106・☆竜と行進
シリウスがマイルズに真実を話した翌日、午前中は騎士団とカイルのパレード、午後には公式行事が多く行われる建物でパーティの予定になっていた。
カイルは準備のため一足先に下宿を出たのだが、シリウスはパレードを見に行くかどうかでまだ迷っていた。
騎士たちが街を歩き、カイルが上空を竜の姿で数周旋回するはずだ。
シリウスとしてはカイルが空を飛ぶ姿を見たかったけれど、まだパレードが始まるまで時間があるはずなのに、騎士たちの通る順路にはすでに見物の人々が溢れている。
行くなとは言われていないけれど、アルファもフォウルも、すでに若干緊張した面持ちなのをシリウスは気づいていた。
人が雑多に溢れる場所に、できることなら行かないでほしいと思っていることは明白だった。
「ぼくたちはパレードをあきらめて先にパーティ会場へ行っていようか」
シリウスの提案を聞いたアルファは複雑な表情だ。
シリウスがパレードを見てみたいと思っていることをわかっていたからだ。
だがやはり、あまりに人が溢れている場所には行かせたくない。
すでに狼の姿で待機しているフォウルも、返答を躊躇しているところを見ると、同じように考えているのだろう。
けれどシリウスはそれほどガッカリしていなかった。
もう自分の立場を十分理解していたし、カイルが竜になった姿なら、お願いすればきっといつでも見せてくれるだろう。
整然と進む騎士たちのパレードには興味があったけれど、ウェスタリアで新年の祭りの際に、似たような光景を見たことがある。
「パーティ会場の近くからでも、きっとカイルが飛んでるとこが見えるよね」
「ええ、我が君。カイルはきっと、上空からでも我が君を見つけて近くを飛ぶでしょう」
アルファは膝をつき、いとしい主人に優しい視線を向けた。
なるべく人の少ない道を選び、シリウスはアルファと狼を伴って会場へ向かった。
多くの人が通りに出ているので、もうすでにスリなども発生していたし、裏路地には剣呑な男たちが集まってもいたが、今日は世界一強い護衛がついているのでまったく不安なく歩く。
ゴロツキどもだって、見るからに尋常ではない気配の青年と、巨大な狼に守られた人物をわざわざ狙ったりはしなかった。
悪さをするなら、今日は他にいくらでも獲物がいる。
赤竜が空を飛ぶという噂を事前に聞き知った人たちは、混雑する大通りには降りず、自宅の屋上に登っていた。
騎士たちのパレードが始まったのか、遠くからマーチングバンドの鼓笛隊が奏でる軽快な音が響き始めている。
シリウスたちが細い道を抜け、パーティ会場の前に向かっていたころ、カイルは実家の庭で竜に化身し、慣れ親しんだ芝生の庭園からそっと飛び立った。
本当は、騎士たちのパレードの先頭で竜になってみせてほしいと懇願されたのだが、これはキッパリ断った。
もりあがる、みんなよろこぶから、と何度も何度もせまられた。
しかしそもそも、人間でいるときの顔を市民に知られたくないから竜の姿で参加するのであって、変身する瞬間をみられては意味がない。
そんなわけで、早朝のうちにシリウスの下宿を寂しく一人出発し、実家に篭っていたのだった。
竜に化身したカイルは高く飛び上がり、それから徐々に高度を下げ、街を歩く騎士たちの頭上を飛ぶ。
風の音よりも大きな、地上の人々の歓声が耳に届いた。
みな手を振り、一様に喜びの表情を浮かべている。
けれどカイルはそんな人々の表情を確認してはいなかった。
街路に沿って飛び、カイルにとって、唯一大事な人の姿を探す。
飛び立ったカイルが一番最初に向かったのは、もちろん普段住んでいる下宿の上空だ。
シリウスがいるとしたらその付近だと思ったからだが、大通りは人が多すぎた。
かといって、パレードが良く見える屋根の上は落下の危険があるから、アルファやフォウルは主人を近づけたがらないだろう。
実際、空を行くカイルはシリウスのことが心配だった。
あのあふれかえるギュウ詰めの人々の中に、大事な大事な主人が含まれているかもなんて、危険すぎてゾッとする。
それでもカイルは、道を埋める人々の中に、金の輝きを探した。
どんなに人が密集していようと、カイルはシリウスを見逃さない自信があったのだ。
けれど目当ての人物は見つからず、空を飛びながらカイルは主人を求めて思わず一声切なく鳴いた。
赤竜のやさしい声を聞いた人々はみな喜んだが、そうじゃない人物が一人だけいた。
「ここだよ、カイル!」
パーティ会場近く、騎士たちのパレード順路からは遠く離れた場所で、シリウスはゆっくりと空を旋回する赤竜に声をかけた。
人々が熱狂し、歓声を上げる中で、それよりも遠い自分の声が届くとは思わなかったけれど、大事な友人が自分を探す切ない声を聞いたら応えずにはいられなかったのだ。
聞こえるとは思っていなかった呼び声だったけれど、声をあげた次の瞬間、赤い竜はハッとなってすかさずシリウスの方を振り向いた。
続けて赤の瞳を輝かせ、さっきとはまったく違う歓喜の声をあげる。
大きく旋回してUターンすると、シリウスの頭上を飛び、低い位置でホバリングした。
いかにも降り立ちたそうなそぶりを見せていたが、なんとか上空にとどまっている。
付近に人は少なかったが、低い位置に降りて来た赤竜をみて、明らかにさっきより人が増えた。
アルファもフォウルも警戒していたし、人間が増えたのを察したカイルも事態に気づいた。
手を振るシリウスにじっと視線を向けた後、再び高く舞い上がる。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「カイル、行っちゃったね」
寂しそうにつぶやいたシリウスの金の髪を、アルファは長い指先でそっと櫛梳いた。
赤竜の羽によって生じた風はそれほど強くなかったが、それでもわずかに乱れた直毛を直してあげたのだ。
「あやつが我慢できずに降りて来たらどうしようかと危惧しておりました」
本気で心配していた口調で言って微笑む。
それを聞いてシリウスも笑った。
「こんな狭いとこじゃ降りられないよ」
「ボクだったら降りると思う。狭くたって関係ない。カイルはよく我慢できる」
足元で蒼い狼がしみじみと独り言のようにつぶやいたので、シリウスはますます笑みを深くしたのだった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
パレードが終わらないうちに、シリウスたちはパーティ会場に入った。
招待客のほとんどがパレードを見に行っているため、会場の中はまだあまり人が集まっていない。
フォウルは人の姿に戻り、正装を着て付き従っている。
まだ公式には竜人であることを明かしていないので、今日のところは一応、従者という扱いだ。
「ウェスタリア王国、シリウス・オヴェリウス・ウェスタリア殿下! ならびに、黒竜公、アルファ・ジーン閣下!」
執事の声と同時に入室すると、人々の視線が集中したが、いまのところ閑散としているためそれほど注目を浴びずにすんだ。
「シリウス、もうこっちに来たのか」
入室したシリウスたちへ最初に声をかけたのは、アレスタでシリウスたちの正体を知る数少ない人物、同級生のワグナーだった。
「うん。ワグナーこそ早いね。パレード見ないの?」
「飛んでいる赤竜公閣下のお姿は拝見したから十分だ。本当はもっと見ていたかったが、人ごみは苦手なんだ」
つまらなそうに呟いて、優雅に腰を折る。
貴族の長男らしく、隙のない完璧な礼だった。
「シリウス殿下、父を紹介させていただきたいのですが、お時間をいただけますでしょうか」
「うん。でも、その口調……」
シリウスが指摘すると、ワグナーも眉をゆがめて小さく肩をすくめた。
「私としても不本意ですが、他の方々の目もあります。この場だけのことですのでご容赦を」
「そうだね。ワグナーが無礼者って思われたら困るもんね」
からかうように言うと、ワグナーは不満そうに口を尖らせてから苦笑した。
会場には人がほとんどいなかったが、それでも小声で付け足す。
「まあそういうことだ。父上を連れてくるよ」
先日シリウスたちが救出したとき、意識のないロイド卿は、顔色も悪くひげも伸び放題だったが、今日のロイド卿はあれからすっかり回復したらしく、若干やつれてはいるものの、ほほもわずかにふっくらとし、髭や髪も美しく整えられていた。
白に近い金髪は冷たい印象もあったが、精悍な表情を取り戻している。
「はじめてお目にかかります、シリウス殿下」
一方的にはじめてではなかったシリウスだったが、差し出された手を嬉しい気持ちで握った。
この人が無事だったから、ワグナーも明るさを取り戻したのだろう。
「はじめまして、ロイド卿。ご子息にはお世話になっています。こっちはぼくの友人で黒竜アルファ・ジーンです」
「これは……、ご紹介にあずかり光栄です、黒竜公閣下」
「よろしく」
アルファの答えは失礼にあたらないギリギリの短いものだったが、差し出された手を拒みはしなかった。
握手を交わし、再びシリウスの隣で護衛に徹するつもりなのだった。
シリウスはフォウルも紹介するか迷ったが、蒼髪の青年は、紹介されてもきっと喜ばないと思ったのでそっとしておいた。
今日のフォウルはシリウスに貰った正装を着込んでいて、その静かな佇まいからしてただものではなかったから、たんなる侍従と紹介するのも不自然な気がしたせいもある。
だが、当然といえば当然なのだが、ロイド卿の方がフォウルに興味をもってしまった。
「そちらの方は……?」
「彼もぼくの友人です。今日はぼくの付き人ということにしておいてください」
そう言うと、ロイド卿はそれ以上フォウルについて詳しく聞きだそうとはしないでくれた。
「赤竜公閣下は殿下のご指示で私をお助けくださったとか。殿下は命の恩人です。なんとお礼を申し上げたらよいか」
「魔物を倒してロイド卿を救出したのはカイルです。ぼくはその場にいただけです」
ロイド卿の救出に関しては言葉のとおりで間違いなかった。
他の要人を救出したのはアルファとフォウルだったけれど。
「では、赤竜公閣下がご来場されたら、もう一度お声をかけさせて頂いてもよろしゅうございましょうか」
「もちろんです」
まだいくらか攫われた時のやつれが残るロイド卿は、疲れた様子も見せず、笑顔のままシリウスたちの前から立ち去った。
その後も声をかけてくる人々はチラホラといたが、アルファとフォウルがあまり友好的ではないので会話も弾まず、長居するものはいない
シリウスとしては複雑だったが、少なくとも、いまのところは無礼な事も言われていないし、アルファたちも昨日のシリウスのお願いもあってか、会議のあとの親善パーティのときのように、近づく人々に睨みをきかせて威嚇したりはしていなかった。