第20話
イリスが目を覚ますと、そこはミルドの宿屋ではなかった。
白を基調とした清潔感のある部屋。イリスがすでに何年も住んでいる、見慣れた部屋だった。
窓からは見慣れたレアの町並みが目に入った。すでに日は高い。時計を見るともう昼過ぎのようだ。
しばらく呆然としていると、ミルドでの記憶が戻って来た。
「そうだ、アレク!」
幼なじみの過去の名前を叫び、慌てて身体を起こす。しかし、ふらつきベッドに倒れた。
イリスにはどれほど寝ていたのか分からなかったが、まだ体調は回復していないようだ。気怠い身体をゆっくりと起こす。
声を聞きつけたのか、エイラが水差しを持って部屋にやって来た。
イリスは形式上、エイラの養女となっている。故郷が焼かれ、教会に所属して以来ずっと、エイラの家に住んでいる。
「目が覚めたの? よかった。あなた三日も寝ていたのよ」
そう言ってエイラは水を入れたコップをイリスに差し出した。
一口飲むと、イリスは喉がからからに渇いている事に気づいた。再び水を飲むと、一息ついて、エイラに尋ねた。
「三日も、ですか。ミルドの宿屋からあまり記憶がないんですけど、何があったか教えてもらえますか?」
「そうね。でも先にご飯にしましょう? 話はそれからでもできるわ」
イリスのお腹の音を聞き、エイラはにっこりと笑って答える。
そこでようやく空腹であることに気づくと、イリスは紅くなった顔を隠すため、布団にもぐった。
イリスは食堂に移動し、エイラの持って来た食事をとった。
久しぶりの食事はイリスの好物のパンとシチューで、いつもよりも食が進んだ。また三日ぶりの食事ということもあるのだろう、と思う。しかし、美味しい。テーブルの向かいに座っているエイラの表情を見ると、会心の笑みを浮かべた。
食後のお茶を飲み、エイラと話を再開する。
「まずミルドで起こったことは覚えているかしら?」
「ええ、皆さんが倒れていて、シャルがルナクリスタルを渡してくれたもの覚えています。アイザックさんには、悪い事をしましたね」
「そうね。一つずつ話して行くわね」
エイラは一呼吸おいてイリスに話しかけた。
「あなたが寝ている間にシャルとアーロンが訪ねて来たの。多分シャルの目的は二つあったんでしょうね。一つは研究所のデータを入手して何かに利用する事。そしてもう一つは、おそらくなんだけど、あなたを助ける為じゃないかしら」
エイラは少しの間、イリスを見つめた。その優しげな瞳にはイリスの心を探るような光が宿っていた。
イリスはその瞳を真っ直ぐに受けた。
エイラはイリスから視線を外し、一口だけお茶を上品に飲むと、話を続けた。
「シャルの記憶は戻っているわ。本人がそれを断言した」
ミルドで再開した時にそのことを察していた為、イリスはただ頷いた。
それを見たエイラは、少し考えた後、突然話題を変えた。
「実はあなたが寝ている間に、各地の研究所を襲っている組織についてアイザック達が情報を開示したの。紅い翼と名乗るテロリスト集団よ。本人達は国を良くするためにレジスタンス活動をしているつもりね」
「紅い翼、ですか。話には聞いた事があります」
「彼らは研究所を襲った際に、いくつかのルナクリスタアルを奪って行ったらしいの。その中には希少な『白』もあったそうよ」
イリスは、エイラの意図することに気づく。
「まさか、シャルは……」
「紅い翼の主要メンバーの中には赤い瞳をした男がいるらしいわ。人相は分からないそうだけど。でも、多分シャルのことでしょうね。その男は星の力を使うそうだから」
イリスは過去に見た記録で、幼なじみにルナクリスタルが移植されていることを思い出した。エイラ達を圧倒する実力。あれはおそらく星の魔力を自在に操っているためだろう。
ルナクリスタルは現在、赤、青、黄、緑、黒、白の六つの色が確認されている。中でも黒と白は滅多に見つからず、特に強い魔力を秘めている。
魔力の波長は色によって異なり、聖女はいずれかの色の波長を持っている。これは星の魔力がこの六つの波長からなるためだと考えられている。言いかえれば、通常の魔力はこれらの波長が混ざり合っている状態にある。
純粋な魔力の行使者、それが聖女の正体だ。この強大な力を使って、聖女は魔素を浄化する役割を持っている。魔素の浄化により、この星は適切な環境を保つことができる。
聖女の力の行使には時として非常に強い魔力を消費するため、ルナクリスタルを用いて魔力の回復と増幅が行われる。教会に所属する聖女は他に三人。黒と白以外の波長のため、高い頻度ではないものの、ルナクリスタルの使用が可能になっていた。
一方でイリスは以前から、白の波長を持つと言われていた。だが白いルナクリスタルが見つからなかったため、その魔力の使用に制限を受けていた。
イリスが今までに聖女の役割を全うできたのは、ただ生まれ持った、聖女の中でも特に高い魔力によるものだった。
それが今回、イリスが聖剣を使用したことで魔力を限界まで使い、倒れてしまう結果となった。
エイラはお茶を再び一口飲み、ゆっくりと口を開いた。
「イリス、あなたはどうするの?」
「私は……」
イリスは両手でカップを包み、揺れる波紋に視線を落とした。
「あなたは故郷を焼いた連中の正体を調べるため、そしてまた同じような人達が出ないようにするために聖女になったのよね」
イリスは視線をエイラに戻し、しっかりと頷く。
「聖女の役割をしてもらう代わりに、教会はあなたの行動を援助して来たわ。実際にこの国は変わってきている。少しずつだけど。でも、今になってあなたの探していた仇は、国の一部だという事が分かって来た。そしてあなたの幼なじみは、おそらく、あなたと正反対の道を歩んでいるわ。つまり、国を壊す方向に」
エイラはそこで言葉を切り、イリスの様子を伺う。その眼差しは決意を見るというよりは、優しげだった。
「もしあなたがこの国を恨み、幼馴染の元へ行きたいと言うなら、私は止めないわ」
エイラは微笑む。まるで行きなさいと言わんばかりに。
イリスは、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ泣きそうになったけれど、エイラを真っ直ぐと見据えて答えを口にした。
「私は、シャルの元には行きません。シャルとは違う方法でこの国を変えたいと思います。まだ答えは出てないけれど。そして、もしシャルが私を訪ねてきたら……」
イリスはいったん言葉を区切り、そして悪戯っぽく微笑んだ。
「説得して手伝ってもらいます。何年も心配させてきたんだもの。それ位いいわよね?」
エイラはあっけに取られた顔をし、そしてくすくすと笑いだした。
イリスは、少し恥ずかしいと思いながらも、何かを掴んだような気がした。
それから一週間後、レアに青い目をした少年がやってきた。堂々と、まるで凱旋のように。