第四章 酸素は誰のものか
第四章 酸素は誰のものか
遺跡へ向かう途中、雨が降り始めた。
霧の中の雨は白く見え、肌に触れると冷たく、舌に乗ると鉄の味がした。
「変だ」
綾が言うと、ルカは眉を寄せた。
「氷河の匂いじゃない。……薬品だ」
警備端末が赤く点滅している。ルカが解除コードを入力しようとして、手が止まる。
綾は、その止まり方を見逃さない。
「ルカ」
綾は低く言った。
「あなた、知ってるよね。これ」
ルカは答えない。代わりに石壁の裏へ綾を引き、雨を避ける狭い影に押し込んだ。
近い。息の温度が混ざる。
「綾」
ルカは名前を呼ぶ。その声は救助要請みたいだった。
「遺跡の“心臓”が動き始めてる。動けば酸素は戻る。でも……戻り方が危険だ」
心臓。
その単語が、胸の外の心音と共鳴した。
霧の向こうに、少女が立つ。
ミラ。濡れていない。輪郭だけ揺れている。
「わたしが戻したの」
ミラは微笑んだ。
「未来はひとつにした方がいいの。揺れるから、死ぬの。迷うから、遅れるの」
その優しさが、冷たい。
切り捨てる正義と、同じ匂いがする。
綾は一歩踏み出した。
雨が頬を叩く。
「心音は、ひとつじゃない」
綾は言った。
「揺れてても、生きてる」
ミラは楽しそうに笑った。
「じゃあ証明して。あなたの鼓動で」
その瞬間、遺跡の下から低い振動が走った。
地面がほんの僅かに揺れ、石が目を覚ます気配。
ルカが綾の腕を掴む。
「急いで。制御盤へ」
その指は冷たいのに、掴み方は優しい。
綾は頷き、走り出した。
石段が滑る。息が薄い。
胸の外の心音が、少しだけ綾に重なった。




