小さな絆
「……ルミナ、出てっちゃった」
「いいよ。あんなモノ。要らないよ、隷者なんてさ」
「……アンワルちゃん……アンちゃんって読んでもいい?」
「うん、いいよ。フォリア……さん、は、可愛いから」
「か、可愛い?そうかな〜」
「うん、可愛い」
濡羽色の髪を靡かせ──るわけではなく、寧ろボサボサな、寝癖のつきっぱなしの髪。ハイライトの無い黒ずんだ目に、その目元には隈と涙の跡が濃くできている。首筋には蛇の噛み跡、指の関節は壁を何度も殴りつけたのか、赤くなっていた。
「……伯爵様は、アンちゃんの魔法とこの現状をどうにかするために、ルミナ……人間を寄越してきたの。人魚は地上の生物には詳しくない。見たこともないから」
「……」
「でもね、ルミナなら知ってる。わたしたちの知らないものを、たくさん知ってる。だから来てくれたんだよ、アンちゃん」
「……わたしの魔法、どうにかできるの?」
「できるかはわからないけど……全力を尽くしてくれるよ」
「……そっか」
先程の眉間のしわが嘘のように穏やかに、誕生日プレゼントを開封する子供のように無邪気な、柔らかい笑み。フォリアは一瞬驚いたような表情をして、そっとアンワルを抱きしめた。
「わ……フォリアさん?」
「フォリアちゃんでいいよ、アンちゃん」
「……いいの?」
「うん!」
「えへへ……フォリアちゃん」
抱きしめ返したアンワルの姿に、母の面影を見なかった。恐らく母も周りと同じなのだろう。
「……大丈夫だよ。わたしたちが必ず守るから」
地位も戸籍も血の繋がりもない。ただそれでも、2人の間に流れた絆は確実に、2人の心を満たした。
─────
「本当に、来ても良かったのか?」
「うん、わたしと話して少し気分も落ち着いたみたい」
「……そうか」
「あ、の……ごめんなさい」
「……え」
目をぱちぱちと開いては閉じて、先程の「ごめんなさい」を反芻する。彼女の心は今、安定している。息も荒くなく、こちらを見つめる目も少し畏怖の感情は混じっているもののそこまで鋭くはない。
「……大丈夫だ。俺は何も気にしてないから」
「そっ、か。……よかった。お兄さんが傷つかなくて」
「……そうだな。俺もアンワルが心配だったから嬉しかった」
「え……?」
「怖かったか?」
「…………」
「人間──隷者がここにいることが怖いか?」
「……うん、ちょっと怖い」
「今はそれでいい。でもな、人間は人魚と同じなんだ」
「おんなじ……?」
「ああ。寝て起きて、仕事や学校に行って、遊んで、ご飯を食べて、笑って、泣いて、怒って、驚いて……根本は同じなんだよ、全部」
それを聞いたアンワルの目は、少しだけ光が灯って、前を向けていた。
─────
「……なあ、本当に良かったのか?」
「それ何回も言うね。もう10回くらい言ってない?」
「仕方ないだろ。アンが”俺とフォリアと暮らしたい”なんて」
「……落ち着く、から」
「大体、伯爵様が黙ってないだろ。俺が伯爵様だったら怒ってる」
「でもあの家はアンちゃんにとって、危険な毒……蛇の猛毒だった」
「……っ」
「だから伯爵様も許可したんだと思う。アンちゃん自身が笑顔になれるように、ルミナと手を取れるように」
相変わらず、彼らの通る道は人でごった返している。ただ、少しみすぼらしい服装の子供が居る。「そういうこと」でもしたのだろうと、人魚たちは遠巻きに見つめる。
そして、アンワルはルミナとは手を繋いでいない。さながら反抗期の娘のようだが、それをルミナは受け入れている。自らの容姿が、彼女の心が、それを許せていないから。
「……買い物も終わったし、帰ろっか」
「うん」
「そうだな。……これから、よろしく」
「……よろしく、ルミナさん」




