13・竜人とウェスタリア (ルークside)
私の友人が久しぶりに城へ遊びに来たのは、シリウスが卵から生まれてから1ヶ月目の事だった。
尋ねてきてくれたのは士官学校の同級生で幼馴染のロンだ。
彼は私が物心つく前からの友人であり、彼の両親は私の両親の友人でもある。
国王夫妻である私の両親が気兼ねなく話せる、数少ない本物の友人だ。
だから父上も母上も、私と同じ年に生まれたロンと私にも、同じような友誼を持ってほしいと思ったのだろう。
毎日のように城に通ってきてくれた彼と私はすぐに親友同士になった。
まさに親たちの思惑通りだったわけだが、そんなことはどうでもよかった。
私にとっては、ため口で嫌味を言いあったり、適当な姿勢で適当な本を読んでいてもお互いになんとも思わない、唯一の相手だ。
一ヶ月もの長い期間、私がロンと会わなかったことはあまりない。
だが今回は士官学校が長期の休みに入っていたことと、この一ヶ月、何かとゴタゴタしていたこととが重なり、ほとんど外出することもなくずっと城に篭っていた。
時間に余裕ができれば少しでもシリウスと一緒にいたかったせいもある。
しかしあれから一ヶ月がたち、私や、私の家族、城につめている兵士や竜人たち、つまりシリウスに関係している人間すべてに生活のリズムが生まれて余裕がでてきた。
一ヶ月も音信不通だった不実な友人である私を、ロンは責めたりはしなかった。
「久しぶりだね」
のんきに片手をあげて私の部屋に入ってきた彼は、いつもとまるで変わりがない。
ロンはいつも砂色の髪を後ろでひとつに束ね、やや目じりの下がった穏やかな顔をしている。
私と一緒に士官学校に通っているが、ロンは武芸よりも座学の方で成績がよかった。
ロンは私の弟が、卵だったころの事を知っている。
むしろ「卵」の弟しかしらない。
まだあの卵から、世にも愛らしい天使のような子供が生まれた事を知らないのだ。
あの卵について、ロンは沢山の文献を調べ、助言もしてくれた。
それらは得てしてあまりよくない情報であることが多かったが、それでも彼が真剣に私や家族を心配してくれていることが嬉しかった。
「最近さっぱりお誘いがないから、ボクから遊びに来てみたんだけど、今日も忙しいかったかい?」
「いや、まあヒマってわけじゃないが、忙しいってわけでもない。お前が来てくれたなら紹介したい相手もいるし、ちょうど良かった」
いまひとつ歯切れのよくない返事にロンは首を傾げたが、それでも嬉しそうに笑ってついてくる。
シリウスの部屋に向かいながら、私は事情を説明した。
「……ロン、例の「卵」の事なんだが……」
「ああ「卵」ね、どうだい? 何か変化はあった?」
「実は、卵がわれた」
「わ、われ……っ!?」
そのときのロンの顔は、私も見たことのない複雑なものだった。
一番はもちろん驚きだが、そのあとどういう表情をしたらいいのかわからない、というような。
いつもは細い目が、いっぱいに見開かれている。
「はははっ」
私は思わず笑ってしまった。
すると途端にロンがむくれる。
「からかったんだな。まったく、国民をからかうなんて、次の国王としてどうかと思うよ」
そうは言ってもロンも微笑んでいた。
「いやすまない。でも割れたのは本当だ」
「えっ!?」
「ちゃんと子供が出てきた。男の子だ」
ロンはその場に立ち止まり、まじまじと私を見つめる。
「冗談……じゃない、んだよね?」
「もちろん、本当だ。これからその子に会ってくれるか?」
数秒の間、ロンはポカンと口をあけて私を見ていた。
だがすぐに駆け寄ってきて、すかさず私の両手をとった。
「おめでとう! ルーク!」
見ればロンの細い目じりから涙がこぼれている。
「ルークはずっと、弟に会いたがっていたから、きっと神様が願いを叶えてくださったんだよ」
ぶんぶんと私の両手を上下にふりながら、興奮冷めやらぬ様子だ。
「ありがとう、ロン。……ロナルド……」
私もなんだが泣けてきた。
シリウスという、最高の弟の存在が、あらためて奇跡のように思えてきたからだ。
二人で廊下を歩いたのはそれほど長い距離ではなかったが、私もロンもなんとか心を落ち着けて、シリウスの部屋の前にたつ。
ここに到着するまでに、シリウスが生まれたときにすでに7、8歳ほどの外見年齢に達していたことや、言葉もちゃんと理解できることは説明した。
あとのことは、まあ、見れば大体わかるだろう。
大体、というのは、あれだ、竜人たちのこととかだ。
あいつらの事を詳しく説明するのはなんというか、正直気が乗らないし、複雑すぎて面倒くさい。
扉をノックすると、かわいらしい声で「はい!」と元気の良い応答があった。
ロンと視線を交わす。
「シリウス、ルークだ。今入ってかまわないか?」
声をかけると返事の代わりにパタパタと軽い足音が近づいて、扉が内側から開いた。
「兄上!」
すかさず私の腰の辺りにだきついてきたのは、もちろん私の大事なシリウスだ。
「ははは、元気だな」
さらさらの金の髪を撫でてやると、くすぐったそうに首をすくめる。
シリウスは顔をあげて、それでようやく私の隣に立っているロンに気づいた。
大きな紫の瞳を向けられて、ロンが硬直している。
「兄上、この方は……?」
「私の友人だ。紹介したくて連れてきたんだよ。ロン、この子がシリウスだ。シリウス、友人のロナルドだよ。ロンと呼んでいる」
するとシリウスは礼儀正しくぴょこんと頭を下げて、
「はじめまして、シリウスです。よろしくお願いします」
と、身分の差を感じさせない子供らしくかわいい挨拶をした。
それまで失礼なほど微動だにせずシリウスを見つめていたロンだったが、シリウスに挨拶されてハッとしたのだろう、慌ててその場に膝をついた。
「シリウス殿下、初めてお目にかかります、ロナルド・ヴィ・フォレストと申すものです。今後たびたびお目にかかるかと思いますが、お見知りおきを」
などと、これ以上ないほど固い挨拶をしていた。
「ロン……、お前、私に対しては砕けまくっているくせに……」
つい私が恨みがましい口調になってしまうのも仕方がないだろう。
だが我々二人よりシリウスはもっと大人だった。
「ぼくも「ロン」ってお呼びしてしまっていいのでしょうか」
「も、もちろんです!」
「じゃあ、ぼくとも、兄上と同じように普通にしゃべってね、敬語じゃなくて」
ニッコリ笑って、ロンの手を握る。
私は私の友人が、一瞬にして弟に悩殺される瞬間をじっくり観察した。
しかしシリウス本人は、もちろん相手を悩殺している自覚など皆無なので、
「ぼくの友達も紹介するから中に入って!」
部屋の中に駆け戻ってしまった。
「友達?」
ロンが私を振り返る。
「……ああ、お前、気をつけろよ」
としかアドバイスしてやれない。
竜人たちは私に対して「シリウスの兄」として、一応それなりに遠慮してはいるようだったが、もしそうじゃなかったら、私など道端の石と代わりない存在であるに違いない。
私に続いてロンが室内に入ると、案の定、竜人二人がロンの事を上から下までじっくりと観察している。
持ち込まれた家具が安全な代物かどうか、品定めしている目だ。
「こっちがアルファで、こっちがカイル、二人とも、ぼくの友達だよ!」
シリウスがそう紹介すると、竜人二人はそろって動揺した。
「我が君、友人などと、もったいのうございます。俺たちは単なる僕にすぎませぬ」
「シリウス様、お言葉は嬉しいですが、私もアルファと同じです。友人だなどと恐れおおい」
などと口々に言うのだけれど、シリウスは全然気にしていないようだった。
竜人たち以上に困惑している様子なのは、もちろん我が親友、ロナルドだった。
部屋に立つ二人の男たちは、どう控えめに見ても、尋常な男たちではない。
小さな子供だって「あのお兄さんたちなんかよくわかんないけどすごい」と言うに違いないのだ。
「すごい」か「怖い」かは、その場の状況によるだろうが、とにかく黙って立っていても目立つことこの上ない二人なのだ。
私はロンに小声でそっと助け舟を出した。
「シリウスの護衛を申し出てくれている人たちだ」
「護衛……」
たしかに腕っ節は間違いなく強そうだったので、それで一応納得したらしい。
二人のうち、アルファがまず近づいてきたが、その威圧感は半端じゃない。
ギロリと睨む黒曜石のような瞳は、真っ黒のようでいて、緑や金の複雑な色の光を放っている。
ちなみにその視線の中に含まれる友好的な成分は限りなくゼロに近い。近いというかゼロだ。
「主人に何かしたら殺す」と無言の圧力を王太子の親友に遠慮なくかましてくれている。
ロンはゴクリとつばを飲み込んでから、
「ロ、ロナルド・ヴィ・フォレストです。よろしく」
と、けなげにもなんとか言い切った。
続くカイルはアルファよりまだマシだったが、ロンに対してまったく興味がなかったせいかもしれない。
まったく興味がない、という感情を一切隠そうとしないあたりがいっそすがすがしい。
好きの反対は無関心とはよく言ったものだ。
ロンの前に立っているくせに、美しい赤の瞳はしっかりシリウスに向けられている。
二人とも嫌味なほどの美形なのに、人生のすべてをシリウスにささげると言い切っているヘンタイたちなのだ。
いや、忠誠を誓ってくれるのはいい、大歓迎だ。
だが物事の一から十まで、全部シリウスが基準というのがどうかしている。
私をないがしろにしないのは、シリウスの兄だからで、うちの両親に敬意を払うのも、シリウスの親だから、だ。
ではシリウスの友になってくれそうな、ロンに対してはどうかというと、害にならないかぎりは果てしなくどうでもいい存在、そこらへんに生えている雑草にむける視線よりはいくらかマシ、といったところだ。
「そ、それじゃシリウス、またあとでな」
「兄上、もう行っちゃうの?」
竜人たちになんの前知識もなく出会ってしまったロンが半ば呆然としていたので、私はとりあえず一旦部屋を辞去することにした。
「勉強中だったんだろ? 兄上はロンと少し話があるから」
「そうなのですか……」
ああ、シリウス、しょんぼりしないでくれ。
少し寂しげな表情も、私が去ってしまうせいだと思うと、どうしようもなくいとおしい。
部屋を出たとたん、ロンは今まで耐えてきた我慢がもう限界という様子になり、早足で歩きはじめると、はやくはやく、と、身振り手振りで私を呼び寄せ、大急ぎで勝手知ったる私の部屋へと駆け込んでしまった。
バタンと扉を閉め、呼吸を整える余裕もなく、
「なんなんだあれ!」
と、叫んだので、私は苦笑した。
「弟だよ」
「お、弟君のことも……、驚いたが……」
急に夢見るような目つきになって口調が和らいだと思ったのだが、
「シリウス殿下のほうじゃなくて!」
そうだよな……。
「護衛の二人か?」
「本当に護衛、なのかあれ!? あんなの前から兵士のなかにいたか?!」
ロンに「あんなの」よばわりされたと知ったら、あの二人はどうするだろう。
いやどうもしないだろうな、竜人たちにとって、ロンは雑草よりいくらかマシ、ぐらいの無害かつ無意味な存在だから、何を言われたところでシリウスに害にならないかぎりは一切気にしないだろう。
「ロン、お前、あの二人がどんな風に見えた?」
私は初対面から彼らが竜人と知っていたのでそれなりに対処したが、知らない人間にはどう映るのか少々興味があった。
問われたロンは興奮さめやらぬ様子だ。
「どんな風? ……と、とにかく普通じゃないよ」
「どんなぐあいに普通じゃない?」
「どんなぐあいって……」
言い淀んでいる間に、私はすかさずロンに椅子を薦めた。
素直に腰掛けて、ロンはようやく一息つく。
「まず、あの赤い髪の……」
「カイルだな」
「ボクのことを道端の雑草でも見るような目つきで見てたし、お前に対しても大してかわらない目つきをしてたよね」
道端の雑草よりは、マシ、ぐらいだったんだぞ、あれでも。
「それに、あの黒い方も……」
「アルファだ」
「もしあの部屋でボクが殿下に触ったりでもしていたら……」
ゴクリ、とつばを飲む。
「殺されてたかも……」
表情が真剣だ。冗談がひとかけらもない。
「まあ、そうかもな」
もちろんそのとおりだったので、肯定してやった。
触ったぐらいなら許してくれそうな気もするが、まあ殺されなくてなによりだった。
「それに二人とも、みたことがないほど美形だったし、とんでもなく強いオーラを感じた。髪の色も、目の、色、も……」
そこでハッとなる。
竜人の髪や目が、よく見れば一般人にはない複雑な色をしていることを知っている人間はあまりいない。
秘密にされているわけではないが、近くでよくよく見なければ気づかないし、目にする機会がないので広まっていないのだ。
もちろんロンも実際に見たことはなかっただろうが、竜人の髪や瞳が、良く見れば金属のように複雑な光沢を持っているということは知っていた。
卵の研究をしてくれていたころ、ほかならぬ彼自身が竜人の特徴について語ってくれたことがあったから。
カイルとアルファらの容姿をあらためて思い返し、ロンは気づいたのだろう。
「まさ、か」
さすが察しが良くて助かる。
「……竜人、なのか?」
「黒竜公と、赤竜公だ。シリウスの護衛をするといって居座って出て行かない」
「!?!?」
私はつい、深々とため息をついてしまった。
今まで誰かに相談したくともできなかったことだ。
私はことのしだいを説明した。
シリウスが生まれた日の事を事細かに。
「あの竜人たちにはほとほと困っているんだ。四六時中、いっときもシリウスから離れようとしない」
額を押さえてうめいてしまう。
「夜はどちらがシリウスの扉を護衛するかでもめるし、朝は水桶を持ってシリウスの部屋に入って、着替えも洗顔も手伝ってやってる」
「せ……洗顔を手伝う?! 竜人がか?! お前それは相当におかしな事態だぞ!? 竜人はいわば国を持たない王のような存在だろう。絶対誰にも忠誠を誓わない生き物のはずじゃないか!」
おかしな事態なのは重々承知なのだけれど、どうしようもないんだこれが。
「まあな。他の侍従のやることがなくなってしまっているし、教育にも支障がでてる。そもそも私自身がろくにシリウスとゆっくり会うこともできない」
「……」
ロンはポカンと口をあけたままだ。
「おっぱらってしまいたくても相手は竜人だから、無下に扱うわけにはいかないし、本当にやっかいだよ」
「ルーク……」
「私はだんだん、彼らが竜人に見えなくなってきているんだ。あれは本当に竜人か?! お前の言うとおり、竜人ってのは国にも個人にも忠誠を誓ったりしないんじゃなかったのか!?」
はー、と、またしても深くため息をついてしまう。
ロンは疲れ果てた私の様子をみて、逆に少々普段の調子が戻ってきたようだった。
「ルークがそういうなら、本当は竜人じゃなかった、とか、ありえるんじゃないか? 竜人を騙った偽者の可能性が」
「いや……、実はあの赤いほう、カイルが竜になったところは見たことがあるんだ」
「なんだって?!」
それがどれだけ希少で、貴重で、幸運なことなのかはわかっているつもりだが、あのまま飛んで行って帰ってこなければなおよかったのにと思う。
「とにかくルーク、これは尋常な事態じゃないぞ」
「まあな」
「まあな、じゃない。きっとお前も、お前のご両親も、みんな普通じゃない事態に気が動転して気づいていなかったのかもしれないが、これは大事件だ」
「大事件はわかっているつもりなんだが」
そうじゃない、と、こぶしを握り、ロンは椅子から立ち上がった。
「他の国が黙っていないぞ。戦争になるかもしれない……!」
「!」
まさか、と、思ったが、いわれてみれば確かにその可能性はゼロじゃない。
「ルーク、国家や個人が竜人の所有権を主張してはならないというのは子供でも知っている世界の条約だ」
「……もちろん、知っている、知ってはいる、が……」
私はつぶやいた。
「……誰もあいつらの所有権を主張したりはしていない。シリウスだって……。竜人たちが勝手に忠誠を誓って強引に居座っているだけなんだ」
「事実はそうでも、他の国は納得しないだろう。赤竜公の祖国……アレスタはどう言ってきた」
「アレスタ……、いやまだ何も……。カイルも何も言っていなかった」
カイルは竜になって自国にいったん戻り、両親への説明は完了したと言ってその日のうちにさっさと帰ってきた。
「対処に時間がかかっているだけだろう。竜人の所有権そのものは主張できなくとも、生国であれば守護を期待するのは当然だ。竜人一人は十万人の兵士の価値に勝るのだから」
私は目を閉じた。
父上が、先日から重鎮たちを集めて会議を開いていることを思い出したのだ。
会議は深夜まで続き、それ以後、以前よりずっと頻繁に開催されている。
父上は予算会議だといっていたが、いつもの予算会議とはあきらかに違っていた。
だがここしばらくゴタゴタしていたので、そのせいで会議も長引いているのだろうと、そう思っていた。
「ロン、父上はおそらくそのことに気づいている」
私だけがのんきに暮らしていたというわけだ。
「……でも、おそらく私たちにはどうすることもできない」
彼らの行動を制限できる人間など、どこにも存在しないのだ。
……私の愛しい弟以外に。
ルークの親友ロナルドくん。
おだやかな顔や口調のせいでいい人そうに見えますが、国のために現実的なモノの見方ができる、有能でちょっと怖い人物です。
ややお人よしのルークを補佐してくれてます。
それから、飛んでいってそのまま帰ってこなければよかったとか言われてしまったカイル。
ロンの言うとおり、アレスタ側は現在カイルを取り戻すべく対処を鋭意協議中です。