
なにせ他の場所は綺麗なだけではなく、どこもかしこも高級そうな家具や絵画にあふれていて、もし万が一、どれかひとつでも壊してしまったら一生かかっても弁償できそうにない。
それに比べたら、医務室には触ったら割れそうな美しい壷も、汚してしまいそうな絵もない。
並べられている品物も、見知った薬品や道具が多かった。
違っているのはやたらにベッドが沢山あったことと、レンガ造りの校舎と違い、壁が真っ白でつるつるした石造りだったことぐらいだ。
もうひとつ学校と違う点、医務室にはメガネをかけた若い女医がいた。
下町にある学校の医務室には常駐の医者などいない。
軽い怪我ならそのへんにいる先生が手当てしてくれたし、大怪我だったら親と医者が呼ばれてくる。
その医者も、今年七十歳になるじーちゃん先生だった。
じーちゃんとはあきらかに違う若々しい女性が白衣の胸元から羽ペンを取り出してニッコリ笑う。
「ぼうや、名前と年齢は?」
「バ、バナードです。年は10歳……」
「ふうん、なかなか男らしい、いい名前だ」
メガネの奥の瞳をキラリと輝かせ、女医はバナードに近づく。
「あたしはメリンダ。城の中では主に兵士たちの治療を担当してる。でもいつかそのうち成り上がって、王族の方々を治療するのが目標なの」
「……」
会って早々女医の野望を聞かされたバナードはポカンと口をあけたが、あえて突っ込んだりはしなかった。
そんな患者の様子を一切気にしないままメリンダは続ける。
「だってバナードくん、あなた知ってる? ルーク殿下もシリウス殿下も、そりゃあもうイイ感じなんだよ。絶対に出世して治療させていただきたい! 治療じゃなくて健康診断でもいい!」
両手を胸元で握り締めながら熱く語る。
「は、はあ。ルーク殿下、にはお会いしたことないけど……」
産まれて初めて「殿下」などという敬称を使ったバナードはなんだか少し照れくさかった。
それにしてもこの女性はちょっと危険な感じだ。
「あ、ごめんごめん、つい、盛り上がっちゃった。で、君はどんな怪我したの? シリウス殿下を助けてくれたんだって?」
「助けてはいないよ。助けられたんだ」
そのときの事を思うと今も胸がチクリと痛んだ。
あんなに細くて華奢なシリウスにかばわれて、そのシリウスは大怪我をしたのだ。
自分の方は放り投げられて背中を打ったけれど、今は治癒の魔法のせいもあってほとんど痛みはない。
メリンダは、ふうん、と頷いてから、ニヤリと笑う。
「でもさ、シリウス殿下は、バナードが助けてくれたから無事だったっておっしゃってる。あたしとしては主君のお言葉を優先しないとね。シリウス殿下を助けてくれてありがとう。うちの城の人間ってさ、みんなあのかわいらしい王子様が大好きなんだよ」
話しながら、メリンダはバナードの体を点検しはじめた。
「特にさ、なんでか城に居座ってる赤竜公と黒竜公が、シリウス殿下にベッタリで、甘いし過保護だしやきもちやきだし、護衛だからって一日中シリウス様から離れなくって」
「えっ、黒竜公と赤竜公って竜人のことじゃないの!? 竜人がこのお城にいるの?!」
「そうだよ、あたしも最初は怖かったんだけどさ、でも二人とも殿下のことしか頭にないし、殿下に害にならなけりゃ怒ることもない。赤竜公なんかはわりと他の人にもやさしいし、見てるだけならどっちもドエライ美形だから見られた日はラッキーだ。……ほい、治癒魔法が早かったから問題ない。骨にも異常はないし、何日か痛いときもあるかもしれないけど湿布をやるよ」
湿布がどうとか言われても、バナードには何も考えられなくなっていた。
シリウスが王子だというのも驚きだったけれど、今思えばシリウスの言動は王子にふさわしいものばかりだったように思えるし、見た目だって、言われて見ればいかにも王子な雰囲気だったから、まあわかる。
でも「竜人」がシリウスにベッタリとはどういう意味なのだろう。シリウスの護衛?!
竜人が誰にも忠誠を誓わないのは、この世界の人間なら言葉をしゃべらないような小さな子供だって知っている理だった。
それに、王子は世界中にきっと二百人とか三百人とか、もしかしたらもっといるけれど、竜人は世界に四人しかいないのだ。
バナードにとっては御伽噺の中の住人と大差ない生き物だった。
その四人のうち、二人がここにいるなんてとても信じられない。
「ね、ねえ」
「ん?」
詳しく聞きだそうとしたその時だ、医務室の扉がノックされ、メリンダが返事をすると同時に黒い髪の青年が入ってきた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「失礼する」
「おや、黒竜公殿じゃないですか、シリウス殿下はお休みに?」
「黒竜公様!?」
バナードは椅子の上で硬直した。
部屋に入ってきた黒髪の青年は、バナードがいままでみたどんな人物よりも力強い魅力に満ち溢れていた。
一目見ただけでその強さが伝わってくる。
比較的ラフな黒いジャケットを着たその青年は、長身をかがめることもなくバナードを見下ろした。
「バナード殿というのはそなたか」
「は、はひ!」
声が上ずってしまったが、それでも返事ができただけ上等だった。
誰かに「殿」などと呼ばれたのは産まれて初めてだ。
黒竜公と呼ばれた青年は、黒曜石のようにきらめく瞳をバナードに向ける。
バナードの方は見つめられただけなのに、魔法にかけられたように何も考えられなくなってしまった。
とにかく尋常でない力の差が本能的に怖かったのだ。
怯えるバナードを黒竜公は笑ったりしなかった。
ほんのわずかだが表情をやわらかくし、バナードの前に膝をつく。
「!?」
これにはバナードだけでなくメリンダも仰天したが、黒竜公、アルファはバナードの手をとり頭を下げた。
「我が君をお助けいただき心より感謝する。勇者に敬意を。――なにか礼をしたいのだが、希望はあるか」
「れ、れい!?」
「俺にできることならなんでもかまわない」
バナードは大いに慌てた。
動揺したうえに混乱し、さらには慌てているのだからまともに思考もできなかったが、それでもなんとか、
「オ、オレ、シリウスを助けてなんかいません。助けてもらったんだよ」
と、伝えることが出来た。
「だが、我が君は、バナード殿が敵の一人を蹴り倒したとおっしゃっておられる」
「……けとばしたのは本当だけど、相手はすぐ元気になっちゃったし、結局逃げられなかったんだから意味ないよ……」
そのときの事を思い出してバナードはまた悲しくなった。
だが、怖いと思っていた黒竜公が優しいなまなざしで自分を見ているのに気づいて悲しい気持ちはすぐに吹き飛んだ。
なんだかすごく勇気付けられる視線だ。
「バナード殿、我が君は、他にもそなたが仕事の途中に抜け出してまで、親切にも長い時間をかけ道案内をして、目的の店までつれていってくれたとおっしゃっておられる。沢山話をして楽しかった、とも。バナード殿がいなかったら、我が君は道に迷ったまま、もっと恐ろしい事態になっていたやもしれぬ」
「……うん、道案内は楽しかったよ。シリウスは髪を切りたいんだって言って、でも、オレ、切って欲しくなかったんだ。だから途中で説得したんだけど、シリウスってかわいいくせにわりと強情で絶対床屋にいくって言ってきかなかったんだ」
そういうと、驚いたことに黒竜公が微笑んだ。
「われら城内の人間の気持ちを理解してもらえてありがたい。あの髪を切るなど、そんな暴力的なこと、いったい誰にできようか」
部屋の中の三人は、はじめて共通の想いで頷きあったのだった。
「バナード殿がすぐに希望を思いつかぬのであれば、いつでもいい。城に来て申し付ければ私が叶えよう」
「ほ、ほんとうにオレ大丈夫ですから、気にしないで下さい」
「そうはいかぬ。我が君の大事、救ってくれた大功に報いるにはささやか過ぎるぐらいだ。金品でもいいし、他の何かでもいい」
アルファは立ち上がり、不適な笑みを浮かべる。
「俺にできることなら、と言ったが、相当無茶な願いでないかぎり、出来ぬことなどないと思ってかまわぬ。シリウス様の妨げにならない事柄であれば、だがな」
「は、はい」
ようやくそう返事をすると、アルファは満足げに頷き、再びいつもの無表情に戻ったのだった。
「ところで黒竜公殿、貴公はバナードクンにお礼を言うためだけに来たのですか?」
「ああ。我が君は直接お会いになりたがっておられたが、今日はもうお休み頂いたので、主に代わって礼を述べにな」
「シリウス……シリウス様はもう寝ちゃったの? 怪我は本当に大丈夫だった?」
立ち上がって身を乗り出したバナードの頭に、アルファは力強く手を乗せた。
「心配いらない。傷はもう完全にふさがっている。勝手に城を抜け出した事を反省していただく意味も込めて早めにお休みに頂いたのだ。バナード殿は私が馬車で家まで送ろう」
バナードは目を丸くして飛び上がった。
「黒竜公様に送ってもらったりしたらオレ殺されちゃうよ!」
「殺される? 誰に」
「だ、誰にって、ええと、親父とかお袋とか」
「ふむ、物騒だな」
二人のやり取りを黙って聞いていたメリンダが噴き出した。
「バナードクン、黒竜公にそういう冗談は通じないよ。素直に送ってもらいなさい」
「冗談が通じないとは心外だ」
心外だといいつつも、表情はまったくかわらないまま、アルファは歩き始める。
「では参ろう」
「えっ! あっ! ま、待って……!」
黒竜公に対して何かを断るなどという愚考はやはり無意味だったようで、バナードの意向は完全に無視されたのだった。




