144・対話への道
連載再開リハビリその2
「さっき、あの教室の窓から、バナードが見えた気がしたんだ」
王城に戻る馬車の中で、シリウスは竜人たちに声をかけた。
「だからつい手を振ちゃったんだけど、きっと授業の邪魔になっちゃったよね」
正面に座るアルファは笑みを浮かべ、首をふった。
「生徒たちはみな喜んだことでしょう。もちろんバナードも」
シリウスはアルファの言葉を聞くと、少しほっとしたように椅子へ座りなおした。
右隣に座っているカイルも頷き、シリウスの手を握る。
「また改めて伺いましょうね。今度はもっとゆっくり」
「そのときは、ボクは狼になっていく。自由がきくから」
カイルとアルファは、ウェスタリアですでに二年を過ごしていたため、ウェスタリアの国民が、どれだけ国王一家を敬愛しているか知っていた。
周囲に敵が多かったアレスタにいたときより、ずっと安心していられたことは間違いない。
だがフォウルとしては、守りが不十分だと感じたらしい。
馬車の中で、フォウルは狼の姿になった。
主人の足元に伏せ、顔を上げる。
シリウスが手を伸ばして耳の付け根をなでてやると、視線を合わせて切なげに鳴いた。
実を言うとフォウルは、シリウスが怪我をしたあの日から、一睡もしていなかった。
ほんの一瞬でも、気を抜いた隙に、また誰かに襲われでもしたらと思うと目を閉じることができない。
あんな怪我をさせてしまって、自分がなんのためにいるのか存在意義を見失ってしまいそうだ。
二度と失わないと誓ったのに、もう少しで再び繰り返すところだった。
昨晩はシリウスの眠るベッドの下、狼の姿で伏せたまま、悪意ある存在の気配を警戒して一睡もしなかったのだ。
フォウルだけではなく、アルファも、カイルも、眠っていない。
カイルなどは、シリウスの封印を解除するために力をほとんど使い果たし、数日たったいまも、まるで魔力が回復していない。
重症を負ったシリウスを最初に発見した彼は、当人であるシリウスが元気になった現在もまだ、ショック状態を引きずってた。
ふとしたはずみに、血溜りに横たわる主人の姿を思い出してしまうのだ。
だから、ウェスタリアに到着した昨晩は、シリウスの部屋の前に陣取り立ったまますごした。
本当は部屋の中に入りたかったのだけれど、室内はフォウルが守っていたので部屋の外を守ることで己を保ったのだった。
アルファの方は、もともとある城の結界魔法を強化していた。
城に施された守りの魔法は、物理的な敵対攻撃に対応した、かなり高度な結界だったけれど、アルファはそれに加えて、敵対意識を持つ人物の進入にも対処できるよう、魔法を構築しなおした。
それから城の各要所を歩き、地下の守りを固める準備もはじめた。
先日のように、気配を消した地下の魔物にも対処するためだ。
こちらは一晩では完了しなかったので、数日かけて仕上げていくつもりだった。
主人にとって、絶対に安全だと言い切れる場所を、なんとしても作っておきたい。
そんな風に、全員がシリウスの怪我に責任を感じ、再び同じことが起こることを恐れ、防ごうと必死になっていたが、シリウスのほうは、魔人と和解する、という新たな目標を決めたので、あまり深刻になっていなかった。
思い悩んでも何も解決しないし、竜人たちをますます心配させてしまうとわかっていたせいもある。
それよりも、家族にどこまで自分や魔人たちの事情を説明するかで、シリウスは悩んでいた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
城に帰ると、門前で待機していた騎士の一人が、両陛下がお待ちですよ、とシリウスに声をかけ、国王夫妻の私室まで送ってくれた。
いつものように部屋の中まで竜人たちがついてくるかと思ったのだけれど、彼らは扉の外で待機していてくれた。
フォウルだけはついていくつもりだったようだが、アルファがすかさず尻尾をつかんでひきとめる。
室内には両親だけではなく、兄のルークもいて、シリウスが入室すると、まず最初に王妃ジュディスがシリウスに駆け寄って抱きしめた。
「ああシリウス、おかえりなさい」
強く抱きしめられ、ただいま、と言いたかったのだけれど声が出せなくなってしまった。
母は普段とても控えめな人物で、こんな風に誰よりも先に駆け寄ってきて抱きしめられる、なんて初めてだった。
幸せな気分が沸き上がると同時に、少しだけ気恥ずかしい。
「ルークに聞いたわ、アレスタで大怪我をしたって」
母の心配そうな瞳と視線が合って、シリウスは兄と父の顔を見た。
兄がどこまで報告してくれたのかはわからないけれど、いまさらうそをついても仕方がないのでうなずいた。
「それで急に帰ってきたのね? 本当にもう大丈夫なの?」
「うん、もうどこも痛くない。みんなが助けてくれたから……」
シリウスは、今も扉の外で自分を守ってくれているはずの竜人たちをふりかえった。
「傷を見せてみなさい」
ライオネルもシリウスの近くに歩み寄り、しゃがんで大事な次男の顔を覗き込んだ。
シリウスは瞬きした。
実を言うと、自分の「傷」を、まだ見ていなかった。
怪我のあと、目を覚ましてからいろいろと慌しくて、正直「傷」のことなどすっかり忘れていた。
それぐらい、シリウスにとっては「傷」なんかのことよりも、学園の修復や留学の中断が大事件だったのだった。
上着をめくって、右の肋骨の下あたりで、皮膚が引き連れたようになっているのをはじめてみた。
大人の親指ほどの直径をした、円形の痕跡が白く確かに残っている。
ライオネルは息子の細い体に触れ、背中側にも同じ傷があることを確認した。
もう痛くないと言っていたけれど、それでもこれだけの大怪我だ、痛みを与えてしまうことが怖くて傷跡に触れることができない。
眉間に深い溝を刻み、ライオネルは歯を食いしばる。
涙がこぼれそうになったのを必死でこらえたのだった。
留学を許可したのはライオネル自身だったので、やはり行かせるべきではなかったのだと深い後悔が襲う。
「父上?」
「同級生たちを助けたんだろう? 立派だったな」
次男の美しい金髪をなでてやり、それから抱きしめる。
無事に帰ってきてくれたことが奇跡のように思える。
内臓を傷つけ、回復魔法のあとも痕跡が残るような大怪我だ、傍にいたのが竜人たちでなければ助からなかっただろう。
だが、彼らがもっと、怪我などするまえに守ってくれていたら、という思いも当然あった。
竜人たちがそうしてくれると信頼していたからこそ、大事な次男を一人で隣国へ留学に出したのだ。
詳しい顛末はルークに聞いて知っていたし、たとえ誰が守っていたとしても、事態は避けられなかっただろうということはわかっている。
わかるがしかし、理屈ではないところで、親としてはどうしても無念なのだ。
授業中にまでピッタリと傍に付きまとわれては、シリウスだって息が詰まる。
ほかの生徒だって困惑するだろう。
もしもここウェスアタリアで、シリウスが学校に通うようなことがあっても、おそらく同じように、授業中は護衛と離れることになる。
長男のルークだって、仕官学校ではもちろん一人だ。
ライオネルは立ち上がると深呼吸をして自分を落ち着かせた。
竜人たちには感謝こそすれ、決して怒りを向けるべきではない。
彼らは誠心誠意、シリウスのために、自らのすべてをかけて全力を尽くしている。
疑う余地もないことだ。
竜人以上の働きをできるものなど、この世界のどこにもいない。
彼らのせいで息子が怪我をしたのではなく、彼らのおかげで、息子は死なずにすんだのだ。
「……魔物はなぜお前を襲うんだ? 現場には魔人もいたそうじゃないか。ルークもなぜなのか知らないと言っているが、お前は知っているのか?」
「知らないけれど、ぼくが憎くて襲ってくるわけじゃないみたいなんだ。今度魔人にあったら、なんでなのか詳しく聞いてみようと思ってる」
「今度会ったら?!」
室内にいる全員、両親と兄が声をそろえたので、シリウスは目を丸くした。
「二度とお前を襲わせない」
「そうですよ、シリウス。もしもまた魔物が襲ってきたら、すぐに逃げなければ」
父と母が厳しい表情で言う。
「でも父上、母上、聞いてみないと解決しないよ。大丈夫、ぼく、何度かあの人たちと話したことあるんだ」
ウェスタリアを式神で襲った、くせっ毛の魔人ツヴァイ、アレスタで出会った植物を操るジオ。
どちらも、話をするだけなら理性的な人々だった。
シリウスに対し、懐かしむような瞳を向けてきた。
「だがお前を殺そうとしている。――いいかシリウス、魔人にも、魔物にも、絶対に近づいてはいけない。探してもいけない。わかったな」
「……でも……」
「わかったな」
重ねて言われ、シリウスは紫の瞳を伏せ視線を落とした。
彼らと和解する道を探したい。
「返事をしなさい、シリウス」
シリウスは顔をあげ、厳しい表情の父の目を見た。
「父上、ぼく、魔人たちとちゃんと話をしたいんだ。じゃないと、今度はウェスタリアも襲われるかもしれない」
アレスタで、大切な場所が破壊されてしまった、同じことを繰り返したくなかった。
今回はたまたま誰も死んだりしなかったけれど、次は守りきれるかわからない。
けれど父も譲らなかった。
「それは私たちが考える。お前はまだ子供なのだぞ」
「……」
「シリウス、確かにお前は人よりたくさんのことが出来る。竜人の方々もいてくれるから、実力以上に己を万能に感じるのかもしれないが、そうではない。出来ない事を知りなさい」
父はかなり厳しい口調で命じたのだけれど、シリウスが「はい」と言わないので、両親も兄も困惑してしまった。
普段は素直で大人しいシリウスが、見た目に反して意外と強情な少年だということは三人とも承知していたのだけれど、今回はいつのもまして頑固だ。
「とにかく、しばらくは城の中か、出かけても城下街だけにすると約束をするんだ」
「……」
結局、シリウスは、その後どんなに両親や兄に促されても、首を縦には振らなかった。
その場しのぎにうなずくことは簡単だけれど、うそをつきたくなかったからだ。
話が進展しないまま夕食の時間になってしまい、とりあえずその場は解散となった。
ほんとうに丁度話の合間の部分で休載していたことに今更ながら気づきました……。