158・消失
その日、昼食までに到着予定だった湖には、予定よりもずっと遅れた夕方の到着になってしまった。
途中の街道で、思いがけず巨大な倒木があり、それをどかすため、通りがかったほかの旅人たちとも協力し合い、苦労してどかしたのだが、そのせいで大幅に予定が遅れてしまった。
ルークはロンと相談し、その日はそれ以上進むことをあきらめた。
大森林を夜間に進むと馬も怯えるし、遭難者が出る恐れがあるからだ。
それほど急ぐ旅でもないので、無理はせず、明日の朝まで湖のほとりで過ごす事に決め、キャンプの準備をはじめた。
―・―・―・―・―
シリウスはバナードたちがせっせとキャンプのために働いている様子を眺め、それからそっと近づいてみた。
「何をしているの?」
覗きこんだのは、野菜を切っていたハイドの手元だ。
いきなり現れた王子に、ハイドは包丁を取り落としそうになったが、なんとかとどまった。
「はっ、はい! ただの下準備です!」
「その野菜、スープにするんだよね? お水汲んでくるよ」
「そんなまさか! 自分たちがすべてやりますから、どうかお休みになっていてください!」
「大丈夫だよ、すぐそこで汲むだけだから」
「とんでもございません!」
ハイドの必死さはかなりのものだったし、やりとりを聞いていた周囲の人間も頷いている。
シリウスについてきていたフォウルも、昨晩のシリウスの「昼食をつくるのを手伝う」という言葉が本気だったようなのでどうやって止めるべきか思案している。
とりあえず、そっと袖をくわえて引っ張ってみたが、主人はフォウルの頭をなでてくれただけで引かない。
少し離れた場所にいたワグナーも、シリウスが何をやっているのか察して近くまでやってきた。
バナードはすぐ横でジャガイモを剥いていたのだが、イモをその場に置き、バケツを手に取った。
「オレが水を汲みに行って来ます」
「一回じゃ足りないでしょ? ぼくも行く」
「わ、私も参りますから、ご心配なさらないでください殿下。テントで待っていてくださったら、きっとおいしい夕食を作って差し上げますから」
バナードに続いてハイドも名乗りをあげ、小走りで水を汲みに行ってしまった。
二人の後姿を眺め、シリウスはため息をつき、隣に立っているワグナーに声をかけた。
「やっぱり難しいね」
「そりゃそうだ。でもついていくんだろ?」
「うん」
ついていく、と言っても、湖のほとりなのだから、水はすぐそこで汲める。
カイルとアルファはすぐ傍らにはいなかったけれど、一瞬もシリウスから目を離していなかったし、
危険なものは周囲にないと判断し、ワグナーも頷いた。
この素直で純粋な少年が、あの騎士見習いたちと打ち解けていく様子を見届けたくなったのだ。
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少年たちのやりとりを見ていたカイルが、こっそりアルファに話しかける。
「どう思う?」
「どう、とは?」
カイルは愛しい主人から視線を外さないまま、続けた。
「シリウス様は、騎士見習いたちをご友人になさりたいようだが、うまくいくと思うか?」
「難しいだろうな」
「何かお手伝いするべきでは」
どうやらカイルは、シリウスが一人で空回り気味なのを心配しているようだった。
心配しているのはもちろんアルファも同じだったが、カイルとは意見が違った。
「我が君にはすでにワグナーとバナードという友がいる。我が君がたくさん友人をほしいと思っておいでな事は承知しているが、もし今回上手くいかずとも我が君はさまざまな事をお学びになさるだろう。それにわれわれが手伝えることは何もない。かえって少年たちを緊張させてしまう」
「そうかもしれないが……」
いま、シリウスと一緒にいるのは、ワグナーとバナード、それに、この中で唯一いままでシリウスと接点のなかった貴族の少年ハイドだ。
だが、本来友人であるバナードがよそよそしい態度のままだったので、カイルはシリウスが落ち込んでいるのではないかと心配で仕方がない。
何かできるなら手を貸してあげたかった。
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シリウスは、水桶を持った二人のあとを歩き、ワグナーはそのすぐ後ろをついていく。
フォウルはさらにその後ろだ。
「な、なあ、バナード、殿下は本気で俺たちを手伝ってくださるつもりなのかな」
ハイドはコソコソと、同級生に話しかける。
話しかけられたほうはシリウスのことをよく知っていたので、もちろんあの王子が本気だということはわかっていたが、とりあえず肩をすくめるだけにとどめた。
湖は青く澄んでいて、近くによると小魚が群れを作って泳いでいる姿が見えた。
食料調達班の見習い騎士数名、つまり、バナードたちの先輩が、魚釣りをしている。
下準備をしているバナードたちと、魚釣りの班以外の騎士達は、森の中へ狩りにでかけた。
森には鹿やウサギ、山鳥などの、食用になる動物たちがたくさんいたからだ。
保存食はもちろんたくさん持ってきてはいたが、可能な限り現地で調達する予定だ。
竜人たちは、とりあえず、それらの食料調達には関わらなかった。
騎士たちの訓練もかねていたからだ。
もちろん今後食糧危機におちいるような事態になれば手を貸すけれど。
だからフォウルも、その気になれば水などいくらでも調達できたけれど、子供たちの水汲みに手を貸さずに見守るだけにとどめている。
シリウスは透き通る湖の水に近づいて、手を伸ばした。
水は思っていたよりもずっと冷たくて、こんなに冷たい水の中に魚が元気で泳いでいることが不思議だった。
「ねえ、フォウル、魚は寒くないのかな?」
フォウルは答えず、ただシリウスを見上げた。
ハイドとバナードが水を汲んでいる。
その手元を覗き込み、シリウスは笑いかけた。
「魚は入らない?」
「魚は素早いのでそんなに簡単には……」
バナードが答えかけてシリウスの顔を見ると、シリウスは紫の瞳を湖ではなく、森のほうに向けていた。
シリウスは、しゃがんでいた腰を伸ばし、森に真剣な視線を注いでいる。
金の髪が、森から吹くかすかな風になぶられて炎のようにゆれた。
主人の様子に気づいたフォウルも森を見た。
風にざわめく森に、特に異常は感じられない。
シリウスは少年たちから数歩離れ、森に近づいた。
「シリウス?」
ワグナーが声をかけるが返事をしない。
バナードとハイドも王子の様子が気になり水桶を置いて立ち上がった。
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アルファとカイルも、シリウスが立ち尽くして森を凝視していることに気づいた。
彼らもこの場所に到着してからずっと、危険がないか探知していたが特に異常はなかったので少しだけ離れた場所にいたのだが、顔を見合わせシリウスに向け歩みはじめる。
「シリウス様?」
カイルが声をかけ、アルファが眉をしかめた。
赤竜カイルの不安げな声を聞いたルークも振り向いて弟の姿を見る。
「ワグナー」
森を見つめたまま、シリウスが友人に声をかけた。
「バナード、ハイドも、ぼくの近くに」
「え?」
三人の少年たちが聞き返したその瞬間、彼らの足元の空気が蜃気楼のように揺らいだ。
「シリウス様!」
カイルが叫び、シリウスから数歩離れた場所にいたフォウルが振り向いた。
だが竜人たちが駆け出すより早く、彼らの魂よりも大事な存在は空気に溶けるようにして歪んだ風に巻き込まれ、一瞬で目の前から消え去ってしまった。
三人の少年たちと一緒に。
連載を再開してからも、何事もなかったかのようにのんびり旅をしていましたが、ようやく事態が動き始めました




