118・☆留学の行方
カイルの実家はシリウスの逗留する下宿を探したときより、よっぽどあっさりと発見できた。
広大な敷地を持つ屋敷だったし、街の住人誰に聞いても赤竜公の実家の所在を知っていたからだ。
訪問する事は前もって部下に伝えてさせてあったので、ルークが到着すると当主であるガーラントが直接迎えてくれた。
ルークとガーラントはお互いにほとんど面識がなかったが、首脳会議の際に何度か顔を合わせている。
「王太子殿下、わざわざご訪問くださり恐縮です」
「こちらこそ、弟の留学のために尽力いただき感謝している」
握手を交わし、ルークはあらためてカイルの父である壮年の男性を見た。
現役の軍人であり、有力貴族の当主でもあるガーラントは、国王にも劣らない威厳を備えていた。
白髪の混じった赤茶色の頭髪は、きちんと撫で付けてあるのに、所々でピンピンとはねていて、どうもカイルのくせっ毛は父親譲りらしい。
だが、厳しい雰囲気のあるするどい目つきや、軍人特有のオーラは、カイルのどこかおぼっちゃま然とした雰囲気とは違っている。
もっとも、ルークはウェスタリアでシリウスと出会ったあとのカイルしか知らなかったため、アレスタで軍人だったころのカイルがどんな雰囲気だったのかは知らなかったけれど。
ガーラントは応接室ではなく、家族が過ごすための居間にルークたち一行を案内してくれた。
代々大事に受け継がれてきたのだろう、落ち着いた色調の年季が入った家具はどれもすばらしい代物ばかりだった。
ルークとロンが着席し、モリスとジョウはその背後に立つ。
茶菓子を運んできてくれたのはカイルの母ミーナだ。
彼女は手ずから客人たちに茶を淹れ、ガーラントの隣に着席する。
一通りの挨拶を済ませると、ガーラントは息をついた。
「王太子殿下が一番にお聞きになりたいのは先日の事件の事でありましょう」
湯気を立てる紅茶を見つめながら問い、だが口をつけない。
「シリウス殿下のご機転で犯人はその場で捕らえられましたが、事件の重大性は我が陛下も十分認識しておいでです。現在犯人を尋問し、背後関係を捜査中ですが、近いうちにウェスタリアの国王陛下にも、正式な謝罪の使者をお送りいたす所存です」
「ガーラント殿、実は私が事件の事を知ったのはついさっきなのです。まだ詳細は何も知らされておりません。シリウスは話したがらず、口止めされていた竜人たちも何も語りませんでした。ようやく聞き出せたのは、シリウスが毒殺されかけたことと、犯人がその場で捕えられたことだけです」
「そうでしたか……」
深くため息をついたガーラントは、眉間に深い縦皺を寄せ苦悩の表情を浮かべる。
妻のミーナも悲しそうだった。
ルークはパーティ会場で何があったのか、詳しく説明を受けた。
カイルを崇拝するアレスタの貴族が、カイルを取り戻そうとシリウスを狙った。
だがどのような方法でか、シリウスは飲み物に毒が入っていることを事前に察し、大事には至らなかった。
そのあと、シリウスがカイルをわざと無下に扱って犯人を炙り出し、そのカイル本人が犯人を縊り殺しそうになった事まで聞いた。
最終的に犯人の男はカイルに踏みつけにされ肋骨を何本か骨折したが、今の所、生命に別状はなく、治療しながら尋問中とのことだ。
「シリウス殿下は、殺されかけたことよりも、カイルに冷たくあたったことを悲しんでおられたように見えました」
「私にもそう見えました。カイルの方は何を命じられてもまったく気にせず、むしろ楽しんでいるようにすら見えましたが、殿下はとても罪悪感を感じておられるようでした。殿下の責任ではまったくないのに……」
ミーナはそう訴えると、そのときの少年の表情を思い出したのか、悲しそうに目を伏せた。
ガーラントは机に手をつき頭を下げる。
「シリウス殿下がせっかくアレスタへ留学に来てくださったのに、こんなことになって本当に申し訳ございません。事実関係がはっきりししだい、包み隠さずすべてをお伝えするつもりです」
詳しい事件のあらましを聞いたルークは、しばし呆然としてしまったし、ルークの部下たちも、彼らの大事な王子に起こった恐ろしい事件に怒りを感じていた。
一番に口を開いたのは、それまでルークの隣で控えてたロンだ。
「ガーラント殿は、今回の件が組織だった犯罪だと見ておられますか」
「ええ。実行犯は組織の中でも下っ端でしょう。パーティ会場へは貴族の誰かの手引きで侵入し、殿下の飲み物に毒を混ぜた」
「では、まだ事件は終わっていないとお考えなのですね」
苦渋の表情を浮かべながら、それでもガーラントはうなずいた。
認めたくなかったのだろう。
「まことに申し訳ございません。ですが、シリウス殿下の安全を第一に考えるならば、事態が解決するまで留学をいったん中断したほうがよろしいかと」
「私もそれは同意見だが、シリウスは悲しむだろうな……」
ルークは紅茶に口をつけ、普段カイルが淹れている茶と同じ味なのを確認して切ない笑みを浮かべた。
シリウスになんと伝えるべきかわからない。
一同が沈黙してしまった中、ミーナがそっと声を出す。
「でもあなた、カイルは会場で自分の意思をあらためて明確に宣言しておりました。シリウス殿下を狙う犯人が他にいたとしても、思い直したのでは……」
「宣言とは?」
ルークの問いに、ガーラントが苦笑する。
「もしも万が一、シリウス殿下の御身が第三者によって傷つけられた場合、それがアレスタ国民であろうとなかろうと、永遠にアレスタの国土には足を踏み入れないと、言い切ったのです」
「家族に危険が迫ることがあっても、シリウス様がご無事でないかぎり、絶対にアレスタには戻らないと宣言したのですよ」
ミーナはやさしく笑った。
決して強がりや皮肉ではなく、息子の行き過ぎた主人への愛情がほほえましかったからだ。
思えば実家にいたころのカイルは、何かに夢中になることもなく、常に一歩引いた場所から炎の色の冷たい視線を投げかけていた。
家族に対する愛情以外に、誰かを深く愛することもなかった。
特別な相手を作らないのは竜人の特徴のひとつでもあったけれど、あまり表情を動かさず、普通の人間が味わうような喜びや悲しみを、一切経験したことも、することもなく、長い一生を平坦に終えてしまうのではないかとミーナは心配していたのだ。
だがシリウスと出会ってからのカイルは実に生き生きと表情を変え、自分よりも実力のある竜人たちとも出会い、毎日を必死に過ごしているように見えた。
遠くに暮らしていてさえ、カイルの充実振りを母であるミーナは感じられたのだ。
「あの子が本気で言っているということは、少なくとも会場にいた人間にはわかったはずですわ」
「それはそうだが、実行犯の目的はカイルの帰還であっても、命じていた人間の目的が違う可能性も捨てきれない」
ガーラントは慎重だった。
シリウスの殺害だけが目的であったなら、カイルの宣言などなんの意味もないからだ。
「シリウス殿下には、アレスタの良い面をたくさん学んで頂きたかった。こんなことになりお詫びの言葉もございません」
ルークはカイルの両親の配慮に感謝し、彼らの謝罪を受け入れ、モーガン邸を辞去した。
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ルークたち一行は、シリウスの下宿に戻り、臨時にルークの部屋になっている一室に集まっていた。
「隊長、本当にシリウス殿下の留学を中断するつもりなんすか?」
いつも調子の良いモリスが、めずらしくおずおずとルークに聞いてきた。
モリスだけではなく、ジョウやロンも、問いかけるような視線でルークを見ている。
「……そのつもりだ」
「隊長がシリウス殿下に言えるとは思えないすよ。それより、なんとか留学を続けさせてあげられる方法を探しませんか」
予想外の人物からそう提案されて、ルークは目を見開いた。
モリスは普段からあまり上官に遠慮をしないタイプだったし、半ば友人のような立場で親しいルーク相手ならなおさらだったが、今日は出すぎた発言をしている自覚があるのか水色の瞳を伏せた。
「ルーク殿下のお役目は、弟君を悲しませることじゃないっすよ。俺らでなんとか解決してあげましょうよ」
モリスはいままでも何度かシリウスと会ったことがあったが、いつも面白おかしい話題を提供したりしてかわいがっていた。
シリウス少年と接したことのある人間誰もが思うように、モリスもまた、シリウスを悲しませたくなかったのだ。
「そうしたいのは山々だが、私たちは来週もうウェスタリアに戻らないといけないんだぞ。シリウスをここに置いたまま……」
モリスの相棒とも言うべき、黒髪のジョウも親友に同意した。
「まだ時間はあります。中止を決定するのは早いのでは」
二人の部下に進言され、ルークは腕を組んで考え込んだ。
彼らに言われなくとも、ルークこそ誰よりも弟を悲しませたくなかった。
「ルーク、そもそもの問題から考えてみよう」
場を和ませるため、ロンは全員の茶を入れなおしてから着席する。
「犯人の正確な動機はいまのところ不明だ。その上で命を狙われるという点において、殿下を完璧にお守りするにはどうすればいい?」
「それは、ウェスタリアに連れ戻せば……」
ルークの答えにロンは首をふった。
「確かにウェスタリアに暗殺者はいないかもしれないけれど魔物はいる。ではなぜウェスタリアなら安全に見えるかな」
「それは、ここと違って竜人たちが朝から晩までそばでシリウスを守っているからだろ。学校にいる間、シリウスは無防備だ」
「校門は蒼竜公が守っているし、同じ敷地内の大学には黒竜公もおられるよ」
「教室の中は守ってあげられていない。個人の護衛が入るわけにいかないし、シリウスも望まないだろう」
「うん。それで提案があるんだけど」
ロンは細い目をいっそう細めると、何かをたくらむように口の端をあげニッコリ笑った。