第五章 ミラ――固定された未来の優しさ
第五章 ミラ――固定された未来の優しさ
制御盤へ向かう通路は、観光ルートにはない。
ルカの指紋と虹彩で開く扉。
中は冷たい。空気が澄みすぎている。消毒された手術室みたいに。
白い光。無音。
足音だけが、硬く響く。
壁面に古い記録が投影される。
酸素適応研究。遺伝子編集。倫理審査の停止命令。
そして――心音保存構造体。
綾の喉が鳴った。
心音を、保存する。
そんなことが、できるのか。
「ここはね」
ミラが前を歩きながら言う。
「悲しまないための場所。泣かないための装置」
綾は、その言い方に寒気を覚えた。
悲しまないことは、救いなのか。
泣けない世界は、生きているのか。
通路の先に巨大な円形装置があった。中心に石が浮かび、光が呼吸するように明滅する。
石なのに脈打つ。
石なのに、心臓みたいだ。
綾が耳を澄ます。
――とくん。
――とくん。
数百、数千の拍が重なった合唱。
その中に、ひとつ。
綾の背骨を真っ直ぐ貫くリズムがあった。
(……知ってる)
知っている拍。
あの夜、止まったはずの拍。
綾は思わず聴診器を握りしめた。
銀色の金具が、掌の汗で冷たく光る。
「ミラ」
綾は言った。
「その心音……誰の?」
ミラは微笑む。
「名前はね、いらないの。固定すれば、全部同じになるから」
綾の胃が沈む。
固定。
同じ。
それは、救いではなく――“消去”だ。




