第九章 裏切りの正体、祈りの形
第九章 裏切りの正体、祈りの形
ルカが、綾の前に立った。
ミラの手が綾の胸に伸びるのを、遮るように。
「触るな」
ルカの声は硬い。
綾の胸が痛んだ。守られているのに、同時に奪われる予感。
「ルカ……あなたは、私を鍵にするつもりだったの?」
綾の声が掠れた。
ルカは一瞬だけ視線を逸らし、すぐに戻した。
逃げない目だった。
「……最初は、そうだ」
ルカは言った。
「君が鍵なら、装置を止められる。選別を止められる。だから、君を呼んだ」
綾の胸の奥が、冷たくなる。
裏切りだ。
でも、ルカの声は続く。
「でも、君を鍵にしたくない」
ルカは言った。
「鍵は、使い捨てになる。君の心音が固定の材料にされる。君の未来が、ひとつに固定される」
綾は息を吸った。薄い空気が肺を刺す。
それでも言った。
「じゃあ、どうするの」
ルカは自分の胸に端末を当てた。
「俺がやる」
「無理だ。あなたは鍵じゃない」
「鍵を作る」
ルカは笑った。泣きそうな笑い。
「嘘は祈りの形をしてるって言っただろ。……祈りは、時々、奇跡を作る」
ルカの心音が読み取られ、装置に接続される。
同時に、綾の聴診器が震えた。
銀が、かすかに鳴った。
ミラの表情が初めて歪む。
「だめ。固定が崩れる」
エスコバルが叫ぶ。
「愚かだ! 最適化しなければ、もっと死ぬ!」
綾はエスコバルを見た。
「あなたは、救うために切り捨てる」
「当然だ」
「私は、切り捨てないために、苦しむ」
その瞬間、装置の合唱が変わった。
ひとつにまとまろうとする旋律が、和音に分かれる。
固定ではなく、共存へ。
ルカが息を詰める。
顔が青くなる。
無理をしている。命を削っている。
綾はルカの手を握った。
「やめて」
「やめない」
ルカの声は震えながらも強い。
「揺れる未来を残す」
綾は、決めた。
鍵になるのではなく、鍵を“鍵でなくす”。
綾は装置へ歩き、聴診器の銀を石に当てた。
自分の心音を“供給”するのではない。
心音の揺れ――不整脈寸前の微細なゆらぎ――を、装置の固定アルゴリズムの“ノイズ”として刻み込む。
(固定できない心音を、固定装置に混ぜる)
それが、綾の救い方だった。
石が、低く鳴った。
和音が、さらに増えた。
ミラの目から光が零れた。涙みたいに。
「……わたし、怖かった」
ミラは言った。
「揺れると、消えるから」
綾はミラへ手を伸ばした。
「消えない。形が変わるだけ」
触れた指先に、温度があった。




