162・めざす未来
「もう一度ぼくを封印?」
木に触れていたシリウスはリンを振り返り、紫の瞳を向けた。
「でも、まだ封印は完全に解けていないって……」
「気づいておられなかったのですか? 封印は先日竜人たちによって解放されてしまいました」
「えっ……」
竜人たちは誰もそんなことは一言も教えてくれていなかったのでシリウスは驚いた。
なぜそんな重大なことをアルファたちは教えてくれなかったのだろう。
「魔人があなたを殺してしまってからでは遅い。世界は終焉を迎えることになる。その前に、もう一度封印を施すべきです」
正論のような、むちゃくちゃなような、思ってもいなかったことをいきなりいくつも告げられて、いつも泰然としているシリウスもさすがに少しの間呆然としてしまった。
だがリンはシリウスを急かしたりはしなかった。
「銀竜は手始めに竜人を創ろうとしてその試験としてエルフを創った。寿命は長いし、人に比べて魔力は桁違いですが、結局竜人には遠く及ばない。銀竜はここを去ってしまったので、彼が最終的にどうやって竜人に匹敵する強さを持った魔人を創ったのかは想像でしかありませんが、自分の一部を分け与えたのだろうと言われています」
シリウスは質問を挟まず、黙ってリンの言葉を聞いた。
「ここを立ち去った時点で、銀竜はおそらく世界の創造を諦めた。あなたのための世界を……」
「ぼくのための世界……?」
リンは頷くと白い木に触れた。
「銀竜は魔人の長となり、この世界を滅ぼすつもりなのです。あなたの魂と力を支配下におき、あなた自身に完璧な世界を創りなおしてもらう為に。ですがあなたが封印されれば目的を見失う」
呆気にとられているシリウスはうまく言葉が返せなかった。
さまざまな前提が理解できず、言葉の意味はわかるけれど、内容に納得できない。
シリウスが困惑している様子はしっかり認識しているはずなのに、リンは言葉を切らなかった。
「世界を滅ぼしたくないのであれば、あなたはここに留まるべきです。封印が怖いのであれば、意思が固まるまではここで暮らすのでもいい。完全に隔絶された里ですから、竜人も魔人も入ってこられない。ここを作った銀竜ですら入れないのですから」
今度こそ、リンは黙った。
じっとシリウスの反応を待つ。
シリウスは長い間目を閉じて考え込んでいたが、やがてアメジストのような瞳を開いてきっぱりと答えた。
「いますぐに兄上たちのところへ帰る」
「!」
まったく予想外の返答だったようで、今度はリンのほうが驚いた。
「では世界は滅びるしかない!」
「そんなこと、ないよ」
まだ少し顔色が悪かったが、シリウスはためらわない。
「ぼくには守ってくれる友人たちがいる。ぼく自身も戦える。――それに」
まっすぐにリンを見つめ、笑った。
「ぼくは魔人たちと友達になりたいんだ」
ワグナーたちが教会の入り口でシリウスを待っていると、不意に中から声が響いた。
「お待ちください! もう少し話を……!」
「放して!」
三人の少年は顔を見合わせ、ためらわず扉を蹴破った。
エルフの青年が、シリウスの腕をつかんで引き寄せようとしている。
「殿下を放せ!」
すかさず駆け寄ろうとしたのはハイドだった。
リンが小さく呪文を唱え、腕をかざすと少年たちの正面にまぶしい鏡のような光が広がった。
三人を飲み込み空間転移させる。
――はずだった。
「……なっ!?」
転移魔法に飲み込まれたはずの少年たちが変わらずそこにいるのでリンは眉根を寄せる。
指輪の力で魔法を相殺したのだが、急激に魔力を失ったハイドがよろめき、バナードが支えた。
リンの指が緩んだので、シリウスはエルフの青年から自分の腕を引き剥がし、バナードたちのもとに自分から駆け戻った。
「兄上たちのところに帰ろう!」
ワグナーがシリウスを守り、バナードがハイドに肩を貸しながら教会の外に出る。
建物の外には、さっきまで姿を隠していたエルフたちが大勢シリウスたちを取り囲んでいた。
リンも教会から出てきて、仲間たちに首を振る。
そんな中、身に着けているものからもっとも位の高いと思われる人物が一歩前に出て、大きくため息をついた。
「メアルクスよ、私はこのものたちの長、ガウドリウスと申します。ガウディとお呼びください。この地はどこからも隔絶され、完璧に平和な場所です。
銀竜の目指す世界の一端でありエルフの土地だからです。――封印されることが怖いのであれば、今すぐ決断する必要はありません。ここで眠るにあたって、まずはこの地でお過ごしになり、十分にお考えになってから、お決めになっては。いっそ、100年、200年あとでもかまいません」
位が高く見える、と言っても、エルフの長は人間の年齢にすれば30にも満たないように見えた。
おそらく竜人や魔人と同じく老化が止まってしまうのだろう。
その青年に向け、シリウスが一歩前に出た。
ワグナーがすかさずその隣に立つ。
「世界は滅びない」
シリウスはきっぱりと言った。
「ぼくはここを出て竜人たちと生きる。――かなうなら、魔人たちとも」
エルフだけではなく、ワグナーたちも驚いてシリウスを見たが、シリウスはまっすぐに前を向き、瞳を輝かせて笑った。
アレスタでジオと会話することがなければ、エルフたちの要請に従っていたかもしれない。
けれど今のシリウスには夢があったし、きっと叶えられると信じてもいた。
「大丈夫、きっとわかりあえる。――今は無理でも、あなたたちとも」
「せめてあと数日……」
「ううん、今すぐ帰る。兄上やカイルたちが待っているもの」
晴れやかな笑顔を見せ、ワグナーに頷くと、友人の意を受けたワグナーはシリウスより前に立ち、エルフの長に向かってためらわず言った。
「今すぐ殿下と私たちを元いた場所へ戻すよう要請する」
「黙れ人間。そもそも人がこれほどまでにおろかでさえなければ、銀竜は世界を滅ぼそうなどとはしなかったのだ……!」
憎憎しげに三人の少年騎士たちを睨んだが、ワグナーもバナードもハイドも、誰もひるまなかった。
シリウスを守るという重大な使命に誇りを感じ、異空間を恐れる気持ちは消え去っていたからだ。
だがエルフたちも引かない。
「私たちが空間を開かぬ限り、ここから出ることはできない。……メアルクス、我々はあなたの事を想って提案しているのです。
過去の悲劇を繰り返せば、竜人たちは再び絶望の淵に落とされ世界は混沌に陥るでしょう。そうならずとも、世界の滅びを目にすれば、あなたが一番つらい想いをなさるのですよ。
そんな事態になる前に、この地でわれらの守護を受け入れるべきです」
「ぼくは殺されないし、世界は滅びない。封印も遠慮させてもらう。みんなを二度と悲しませないって約束したんだ」
やさしく、諭すように、エルフたちを安心させるような声音だった。
死んだりしない、と前世の自分と約束したのだ。
「あなたたちが出口を開いてくれないのなら、自分で帰る」
言うと同時にシリウスの全身が金色の光に包まれた。
白銀の世界にまぶしく暖かな光が輝く虹となって反射する。
エルフの里に光が満ち溢れ、凝縮し、シリウスのもとへと集まった。
集まりきれなかった鱗光がホタルのようにゆっくりと飛び散っていく。
シリウスを引きとめようとしたエルフたちも、少年騎士たちも、等しく口を開け呆然とその場に立ち尽くした。
シリウスのいた場所に、金の羽毛に覆われた神竜が立ち、黄金の翼を広げて一声甲高く鳴いたからだ。
竜の声、と言うよりも、巨大な水鳥に似た澄んだ声。
声を向けた先、白銀の空が円窓のように開き、満月が輝く星空が広がった。




