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7 窮地は脱しました。

(ペーパーナイフ! これよ!)


 ペンを差し出すアレクシスの横を通り過ぎ、私はとっさに執務机に置かれていたペーパーナイフを手に取った。


「なにを……っ!?」


 アレクシスが尖った声を上げるが、無視してとっさに親指を切る。そしてにじみ出た血で宣誓書にすばやく血判を押した。


 血判の押された宣誓書を手に取り振り向くと、そこには呆気にとられた顔のアレクシスが居た。


「旦那様。心からの証として、血判にて誓いを立てさせていただきました! これで二度と寄付金に手を付けないとお約束いたします!」


「あ、あぁ……」


 背筋を伸ばし宣誓書を手渡すと、彼は面食らいながらもそれを受け取った。


「確かに、受け取った。その、指の治療は」


「かすり傷ですので問題ございませんわ」


「そ、そうか。では、もう下がっていい。……俺も今から出立せねばならない」


「かしこまりました、どうかお気をつけて。私はこれにて失礼いたします」


「あぁ……」


 退室の許可が下りたので、逃げるよう執務室を後にする。パタンと扉がしまると思わず緊張がほどけため息が零れた。


「ふぅ~~」


 かくして私は無事この窮地を乗り切ることができたのであった。



【SIDE アレクシス】


 ――まさか、カミラが血判まで押して寄付金の件を反省するとは思わなかった。


 馬車の前に立ち、執務室で起きた出来事を思い返していると、ブラウンの髪と瞳をした男――部下のルイスが俺に耳打ちをしてきた。


 その内容に思わず目を見開く。


「何? カミラがルーナの見舞いをしていただと?」


「はい、とても心配されているご様子だったとか」


 どういうことだ、あの女はルーナを毛嫌いしていたはず。ルーナの方もカミラに怯え近づかないと使用人から聞いていたが。


「俺は夢でも見ているのか?」


「奥様の記憶を失ったという話、もしかしたら本当なのかもしれませんね」


「…………」


 ――部下の言う通り、記憶を失いでもしなければ、カミラがルーナに笑みを向けるなど有り得ない。


 先ほど会った際も、今までとはまるで別人のように思えた。


(カミラは、記憶を失う前はあのように謙虚な人柄だったのだろうか……?)


 そこまで考えて首を振る。本当だろうが嘘だろうがこれ以上あの女に煩われたくない。俺のことを金で買ったような下劣な奴に――。


「宣誓書にサインさせることには成功した。あとは奴が誓いを破るのを待つだけだ。そうすれば正式に離婚できる」


 ――俺はあの女のことが大嫌いだ、その事実だけでいい。


 気持ちに区切りをつけ馬車へと乗り込もうとすると、ルイスがゴホンと突然咳払いをした。何事かと振り返ると、どこか気まずそうな表情。


「団長、あの~……。お嬢さまも無事目を覚まされたことですし、一目だけでも顔を見ていかなくてよろしいんですか?」


 ルーナが倒れたと聞き様子を見に帰ったのだが、会う前に目を覚ましたと聞き尋ねるのをためらっていた。

 

「いや、いい。『本当の父親じゃない』俺に会っても嬉しくないだろう。家に寄り付かない名ばかりの養父では、ただルーナを怯えさせるだけだ」


「そうですか……。かしこまりました」


 ――そう、ルーナと俺は本当の親子ではない。ローゼンナイト家の嫡男だった兄が死んで、家を継ぐことになった俺が赤ん坊だった彼女を引き取ったのだ。


 突如として家督を継ぎ、自分の子ではない子供の父親となり、望まない結婚をさせられ――。


 俺は、陛下に命じられるまま魔物との戦いに身を投じることで、それらから逃避した。


 家族とは名ばかりの、破綻した関係から。


(今さらどうこうしたところで、この壊れ切った家族関係は修復できない)


 もう何もかもが手遅れなのだ。


「……っ」


 考え込んでいると、突然視界がぼんやりと黒く靄がかった。目を閉じてそれを振り払うように首を振る。


(ずっと働きづめで、疲れてるのかもな……。だからといって、休むつもりはないが)


「出立する」


 馬車に乗り込むと、窓から真っ青な空が覗いていた。


 だが青空を眺めるような明るい気分にもなれず、手早くカーテンを閉じた。――向かう先は次の戦場だ。



 私とルーナが目を覚まして数日後。


(ご、豪華すぎるのですけれど……っ!?!?)


 私、カミラはいま猛烈に感動していた。


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