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第91話 「草の根妖怪ネットワーク・抜け首編 ②」






 月見が山を下る間も、式神の反応はぽつぽつと消え続けた。

 ここまで来れば、やはり何者かが、はっきりとした意思を持って式神を潰しているのは明らかだった。あちこち飛び回る式神を、一匹一匹見つけ出して丁寧に破壊する――そんな真似をするのは式神に飛び回られると都合の悪い者か、よほどの暇人のどちらかしかありえない。行方知れずとなっている赤蛮奇の体が関わっている可能性は、決して否定できないのではないか。

 それにしても、犯人の手際のよさと言ったら大変見事の一言に尽きた。式神を通してその姿をひと目見ようとしているのだが、途轍もない速度で死角を取られ、男か女かすらわからぬままあっという間にやられてしまう。結局、これだったら自分の目で確かめた方が早いと断念し、月見はひたすら山を下ることに集中せざるをえなくなった。確実にいえるのは、よほどの手練であるということ。一応、なんらかのいざこざが起こる可能性も覚悟しておく。

 なお生首少女はこんな最中だというのに、「殿方に頭を抱えられるなんてはじめてです。これでまた人生経験が豊かになりました」と大変呑気な様子だった。泰然自若としていると褒めるべきか、能天気すぎると嘆くべきか。

 そして、山の中腹を過ぎ去った頃。

 ところで、今日は月見の勘がまったく冴え渡らない日である。よって、「赤蛮奇の体の行方を知る怪しい妖怪かも」などと考えながら山を下りれば、果たしてどうなるのか。

 怪しい妖怪どころか、射命丸文と姫海棠はたての二人組だった。生首を抱えた月見の姿に気づくなり、文は軽く眉をひそめ、はたては大きく仰け反って戦慄いた。


「つ、月見様っ……! そうですよね、月見様も妖怪ですから生首抱えて散歩したくなるようなバイオレンスな気分のときくらいありますよね!? 大丈夫です、これは私の心にそっとしまって痛っ」

「ばぁか」


 にとりとまったく同じ反応をするはたての脇腹を、文が呆れながら拳で小突いた。


「どうせ抜け首とかそのへんの妖怪でしょ。そうね……そいつは体をなくした抜け首で、あんたのことだから捜すのを手伝ってやってる最中ってとこかしら?」

「……おお」


 月見は思わず唸った。もしやこの少女、今までずっと空から見ていたのではないか。もちろん今の自分が誤解を多分に含む有様であるのは認めるが、中にはひと目で察してくれるいいヤツだっているかもしれないとひそかに期待していた。その第一号に、まさか文がなってくれるなんて。


「ズバリだよ。よくわかったね」


 文はあいかわらず、ぷいと素っ気なくそっぽを向いた。


「……別に。あんたに人間の生首抱えて外歩くような度胸なんてあるわけないし」


 はたてがにまりと笑い、


「へえー、なんだかんだで月見様のことよく見てるんじゃぼっ」


 文の鉄拳が脇腹にめりこんだ。だいぶ容赦のない音がした。

 為す術もなくうずくまってぷるぷるする同僚を、文は脇目で見ることもなく、


「……で? 随分急いでやってきたみたいだけど、なにか用?」

「ちょっとね。……赤蛮奇、とりあえず自己紹介。真面目にね」

「お任せください」


 月見は赤蛮奇の首を前に差し出す。赤蛮奇はふよふよと宙を漂いながら、


「はじめまして、赤蛮奇と申します。見ての通り抜け首です。親しみを込めてばんきっきとお呼びください」


 真面目にやれと月見は言ったはずだが――まあ及第点ということにしておく。

 その瞬間、どこか無機質な印象すらあった文の顔つきがころっと笑顔になった。


「はじめまして、私は射命丸文です。清く正しい新聞記者をやってます。よろしくお願いしますね、ばんきっきさん」

「おお、まさか本当に呼んでいただけるとは。感激です。……しかし」


 赤蛮奇は不思議そうに、


「先ほど旦那様とお話していたときとは人当たりが違いますね。声のトーンが見違えるほど明るくなりました」

「え? なんですか、ばんきっきさん?」


 文はニコニコ笑顔である。


「いえ、ですから、先ほど旦那様とお話していたときのどこか棘のあるあなたは一体どこに」

「ごめんなさい、よく聞こえないです」


 ニコニコニコニコ。


「……なるほど、わかりました。つまりあれは、旦那様の前でだけ見せることができる本当の自分というやつで」

「え?」


 ニコニコニコニコニコニコニコニコ。

 いま自分の乗っている場所が地雷の真上だと気づき、赤蛮奇は口を噤んだ。


「……なんでもありません。どうやら気のせいだったようです」

「もぉーばんきっきさん、突然変なこと言わないでくださいよおー」


 はたてがぽそりと、


「……ほんっと素直じゃな」

「蹴りもほしいの?」

「めっ、滅相もございませぇん!?」


 そうなのだろうか。月見はむしろ、文の態度はかなり素直な部類に入ると思っている。赤蛮奇が『本当の自分』と例えたがまったくその通りで、文はもともと棘のある性格なのだ。剽軽な笑顔で人懐こく絡んでくる普段の姿は、彼女が新聞記者として身につけた一種の処世術。月見だけに限らず、はたてなど付き合いのある同僚に対しては基本的に棘々しい。

 文の脚の届かないところまで飛び退いたはたてが、わたわたと慌てながら話を逸らした。


「とっところで、ばんきっきは月見様のこと旦那様って呼んでたけどっ!」

「? ええ、旦那様は温泉宿の旦那様ですから」

「え? ……ああ、なんだそういう……せっかくスクープかと思ったのに……」


 はたての言わんとしていることはなんとなくわかる。なので月見は念のため釘を刺しておく。


「はたて。わかってると思うけど、新聞で変なことでっちあげたりしないように」

「し、しませんよお。ってか、なんで私だけに釘刺すんですかっ。文だってやりかねないですよ、月見様を陥れるために!」

「いや、文は……そんなことしないだろう」


 文はすまし顔で、


「当然ね。事実無根の捏造をでっちあげたりなんかしないわ。それが誰かを貶めるようなのならなおさらね」


 結局、文は新聞記者としてはかなりまともで信用できるやつなのだ。それは、彼女の新聞を購読している者として断言していい。無論文とて他の鴉天狗と同じで、少なからずパパラッチな気質はあろうけれど、彼女の新聞には人を(いたずら)に困らせるようなタチの悪い記事などひとつもない。そうでなかったらはじめから彼女の新聞を購読したりはしていない。ネタ探しには貪欲だが、そのネタをどう扱うかの線引きはきちんと弁えているしっかり者なのだ。


「え、なにこの『お互いのことはいちいち言わなくてもよくわかってます』みたいな空気……。文ってさ、なんだかんだで月見様と仲良っぶなあいっ!?」


 文のローキックをはたてはギリギリで躱した。


「やっぱり蹴りもほしいみたいね」

「べっ、別にからかおうってわけじゃないってば!? あんたと月見様はもう仲直りしたんでしょ!? だったら仲がいいのはぜんぜんいいことじゃひいっ!?」


 また躱す。

 今の月見と文の関係がどんな言葉で表せるのかは、当の月見にもよくわかっていない。友人と呼べるほど親しいわけではないし、かといってただの知り合いというほど距離があるわけでもない。知人以上友人未満――けれどお互いのことに関しては、ひょっとすると普通の友人以上によく理解し合っている気がする。なかなか不思議な距離感である。

 まあ、そんなことは今はどうだっていい。じりじりと間合いの読み合いをしている天狗娘の間に割って入り、月見は強引に軌道修正した。


「で、私がここに来た理由だけどね。このあたりを飛ばしてた式が誰かにやられたようで」

「はあ? なに、これってあんたの式神だったの?」


 そう言って文がポケットから取り出したのは、紛うことなき月見が飛ばした人形(ひとがた)の式神だった。真ん中から縦に一刀両断され、ただの紙ぺらに戻ってしまっている。

 意外な犯人ではあったが、すぐに納得した。鳥のようにあちこち飛び回る式神を軽々無力化してみせたのは、幻想郷最速の異名を取る彼女ならではの芸当だったわけだ。


「そう、まさしく。それに赤蛮奇の体を捜させてたんだけど……」

「そういうこと……悪いわね、怪しい式神かと思って斬っちゃったわ」

「いや、いいよ。勝手に飛ばしたのはこっちの方だ」


 畢竟(ひっきょう)、赤蛮奇の体を持ち去った犯人が、悪意を持って式神を潰していたわけでないのなら、月見にとやかく言うつもりはない。


「ちなみに、お前たちは取材の帰りか? この子の体を見かけたりは……」

「しないわね」

「しないですね。首なし死体なんて見かけたら、次の紙面のトップニュースですよ」


 赤蛮奇がやはりすかさず、


「首なし死体ではありません。新鮮ぴちぴちのまいぼでぃです」


 みんな揃って無視した。文が言う。


「捜し物なら、椛に頼んでみたら? 千里眼持ってるから、そういうの得意だし」

「千里眼?」

「そう、『千里先まで見通す程度の能力』。……知らなかったの?」


 知らなかった。その使いにくさ故、己の能力を人に知られぬよう生きている月見は、誰かの能力を進んで問い質すことをしない。椛に限らず、先ほど会ってきたばかりのにとりや、他にも霊夢、妖夢、鈴仙、橙、小町など、能力を知らない知人は案外多いのだ。

 赤蛮奇の目が輝き、はたてが苦笑した。


「なんと、それは素晴らしいです。救世主到来の予感がします」

「椛、最近自分の能力が逃げ出した天魔様捜すのにしか役立ってないって嘆いてましたから、頼ったら尻尾振って喜ぶと思いますよ」


 まさに渡りに船というやつだった。月見が思い描く通りの能力を本当に椛が持っているなら、聞き込みだの式神飛ばしだのせずとも彼女を見つけさえすれば一発解決ではないか。この時間であればちょうど操を執務室に縛りつけて、一日の仕事をてきぱき運んでいる最中だろう。


「旦那様。これはなんとしても、その者に助力をお願いするべきです」

「そうだね」


 もともと高かった椛の評価を更に上方向へ修正しつつ、月見は赤蛮奇の首をまた小脇に抱えようとした。

 突然だった。


「――ひぎゃあああああああああああああああ!?」


 それは、命の危機に瀕した断末魔というより、限界を超えた恐怖と直面したときの金切り声に近かった。そして山全体に響き渡ったのではないかと疑うほどの、途轍もなく大きな叫びでもあった。

 全員がその方角を振り返る。麓の方向。恐らくそう遠くはない。


「だ、誰かあああああ!! 誰かああああああああっ!!」


 月見の脳から天狗の屋敷を消し飛ばすには、あまりに充分だった。助けを求めるその叫びが少女のものだと気づいた瞬間、月見は赤蛮奇の頭を抱えるのも忘れて飛び出していた。


「あっ、旦那様!」


 答える間も惜しかったので、月見は無視した。

 あれほどの大声、どう考えたって尋常ではない。人里から山までは子どもが歩いていけるような道のりではないし、危ないから近づいてはいけないと慧音の教育も徹底しているはず。であれば今の悲鳴の主は、人間ではなく妖怪である。しかし人外の豊かな生活圏内であるこの山で、一体どれほど奇々怪々な事件が起きれば、妖怪が金切り声で助けを求めなどするというのか。

 悲鳴が聞こえたと思しき森の中へ飛び込むと、這々の体でどこかに逃げようとしている少女を見つけた。向こうも月見に気づき、


「あぁ……っ! た、助け、助けてっ……!」


 顔面蒼白でガタガタ震えながら、月見へ必死に手を伸ばそうとする。犬のような耳を垂らしているので、やはり人ではない。月見は急いで駆け寄り少女の手を取った。


「大丈夫か!?」

「う、うん……!」


 少女が月見の腕に縋りつき、救われた表情で胸を撫で下ろした。安心したら気が緩んだのか、その双眸に湧きあがるような涙が浮かんで、


「うええ……! 助かったよぉぉぉ……! 怖かったよぉぉぉ……っ!」

「……なにがあったんだ?」


 月見も、胸を撫で下ろした。少女の体に外傷はないし、服も至って綺麗なものだ。周囲に怪しい人影もないので、誰かに襲われていたわけではないらしい。

 少女がきつく目を瞑り、自分の背後斜め上――つまり木の上――を指差した。


「あっあああっ、あっあれっ……!」

「?」


 つられてその方を見上げる。

 それから、五秒の間があった。


「……うわぁ」


 月見は、ようやくそれだけ言った。それだけしか言えなかった。

 なるほど。

 なるほど道理で、この少女が絶叫しながら助けを求めたわけだ。

 背後から声、


「旦那様っ! 近いです! このあたりからまいぼでぃの気配を感じます!」


 振り返れば、文に抱きかかえられながら猛烈な勢いで接近してくる生首。

 それをバッチリ見てしまった少女が、


「ふぎゃあああああおばけええええええええっ!? ――ふあっ、」


 遂に恐怖の負荷限界を超え、ぐるぐるおめめでぱたりと失神してしまった。


「おばけではありません、私は赤蛮――む、気を失ったのですか。まあ驚いてもらえたのでよしとしましょう」

「……で? 一体なにがあったわけ?」


 スカートをしっかり押さえながら降り立って、文が月見の背中に問うた。月見は糸が切れた少女の体を支えながら、なにも言わず、ただ『ソレ』がある場所を――今しがた少女がそうしたばかりの木の上を――ゆっくりと指差した。

 その方を見た文と赤蛮奇が、


「……うわぁ」

「……なんと」


 遅れて追いついてきたはたてが、


「もおー文ぁっ、速いってばー。月見様のことが心配なのはわかるけど、もうちょっとゆっ――うわぁ……」


 みんなドン引きだった。そうなってしまうのも仕方のない光景が、月見の指差す先には広がっていた。

 今にも動き出しそうなくらい不気味な怪樹の上で、

 曲がりくねった枝と枝の隙間に片足を引っかけ逆さ吊りで、

 大量の赤黒い液体を怪樹の幹伝いに垂れ流す、

 首のない、屍だった。

 簡潔にいえば、『木の上で首を斬り落とされたのち逆さ吊りで遺棄された、猟奇殺人の現場』だった。


「……まいぼでぃ……どうしてこんなことに」


 赤蛮奇の、胴体だった。


「ひぇぇ……」


 はたてがか細い声で身震いし、


「つ、月見様、あれってもしかして血じゃ」

「いや、あれは赤ワインだね」

「赤ワイン」

「そうね……ちょっと酒くさいわ、ここ」


 見れば怪樹の根本に、割れた赤ワインの瓶と思しき欠片が散らばっている。赤蛮奇も頷く。


「友人と一緒に飲もうと思っていたものですね。それが偶然割れてしまったのでしょう。……これは、ある意味で奇跡ともいえる光景かもしれません」


 確かに、これが意図的に作られたものでないのだったら相当だ。よりにもよって首を失った赤蛮奇の胴体が、よりにもよって妖怪みたいな怪樹の上で、よりにもよって逆さ吊りで、よりにもよって血のような赤ワインまみれになっている。わからないまま見るとひたすらホラーだが、タネがわかってしまえば感心すら覚えてしまう。凄まじいまでの偶然である。雛が言っていた『災難』とは、これのことだったのだろうか。


「それにしても……」


 なにも言えないでいる月見たちをよそに、赤蛮奇は首だけで、ちょっぴり得意げに胸を張るのだった。


「こんなこともあろうかとドロワーズを履いてきて正解でした。パンツじゃないので恥ずかしくありません」


 月見たちは、三人揃って長いため息をついた。






 ○



「旦那様、大変です。体がとてもお酒くさいです」

「うん、知ってる」


 赤蛮奇は遂に己の体を取り戻した。一体どれだけの間逆さ吊りになっていたのかは知れないが、ともかく久し振りに両脚で地を踏みしめた体の周りを、彼女はくるくると何度も行き来して、ワインまみれである以外に変なところがないか念入りに確認している。あれで身嗜みには気を遣う方であるらしい。首の部分を覗き込んで、むむむと難しく眉根を寄せる。


「首もワインまみれですね。これでは戻りたくとも戻りづらいです」

「この先に川がありますから、そこで洗えるところは洗ったらどうですか?」


 文が、山の斜面を横切って進む方向を指差した。森に遮られてその姿は見えないが、耳を澄ませば清流の音が聞こえる。はじめに月見たちが上ってきた川だ。


「その間に、私がタオルでも取ってきますよ。なにか拭くものがあった方がいいでしょう?」

「おお。お願いしてもよろしいでしょうか。とても助かります」

「悪いね文、成り行きなのに」


 文は、自分で自分に呆れたような顔で肩を竦めた。


「誰かのお節介が伝染(うつ)ったのかしらね」


 そして軽やかなつむじ風を残して、あっという間に山頂の方角へ飛び去っていった。風が収まる頃になって、はたてが鹿爪らしく眉を寄せて唸った。


「月見様と文、絶対仲いいと思うんだけどなー」

「今までがひどかったから、反動でそう見えるだけかもよ」

「そうなんですかねー。でも、『余計なこと言わなくても通じる仲』って、普通に友達同士でも難しいと思うんですけど……」


 それは、付き合った年月の深さではなく互いの機転と洞察力で決まる関係だからだ。ナズーリンと紫がいい対比になるだろう。ナズーリンはとても聡明で機転が利くから、まだ知り合ってほんの数ヶ月の関係だけれど、出逢えばいつもとんとん拍子で話が進む。一方で紫はなにぶん天衣無縫すぎるので、付き合いは相当長いのにいつも話がしっちゃかめっちゃかする。

 他にも、前者であれば藍や咲夜、後者であれば輝夜や操など。もちろん文も、無数に積み重ねた取材の経験で鍛えられているので、頭の回転はめっぽう速い。

 体の具合を確かめ終わった赤蛮奇が、首だけで振り返った。


「では、私は早速行ってみようと思います。皆さんはどうされますか? 無事まいぼでぃは見つかりましたので、もうご迷惑はお掛けしません」

「ここまで来たら最後まで付き合うさ」


 赤蛮奇の中では、きっと体を見つけた時点で一件落着しているのだろう。しかし月見にとっては、彼女が無事家へ帰るところまで見届けなくては心配で心配で仕方がない。なんてったって彼女は、厄神様から『更なる災難』のお墨付きをいただいたばかりなのだから。雛があそこまで言い切ったのだ、まさか体がワインまみれになった程度でおしまいではあるまい。ご迷惑はお掛けせずとも、ご心配はお掛けするのである。

 はたてが首を傾げながら、よくわからないけどとりあえず、といった感じで、


「あ、えーと、じゃあ私も?」

「いいのかい。これから戻って新聞づくりじゃ?」

「いえ、次の新聞はもうほとんどできあがってるんですよ。まあ、取材半分ですかね。家に帰ってぼーっとするより、とりあえず足動かしてた方がいいかも、なんて」


 本当に元ひきこもりなのかと疑うほど殊勝な心掛けだ。この地道な努力が実を結び、はたては近頃、新聞記者としてメキメキと頭角を現してきている。恐らく文は、背後からだんだんと近づいてくる足音に焦りを感じ始めているはずだ。「殻を破った」という表現が、はたてほど似合う者も他にはおるまい。


「感心だね」

「えへへ」


 というわけで、みんな揃って移動を開始した。ぐるぐるおめめで気絶している犬耳少女も、放置していくには忍びなかったので、勝手ながら運ばせてもらうことにする。背が小さいお陰で、横抱きで簡単に持ち上げられた。

 目的地に向けふよふよ飛んで行く道中で、はたてが犬耳少女の顔を覗き込んで首を傾げた。


「狼……ではないですよね。犬? 月見様のお知り合いですか?」

「いや、はじめて見る子だよ。それと、たぶん山彦じゃないかな」


 なんとなく、だけれど。萌葱色の髪からのっぺりと垂れた斑模様の耳は、一見犬っぽく見えて犬っぽくない。犬のようで犬でない妖怪といえば、月見は山彦を思い出す。ここ数百年ご無沙汰だったので記憶がおぼろげだが、昔見かけた山彦もこんな耳を持っていた気がする。

 はたてが、その姿に見入るように数度頷いた。


「へえー、山彦ですかあ。私、はじめて見たかも……」

「確かに、あまり見かけない妖怪ですね」


 首と胴体別々で飛ぶ赤蛮奇が、別々のままで犬耳少女を覗き込んだ。胴体の方まで首と同じことをする意味はあるのだろうか。仮にこのタイミングで少女が目を覚ましたら、その瞬間に絶叫してまた失神するんだろうなと月見は思う。

 ところで。


「ちなみに、赤蛮奇。体は無事見つかったけど、結局なんであんなことになってたんだ?」

「……あー」


 赤蛮奇はぼんやりと遠い目線で、


「……申し訳ありません、そこまではまだ思い出せず」

「そうか……」


 友人に会おうと思い颯爽と家を出た、というところまでは覚えている赤蛮奇を信用するなら、


「会おうとしていた友人は、どこに住んでるんだ?」

「霧の湖です。名前はわかさぎ姫といいます」


 やはりおかしい。人里からの距離で考えれば、霧の湖は妖怪の山より手前の土地である。なにゆえ赤蛮奇は、本来の目的地である霧の湖を通り過ぎ、妖怪の山で胴体と離ればなれになったのか。そして、胴体が水辺から離れた森の中で逆さ吊りとなった一方で、首だけが水月苑の池に浮かんでいたのはなぜなのか。空を飛んでいる途中になんらかのトラブルで墜落してしまったとしても、首と胴体はもっと隣り合った場所に落ちるはずではないか。

 考えれば考えるほど不思議だ。改めて、この少女の身に一体なにが起こったのだろう。

 そうこう考えているうちに川に着いた。赤蛮奇が、首まで隠れる襟の大きなマントを脱いで、


「では、とりあえず手と首を洗ってきます」

「滑って落ちないようにね」


 ここはちょうど、山場らしく巨大な岩がごろごろ集まって険しい川辺を形成していた。もし足を滑らせでもしたら、岩に体をぶつけるわ川に落ちてびしょ濡れになるわで散々な思いをするに違いない。


「旦那様、私はそこまでドジではありません」

「赤蛮奇、厄神様の言葉を思い出してごらん」

「……気をつけます」


 赤蛮奇が注意深く首を洗いに行く間に、月見は山彦を近くの木陰に寝かせる。その隣にはたてが腰を下ろして、


「それにしても、この山彦も災難でしたね」

「そうだね」


 災難な山彦といえば、月見は夏の終わりを思い出す。志弦との早口言葉勝負にボロ負けし、月見の「東京特許許可局今日急遽特許許可却下」でトドメを刺され、泣きながら走り去っていった少女のことを。

 そういえば、あのときの山彦と目の前の少女は、なんだか声が似ていた気がする。


「……」


 ……まさかな。

 まさかそんな因果があろうものなら、運命とはまこと数奇なものである。

 少女が目を覚ました。


「う、う~ん……――ハッ!? こ、ここは!?」

「おはよー」

「うひゃあ!?」


 隣のはたてに驚いて飛びあがりかけるも、すぐ月見に気づいて、


「あ……あなたは」


 どうやらぼんやりとでも覚えていたようで、少女の強張った肩から少し力が抜けた。


「おはよう。気分はどうだい」

「だ、大丈夫……。あはは、ごめんね。私ったら見苦しいところを……」


 臆病そうな少女だが、殊のほか口振りは明るく気さくだった。彼女は照れくさそうに頬を掻き、次の瞬間真っ青になって、


「――そっ、そういえばあのおばけは!? 殺人現場は!?」

「うん。お前、抜け首って知ってるか?」

「え? う、うん……って、」


 一呼吸の間、


「……もしかして」


 月見は無言で川の方向を指差した。赤蛮奇が首だけでくるくる回りながら、「抜け首の赤蛮奇です。親しみを込めてばんきっきとお呼びください」ともはやお約束の自己紹介をした。その下で、体は体だけでバシャバシャと器用に首のあたりを洗っていた。

 山彦がへなへなと脱力した。


「うう、そういうことだったの~……?」

「災難だったね」

「トラウマものだよ~……」


 月見も、あの光景はちょっと夢に見そうだと思う。

 全身の空気が抜けるようなため息をついてから、山彦が首を振って顔を上げた。


「えっと、どうもご迷惑をお掛けしました。私は、山彦の幽谷響子っていいます」

「月見。ただのしがない狐だよ」

「鴉天狗の姫海棠はたてです。よろしくねー」

「よろしくです。……ところで」


 響子は不思議そうな目で月見を見上げ、


「あの、月見さん。月見さんと私って、どこかで会ったことある……かな?」


 月見は少し考え、


「……いや? これが初対面だと思うけど」

「……うーん、そっかあ。なんだか月見さんの声、どこかで聞いたことがある気がしたんだけど」


 ひょっとしなくてもこの少女、あのときの山彦ではあるまいか。


「あれ、なんだろ、頭の片隅がチクチク痛むような……なにか忘れてるような……」


 絶対あの山彦だ。

 どうする、と月見は速やかに思考した。どうにかして話を逸らすべきか、いっそ月見の方から謝ってしまうべきか。どちらにせよ、響子がすべてを思い出せば月見はこっぴどく叱られるに違いない。はたてがいる前でそれはどうか。新聞のネタにされたりはしまいか。やはりここは話を逸らすべきか、しかし逸らすにしてもどうやって、

 事態は思いもよらぬ方向から動いた。


「――おうっ!?」


 赤蛮奇の、悲鳴には程遠い驚きの声が聞こえて、


「……う、うわわわわわっ!? 何事!? い、痛っ、いたたたたた!?」


 バサバサとけたたましい鳥の羽音。一瞬は文が戻ってきたのかと思ったが、はて彼女にはこうもやかましく翼を鳴らす趣味があっただろうか、などと思いつつ月見が振り向くと、


「だっ、旦那様ーっ! た、助けてくださいー!?」


 果たしてどこから現れたか、翼を広げれば月見にも迫ろうかという大鷲が、赤蛮奇の首をまさに鷲掴みにして飛び去っていくところだった。


「「「……………………えっ」」」


 月見もはたても響子も、傍目から見ればわざとらしいくらいに反応が遅れた。その間にも赤蛮奇の首はどんどん地面から遠ざかっており、


「な、なんの! このまま連れ去られてたまりますかっ! まいぼでぃ――――――――っ!!」


 首の高らかな叫びに、胴体はすぐさま反応した。立ち上がり、全身に妖力を漲らせ、首を助けるため勇ましく岩を、


 ――蹴ろうとした瞬間足を滑らせ、背を岩に打ちながらばしゃーんと川へ落下した。


「まいぼでぃいいいいいいいい」


 バシャバシャ暴れる胴体が、急流にさらわれどんどん流されていく。ジタバタ暴れる首が、大鷲にさらわれどんどん小さくなっていく。その混沌とした光景を見せつけられながら月見は、


「……はたて、とりあえず首の方を任せていいか? 私は体を引っ張り上げるから」

「……ハッ」


 口を半開きにして固まっていたはたては再起動して、


「わ、わかりました! ……ばんきっき――――っ!! 待ってええええええええっ!!」

「たぁーすぅーけぇーてぇー……」


 なんとなく。

 なんとなく謎がすべて解けたのを感じながら、流されていく赤蛮奇の胴体を追いかける月見であった。






 ○



「旦那様っ、とうとう思い出しました! あいつです! すべての元凶はあの大鷲ですっ!」

「……だろうね」


 とどのつまり、赤蛮奇はすでに一度大鷲にさらわれていたのである。赤蛮奇は静かに、けれど込み上がる熱を隠しきれない口振りで当時の記憶を物語る。


「霧の湖到着間近のところで、突然あやつに首を奪われたのです……! 体の方で慌てて追いかけたのですが、やつも素早く、それでこの山まで来てしまったのですね」


 大鷲ら猛禽類は、突如音もなく空より飛来し、その鋭い鉤爪で獲物を一気にかっさらっていく。狙われるのはなにも小動物だけではない。近代化が始まる以前の日本では、それで人の赤子がさらわれるというのも決して珍しい話ではなかった。時に人間すらさらってみせる彼らにとって、ふよふよ漂う赤蛮奇の首はなかなかいい獲物に見えたのかもしれない。


「そして山の上空に差しかかったところで、私も首だけながら必死に抵抗しておりましたので、やつの拘束から遂に抜け出しました。しかしなにもかもが突然の出来事で動揺しておりました私は、咄嗟に飛ぶこともできぬまま真下の川へ落下したのです。恐らく運悪く浅瀬で、頭を打つかしたのでしょう。記憶はそこで途切れ、気がついたときには旦那様の池で浮かんでおりました」

「で、途中まで追いかけてきてた胴体の方も、お前が意識を失った時点で墜落。こっちは森の中に落ちて、あの奇跡的な惨状を生み出したと」

「はい。謎はすべて解けました」


 からまっていた糸がすべて解けたのを感じて、月見は細く長いため息をついた。雛が言っていた『更なる災難』とやらも、きっと今しがたの騒動のことだったのだろう。当然、タオルを持って戻ってきた文からは大変白い目で見られた。

 そんな災難な赤蛮奇は、茂みの奥で、はたてと響子に体をせっせと拭いてもらっている最中である。言うまでもなく男が覗いていい状況ではないので、月見は文の厳しい監視の下、川辺の岩に腰掛けなにをするでもなく清水の流れを眺めている。同じく隣に座った文が言う。


「あんな妖怪、放っときゃいいのに」


 なじるのではなく、ただ疑問を音にしたような軽い口振りだった。


「思うにあの妖怪、後先考えないで思ったことを思ったまま行動するタイプでしょ。大人しいナリはしてるけど、普段の天魔様と似てるわ」


 そう言われてみると、そうかもしれない。赤蛮奇の性格をとても明るくしてのじゃのじゃ言わせれば、それはもう操と瓜二つな気がする。


「今日私と会うまでも、いろいろあったでしょ」


 あった。もっとも、被害者となったのは月見ではないけれど。


「だから、体見つかったならもう放っておけばいいのに。妖怪なんだから死にゃしないわよ別に。このまま夜まで面倒見る気?」

「まあ、確かにね」


 とりわけ、気心の知れた友人というわけではない。それどころか今朝出会ったばかりの相手であるから、まだ知人とすらいえない仲かもしれない。そんな妖怪の捜し物をいちいち手伝って、なおかつ家まで送った方がいいかなんてことまで考えるのは、正真正銘のお節介なのかもしれない。厄神様のお墨付きまでもらっているのだ、これ以上のドタバタに巻き込まれぬうちにさよならをする方が合理的ではあるのだろう。

 しかし月見が答えるより先に、文が肩を竦めていた。


「……ま、そういうのを途中でほっぽらないのがあんたか」


 心の中まで見透かされている気がして、月見はそっと苦笑した。

 無論、月見とていつでも誰にでもこうというわけではない。慧音が頭突きの構えを見せればすぐ逃げ出すし、映姫が説教のにおいを漂わせれば頑張って話を逸らすし、紫と輝夜が喧嘩を始めれば速やかに外へ叩き出す。

 けれど月見は、ドタバタとした日常自体は決して嫌いというわけではない。巻き込まれている最中こそため息をついたりげんなり疲れたりするけれど、あとになってから振り返ると、まあ悪くはなかったなと思い直すのだ。これといってやることもなく、家でぼーっと一日を浪費するよりはずっといい。そう考えれば赤蛮奇の向こう見ずな性格も、ひとつのいい愛嬌なのではなかろうか。

 といったニュアンスの返答をしたら、文は深呼吸みたいに大きなため息をついていた。


「なんだい」

「べっつにー」


 けれど無愛想な言葉に反してその口元には笑みの影が浮かんでいて、月見としても悪い気はしなかったので、まあいいかと思った。


「お待たせしました、お二方」


 赤蛮奇の声につられて振り返ろうとしたら、文にむんずと首を掴まれた。なんだなんだと月見が不意を衝かれているうちに、


「……うん、ちゃんと服は着てるわね。はいおっけー」

「……」


 ……ああ、そういうことね。

 もちろん、赤蛮奇はしっかりと服を着ていた。ただし傍目でもはっきりわかるほど水を吸っているし、搾った跡でヨレヨレで、だいぶみっともない恰好であった。もっとも本人は気にした素振りもなく、


「厄神様が仰っていたのは、あの大鷲のことだったのですね。あやつにはいつか必ずリベンジせねばなりません」


 なんて、呑気に一息ついていたけれど。

 ともかく、これでようやく一段落した。


「さて、赤蛮奇」

「はい」


 ここまで来れば、もはや月見の話はひとつである。


「悪いことは言わない。今日はもう家に帰って、明日仕切り直した方がいいと思う」

「……むぅ」


 一理ある、という顔を赤蛮奇はした。大鷲に二度もさらわれかけたとなれば、さすがに普段の能天気な反応も鳴りを潜め、


「……そうかもしれません。私としても、今日は波乱の一日となる気がしてなりません」


 すでになっている気もするが。


「そうでなくともその恰好じゃあ、一度戻った方がいいだろう。里まで送るよ」

「よろしいのですか?」

「今のお前は、里まで無事に帰れるかどうかすら怪しいからね」


 赤蛮奇は言い返せず、


「……そうですね。では、ぼでぃーがーどをお願いします」

「ああ。……じゃあ文、はたて、そういうわけだから」

「はいはい」

「お疲れ様でしたー」


 文は目も合わせず素っ気なくいい、はたては愛嬌よくぺこりと頭を下げた。


「響子もまたね」

「え……あ、うん」


 響子も頷いた。よしでは早いこと行ってしまおうと、月見は赤蛮奇を連れて早速、


「――ねえ、ちょっと待って?」


 ちぃ……っ! と月見は心の中で舌打ちした。どさくさに紛れてこのまま逃げてしまおうと思っていたが、そうは問屋が卸してくれなかったようだ。

 幽谷響子である。彼女はつかつかと月見に詰め寄り、


「ねえ、月見さん」

「……なにかな」


 目を逸らしがちな月見をまっすぐ見上げて、こう言った。


「東京特許許きゃきょきゅ」

「……」

「と、東京特許許きゃきょきゅ、今日急遽特許許きゃきゃっか」

「…………」


 響子はふるふる震えながら、それでもにこりと笑って、


「あれ、月見さんでしょ?」

「……、」

「ね? 月見さんでしょ? ね?」


 月見は己の敗北を悟った。


「……あれはつい出来心で」

「ばかああああああああああ――――――――――っ!!」


 さすがは山彦というべきか、山中に響き渡るとんでもない大声だった。文が耳を塞ぎ、はたてがひっくり返りそうになり、月見の意識が数秒真っ白になって、赤蛮奇の首が落ちた。

 このあとめちゃくちゃ怒られた。もちろん、涙目で。






 ○



「……悪かったね、巻き込んじゃって」

「いえ、お気になさらずに。私もいろいろ助けていただきましたから」


 響子のお説教から解放され、月見と赤蛮奇が人里に辿り着いたのは正午も過ぎた頃だった。響子はやはりあの早口言葉事件で山彦のプライドをズタボロにされていたらしく、説教の苛烈さたるや閻魔様をも圧倒しそうなほどだった。途中で、「そういえば、一緒に早口言葉言ってきたもう一人の女の人は誰!?」と矛先が逸れていなければ、月見が解放されるのはまだまだ先の話だったかもしれない。

 月見は心の中で合掌する。――すまない志弦、身代わりに使うような真似をして。でももとはといえばお前が蒔いた種だから、甘んじて受けてくれ給え。

 今頃は、山彦の高らかなお説教が守矢神社に響き渡っているはずである。


「それでは、どうもお世話になりました」


 人里の景色を背にして、赤蛮奇がぺこりと会釈をした。首は落ちなかった。


「こういってはなんですが、皆さん明るい方でとても楽しかったです。旦那様の周りは、とても賑やかなのですね」

「……そうかな」


 賑やかだったのは、むしろ赤蛮奇のお陰だった気もするけれど。にとりをおどかしたし、雛だって泣かせたし、響子を失神させまでしたし、胴体でホラーな事件現場を再現し、極めつけには大鷲にさらわれた。これらがぜんぶ午前の間に起こったのだと、今日はまだ半分しか終わっていないのだと、月見はちょっぴり信じられない気持ちでいる。


「友人に、素敵なお土産話ができました」

「ああ……ええと、霧の湖と迷いの竹林の」

「はい、わかさぎ姫と今泉影狼です。人魚とルーガルーです」


 霧の湖も迷いの竹林もたびたび足を運んでいる場所だが、そんな妖怪と出会った覚えはない。幻想郷に戻ってきてもう半年になるが、月見が未だ知らない住人は人間妖怪を問わずまだまだたくさんいる。


「二人とも、あまり知らない人の前には出たがりませんからね。……ですが、私が旦那様と出会ったのもなにかの縁。いつか旦那様にもご紹介したいと思います。二人とも、私の自慢の友人です」

「そっか。じゃあ、いつでもおいで」

「はい。……それでは、失礼します」


 赤蛮奇が最後にまた一礼した、そのとき月見は、奥の通りを曲がって妖夢が歩いてくるのに気づいた。ちょうど買い出しの帰り道らしく、パンパンに膨らんだ手提げ袋の重さに負けぬようせっせと頑張っている。大変なときは手を貸すと何度も言っているのだが――方向性は違えどやはり祖父に似て、意外と頑固な少女なのである。

 ちょうど赤蛮奇と入れ違いになりそうだし、少し手伝おうかなと。月見がそんなことを考えていたら、


「あっ」


 我が家を目指し颯爽と歩き出した赤蛮奇が、五歩も行かぬうちに早速コケた。わざとではなかったと思う。両腕から地面に倒れ、その拍子に首が落ちて、おむすびころりん、もしくはどんぐりころころが如く見事に転がった。

 妖夢の足下まで。

 神懸かりすぎる、とこのあとの展開が読めた月見は遠い目をしながら思う。


「……へ、」


 妖夢が足下を見た。

 バッチリ目が合った。

 数秒の沈黙、みるみる青くなる妖夢の顔面、そして赤蛮奇は、


「……う~ら~め~し」

「みいいいいいぃぃぃぃぃ!?」

「ぶっ」


 言い終わらぬうちに絶叫した妖夢が、土煙を巻くものすごい勢いで人里の彼方に走り去っていった。当然荷物は置き去りであり、赤蛮奇は落下してきた手提げ袋に容赦なく押し潰された。


「……」


 人里の彼方で、みいいい! みいいいいい! と妖夢の悲鳴が木霊している。

 ……類は友を呼ぶ、という言葉がある。

 旦那様ー、旦那様ー、へるぷです、へるぷでございますーと食材の下でモゾモゾ動く青いリボンを、能面のような顔で眺めながら。

 ひょっとしてわかさぎ姫と今泉影狼もこんな感じだったりするのかなと、月見はそこはかとなく不安になった。











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