103・☆打ち明けて、打ち解けて
日の当たる屋上庭園には、昼食を食べるために結構な数の生徒たちが集まっていた。
シリウスとワグナー、それに狼のフォウルは、その中に作られた池の脇に座ってサンドイッチを食べていた。
ワグナーは、フォウルが喋れることも、シリウスがウェスタリアの王子だということも知っていたが、とりあえず今は気づいたということをシリウスには言わないようにしようと決めていたし、狼の方もそのつもりのようだったので黙っていた。
昼食もあらかた食べ終わるころ、ワグナーはおとなしく座っている狼をチラチラ見ながらシリウスに聞いた。
「この狼には食べ物をやらないのか?」
「ぼくも一緒に食べたらいいのにって思うんだけど、食べてると咄嗟の時に噛み付けないから嫌なんだって」
なんだかさりげなく恐ろしい事を言われた気がしたので、今度は別のことを聞いてみる。
「そ、そうか。それで、相談ってなんなんだ?」
「うん……」
シリウスは食べ終わった紙袋をたたみ、ひざの上に広げていたハンカチを片付ける。
「ワグナーのお父上は身分のある立派な方だよね」
「まあ、そうだな……」
「ワグナーにも身の回りの世話をしてくれる人とか、いるよね。そういう人たちが、すごーく自分のことを心配してくれてる時って、どうやって安心させてあげてる?」
「はぁ?」
意外すぎる問いかけだったので、思わず変な声が出た。
隣を見ると、蒼銀色の狼もシリウスを見上げている。
彼にとっても意外な質問だったようだ。
「ほんとは、フォウルにも内緒で聞きたかったんだけど」
シリウスは笑って狼の頭を撫でた。
「あ、フォウルはほんとに人の言葉がちゃんとわかっているんだよ」
「頭がいいんだな」
そう言うと、シリウスは本当にうれしそうにうなずいた。
それから黄金に輝くまつげを伏せる。
「正しいと思うことをしてるつもりなのに、気がつくとみんなに心配ばっかりかけてるんだ。そんな風にするつもりは全然ないのに……」
ワグナーはシリウスの悩みの大部分を理解できなかった。
家政は家政だし、護衛は護衛だ。
主人の安全を守り心配するのが彼らの仕事だし、気を使ってやる必要はない。
けれどシリウスの言っている「身の回りの世話をしてくれる人」には、もしかしたら赤竜公も含まれているのではないだろうか。
そうだとしたら、ワグナーの考えている家政や護衛などとは存在感が違いすぎる。
「お前にとって、その「守ってくれる人たち」ってのは、どれぐらい大事な人たちなんだ?」
「どれぐらいって?」
「単なる雇い人なのか、友達なのか、家族なのか、それによって違うだろ」
「家族だよ」
一瞬の迷いもなくシリウスが答え、フォウルが顔をあげた。
三角の耳がかすかに震えている。
「いつもは友達って言ってるけど、それは血が繋がっていないから……。みんながぼくを大事だって言ってくれるのと同じぐらい、ぼくもみんなが大事だし、大好きなんだ」
強い意志を宿したアメジストのような瞳が紫の色素を濃くし、ワグナーはその瞳に吸い込まれそうになった。
この天使のような容貌の少年が、まったく純粋な気持ちで言っているのを察して、フォウルというオオカミに同情した。
シリウスは天然のタラシだ。
この調子で普段から周囲をたらしこんでいるのだとしたら、悪意のない悪魔だろう。
「家族なら心配しあうのは普通だ。放っておいてもいつかはそんなに心配されなくなるだろ。親離れ、子離れするみたいに」
「それっていつかな……」
「お前が成人するころじゃないか?」
「……」
シリウスは思わず考え込んでしまった。
彼らは死ぬまで決して傍を離れないと誓ってくれた。
成人しても今と状況は変わらない気がするのだった。
そのとき不意にフォウルが顔をあげた。
シリウスとワグナーもつられてそちらを見ると、黒衣の青年が歩み寄ってくる所だった。
「我が君。休憩中お邪魔して申し訳ございません」
膝をついて謝罪すると、穏やかな視線をシリウスに向ける。
ワグナーにはまるで関心がない。
「邪魔なんかじゃないよ。それよりどうしたの?」
「校長に俺の授業のスケジュールについて少々話が。近くに来たので我が君のお顔を見ておきたく……」
「会いにきてくれたの?」
うなずく黒衣の青年に抱きつくシリウスを見て、ワグナーはその光景を色々な思いをこめて見学していた。
以前、父に聞いた話では、赤竜公が忠誠を誓っているというウェスタリアの王子には、ほかに黒竜公も傍に仕えているということだった。
とても信じられず、父が息子を驚かそうと大げさに話しているのだろうと思い込んでいたけれど、ワグナーの考えていることが当たっているのなら、この黒衣の青年は黒竜公ということになる。
確かに青年は、恐ろしいまでの威圧感と、ただものではない雰囲気を身にまとっていたけれど、竜人だなどと、さすがにとても信じられない。
シリウスは青年から離れると、あらためてワグナーに向き合った。
「それでね、ワグナー、もうひとつ、祝賀パーティのことなんだけど」
「あ、ああ」
考え込んでいたワグナーは慌てて返事をした。
「実はね、ワグナーのお父上はぼくの事を知ってるかもしれないんだ。パーティに来るほかの何人かの人も」
「……」
シリウスが何を話そうとしているのか察し、アルファもフォウルもワグナーを見つめている。
見られているワグナーもなんだか緊張してきた。
「たぶん、そういう人たちはアルファの事も知ってる」
「……確かに、父上はお前のことを知っていた」
ワグナーの返事にシリウスは紫の瞳を一瞬揺らして首をかしげた。
「ええと……。もしかして、ワグナーも知ってる?」
「たぶん」
かなりの覚悟を持って言おうとしていた事を、あっさりと「すでに知っている」と言われたシリウスは、彼に似合わず内心で少々うろたえていた。
次に何を言うべきかわからなくなってしまったのだった。
本当は、自分の身分を明かしたあと、黙っていたことを謝罪して、それから、もし許してくれるなら、これからも友達でいてほしいと言うつもりだったのだ。
困ってしまってアルファを見上げると、黒衣の青年は静かにうなずいた。
「ワグナー、そなたがいつ我々の事を知ったのかはわからぬが、黙っていてくれたことに感謝する」
「いえ、黒竜公閣下。でももし俺に少しでも感謝するとおっしゃるのであれば、先日シリウス殿下に怪我を負わせた件をお許し頂きたい」
ハッキリとアルファの事を黒竜公と呼び、シリウスに殿下と敬称をつけた。
けれどアルファは渋い顔だ。
「……その件はまだ許せぬ」
「ワグナー、アルファはこんなこと言ってるけど、もう怒ってないよ。もしまだ怒ってたら、ぼくがワグナーとご飯を食べるのだって許してくれないと思うし」
それから、ふう、とため息をついて、あらためてワグナーに向き合った。
打ち明けなければ、と覚悟を決めていたのでめずらしく緊張していたのだ。
「ワグナーがぼくのことをもう知ってるとは思わなかった。誰にも言わないでくれたんだね」
「シリウスはそうして欲しいんだろう? でも態度を改めた方がいいならそうする」
ワグナーがそう言うと、シリウスが飛びついてきた。
「ううん、嬉しいんだ。絶対いまのままがいい! これからも友達でいてくれる?」
頑固でプライドの高い貴族の少年は、隣国の王子に抱きしめられて少々困惑していたが、シリウスのやわらかな体や、いいにおいのするサラサラの金の髪が心地よくて思わず目を閉じた。
恐る恐る抱き返す。
細い体は同い年とは思えないほど華奢だった。
守ってあげなくてはという気持ちが急に湧き上がってくる。
ふと目を上げると、黒竜アルファは意外にもほっとしたようにやさしげな顔をしていた。
心底嫌われていて、シリウスと仲良くすることも反対なんだと思っていた。
「我が君、俺はお顔を見るためだけに寄ったので、そろそろ戻ります。……ようございましたね」
「うん、ありがとう、アルファ!」
シリウスが身分を明かしても変わらず接してくれる友人を得たことに、アルファは安堵していたのだった。
もしこれでワグナーが離れてしまったら、きっとシリウスは悲しんだだろう。
そうならなくて良かったと、心底ホッとしていた。
主人がとっくに許している人物を、いつまでも憎み続けるわけにはいかない。
どうもフォウルの方もいつのまにかこの少年を許容している風だ。
フォウルがワグナー少年を襲ったときの様子をアルファは見ていなかったが、おそらく命を奪う勢いで襲い掛かったはずだ。
それなのに、ワグナー少年は、フォウルをそれほど恐れていないように見える。
見た目以上になかなか度胸があるようだった。