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165・外の世界へ

 シリウスは手の中に残った王樹の種を大事にハンカチに包むと顔を上げて、見守ってくれている人々を見渡し、今にも泣き出しそうな顔をしているリンに差し出した。

リンの滑らかな頬を透明なしずくがこぼれていく。

震える手で、家族のように大事にしていた樹の分身に手を伸ばしたが、ハンカチの上に手のひらを当て、そっと目を閉じた後、その手を引いた。

エルフ達が心配そうに見守っている。


「メアルクス。この種は、樹があなたに授けたものです。我々ではなく」


 今まで一度も実をつけなかった樹が、命と引き換えに種を託したのだ。

だがシリウスは首を振った。


「でも、この樹はここでしか育たないかもしれないよ」


 土も、水も、この土地はすべてが他の世界と違っている。

シリウスは手の中の銀の種をじっと見つめた。

銀竜が創ったという白銀の樹の種だ。ふさわしくない場所へ植えて枯らしてしまいたくない。


 だがエルフの長、ガウディもリンと同意見のようだった。


「王樹は、飽くほどここに動けないまま存在し続けたのです。枯れることも、増えることも、移動することも、かなわなかった。その気になれば外に出られる我々とは違い、外の世界をしらないまま、何千年もここに閉じ込められていたのです。

きっと、自分の分身には外の世界を知ってほしかったのでしょう。たとえ、ここのように力ある巨木になることはかなわなくとも、もしも、枯れてしまうとしても……」


「うん……」


 もしも人のように意思あるものが、何千年もひとつの場所から動けなかったら、いつか外の世界を夢見るかもしれない。


「ワグナー、ハンカチ持ってる?」


「へ?!」


 いきなり聞かれて、つい変な声を出してしまったが、ワグナーは慌てて自分の内ポケットから絹のハンカチを取り出した。


「リン、ガウドリエルさん、樹がそう望むのであれば、ぼくは種を持ち帰って、植物に詳しい人に種を諾してみようと思う。でも全部じゃなくて、少しだけ」


 銀の種の半分を、ワグナーのハンカチに移した。

自分のハンカチに包んである残りを、リンへ差し出す。


「半分……。この子達には冒険してもらうけど、残りはここのみんなで大事に育ててあげて」


 今度はリンも残りの種を受け取った。

胸元まで引き寄せ、抱きしめるように目を閉じた。

ガウドリエルも頷いている。


「この土地はもう完璧な隠れ里としての機能を失った。里を常に魔力で満たし、隠してくれていた樹が半分に減ったからだ。

今はまだ無理だが、樹が育ち落ち着いたら、いつかあなたの世界への道を完全に開こうと思う。

……あなたが魔人と和解したいというのであれば、きっと我々も力を貸して差し上げられる」


 伏せられた白銀の睫が震え、細く長い指が強く握られていた。


「我々は変化を恐れ、ひたすらに安定を求めていた。その結果がこれだ。もしも魔人がここに来る前にあなたが封印されていたら、樹とともにここはあとかたもなく消え去っていたかもしれない。

どうか我々の浅慮をお許しいただきたい……」




 シリウスは魔物に荒らされた土地と樹を見渡した。

戦っていたエルフたちの服も紙魚に襲われボロボロだった。

もし、もう一度襲撃されたら、今度こそ樹は全滅してしまうかもしれない。


 シリウスの心配そうな表情を見て、何を考えているのか察したリンがうなずく。


「我々も戦えますから、大丈夫ですよ」


「でも……」


 確かにシリウスにはこの隠れ里を修復する力がなかった。

けれどふと思いついて顔をあげる。


 銀のドームに覆われた空を見上げ、紫の瞳が無機質の宝石のように輝いた。

意識を集中し、この「隠れ里」そのものではなく、その周囲の構造を探った。

里そのものは直せなくとも助けてあげられるかもしれない……。


 かすむ銀色の空、その更に外側を金の光が覆っていく。

割れてしまった卵の殻の、その外側に、もうひとつ殻が生じるように。

完全に空を覆う寸前、わずかな隙間を残し光は広がりを止めた。

里全体に、残った穴から金の粉がきらきらと雪のように舞う。

腐った土にも、枯れた樹木にも、やさしく淡い光がいつくしむようにそっと触れ、包み込んでいく。


 地上から見える空の色は、再び鈍い白銀に戻った。

さっきまでと、何も違わないように見えるが、よく見れば白銀の空に、わずかな砂金を撒いたように、金の光が散っている。


「メアルクス、何をなさったのですか?」


 シリウスは、ふう、と大きく息をついてから、リンだけではなくみんなを安心させるように微笑んだ。


「この世界の外側に、もうひとつ「世界」を作ったんだ。覆ったというか、飲み込んだ感じだよ。――これでまた隠れられると思う」


「!」


「?」


 エルフたちは目を見開き、少年騎士たちはわけがわからず顔を見合わせた。


「世界を創った……」


「たとえで言っただけで、ほんとはそんな大げさなものじゃないけど。なんにもないただの空間だから……」


 シリウスは謙遜したが、エルフたちは驚愕していた。

銀竜が実験を重ね、長い年月をかけて作り上げてきた小さな世界、隠れ里。

完全に独立した空間を構築するため、彼は試作を繰り返し、苦労してここを創ったが、この少年は実にあっさりとやってのけた。


「ぼくがここを出たら、空に残ってるあの隙間も完全にふさがる。以前と同じように門を作れるけれど、出入りするとき、もう大森林を使わないほうがいい。

あとでウェスタリアのセントディオール城とつなごう。あそこはアルファたちが完全な結界を作っているから、魔人たちも簡単には入れないんだ。ぼくが帰ったら道を開く。

もしかしたら何ヶ月か、かかるかもしれないけど、それまで待っていてくれる?」


「メアルクス……」


「お待ちしております、われらが光よ」


 エルフたちがその場に膝をつき、彼らの光にむけ、深く頭を下げた。




 わずかに残った空間の裂け目から再び金竜が飛び去り、エルフの里は静寂に包まれていた。

光の残滓が里に淡く残っている。

その金の光を見つめながら、教会の前でリンがつぶやいた。


「……きっと、お待ちしております。竜人と魔人とをつれたあなたを」


 空の裂け目はゆっくりとふさがり、エルフの里は再び白銀にかすむ空に覆われた。


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