127・☆兄弟
ルークがカイルの実家、モーガン邸に到着したとき、屋敷の庭は騒然としていた。
蒼い龍が飛来したせいかと思ったのだがそれだけではないらしい。
屋敷の中で働いていた使用人が全員追い出され、カイルの両親までもが庭にいる。
「ガーラント殿、これはいったい……」
ルークが肩で息をしながら馬を降りたずねると、カイルの父、ガーラント卿も困惑顔だった。
「さきほどカイルがシリウス殿下を連れて戻ったのですが、殿下がひどいお怪我をなさっておられて……。我々も治癒を手伝おうとしたのですが、カイルを含め竜人の方々は屋敷にいた全員を外に出してしまったのです」
「シリウスは……、弟はどうなったのでしょう」
ルークが必死にたずねるが、その場にいる誰も答えを返せなかった。
さっきから、何度も外から声をかけているのだが、屋敷の中からは一切返答が得られない。
扉も窓も、何か魔法で封をされているようでビクともせず、開くことができないという。
屋敷の形をした岩のように、硬く閉ざされなんの答えもない。
現場に到着したばかりのルークの部下たちは顔を見合わせた。
竜人たちがこうと決めてしまったら、人間には絶対にあらがえない。
それはウェスタリアの人間が一番よくわかっていた。
実力に差がありすぎるのだ。
ルークたちについてきていたワグナーは、馬を降り、扉の前に立つ。
「シリウス……」
ワグナーの服はまだシリウスの血で赤くぬれていた。
その後ろに、いつのまにかルークが立っていた。
「カイル! フォウル! アルファ! ここを開けろ!」
竜人に対してキッパリと命令口調の青年を見て、その場にいる全員が仰天した。
噛みつかんばかりの勢いで、怒りを露に扉をたたく。
「開けろ! いますぐ! 建物を封印したのはアルファだな!! 開けろ!!」
「ル、ルーク殿下……」
普段は威厳たっぷりのカイルの父、ガーラントも少々あせっていた。
竜人に命令するなど、一国の王であっても許されない。
昼に会ったときは理性的な王子に見えたが、弟の危機に興奮しておかしくなってしまったのだろうかと心配になる。
だがルークは頭に来ている以外はいつもどおりだった。
「いますぐここを開けないと、このあとお前たち全員ウェスタリアに一生入国禁止にするからな!!」
叫んでから、部下たちを振り返る。
「どこかから破城槌を借りて来い!」
「破城槌!?」
思わずロンが聞き返す。
「この扉、ぶちやぶってくれる。扉の代金はあとで私が個人的に弁償する」
モーガン邸の住人たちはあっけにとられていたが、
これに答えたのはルークの腹心ロンだった。
普段はルークを呼び捨てにしているロンだが、人目があったので部下としての立場を守った発言になる。
「ルーク殿下、この扉は見たところ「停止」の魔法がかけられています。封印ではなく、時間がとめられているんです。だから破壊もできないかと」
それを聞いて、ルークが不穏なうなり声をあげたときだ。
扉が淡く輝き、内側からゆっくりと開いた。
顔をのぞかせたのはこの家の長男であるカイルだ。
カイルは庭に出ると扉を後ろ手にそっと閉める。
「ルーク殿……」
「カイル、今すぐ私を中に入れろ。さっき言った言葉は脅しではないぞ。今私を拒めばシリウスがウェスタリアに戻っても、そなたたちは絶対に弟の傍に寄らせぬ」
それを聞いてカイルは視線を伏せた。
灼熱色のまつげが影を落とす。
「ルーク殿、いまこの付近の土地全体からエネルギーを吸い上げている。シリウス様の体力を回復するためだ。われらは大丈夫だが、人間は巻き込まれて消耗してしまう」
「シリウスは無事なのか」
「ご無事だ。だが出血が多かったせいで弱っておられる。体力を回復しなければこれ以上の治癒魔法も危険だ。だから……」
カイルはうつむき、肩を震わせた。
ポツリと石畳の上に水滴が落ちる。
シリウスの血がついたままのこぶしを握り、水滴はポツポツと染みを増やしていく。
息子を見ていたカイルの母、ミーナも、父であるガーラントも、息子の涙を見たのは初めてだった。
驚愕と同時に、胸を打たれた。
何に対しても冷え切った対応しかできなかった息子が、傷ついた一人の少年を想い涙を流している。
ルークはカイルを見つめ、唇を引き絞った。
「多少消耗しても死ぬわけではないだろう。私は平気だ。頼む、弟に会わせてくれ」
必死に懇願するが、これはロンが引き止めた。
「ルーク、危険な建物に君を入れるわけにいかない」
「だが私はあの子に会ってやらなければ」
ルークもカイルの涙を見てこみ上げてくるものがあった。
だがいまここで泣くわけには行かない。
まだ弟の無事な姿を確認していないのだから。
「中に入れてやれ、カイル」
その時、低い美声が割り込んだ。
気づけば再び扉が開き、中から黒衣の青年が姿を現したところだった。
「土地からの吸い上げは一時中止した。あまり一気にやると我が君も疲労される。ゆっくり慎重に進めなければ」
そういうアルファは顔色が青く、口調もいつものような覇気がない。
「我が君も、お会いしたいだろう」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
竜人たちの鉄壁の守護の中、ルークはただ一人屋敷に入ることを許可された。
部下たちや同級生のワグナーはもちろん、この家の主人であるカイルの両親すら、屋敷に入ることは許されなかった。
竜人たちはそれだけ警戒を強くしていて、誰であろうとシリウスに近寄らせようとしなかった。
ほんの数時間前訪れた屋敷に再び入ったルークは、さきほどとは違う廊下を歩き、客間の前に案内された。
案内してくれたアルファと、後ろから憔悴した様子でついてきたカイルとともに扉の前で立ち止まった。
「我が君はこの部屋で休んでおられる。今はフォウルが体力を支えるために継続して魔力を注ぎ続けている。外傷はとりあえずすべてふさいだがあくまで応急だ。まだ完璧ではない」
「体力の回復を優先させているんだな?」
「そうだ。それと血液量の回復。そろそろ目覚めてくださるかもしれない。その時にそなたがいれば、我が君は喜ばれるだろう」
そっと扉を開きルークが室内に入ると、蒼い髪の青年が振り返った。
天蓋ベッドの傍らで膝をつき、横たわっている人物の手を、壊れものに触れるような慎重さで握っている。
ベッドにしつらえられたレースのカーテンのせいで、眠っている人物の小さな手しか見えない。
ルークが近づくとフォウルは立ち上がり場所をあけた。
「シリウス……?」
横たわる少年の肌の色は紙のように真っ白だったが、ゆっくりと規則的な呼吸があり、ただ眠っているだけに見えた。
フォウルやカイルは衣服のあちこちに血液をつけたままだったが、シリウスには皮膚や髪、衣服にも赤い痕跡はなかった。
おそらくフォウルが浄化したのだろう。
そっと頬に触れると驚くほどに冷たい。
「傷は……」
蒼竜に問うと、フォウルは慎重に薄い上掛けをのける。
肋骨の下あたりに赤く引きつったように残る傷跡を示した。
「出血を止めるために最低限の治癒魔法を使っただけ。体力を回復させながら治していく」
痛々しい傷にルークは指先を伸ばす。
触れるぎりぎりまで近づけて、自らの力を分け与えるようにかざした。
何もしてやれない自分が許せない。
怪我を負ってからもう一時間以上経つはずだ。
だとしたら、この傷跡は消えずに残る。
治癒魔法で完全に痕跡を残さず治せるのは怪我の直後に限られるからだ。
だがルークは今回の件、すべてにおいて竜人たちを責めるつもりはなかった。
彼らは全力をつくしており、ルークと同じかそれ以上に、己の命よりもずっと、シリウスを大事にしていることを知っているからだ。
彼らにできないことが、他の誰かにできるわけがなく、彼らに防げなかったことが、他の誰かに防げるはずもない。
もちろん、ルーク自身にもだ。
命が助かっただけでも普通ならありえない幸運だろう。
「……もう命の危険はないんだな?」
「絶対に死なせない」
「いつ目を覚ます……?」
ルークはシリウスの金のまつげにふれた。
敏感な場所のはずなのに、何の反応も示さない。
アルファがため息をついた。
「もう目を覚まされるはずだが……」
そう答えるのだが、彼らの大事な主は目を覚ます兆しすらなかった。
「怪我の詳細を知りたい。治癒が済んだ部分に関しても。この子がどんな痛みを受けたのか知る必要がある」
竜人たちは顔を見合わせ、カイルが前に出た時だ。
中庭がにわかに騒がしくなると同時に窓から巨大な目玉がのぞいた。
アイスブルーのうつくしい瞳が横たわるシリウスをじっと見つめる。
アルファが窓にほどこした「停止」の魔法は、白竜にはまったく無意味だったようで、竜のつめ先で慎重に開かれた窓から細身の少女が滑り込んできた。
竜人たちはルークの事を「シリウスを傷つけない」という一点で、
おそらく全人類のなかで一番信頼しています。
たとえばカイルなどは、両親よりもルークを信頼している。
シリウスに対して、その人物がどのように接してしているか、が竜人たちに信頼されるか否かのすべてなんです。
次回予告はネタバレ含むので掲載しないでおきます!