114・☆王家の魔法2
ルークがシリウスに教えようとしているのは、はるかな昔、まだ先祖が平民だったころ、神から授かったと言い伝わっている不思議な魔法だった。
どんなに研究してもウェスタリア王家直系以外の人間には使えず、直系であれば魔法の才能が皆無のものにも使える。
そんな魔法は世界中どこを探しても他にない。
幸いというか、ウェスタリアは非常に平和な国だったので、王族が直接巻き込まれるような大きい戦闘があまりなかった。
まれに王族が戦いに参加することはあっても、結界の中からは一切攻撃ができないため、指揮官が安全な場所に閉じこもっているわけにもいかず、この稀なる魔法を使用する機会がない。
そのせいでほとんど儀式の時にしか使われないけれど、単純に障壁魔法としてみれば最上級のものだ。
ルークは輝くしゃぼんのような障壁魔法をいったん消し去ると、シリウスの前髪を掻きあげ、その額にそっと触れた。
「まぶしく感じるかもしれないけれど、怖くないからな。目を閉じているといい」
「はい」
期待をこめて素直に頷いたシリウスが目を閉じる。
ルークは大事な弟の髪をなでてから、右の手のひらにさきほどのシャボンのような玉を小さく生み出した。
それをそっと弟の額に押し当てる。
玉はなんの抵抗もなくシリウスの額に吸い込まれるように消えた。
「もう目を開けても大丈夫だ」
「ほんと?」
おそるおそる目をあけたシリウスは、自分の額に触れてみた。
少しだけムズムズするような、くすぐったいような、あるべきものが帰ってきたような、不思議な感じだ。
「家族以外の人間にやっても玉は吸収されずはじかれてしまうんだ。だからちゃんとうまくいったよ」
やってみてごらん、と言われ、シリウスはさっそく両手を広げて意識を集中してみた。
ルークが背後にまわり、弟をサポートするように腕を支える。
最初はなかなかうまくいかなかったが、やがて手の中に小さな玉が生まれ、けれどすぐにパチンとはじけて消えてしまう。
「上手だなシリウス。私は今シリウスができたみたいな形になるまで半日ぐらいかかったんだが」
「でもすぐ割れちゃうよ」
不満そうに口を尖らせて言われ、ルークはシリウスの頭をかきまぜるようにしてクシャクシャとなでた。
「練習が必要だな。最初は大きくできないかもしれないが、がんばれば自分を守るぐらいの大きさにはすぐできるようになる」
そう教えてやると、シリウスはまじめな顔で頷いた。
自分の両手を見つめて真剣な表情だ。
もしかしたら、これで竜人たちに過剰な心配をかけなくてすむようになれるかもしれないと思うと胸が熱い。
「ぼくがんばる。自分で自分を守れるようになりたいってずっと思ってたんだ……。――兄上、ありがとう……。もし父上に兄上が叱られたら、ぼくも一緒に怒られるから」
「それは頼もしいな。そのときはよろしく頼む」
ルークもほっとしていた。
よく考えたら、この魔法は子供にこそふさわしい。
「でも練習は明日からだな。今日はもう寝ないと」
シリウスはハッとしたように目を見開き、すぐに頷いた。
兄が長旅の末、ようやくアレスタに到着したばかりだということを思い出したのだ。
本当はいますぐにでも魔法の練習をしたかったけれど、急いでベッドにもぐりこみ、横に立ったルークの袖をひっぱった。
「明日、学校まで一緒に行こうね。毎日歩いて通ってるんだよ。アルファとフォウルと一緒に。カイルは留守番なんだけど、留守番が嫌で変身魔法を使えるように練習したんだ。赤毛の狼になってフォウルと並ぶとすごくかっこいい……」
兄の服をつかみながら、シリウスは心地よい眠りに落ちていった。
まだまだ話したりなかったけれど、兄が近くにいてくれる安心感で起きていられない。
「怪我しちゃったり、悲しい事も時々あるけど、ぼく平気だよ。うんと勉強して、ウェスタリアに帰るから、兄上も心配しないで……」
ルークは声に出さないまま微笑んでうなずくと、弟が規則的な呼吸を始めても、しばらくの間傍を離れなかった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ルークがシリウスの部屋を出ると、扉を守っていた狼が頭をあげた。
じっとルークを見つめたが、何も言わない。
何か言いたそうなのは間違いないのだけれど、黙ったままだ。
フォウルだけではなく、ロンも廊下にいて、今夜休む部屋の前でルークを待っていた。
声を出すと弟がおきてしまうかもしれないので、ルークはロンを手振りで差し招き、アルファの部屋の扉をノックする。
蒼毛の狼がなぜか気遣わしげな顔をしていたが、止められたりはしなかった。
扉を開いたアルファは、主の兄を拒ばまず部屋に招きいれ、不機嫌そうに見えるいつもの顔のままルークたちに椅子をすすめた。
「俺になにか用か。茶がほしいならカイルの方に行け」
そっけなく言うのだが、なんとなくいつもの余裕がないように見える。
おそらく、普通の人が見れば、黒竜公はいつもと同じく自信たっぷりで尊大に見えただろう。
だが、毎日彼らと、しかも竜人という色眼鏡なしで接していたルークにはわかった。
アルファは何か不安を抱えている。
向かい側に座った黒竜に臆することなくするどい視線で睨む。
「お前たち、何か私に隠し事をしていないか」
「……」
ロンは口を挟まず座っていたが、親友の言葉に驚いていたし、否定しない黒竜公にも驚いていた。
ルークが続ける。
「何か様子がおかしい。お前たちがシリウスに甘く過保護なのはいつもどおりだが、今日は前にもましてシリウスを気遣っている」
アルファは何も答えない。
是とも否とも。
ただ黙って王太子の言葉を聞いている。
「私に言えない何かがあったのか?」
「……」
「私はシリウスの兄だぞ。何かあったなら、知る権利と義務がある。あの子を守らなければならないのは私も同じだ」
切実に訴え、ルークはアルファの黒鋼色の瞳をまっすぐ見つめた。
漆黒に見えるその瞳に、銀や金の複雑な輝きが混じっていることすら確認できるほどにしっかりと。
いつも迷いのない光を湛えた黒竜公の瞳が、戸惑うように視線を下げる。
「頼む、教えてくれ。何もなかったなら、そう言ってくれればそれでいい」
ルークの痛切な響きすらある言葉を受け、アルファは深々と息をつく。
「……俺は話せない」
「なぜだ」
「誓ったからだ」
「シリウスに、口止めされていると言う事か? 私には言うなと」
「……」
アルファが再び黙ってしまったので、ルークにはそれが正解なのだとわかった。
しかし、こうなると黒竜から話を聞きだすのは不可能だろう。
たとえ拷問を受けても彼はシリウスとの約束を守る。
ここまで黙って成り行きを見守っていたロンが、初めて口を挟んだ。
「シリウス殿下と、どういう約束をなさったのですか?」
答えないアルファを気にせず、ロンは続けた。
「兄上には話さないようにと?」
それを聞いて、ルークもハッとなる。
「アルファ、どうなんだ? 私には話せなくとも、ロンには話せるのではないか」
アルファは目を閉じ、眉間に深い縦皺を寄せ、うなるように答えた。
「子供のようなへ理屈を言うな」
「でもそうでしょう、黒竜公閣下。あなただって、本当は今の状況を伝えたいはずだ。これは僕の予想だけれど、あなたたちはシリウス殿下をウェスタリアへ戻したがっている」
二人に同時に攻められ、アルファは深く深くため息をついた。
しなければならないことと、しないと約束したことが同じなので、板ばさみになり葛藤している。
「確かに、他の人間に話すなとは言われていない。だが、我が君はそのつもりでおっしゃられたはずだ。だから言えぬ」
「そのせいで殿下に何かあっても?」
「決してそのような事態にはしない」
「でも危惧しておられますよね」
勢いに乗ってきたロンは攻撃の手を緩めなかった。
だがアルファの方も首を縦に振らない。
かわりにこう提案した。
「そなたが我が君に問うてみよ」
「は?」
「おそらくルーク殿に問い詰められるより気安いだろう。どのような状況であろうとも、俺は我が君をお守りするだけなのだ」