132・☆学園の記憶
校長と担任のショーン、それに白竜シャオの三人が、安全な場所に移動したのを確認し、シリウスは学園全体を見渡した。
毎日通っていた大好きな校舎を隅々まで思い出す。
行ったことのない場所、どうしても思い出せない場所もあったけれど、不思議と自信があった。
体の中から力がわきあがり、同時に、自分以外の力も感じる。
土地や、建物の破片。
シリウスが覚えていなくとも、彼ら自身が、昨日までの自分の姿を覚えていた。
創るのではなく、ほんの少し手助けをする気持ちで、シリウスは彼らの記憶をさぐり、元の姿をくみ上げていく。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
学園の敷地全体が金の光に包まれた。
シリウスを追って学園に向かう途中だった竜人三名や、ルーク一行も、街の一角を神々しく照らす黄金の光を目撃した。
校舎をやさしく覆い包み込む、巨大な、まさしく黄金の翼のようだった。
「シリウス……!」
ルークはつぶやき、馬を急がせる。
弟が何をしているのかすぐにわかった。
何度も見た、やさしく美しい金の光。
弟の心を映すようにおだやかで、その光はいつもルークを癒してくれる。
過去にない規模の、明るく強い光だったので、ルークは心配だったのだ。
大事な場所を癒そうとするあまり、無理をしているのではないかと。
大怪我をして命の危険に晒されていたのはほんの数時間前のことだ。
いくら本来の力を取り戻したといっても、急に大きな力を使うのは無茶なのではないか。
ルークの隣に馬を寄せたアルファが、主人の兄の不安を察し、なだめるように声をかけた。
「我が君は大丈夫だ」
何を根拠に、と言いたかったのだが、黒衣の青年の深く複雑な色の瞳を見つめたら何も言えなくなった。
彼の黒鋼色の瞳は自信にあふれている。
主人の力を微塵も疑っていないのだ。
ふりむくと、赤毛の青年は、アルファと違いまだ顔色がよくない。
ひたすらに学園の方向を見据え、馬を駆っている。
カイルはまだ昨日のシリウスの怪我を目撃した衝撃から立ち直れていなかった。
傷がふさがったのも確認したし、エネルギーに満ちた黄金の竜も、もちろんしっかりと見たけれど、昨日、自らの流した血の中に横たわるシリウスの姿の方が、どうしても鮮烈に思い出されてしまうのだった。
一刻も早くそばに行きたくて気持ちが焦る。
日が昇ったばかりの薄紫の空が黄金色に輝いている。
あんなふうに力を使って、弱ってしまったりしないのだろうか。
カイルの隣を狼の姿で走っているフォウルの表情は読めない。
馬には乗らず、ほかの誰にも視線をやらず、ひたすらシリウスのもとへとかけていく。
光を目撃したフォウルは、走る速度を増し、駆けながら、狼特有の切ない声で長く鳴いた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
シリウスは目を閉じ、校舎だった瓦礫や、校庭だった土、芝生やイチョウの木の声を聞いた。
もちろん、それらのものたちが実際に声を出したりしないけれど、彼らの記憶を手繰り寄せていく。
いつものように、自分の力だけでくみ上げていくのではなく、ほんのわずかに手助けするような気持ちで、校舎全体の隅々まで意識をいきわたらせた。
小さなヒビや傾き、校庭にできた巨大な空洞も、金色の輝きに満たされ元の姿を取り戻していく。
早朝の街、その一角があたたかな金色の光に覆われた。
校長とショーンは、その光景を、呆然としながら、まばたきもせずに見つめた。
建物も校庭もやさしい光に包まれ、文字通り癒されていく。
これほど規模が大きく、これほど美しい魔法は見たことも聞いたこともない。
魔法を行使している少年は、光の中心で、その輝きと戯れているように見えた。
いつしか校庭の巨大な穴は元の平らな地面が復元され、荒れ果てた芝生も傾いた校舎も、昨日までの姿をすっかり取り戻していた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
現場に到着したカイルは、視界にシリウスの姿を捉えると、馬から飛び降り主人のもとへ駆け寄った。
振り向いたシリウスの前にひざをつく。
「シリウス様……!」
「カイル、きてくれたの?」
やさしく笑う主人を力をこめて抱きしめる。
「シリウス様、どこか痛くはありませんか? ご気分は……」
いつのまにかフォウルもアルファも、ルークたちも到着していて、シリウスの周囲を取り囲んでいる。
離れたところで見守っていたシャオが歩み寄り、カイルの肩をたたいた。
「主が窒息してしまうじゃろうが」
あわてて離れたカイルを見上げ、シリウスが笑った。
みんなが揃っている事がうれしくて、ここを離れることが寂しい。
見渡せば、学園は昨日の、魔物に襲われる前の姿をすっかり取り戻している。
もともとあった汚れや雑草なども、すべてそのままだ。
完璧に、元通りだった。
今までシリウスは、創造の魔法で何かを修復するとき、自分の記憶や経験などから、知っている範囲をカンで修復していた。
知らない部分は想像だ。
けれど今回は、行った事のない場所も、覚えていない景色も、ごく些細な傷や汚れまで、完璧に元に戻せた。
自分でもどうして出来るようになったのかわからなかったけれど、自然にそうできた。
自分以外のものたちの過去の記憶に触れた。
あっけにとられた風に自分を見つめる校長と担任の教師の前に立ち、ショーンに抱きつく。
「……ショーン先生ありがとう、……もうお別れしなきゃいけないんだ」
「え?! ……ええっ?! どうして……! お兄さんが迎えにきたからかい? それとも魔物に襲われてアレスタが嫌いに……」
見当違いのことを言い出したショーン先生に首を振り、自分を心配そうに見守っている竜人たちと兄を見る。
「ぼくは、普通の子供として留学したかった。特別扱いされずに勉強して、ぼくを王子だと知らない友達がほしかった。たくさんわがままを言って、たくさんの人に心配をかけて、ようやくここに……。でもそのおかげで、ぼくは本当に毎日が楽しかった」
涙を見せたくなくて、下を向いたら、ますます涙がこぼれそうになり、ぎゅっと唇をかみ締めた。
顔をあげて無理に笑う。
「ショーン先生、校長先生、ぼくを受け入れてくれてありがとうございました。アレスタも、この学園も、クラスのみんなも大好きです。でも、全部知られてしまったから、もうここには来られません」
ルークが歩み寄り、手を伸ばしてくれたので、シリウスは兄に抱きついた。
やさしく頭をなでてもらったら、どうしても涙があふれてきそうになってきつく目を閉じる。
「シリウス、ここに残ってもいいんだぞ? あと少しで終わりじゃないか。私も一緒に残るから」
本当はこんなことになった以上、一刻も早くウェスタリアへ戻らなければならないだろうし、そうでなくとも帰国後の予定はすでに山積みだったが、ルークの無茶な発言にロンも反対しなかった。
アルファが主人をいたわるように声をかける。
「我が君、そういたしましょう。教室の内外を我々がお守りします」
昨日の話し合いの時点でその予定だった。
もっとも、今まで狼の姿しか子供たちに見せていなかったフォウルは、人としての姿も竜としての姿も、シリウスの同級生たちに晒してしまっていたし、となれば、赤毛の狼の方の正体もばればれではあるが、今更だ。
アルファも、もうのんびり大学の講師にでかける気はない。
残りの少ない期間は、ひたすらに主人を守るつもりだった。
校舎全体と、さらに教室にも結界を二重に張り、結界を作りにくい地下深くにも、魔物の進入を探知する魔力壁を展開する。
それでかなりの範囲をカバーできるはずだった。
けれどシリウスは、兄の胸から離れ首を振る。
「学園のみんなに、これ以上迷惑はかけられない」
深呼吸してから顔を上げた。
「ウェスタリアに帰る。でもその前に、地下の魔物を倒す」
キッパリと言うと同時に、校舎の上に厳しい視線を向けにらみつけた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
そこに人影があることに、シリウス以外の全員は初めて気づいた。
深緑色の長い髪をみつあみにまとめ、銀のメガネをかけた青年が、全員の視線を浴びて校舎から飛び降りる。
シリウスの周囲をすかさず竜人たちが囲んだ。
正面に立ったシャオが、現れた青年、ジオに向け警告する。
「それ以上近づくと、そなた永遠に凍土の中で生きることになるぞ」
「わかっておりますよ白竜公」
ジオは周囲を見渡し、微笑んでうなずいた。
「確認にきただけです。光の君のお力を――」
シリウス君は、自分が竜になったことに全然気づいていないので、自分の何が変わったのかよくわかっていません。
ちょっとだけ違うことができるようになった感じはしていますが、実際にはちょっとどころじゃないのです。