110・☆兄対策
シリウスたちがパーティに参加していたころ、パレードの警護の任務についていた大家の三人は、後片付けを手伝った後下宿に戻ってきて、不思議な光景を目にした。
開いたままのシリウスの部屋の扉の左右を、赤と黒の人物が不動の姿勢で警護していたのだ。
すかさずエリカが声をかける。
「なにやってんの?」
アルファは答えず、カイルは扉の取っ手を引き寄せて、音を立てないようそっと扉を閉じた。
それからエリカたちに向け、口元に人差し指を立てて静かにするように合図する。
「シリウス様はようやくお休みになられたところだ。起こさないでほしい」
「でも夕飯どーすんの?」
「子供がメシ食わなかったらでかくなれねーぞ!」
ロックがいつもの調子で大きな声を出したので、アルファの眉間に縦皺が生じた。
いつも無愛想な黒竜公だが、今日は特に、なんというか、いつもよりも空気に不穏なものがにじんでいる。
レイが幼馴染二人をなだめるように割ってはいる。
「何か事情がおありなのだろう。夕飯は用意だけしておくので、食べたくなったら降りてきてくれ」
そう言うと、幼馴染たちをなだめるように引っ張って階下へ降りていった。
普段なら穏やかな態度を崩さないカイルまでもが深刻な表情だったので、レイとしてはあまり関わり合いにならないほうがいいと察したのだ。
竜人らを慰めたり説得したりすることは不可能だったし、もし仮にそれができる人物がいるとしたら、それは彼らの主人である金髪の少年だけだ。
竜人たちが深刻な表情をする原因もまた、あの少年になにかあった時だけだろう。
下手に関わり合いになって対処を間違えれば、竜人たちから永遠に恨まれる。
エリカとロックは不満げだったが、竜人らとその主人は、全員普通の人間ではないということを、常に頭においておかねばならないとレイは思っていた。
見た目や能力だけでなく、思考や行動、そのすべてが普通とは違う。
ヒトではなく、リュウなのだから、当然といえば当然なのだが、エリカとロックがまったく気にしない分、気をつけなければならない。
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大家の三人組が去ると、カイルは再び扉をあけた。
そっと中をのぞくと、シリウスは扉に背を向けてベッドに横になっており、その足元で蒼い狼が体を伏せていた。
カイルを見て狼が顔をあげる。
カイルは隣で同じように扉を守っているアルファと、部屋の中の狼とうなずきを交わした。
フォウルが立ち上がり部屋を出て、入れ違いに入っていく。
扉がしまり、カイルはシリウスと二人きりになった。
「シリウス様」
声をかけたが、壁の方を向いて横になっているシリウスは振り向かない。
けれどカイルには、主人が起きている事ぐらいちゃんとわかっていた。
本当はもっと早くに話したかったが、少し時間をおいたほうがいいと思ったのだ。
ベッドの横に歩み寄り、膝をついて手を乗せる。
「お傍におりますよ」
それだけ言うと、ベッドに背を預け床に座った。
部屋に入るまでのカイルは、主人にかけるべき言葉を山ほど心の中で練り上げていたが、結局何も言わないことにした。
言わずとも伝わると思ったのだ。
壁にかけられた時計の音がやけに大きく聞こえる。
やがてシリウスが寝返りを打って、カイルの背に額を押し当てた。
そのままじっと動かない。
シリウスはめずらしく心底から落ち込んでしまって、何かをする気力がなくなってしまっていた。
何もできないからこそベッドに横になったのだけれど、ぐるぐると嫌な事ばかり考えてしまうし、ちっとも寝られなかった。
でもだからと言って、みんなが心配しているのに、一人で落ち込んでいるのも嫌だった。
もちろんそんなつもりはないけれど、なんだか自分だけ意地をはってるみたいに思えて申し訳ない。
シリウスはカイルから離れるとベッドから降りて、赤い髪の青年の正面に回った。
カイルの深い赤に輝く瞳をじっと見る。
「……ごめんね、カイル」
「私は何も気にしておりませんよ」
「カイルが気にしていなくても、ぼくがヒドイことした事実は変わらない。だから絶対に忘れないし、二度としないよ。――でも、もうこれ以上落ち込まないことにする」
シリウスがそういうと、カイルは少し首をかしげて眉を下げ苦笑した。
「実を言うと、私はシリウス様がはじめて私にお命じくださったので、少々うれしく思っておりました。二度としない、などとおっしゃらず、いつでも、何度でも、どんなことでも、遠慮なさらずお命じになってください」
「ええっ!?」
もちろんカイルは冗談半分で言ったのだが、残りの半分は本気だった。
カイルが半ば本気で言っていることはシリウスにも伝わったので驚いたのだが、ひどく落ち込んでいたことが馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまった。
声を出して笑うと、また涙がこぼれたけれど、涙とともにいじけていた気持ちも流れ出て、少しだけ元気が出てくる。
「ありがとう、カイル」
シリウスは立ち上がると扉をあけて、そこで待っていたアルファとフォウルも招き入れた。
フォウルは人の姿に戻っていて、心配そうに蒼い瞳を潤ませている。
「三人とも聞いて」
シリウスは竜人たちを見渡して、大きく息をついた。
「ぼくを殺したいと思ってる人は、きっと他にもいると思う」
キッパリと言った。
「魔物や魔人たちだけじゃなくて、人間も。――そう思われているんだろうなってわかってたけど、覚悟が足りなかった。でも怖いのとは違うし、毎回落ち込んでいたら何もできないから、泣くのはこれっきりにする。次のときはもう泣かない」
夕日の差し込むシリウスの部屋に、金の光が満ちていく。
生成りのカーテンが、光を透かす白いレース生地に変わり、黒に近かった古い床板が、新品だったころの明るい色を取り戻す。
アレスタの伝統柄が使われているパッチワークの掛け布団は、模様はそのままずっと華やかな色彩に変わる。
「今日だけ部屋の色を少し明るくしてもいいよね」
いたずらしたあとの子供のように、少し気まずそうに言ってから、シリウスは続けた。
「誰に恨まれたって、ぼくはぼくだし、変わりようがないから気にしない。時々落ち込むかもしれないけど、ずっとじゃない。ウェスタリアの家族や友達もいるし、何よりも、ずっと傍にいてくれるみんながいるから」
何を言うべきかまだ迷っている様子の竜人たちを見渡した。
「夕ご飯食べに行こう。早く行かないと、レイが全部食べちゃうよ」
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ダイニングに下りていくと、大家たち三人の他に下宿仲間の大学生マイルズがいた。
彼とは、自分たちの正体を打ち明けて以来始めてだ。
マイルズはシリウスたちを見ると、一瞬だけ驚いたように目を見開いたし、少しだけ落ち着かなげにそわそわしていたが、席を立ったりはしなかった。
いつものようにテーブルの上には食べ物が満載されている。
シリウスが席につくと、エリカが満足げに肉の乗った皿を差し出した。
「料理は温かいうちに食うのが一番だよ、とくにあんたは育ち盛りなんだからもっと食べないとね」
ロックも鳥のから揚げが山盛りになっている皿を押し出す。
「何を落ち込んでたんだ? 今日はそこの赤い男の晴れ舞台だったじゃないか。それなのに夕飯が食えないほどの悩みごとか?」
落ち込んでいたとも、悩んでいたとも言わなかったのだが、ロックはシリウスの顔を見て察したようだった。
幼馴染の無遠慮な物言いを聞いたレイは、ロックの後頭部をおもいきりはたいた。
小気味良い音が響いたが、ロックはぜんぜん堪えていない。
「なんだよ、聞いたっていいじゃねーか」
「誰にでも悩む時ぐらいはある。あまり立ち入ったことは聞くな」
そう忠告した。
「そうだ、そなたらには関係ない」
アルファも冷たく言い放ち、カイルとフォウルも同意したが、シリウスだけは違っていた。
「別に聞かれてもかまわないよ。さっき、もう平気って言ったじゃない」
コーンと一緒に焼き上げたパンの上に、エリカのくれた肉とトマトを乗せ、それを一口かじってから、
「パーティ会場でちょっと毒殺されかけて落ち込んでたんだ」
と、さりげなく言った。
「……」
さすがのエリカたちも思わずポカンと口をあけたし、それまで黙っていたマイルズは食べていたサラダを噴き出しそうになった。
竜人たちは慌てている。
「シリウス様……!」
「犯人はもう捕まったし、心配ないんだけど、ビックリしちゃって食欲がなかった。でももう平気」
実際のところ、シリウスは自分自身に平気だと言い聞かせている段階で、本当に『平気』になるためにはもう少々時間がかかるだろうが、若干ヤケになっていた。
シリウスは常になく行儀の悪い食べ方で、どんどん食べ進みながら、ふと手を止めると、切なくエリカを上目遣いに見上げた。
どこでそんな表情を覚えたのか、大きな瞳を甘えるように潤ませ、切なく下から覗き込む。
「エリカさんたちはぼくの食べ物に毒なんか入れないよね……?」
「い、入れるわけないだろ!」
慌てて叫ぶと、シリウスは、あはは、と笑った。
「だよね。ぼくを恨んでいる人は他にいると思うから、もしぼくが殺されそうになってるとこを見かけたら助けてくれるとうれしいな」
冗談なのか、本気なのかわからず、その場の全員が困惑して食事の手が止まった。
マイルズや竜人たちはともかく、大家の三人の手が止まったのだから相当だ。
それを見て、シリウスも自分の発言が少々過激すぎたのを察した。
小さくため息をついて苦笑する。
「冗談だよ。――あのね、明日兄上がアレスタに来るんだ。ぼくが落ち込んでたこととか、毒を飲まされそうになったこととか、兄上には教えないでくれる?」
「兄君が?!」
思わず叫んだのはレイで、うっかり大声を出したのをごまかすため咳払いをした。
それから改めて話し出す。
なぜだかヒソヒソと小声だ。
「ここに、いらっしゃる? ルーク殿下が?」
「うん。ここに泊まってくれるかはわからないけど、来るよ」
「……泊ま……」
シリウスの兄がウェスタリアの次期国王、王太子ルークであることを正確に把握しているレイは青ざめた。
なんとなく把握しているだけのエリカとロックはむしろ嬉しそうだ。
「へー、よかったじゃん。兄ちゃんが来るなら明日は食い物も増やさないとね。兄ちゃんって一人で来るの?」
「アレスタには大勢でくると思うけど、ここにはたぶん何人かだけ。ね、さっきの、内緒にしてて」
もしも万が一、毒殺されかけた、などと知られたら、絶対に即日ウェスタリアへ連れ戻される。
それはなんとしても避けたかった。
エリカたちに「毒殺されかけた」と正直に話したのもこのためだった。
もしも、なんだかしらないけど落ち込んでたよ、などと気軽に兄へ告げ口されたら、なぜ落ち込んでいたのか理由を話さないわけにいかないからだ。
シリウスは竜人たちにも同じように話しかける。
「絶対言わないでね」
「はい」
「わかった」
「はっ……」
ですが、と続けかけたアルファは言葉を飲み込んだ。
本当は、明日到着予定のルークに、今日のことを相談するつもりだった。
アレスタを出てウェスタリアに戻っても、完全に安全になるわけではないが、少なくとも敵は減る。
主人が悲しむことはわかっていたが、安全を優先するなら帰るべきだ。
だが約束してしまったからには、もう相談できない。
今回はたまたま魔物から抽出した毒だったため事前にわかったが、自然由来のものだったなら気づかなかったかもしれない。
そうなっていたら。
考えると血の気が引いて食欲も失せた。
フォウルは浄化魔法に関しては疑うことなく世界一だろうし、解毒も得意であるとわかってはいるけれど、それでも手遅れになることはある。
胃の中の毒素は浄化できても、体に吸収されてしまった毒は、完全には抜くことができない。
不調を感じてからでは遅いのだ。
今この瞬間からでも、すべての食べ物をチェックするべきかもしれない。
大家たちに悪意がなくとも、購入時の段階で毒が入れられていればわからないからだ。
机の上に満載されている料理を見渡していると、フォウルがチラリとアルファを見た。
「全部調べた」
さりげなく小さな声だったのでアルファにしか聞こえなかったが十分だった。
普通であれば、解析魔法を使うと光るのだが、机の上は特に光ったりしなかったため、魔法が行使されたことにアルファも気づかなかったが、フォウルはどうやら食事から水分を少量ずつ抽出し、手元で解析を行ったようだった。