10・おいてかれ日記 (ジャンside)
騒ぎを聞きつけて、オレが中庭に駆けつけたとき、視界に入ったのは庭に面した回廊を埋める、宝石の連なりのごとき赤い鱗だった。
全体像がまったく見えないまま、ルビーでできた壁のような巨体が動いた。
鱗がこすれる、金属でできた風鈴に似た涼やかな音を立てながら、赤い壁は波打つように視界から消えた。
体の一部分しか視認できなかったわけだが、オレにはそれがなんなのか一発でわかった。
「カイル!」
巨体のわりに風は控えめだったが、それでも竜身が飛び立ったとき、庭に咲いた白いバラの花びらが舞う。
オレが中庭に走り出たときにはもうすでに竜は空の上。
呆然と見上げた先に、日の光を浴びて白く輝く巨大な赤竜が翼を打ち振って留まっていた。
はじめてみたが、あの色はまちがいなくカイルだ。
「あのバカ……!」
オレは急いできびすを返した。
追わなければ、同行のオレたちだけが置いてきぼりだ。
同行のオレたちだけが帰国するのとどちらがマヌケかと聞かれたら、どちらも同じぐらいマヌケじゃないか。
部屋で荷物をまとめていた騎士たちを急いで呼び寄せ、厩に駆け戻る。
この際馬車は置いていく。っていうか、荷物も最低限必要なもの以外はおいていく。
「オレの馬は……?!」
ウェスタリアの厩番は馬たちを実に丁寧に世話してくれていたが、まだ出発前だったので鞍も乗せていなかった。
今から馬具を装着してたら追いつけない。
オレはすかさず空を見上げた。
「……」
カイルはとっくにいなかった。
「なんで置いていくんだ! カイルのアホー!!」
ばかばかしくなって荷物を放り投げ、置いていかれ仲間と視線を交わして力なくわらった。
もうなんだか、カイルのやつはすっかり変わってしまったが、思い込んだら一直線なあたり、実はあまり変わっていないともいえる。
オレは膝まである正装の堅苦しいブーツを脱ぎ捨てて、厩の前の芝生に寝転んだ。
もうこうなってしまったら、馬だろうがなんだろうが追いつけないだろう。
他の騎士たちも、オレに習って次々と寝転がる。
「……そういえばオレ、カイルが竜になったとこ、初めてみたなあ」
もう十年以上友人をやってるつもりだったが、一度も見たことがなかった。
竜にならないのか聞いたこともあったが、必要ないし、自分でも一回しかなってみたことがないと言っていたのに。
オレはまだ会った事がないが、シリウスという、この世のものとは思えないほど美しいと噂の子供のために、カイルは出会って数日で、あっさりと竜になって飛んでいってしまった。
あいつにとって、シリウスという少年は、本当に命より大事な存在になってしまったのだろう。
カイル自身がそう言ってた。
大げさだなと思っていたが、忠誠心が一極集中しすぎていて、他に振られる分がゼロなのが極端だ。
おそらく、オレや周囲の事は、カイルも変わらず大事に思ってくれている。
オレに接するときの態度はまったくかわらないし、オレの進退についても気をもんでくれている。
でも、それとこれとは別なんだろう。
たとえば、これまでの人生で、カイルにとっての大事なものの重要度を数値にしたら、十が最大だったとする。
同級生の重要度が六で、両親が十、国家は九、ってな具合に。
仮にオレが、九だとか十だとかの、大事なものに分類されていたとしても、この前現れたシリウスは、きっと重要度100や200でも到底足りないほど大事な大事な存在なんだろう。
他に目がいかなくなるのも無理はない。
オレは初めて見たカイルの赤い竜の姿を思い出そうとした。
ほんの、一瞬しか見なかったことを後悔して思わず眉をしかめる。
どうせ追いつけないのだから、もっとじっくり見ておけばよかった。
よみがえってきたのはルビーを並べたような鱗の輝き。
あの色は、なるほど、カイルの髪の色だった。
「すげえきれいだったよな」
隣のやつをみると、「そうですね」としみじみ頷いてから、
「ずっとアレスタにいてほしいです」と、泣いた。
おいていかれてしまったジャン。
しみじみと泣いてしまった騎士の人。
100年生きていて、いろいろなしがらみから大分自由になっているアルファと違い、まだ17才で自由のきかないカイルは大変そうです。
誤字、脱字、設定の矛盾などは極力気をつけておりますが、発見したらお教えいただけると嬉しいです。
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