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石段は、あなたの心音を覚えている――マチュピチュ2237  作者: 百花繚乱


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第三章 白い雨と、紫の唇

第三章 白い雨と、紫の唇


臨時救護所のテントは、光が足りなかった。

床に座り込む観光客、嘔吐する人、唇が紫に変わる人。酸欠の色が、夜の中で不気味に浮く。


綾は膝をつき、少年の脈を取った。冷たい。速い。

酸素飽和度は低い。だが、高山病の速度ではない。感染でもない。毒でもない。広がり方が“整いすぎている”。


「酸素を」

綾が言うと、現地の看護師が首を振った。

「供給が止まったの。遺跡の酸素網が、町にも回ってるから」


未来のアンデスでは酸素は“インフラ”だ。

遺跡保全の名目で敷設された供給網が、観光エリアと町を支える。

その供給が止まった――だけじゃない。止まり方が意志を持っている。


綾は簡易血液分析を走らせた。

数値を見て、喉が冷える。


ヘモグロビンの結合能が変化している。

血が酸素を掴みに行かない。まるで“拒む”ように。


「遺伝子……?」

綾が呟く。


「……遺跡の下に、古い施設がある」

ルカがテントに飛び込んできた。髪が乱れ、額に汗。穏やかさが剥がれている。

「昔、酸素適応の研究が行われた。倫理的に問題があって封印された」


綾はルカの横顔を見る。

嘘の匂いがする。全部ではない。


外で誰かが倒れる音。

綾は立ち上がり、残り少ないボンベを確認する。足りない。絶望的に。


そこへ、白衣の男が入ってきた。

襟が汚れていない。目が冷静で、冷静すぎる。


「久慈医師だな」

男は綾の名前を知っていた。

「統括のエスコバルだ。方針は決まっている」


端末に優先順位が並ぶ。救命確率の高い者から。

救える数を最大化するための“正義”。


少年の指が、綾の袖を掴んだ。

その弱い力が、綾の胸の奥を引き裂く。

あの夜と同じ目。命を預ける目。


「この子は――」

綾が言いかけると、エスコバルは遮った。

「統計が言っている。感情ではなく、数で救え」


綾は息を吸う。薄い空気が肺を痛める。

それでも少年の目から逃げられなかった。


(私は、聴いた)

(聴いた以上、捨てられない)


「ルカ」

綾は言った。

「遺跡へ案内して。制御盤に行く。酸素網を戻す」


ルカの手が一瞬止まる。その躊躇が、綾の心に刺さる。

だが彼は頷いた。


「……来て」

声が震えていた。


石段が遠くで歌う。

まるで“急げ”と鳴るように。

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― 新着の感想 ―
集団発症の混乱描写が非常にリアルで、医療ドラマとしての緊張感が一気に高まる。紫色の唇、足りない酸素、数字で示される命。現場の焦燥感が手に取るように伝わる。エスコバルの合理主義も説得力があり、単なる悪役…
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