第四王子は私のためにスイカでお尻を濡らす
豊作を願う祭りの笛の音が、まるで遠くの国のことのようにぼんやりと聞こえる。
私は路地にうずくまって、必死に頭を下げていた。
ひんやりとした土に爪が食い込む。
「お願いです、もう少しだけ待ってください。なんとかしますからっ!」
「黙れアンナ。期日までの金が払えないなら、その器量で払ってもらうと言っただろう!」
いやらしい笑みを浮かべるのは高利貸しのバルガス。
証文を書き換え、ありもしない借金の返済をせまる悪党だ。
こいつのせいで、お父さんは倒れてしまった。
広場で祭りの準備をする村人たちが手を止めて、このいざこざをちらちらと見ている。
真夏の日差しのおかげで、どの顔もはっきりと見えるが、誰一人私と目を合わせてくれない。
あぁ、誰も私を助けてくれないんだ。
この男には悪い噂が絶えない。関わり合いになるのは、誰だってごめんだろう。
「さぁ、私の屋敷に来てもらおう」
バルガスの太った指が私の腕を掴む。そのじっとりとした感触に鳥肌が立つ。
村人たちは目をそらして、誰も声をあげない。
みんなが、案山子みたいにみえる。
今すぐ、この芋虫みたいな手を振り払いたい。でも、足はガタガタ震えるだけだった。
ベッドで「すまない」と謝っていたお父さんの顔が浮かんで、私はきつく目を閉じた。
その時だった。
「――騒々しいぞ。豚が鳴いているのか?」
低くて、よく通る声。人混みを割って現れたのは、大きく派手な衣装の青年だった。
顔は影でよく見えないが、ウェーブがかった金髪が、獅子のように勇ましく見える。
バルガスは、私を握っていた手を放し、驚きの声を上げる。
「貴様っ……あっ!シトリュス・ラナート・ベルゼット第四王子!!」
私でも聞いたことがある、鼻つまみ者の第四王子。
「我が名を知っているとは、なかなかできた豚だな?褒めてやろう」
長身の王子様は、本当に家畜を見るかのような冷たい視線で、バルガスを見下ろしていた。
肩についている金色の飾りが、背後からの光を受けてきらめいている。
「これはこれは『第四』王子殿。私、この地で商人をしておりますバルガスと申します……王族の方がこんな田舎の村に出張ってくるとは何用で?」
バルガスはとってつけたように媚びを売る。
「何、この地の公爵から狩りに誘われてな……しかし、お膳立てされた貴族趣味の狩りはつまらん。抜け出してきた。どこぞで野の獣を射るのも面白そうだと思ったが、村の豚では狩りにならんな」
王子は手に持った弓の弦を手遊びのように弾いて、バルガスをからかった。
「では、狩りに戻られるのがよろしいでしょう。公爵殿もさぞ心配されているでしょうな」
バルガスがイライラを隠しきれずに言う。
「なに、そこの子ウサギが気になってな。随分怯えてるのではないか?バルガス」
子ウサギって私のこと?
驚いて顔を上げると、そこには青い海のように穏やかな瞳がきらめいていた。その瞳を見た時、おなかにたまった不安がすっと風に飛ばされたように消えていった。
「この娘の家は、私どもから借金をしてましてな、その取り立てでございます。こちらに証文もございます」
バルガスはわざとらしく頭を下げ、書き換えた証文をとりだしてみせる。
「なるほど。だが、お前はその子ウサギを連れて行こうとしたな?人買いは法に触れるぞ?」
「人聞きが悪い。あくまでこの娘に仕事を紹介しようと善意の申し出でございます」
この男の言い訳を聞いて、怒りで腹が熱くなった。よくもそんなことを!
悔しいことに、理屈の上ではあっちに分があるように聞こえてしまう。
王子様は、私を真っ直ぐに見つめて問いかけた。
「そこの子ウサギ。お前はこの豚から仕事を紹介されたのか?」
ビックリした。王子様が直接私に声をかけてくるとは思わなかった。
でも、これは私を助けてくれるロープだ。
そのロープを離さないように、拳を握りしめて答える。
「違います! この男は、私をなぐさみものにするつもりでせまったんです!」
「黙れ!小娘!」
バルガスが逆上して、私の頬を平手打ちした。
その場で尻もちをついてしまう。頬が焼けるように熱い。
王子様はすぐさま私をかばってバルガスに近づき、その太い腕を掴んでねじり上げた。
「豚に子ウサギをやるわけにはいかんな」
「くっ……シトリュス王子!いくら貴方が王族とは言え、民の商いを邪魔することは許されませんぞ!」
「国を預かる身として、民の窮状は見逃せんな?」
王子様が真剣な視線でバルガスを止める。
「あ……貴方はあくまで『第四』王子!私は重臣の皆様とも懇意にさせていただいておりますぞ!」
バルガスの苦し紛れの脅しに、王子様はあっさりと手を離してしまった。
あぁ王子様でも、この男には手が出せないのかな。
鼻つまみ者の王子様は、お城での立場が弱いという噂は本当なのかもしれない。
バルガスはよろよろと距離を取って、手首をさすりながら、こちらを見る。
「私も引き下がるわけにはいきません。シトリュス王子、一つ遊びをしませんか?」
「ほう。面白そうだな。どんな遊びだ?」
王子様はバルガスの言葉にあっさりと興味を示した。なんでそんな奴の言葉に。
「今日はこの村の祈願祭。あちらの広場に玉座があるのが見えますかな?」
バルガスが指さしたのは、路地に面した、広場の中央。
野菜と一緒に積み上げられた、大きな「スイカの玉座」だった。
私たちの村では、神様を迎えるために野菜で椅子を作る風習がある。
村の自慢の大きなスイカ。
数人がかりで運んで、真っ二つに割って、ルビーみたいな赤い中身を太陽に向けて並べる。
背もたれにもスイカ、飾りには瑞々しい蔓。
村のみんなが手作りした、ちょっと不格好で、でも誇らしいスイカの玉座。
「スイカで玉座を作るとは面白い趣向だな。それがどうした?」
バルガスは歪んだ笑みを浮かべる。
「皆の前で、あの玉座に腰かけられますかな?」
スイカの玉座は座るためのものじゃない。豊穣の神様を迎えるための大切なものだ。
たまに悪ガキたちがふざけて座ることがあるけど、おしりが濡れるのが気持ち悪くて、すぐに腰を上げてどこかにいってしまう。
「なんだ?そんなことでいいのか?」
王子様があっさり答えたせいか、バルガスは顔を真っ赤にして、さらに要求を重ねた。
「ならば、その玉座で『私は愚か者です』と宣言してみなされ!」
私はハッとした。バルガスの狙いに気づいて、思わず王子様に叫ぶ。
「王子様!バルガスは貴方に恥をかかせたいだけなんです!どうかこのまま立ち去ってください!」
王子様が、スイカに座って道化みたいな真似をすれば、国中の笑いものになってしまう。
そんなの無理に決まってる。バルガスは王子様を追い払うためだけに、こんなふざけた条件を出したんだ。
「なんだ。お前はこの豚の慰み者になりたいのか?酔狂な子ウサギだな?」
王子様の表情はあくまで自信たっぷりだった。
「そんな……違います!でも……」
「しっかりと見ていろ。王族の王族たるゆえんを見せてやろう」
王子様は優雅な足取りで広場へと歩き出した。暗がりの路地から、一歩、広場に足を踏み入れると、日差しに照らされて、その背中は華やいで見えた。
遠巻きに見ていた村人たちも、おずおずと道を開ける。
何百人もの視線が突き刺さる中を、王子様は背筋を伸ばして進む。
突き抜けるような青空の下、王子様のしっかりとした歩みが眩しい。
きっと、この人はお城を歩く時もこんなふうに堂々としているのだろう。
誰もが見とれて声も出せないでいる。
王子様はスイカの玉座の横に立つ。
そして一切の迷いも見せずに、その黒いズボンを、真っ赤なスイカに沈めた。
ぐちゃり。
熟れた果肉が生々しい音を立てて潰れる。
高そうなズボンに、真っ赤な果汁がじわぁっと染みていく。
金糸の刺繍を伝って、赤い雫がポタポタと地面に落ちる。
広場に甘い夏の匂いが広がった。
「ははは!見ろ、王子がお漏らしをしたようではないか!」
バルガスがそのシミを指さして、下品に笑い転げた。
周りの人たちからも、小馬鹿にするような笑い声が漏れた。
私のせいで王子様が恥ずかしい目にあっている。
あまりの光景に直視できなくて、目を逸らしてしまった。
申し訳なくて胸が締め付けられて、涙がこぼれそうになる。
それでも、王子様は「見ていろ」と言う言葉を思い出して、
私は震える手を胸に当てて、もう一度、玉座を見つめなおした。
王子様は涼しい顔をして、スイカの端っこを一口すくって食べると、フッと微笑んだ。
「……うむ。冷たくて心地よい。この村の民は良い仕事をした」
その優しい微笑みは、冷やかしをあっさりとねじ伏せた。
さっきまで笑っていた人たちも、静まり返っている。
膝をつく人たちまで現れた。
バルガスだけが、その空気に耐えきれず叫ぶ。
「ふ……バカな王子だ!さぁ自分が愚か者であると宣言しろ!」
王子様がゆっくりと濡れた足を組み替えると、果汁がキラキラと飛び散って太陽に光った。
そして、澄んだ瞳でみんなを見渡し、堂々と宣言した。
「我、シトリュス・ラナート・ベルゼット第四王子は、
名も知らぬ娘のために、尻を濡らす愚か者だ」
凛としたその声には、少しの恥じらいもなかった。
むしろ誇らしげで堂々とした言葉だった。
まるで本物の神様がスイカの椅子に降りてきたみたいに、神々しい姿。
村人たちは心を打たれ、全員が膝をついている。
バルガスだけが、顔を真っ青にしてガタガタ震えていた。
「こ……この『第四』王子が……」
「さぁバルガス。遊びはお前の負けだ。豚に二言は許さんぞ?」
「ふ……ふざけるな!こんな茶番!こっちにはこの証文があれば!」
バルガスは証文を握りしめ、逃げ出そうとするが、その手に何かが当たり、証文を落としてしまう。
王子様がスイカの塊を投げたのだ。
証文は赤い果肉にまみれて地面に転がる。
「こんなゲスを豚に例えたのは、豚にも悪かったな……」
王子様はスッと立ち上がると、村人たちに向かって呼びかけた。
「村人たちよ!豊穣の祭りの場を穢してすまなかった。
だが、これもそこな少女を救うため!
この少女の危機を救うため、我に力を貸してはくれぬか?」
その声には、さっきまでの傲慢さはなくて、真っ直ぐな想いがこもっていた。
「この人のためなら!」
そう思わせる、不思議な力。
村人たちは弾かれたように動き出した。
バルガスに野菜を投げつける人、証文を奪い返す人、私を抱きしめてくれるおばさん。
バルガスはほうほうの体で、村から逃げ出していった。
もう、二度とこの村には来られないだろう。
王子様が、騒ぎをどこか他人事みたいに眺めながら、私に近づいてくる。
私はその大きな体を、下から見上げて――思わず、バカなことを聞いてしまった。
「お尻……冷たくないですか?」
王子様は少しだけ笑って、膝を折って、私の目線に合わせてくれた。
黒いズボンが絞られて、地面に果汁の水たまりができる。
「……濡れたズボンは、少々不快だな。子ウサギに洗ってもらうことにするか」
浅黒い肌にとろけるような笑みが浮かぶ。
「子ウサギではありません。アンナ・メルローと申します」
「そうか。良い名前だ。では、レディ・アンナ・メルロー。すまぬが、私のズボンを洗ってくれるか?」
彼は、膝を折ったまま、下から手を伸ばし、私の顎をすくい上げる。
人懐っこい笑顔から目が離せない。
「こ……ここでですか?」
ドキリとして、場違いなことを聞いてしまう。
「ここではさすがに人目があるからな……ついてくるか?」
彼は跪いたまま、私の手を優しく引いた。
彼の瞳の中に、激しい海のような青が見える。
その熱に浮かされるように、私は知らず知らずのうちに手を取り――「はい」と答えてしまっていた。
(完)




