☆クリスマス&100回記念(後編)
歌を贈ってもらえると聞いて、シリウスがとても喜んだため、カイルも俄然張り切った。
さっそく特技を披露しようと、胸に手を当て息を吸い込む。
「あっ、ちょっと待って!」
「えっ!?」
今まさに歌い始めようとしていたところだったので、急に止められカイルは小さく咳き込んだ。
「あ、ゴメン……。でも、せっかく歌ってくれるのに、こんな廊下じゃもったいないよ」
シリウスはアメジストのような瞳をきらめかせて、カイルの手を引張った。
「中庭のガゼボのところがいいよ。前にパーティやったとき、あそこで歌手の人が歌ってくれたじゃない。今は雪がすごくキレイだし、中庭の警備の人たちにも聞こえるから」
「私はどこでもかまいません」
シリウスは何も知らず無邪気に頼んだが、普通の歌手であれば、雪の中で歌うと喉を痛めるので嫌がる。
だが炎の竜人であるカイルには、寒さなど、どうということはない。
「よかった。……でも外に行く前に、なんでみんながぼくに贈り物をくれるのか、ちゃんと教えてくれる?」
竜人たちは顔を見合わせたが、結局シャオが説明した。
今はないどこかの世界で、大事な人に贈り物をする日があったのだ、と。
今日がその日で、だから竜人たちは贈り物を用意した。
「今はない世界って、本当にそんな世界があったの?」
「どうじゃろうのう、わしも、実際に見たわけではないのですじゃ。痕跡から、あったんじゃろうなあ、と想像はするけれどものう。蒼竜も、聞いただけで、実際に見知っておるわけではないそうじゃし」
「本当でも作り話でも、素敵な日だね。先に教えてくれてたら、ぼくもみんなに何か用意したのに」
『大事な人に贈り物をする日』なのに、もらうばかりで何もあげられないのはちょっと寂しかった。
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カイルに歌ってもらうため、全員で庭に出てみると、城の中でワイワイやっている間に、外はすっかり暗くなってしまっていた。
アルファはすかさずシリウスの肩に、自分のマントを着せ掛ける。
チラチラと降り続ける雪が月光に輝いて美しかったが、夜の空気が冷たくかわりつつある。
カイルは白い大理石で作られたガゼボの前に立ち、何度か深呼吸した。
今まで、王の庭や、舞踏会など、高貴な人々が何百人もいるような場所で歌ったことも何度かあったが、こんなに緊張したことはない。
人間が何百人、何千人いようとも、どれだけ身分の高い相手が目の前にいようとも、今までまったく気にならなかったけれど、広い世界にたった一人、唯一無二の大事な人が聞いてくれるのだと思うと、喜びと緊張で鼓動が昂まった。
季節ごとにたくさんの花々が咲き誇る庭も、今は純白の雪に覆われている。
花が終わった秋の蔓バラが、彫刻の施されたガゼボの細い柱にまきついていた。
その中央に立つ。
カイルはまっすぐにシリウスを見つめると、大きく息を吸い込んでから、天に向かい宣言するかのように、声を出した。
「エト・クリエディン・テ・アド・アミン・ペアトゥロ・イグニィス」
――あなたと、あなたの愛するものに、炎の守護を。
よく通る美声が庭にいるすべての人の耳に届く。
続けてカイルは朗々と歌いだした。
やさしく、力強く、想いをこめて。
小さな青白い火の粉が、雪とともに淡く光りながら舞い、シリウスの周囲をキラキラと輝かせた。
触れてもほんのりと暖かなだけで、熱くはない。
気づけば、声を聞いた人々が徐々に中庭へ集まりはじめ、国王夫妻や、王太子のルークも、部下の騎士たちとともに、カイルの歌を聴いている。
シャオは、城壁の外にも、人が大勢いることに気づいた。
みんな城内だけに降り続ける美しい雪が気になっていたのだろう。
壁から落ちてくる雪のかけらで、こどもたちが遊んでいる。
そこへ、壁の向こうから伸びやかな歌声が響いてきて、街の人々はますます城壁の近くに集まってきているのだった。
シャオはそっとガゼボから離れ、人の輪から遠ざかった。
その場で白い竜に姿を変える。
長大な体を静かに上昇させ、城壁を縁取るように周った。
城下街の空全体から、白銀の雪が降ってくる。
雪の粒はごく小さく、人が触れればたちまち消えてしまったが、街の光を反射して、雪それ自体が光っているようにも見えた。
街の人々が空を見上げれば、白い竜がゆっくりと城の上空を旋回している。
月光を浴びて白銀色のうろこが虹のように輝いていた。
地上の人々を見守るように飛ぶ竜の美しさに、大人たちが感嘆の声を上げ、子供たちは雪を追いかけて大喜びだ。
力強くも穏やかに心へ訴えかける、カイルの柔靭な歌声を聴きながら、シリウスは目を閉じた。
周囲で舞う、雪と火の粉に、いつのまにか金の光が加わる。
一番最初に気づいたのはルークだ。
蛍のように踊る黄金の輝きは、間違いなく弟の魔法。
手のひらの中に受けたその光は、熱くも冷たくもなく、ルークの手の中を少しの間やさしく照らしたあと、雪が解けるのと同じように消え去った。
消えた光が惜しくて顔を上げると、目の前に、もうひとつ金の光がヒラヒラと舞い降りてくる。
シリウスの体から、金の蛍火があふれ、庭中に、それから街の中全体に、広がっていった。
ひとつひとつは小さな光だったけれど、街じゅうに散った輝きは木々や家々に留り、またたいては消え、再び新たに降ってくる。
カイルの歌声が金の光に宿って国中に届いた。
空の星が降り注ぐように、雪と金の光とが街を明るく照らす。
それはすばらしく美しく、すばらしく幻想的な光景で、大人も子供も、貴族も市民も、等しくただただ心を奪われ、声も出せずに見入っていた。
歌が終わり、金の光が消え去ったとき、夜の王都にどっと歓声が上がった。
そこかしこから拍手が響き、祝日でもないのに祝福の言葉が交わされる。
白い竜が飛んだことで、国民はすでに、事の発端は竜人たちの主人だとうわさのシリウス王子であろうと察していたため、自分たちの王子と城に向け、感謝と喜びの声をあげている。
城内でも惜しみない拍手が続いた。
シリウスはカイルに駆け寄ると、すかさず抱きついた。
「すごかったね、カイル! 本当に上手だった!」
「シリウス様こそ、光を下さったのですね。とても美しい光景でした」
カイルはシリウスをぎゅっと抱きしめ、さっき見た光を一生忘れないよう、心に深く刻む。
思いやりに満ちた、やさしい光だった。
「ぼくも、みんなに何かあげたかったんだ。貰うばっかりじゃなくて……。来年は、もっとちゃんと用意する」
竜の姿のまま、中庭にとぐろを巻いていたシャオが、くつくつと喉で笑った。
今はない遠い世界の風習が、この世界でも、祝いの記念日として根付いたようだったから。
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中庭での出来事の話題で、大いに盛り上がった夕食も終わり、シリウスが自室に戻ると、ベッドの上に見慣れぬモノが置いてあった。
一抱えほどの、キレイに包装された贈り物。
やわらかな質感の何かを、赤い包装紙で包み、金色のリボンで装飾してある。
一瞬、扉を振り返る。
竜人たちの誰かが、追加でこっそり何かプレゼントをベッドの上に置いてくれたのかも、とも思ったが、彼らはずっと傍にいた。
少し警戒しながら近づいて触れてみるが、何も危険な気配はない。
リボンには二つ折りにされた小さなカードが挟んであった。
開いてみると、流れるような文字でメッセージが残されている。
『お風邪を召されませんよう、私と友人たちとで編みました。私がこれを贈ったと知れると、黒竜公閣下がお怒りになるでしょう。できれば、送り主のことは誰にも言わないで下さい。~グレン』
「グレン? ここにグレンがきたの?」
シリウスは、以前、暴れ馬から自分を救ってくれた、銀髪の青年を思い浮かべた。
やさしくて頼もしい、どことなく竜人にも似た雰囲気の、不思議な青年だった。
アルファがなぜかピリピリして追い払ってしまったけれど、また会えたらと思っていた。
シリウスはそっと金のリボンをひっぱり包みを開ける。
「うわあ……」
白に近い生成り色のセーター。
同じ色の、帽子とマフラー、それに靴下と手袋。
太い毛糸で編まれたそれは、網目の不ぞろいな部分もあったりして、素人が一生懸命編んだものだとすぐにわかった。
そんな中で、セーターとマフラーだけは、複雑な模様が幾何学的に美しくほどこされ、網目にも一切狂いがない。
「この二つはグレンが編んだのかな……」
あのクールな雰囲気の青年が編み物をしている姿は、不思議だけれどとても似合っているように思えた。
自然というか、なぜか簡単に思い浮かべることができる。
まるで昔からその光景を何度も見たことがあるみたいに。
ためしにマフラーを巻いてみると、驚くほどに暖かかった。
ふかふかと心地よく、もらった編み物をまとめて抱きしめる。
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――シリウスが街を光で満たした、その数日前、竜人たちが贈り物についての話し合いをしていたころ、魔人たちも、ジオの緑の温室でお茶をしていた。
グレンは籐で出来た長いすに背を伸ばして腰掛け、よどみなく手を動かしている。
両手には細い棒が二本と、そこから伸びるのは白い毛糸。
魔人たちの長は、今、真剣に編み物に取り組んでいた。
グレンだけではなく、ジオも、アイシャも、ツヴァイも、それぞれ毛糸を手に苦戦している。
「ねえ、あたし指がつりそうよ。何かほかのものじゃだめ?」
「アイシャはただ丸く編むだけの帽子なんだからいいじゃないか。僕なんか、途中で曲がってる靴下だよ! 二つ作んなきゃならないし」
アイシャとツヴァイが愚痴を言うと、顔を上げないまま黙々と手袋を編んでいたジオが諌めた。
「二人とも、文句を言う暇があったら手を動かす。グレンを見なさい。彼は一番複雑なセーターだけではなく、マフラーも編んでいるのですよ」
アイシャとツヴァイは尊敬のまなざしで、自分たちのリーダーであるグレンを見つめた。
グレンの手元のセーターは、美しく複雑なアラン模様が施され、すばらしいスピードで着々と完成に近づいている。
「でも、あたしたちは、光の君に会えないもん。プレゼントを渡しに行くのはグレンなんだから、がんばるのはあたりまえじゃない」
紫のツインテールをいじりながら、アイシャは頬をかわいらしく膨らませたが、ここでようやくグレンは手を止め、苦戦する仲間たちを見渡した。
「今回は、私も直接は会わないつもりだ。部屋にこっそり置いてくる。以前と違い、今は私の顔を知っているフォウルがいるからな。光の君は祝日を覚えておられぬだろうし、不審な贈り物として周囲の者に警戒されれば、取り上げられてしまうかもしれぬから、参加したくないものはやめてもかまわん」
やめてもいい、と言われ、アイシャは途中まで編んだ丸い帽子を見下ろした。
「や、やめないわよ! あと半分ぐらいだもん。それに、あの人にかぶってほしいし……」
「そうですね。これから寒い季節になりますから、お手元にさえ渡れば、きっと着てくださるでしょう」
「でもそのためには、いい物作らないとダメだよね。ヘタクソだったら捨てられちゃうかもよ~」
グレンは仲間たちの騒ぎには口を挟まず、再び編み物と向き合った。
魔力で何かを作り出すのは簡単だったが、特別な力を何も使わずに作った物を贈らないと、傍に仕える竜人たちに、魔人が作った品物だと察知される恐れがあった。
ジオは手袋を編む手を止めず、親友に尋ねる。
「でもなぜ編み物なんです?」
「光の君に、編み物を差し上げるのは初めてではない。あの方は、私が毛糸を編む様子をいつもすぐ傍でいつまでも楽しそうに眺めていた」
そう言うと、魔人たちはその状況を想像したのか、納得した様子で再び編み物に戻っていく。
いつかは命を奪い、その心と魂を手に入れるつもりだったけれど、彼らにとって、それはすべてシリウスのためを想っての事だった。
たとえ一時は苦しめることになっても、おろかな人間たちから魂を救い出したその後は、永遠の平和を与えてあげられると信じて疑わない。
だが、今はまだそのときではなかったし、その日は特別な日であったから。
「かの世界では、人間たちも、その日だけは戦争行為をやめ手を取り合ったものだった。『その日』だけではあったが、あの方は争いのない世界を見て、ずっと、こんな風だったらいいのに、と……。おろかにも結局やつらは自らの兵器で滅んだがな」
グレンは編みかけのセーターに手のひらをあて、こんな他愛のない編み物などではなく、理想の世界を贈ってあげられる日を想った。
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シリウスは、部屋の中を見渡した。
城の中には騎士たちがいるし、許可なく他人をシリウスの部屋に入れたりなど、絶対にしないだろう。
グレンがなぜ贈り物をする日を知っていたのかも不思議だったけれど、どこからきてプレゼントを部屋に置き、誰にも見つからず去ったのか、まったくわからない。
そんなわけはないよね、と思いつつ、窓から外を見る。
三階だったし、グレンがこの窓から出入りすることは絶対に不可能だとわかっているけれど、ほかにルートが思いつかなかったのだった。
もうすでに雪はやんでいて、空には下弦の月と、たくさんの星が輝いている。
「……?」
その星たちの中に、遠ざかっていく銀の光を見た気がした。
けれどその光は、シリウスがまばたきをしている間に、藍に輝く夜の帳の向こうへ消え去ってしまった。
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「おはようございます我が君、お早いお目覚めだったのですか?」
翌朝、着替えて部屋を出ると、今朝の当番だったアルファが扉の前に立っていた。
その足元には蒼い狼。
いつもはカイルかアルファが扉をあけてくれるまでベッドの中にいるのだけれど、今朝はもらった編み物に早く着替えてみたくて、目が覚めてしまったのだった。
生成りのセーターを着たシリウスを見て、アルファが目を細める。
いつもシリウスの着替えを用意しているアルファだったが、今日の服を見るのは初めてだった。
急な雪の対策のため、昨晩のうちに乳母やがあわてて用意したのだろう、と心の中でうなずく。
「ずいぶんと暖かそうなセーターですね」
「うん! すっごくあったかい。ぼくが風邪をひかないように編んでくれたセーターなんだって。……どう?」
「とてもよく似合っておいでですよ」
黒鋼色の瞳を細め、アルファは心から主人を賞賛した。
狼の蒼い尻尾も同意するようにフサフサと揺れている。
廊下の向こうから、カイルが歩いてくるのが見えた。
「ねえ、早く朝ごはんを食べて、みんなで外に出てみようよ。昨日シャオが帰る前に、今日は暗くなっちゃって雪遊びができなかったから、明日はお昼ごろまでは雪で遊べるようにって、追加で降らせて行ってくれたんだ。――セーターだけじゃなくて、マフラーも手袋も靴下も、全部そろってるんだよ。全部着れば寒くないから、雪で遊びたい」
誰かが想いをこめて編んだ温かなセーターに身を包んでいるシリウスは、本当に幸せそうだった。
子犬のように飛び跳ねながら廊下を歩くシリウスの前後を、竜人たちがさりげなく、だがしっかりと守護しながら進む。
いつも竜人たち三名は、声に出さずに視線を交わし、それぞれの位置関係を調整しながら完璧にシリウスを守って歩く。
悪意ある人間たちや、命を狙ってくる魔人たちには、指一本触れさせるわけには行かない。
来年は、今年よりももっと、喜んでもらえる品物を贈りたかった。
そのために、主人と、主人の愛する世界を、しっかりと守ってみせると、竜人たちは心の中で強く誓う。
シリウスは自分を見守っている竜人たちを振り返り、みんなが傍にいてくれると全然さむくないね、と笑った。