99・☆救助大盤振舞2
魔物から要人を救助するため、穴の中に進入したフォウルは、小さな火の精霊イグニス・ファトゥスのわずかな明かりを頼りにゆっくり降下していた。
魔物は地下の空間いっぱいに絡まりながら眠っているようだった。
眠っているというより、ほとんど動かずじっとしていることが、植物にふさわしい静かな日常なのかもしれなかったけれど。
その中心部分には、確かにヒトの気配がある。
触れたら魔物が目覚めるかもしれないと、警戒しながらフォウルは蔦の隙間に下りていく。
もしも魔物が目覚めたら、水の刃で切り刻んでしまおうと思っていた。
いくらプラント系魔物に水魔法は相性が悪いとはいえ、刻んでしまえば関係ない。
フォウルを包む水の膜が、大人の腕ほどもある太い蔦に触れた。
蔦はわずかに身じろぎしたが、フォウルの清浄な水に触れた魔物は、朝露をあびた若木のように喜んでいるようだった。
魔物が暴れださなかったので、さらに中心部に向けて進む。
蔦の中心部は真っ暗だったが、フォウルの肩のあたりに留まっているイグニス・ファトゥスが、自分の任務を果たすべく精一杯の光を発した。
それでもたいまつの半分も明るくなかったが、とらわれている人物がうっすらと見えた。
蔦に絡まれていたが、フォウルが霧雨のような水で誘導すると蔦が緩んで被害者の全身があらわになる。
囚われていたのは、意識がなく衰弱もしているが、気の強そうな、いかにも育ちのよい若手の政治家貴族だった。
フォウルは手を伸ばせばただちに救出できる箇所にとどまりながら、青年をじっと観察する。
実は、穴の中に潜入するにあたり、アルファに警告されていた。
もしも万が一、助けるべき人間に不審な様子があれば、救助せず放置せよと。
魔物が人間を浚った理由はわからないが、救助が容易すぎて不自然だ、と言うのだ。
浚われた現場の地下に要人を幽閉するのみで何もしないのでは、浚った意味がない。
誘拐事件のせいで、人々は魔物の襲撃におびえているし、要人がいなくなったことで政治も滞った。
さらに言うなら、被害者たちが住んでいたいくつかの屋敷が崩壊したが、それだけだ。
手間をかけて誘拐したりせず、殺してしまっても結果は変わらなかったはずだ。
アルファが疑っていたのは、洗脳や暗示によって魔人達が国家の重要人物たちを操ろうとしているのではないかということだった。
フォウルも同じことを疑っていたけれど、目の前でグッタリと意識のない青年は、どんなに細部まで観察しても、ごく普通の人間に見える。
暗示にしても洗脳にしても、意識のある状態でないと判断がつかない。
念のため、血中に不純な薬物の混入がないか確認したけれど、それもなかった。
怪しく見えないとはいえ、主人の安全のため、やはりこのまま放置しておこうか。
そう迷っていると、肩の上に留まっている炎の精霊が、心配そうにチリチリと鳴いた。
フォウルはため息をつくと、手を伸ばして青年を引っ張り出す。
助けなかった場合、フォウルの主人は自分で穴の中へ突入して行く可能性がある。
とりあえず地上へ連れ出し、怪しい点があれば、後日あらためて穴の中に放り投げればそれでいいと判断したのだった。
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「ジャン、おい、ジャン」
馬車の中で熟睡していたジャンは、カイルに揺り起こされ快適な眠りを邪魔された。
「なんなんだよ……」
「ここに囚われていた人物が見つかったぞ」
「へー、つかまってた人ね……、そりゃ良かった……」
寝ぼけながら答え、再び眠ってしまいそうになったが、カイルの言葉が脳の中枢にやっと届いて飛び起きた。
「助けたのか!?」
「ああ。フォウルが応急に手当てをした。脱水症状だけで怪我はない。起こすと説明が面倒なので眠らせてあるが、馬車に乗せるから面倒をみてくれ」
「わ、わかった!」
ジャンはカイルが荷物のように担いでいる人物を確認すると慌てて居住まいを正し、気を失っているその要人を馬車に迎えた。
確かに怪我はないし眠っているだけに見える。
「このまま次の現場に行くぞ」
「このまま?!」
「今夜のうちに全員救出する」
「この馬車に全員乗せるつもりか?!」
馬車はそれなりに大型だったが、これから救助するのは気を失った人々なのだ。
寝かせたまま乗り込ませると、かなりの窮屈が予想される。
「馬車をこれ以上ふやすと目立つ。なるべくさっさとすませるつもりだから我慢してくれ」
有無を言わさぬ口調で告げると、カイルは自分の言葉通り、さっさと馬車の扉をしめた。
取り残されたジャンは半ばあきれ、半ば愉快な気持ちで苦笑した。
ハチャメチャではあるが、カイルの行動力や強さを久しぶりに肌身で感じられたからだ。
カイルが助けに行くというなら、今夜のうちに誘拐騒ぎはすべて解決するだろう。
彼の言葉が現実にならなかったことは一度もないのだから。
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朝日が稜線に顔を覗かせはじめたころ、一台の馬車が赤竜公の生家であるモーガン家の屋敷に到着した。
中には行方不明だった要人全員とカイルが乗っていて、家で休んでいたカイルの父、ガーラントを大いに驚かせたのだった。
もう一方の馬車に乗っていたシリウスは、手伝ってくれたジャンを家まで送り、アルファとフォウルと共に帰路についていた。
カイルから預かった炎の精霊は、一晩一緒に要人救出作業をしたフォウルにすっかり懐き、今もまだ去らずにフォウルの肩のあたりで輝いていた。
救助が終わるまではと必死で起きていたシリウスだったが、すべてが済んだ後の帰宅途中でどうしても睡魔に勝てず、馬車の中で眠ってしまった。
アルファは肩にもたれて眠っているシリウスを、そっと横にして小さな頭を膝の上に乗せる。
その様子を見ていたフォウルは必要ないのに狼の姿になって、シリウスの足元の床にうずくまった。
普通に椅子に座っているよりも寄り添っていられるからだ。
「我が君はずっと馬車の中で休んでおられても良かったのに」
実際アルファたちは何度かそう進言したが、自分が言い出したことだからと、シリウスは最後まで救助を見守ることをやめなかった。
フォウルはアルファの言葉を黙って聴いていた。
「責任感のお強い、やさしいお方だ」
金の髪をそっと撫で付け、いとしい視線で主人を見下ろした。
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世界最強の生物、竜人三名は、翌朝、シリウスの部屋の前で話し合っていた。
かぎりなく小声で、かぎりなく真剣な表情で。
昨晩ほぼ徹夜だった主人を、起こすべきか否か、議論していたのだ。
「馬車の中で眠ってしまったのはついさっきなんだから、まだ起こすわけにいかない」
フォウルは人の姿のまま、腕を組んで扉の前に陣取っている。
蒼い髪の青年に反論したのは、遅れて帰宅したばかりのカイルだ。
「だが起こして差し上げないと学園に行けない」
そうは言ったものの、カイルの本音のかなりの部分は「シリウス様のお顔が見たい」というものだった。
昨晩の役割上、今回も、要人を救助したのは赤竜公ということになっていたため、別行動で帰宅したのが寂しかったのだった。
帰ってきてからまだ一度も主人の顔を見ていない。
アルファもため息をつく。
「休ませて差し上げたいが、おそらくご本人は学園にお行きになられたいはずだ。留学の残り期間も半分に近い。楽しみにしていらっしゃるのに寝過ごしたとなっては、我が君が悲しまれる」
三名とも起こすべきか寝かせるべきか、自分たちでもまだ悩んで葛藤していたため、なかなか話がまとまらない。
そうこうしているうち、いつまでたっても朝食を食べにこない彼らに業を煮やした大家の下級騎士、エリカとロックが階下から大声で呼んだ。
「早く来ないとあんたたちの分の朝飯全部くっちまうよ!」
「つーかもう食いはじめてるぜ!」
エルフのような容姿のレイだけ何も言ってこなかったが、彼はもしかしたら竜人とシリウスの分の食事をもくもくと片付けているのかもしれない。
胃の中に。
竜人三名は顔を見合わせた。
主人が食べずにいるのに自分たちだけ朝食を食べるわけにいかない。
目覚めた時に一緒に食事をしたかった。
「ほんとに食わないのかい!?」
さらなる大声が響き、アルファが静かにしてもらえるよう伝えるため階下に向け歩き始めたときだ。
「んん……、おはようみんな……。今、エリカさん、呼んでた?」
扉が開き、いかにも眠そうなシリウスが顔を出した。
「まだ寝ていて」
フォウルが慌てたように言ったが、
「全部なくなるよ! 特にレイが食ってるよ!」
しつこく遠慮ない大声が響いてきたため、普段穏やかな蒼髪の青年から少しばかり物騒な気配が漂った。
「みんな、食べておいでよ。ぼく、眠くてまだ食べられない。着替えて顔を洗ったらすぐ降りるから」
うとうとと、半分眠ったような様子で言うのだが、もちろん竜人たちはシリウスを置いて食事になど行かなかった。
カイルはすかさずシリウスを抱き上げ再び部屋に入ると、ベッドに座らせて着替えの用意を始める。
アルファは階下へ朝食の確保に向かい、フォウルは顔を洗うための湯を用意するため部屋を出て行く。
ベッドに座らされたシリウスのほうは、どうしても眠くてまぶたをあけていられなかった。
いつも決まった時間にちゃんと眠り、夜更かしすらほとんどしたことがなかったのに、昨夜は初めて徹夜してしまった。
こっくり、こっくりと、船をこぎ、座ったまま半分眠っている。
今日の衣服を用意して、シリウスの着ている夜着を脱がせようとしていたカイルが、水桶を持ったフォウルと視線を合わせる。
これは、やはりもういちど眠ってもらったほうがいいのではないだろうか。
そこへ、階下で大屋たちと話をしていたアルファも戻り、主人の様子を見て近づいた。
肩にそっと触れると、少年の細い体は、そのままアルファに身を預けるように傾いてしまった。
寝息を立て始めたシリウスを起こさないよう、慎重にベッドに寝かせなおし、毛布をかけると、竜人たちは顔を見合わせた。
うなずきあって部屋を出る。
「我が君はまだほんの子供なのだ。昨晩は徹夜だった。普通の子供には耐えられぬ。俺はあの方があんまりしっかりしておられるので、時々そのことを忘れそうになる」
アルファは息をつき、昨晩やはり無理をさせてしまったのだと反省した。
要人救助などよりも、主人であるシリウスの睡眠の方が比較にならないほど優先だったのに。
深夜になる前に寝かせるべきだった。
カイルも同じ想いだった。
昨晩の作戦は、アルファとフォウルだけですべてをまかなえたはず。
緊急事態に備えるつもりで現場近くにシリウスと待機していたカイルだったが、二人でずっと馬車の中にいれば睡魔に耐え切れず途中で眠ってくれたかもしれないと後悔していた。
いやむしろ、救助はアルファとフォウルに完全にまかせ、最後の要人引き渡しの部分だけを自分が担当し、主人と共に下宿に残って留守番しているべきだったのではないか。
そうすれば危険な現場をつれまわすこともなく済んだはずだ。
「たぶん、寝かせることはできなかったよ」
二人の思考を読んだようにフォウルはため息混じりに言った。
「あの人が今から行くと言わなかったら、ボクたちは今夜のうちに誘拐された人間たちの救助になんか、いかなかった。少なくとも、全員を助けようなんて思わなかった。それにあの人は、ボクたちを行かせて自分だけ家で休んでいるなんて、絶対に納得してくれない」
息をついて、狼の姿になると、蒼銀色の毛に覆われた三角の耳を倒す。
「現場につくまで計画のすべてを話さなかったのもそのせいだと思う。最初からアルファが上から小さな穴を開けるだけってわかっていたら、ボクたちはきっと、家に残っているよう説得した」
アルファも黒鋼色の瞳を伏せた。
「そうだ。本当に……そのとおりだ」
今回の要人救助にシリウスの力は必要なかった。
魔物の塞いだ通路を修復しながら進んだ、最初の救出劇を再現するものとばかり思いこんでいた。
創造の魔法が必須だと思っていたからこそ、夜の危険な現場へ連れて行ったのに。
フォウルが扉の前で丸くなり、当面この場所で護衛をすると行動で主張している。
最初からシリウスをこのまま寝かせるよう主張していたのはフォウルなので、カイルとアルファは場所を譲った。
「カイル、実家に戻った後どうなったのか聞かせろ」
「わかった。では私の部屋で話そう」
シリウスを寝かせておくという事で意見がまとまった一同は、とりあえず「事件」の解決にほっとして解散したのだった。