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5 夫の職業は聖騎士団長でした(つまり絶体絶命)。

 執務室の重厚な扉がゆっくりと開かれると、空気がピリッと張り詰めた。


 正面には大きな窓。そこから強い朝日が部屋へと差し込んでいる。窓を背にした男性は逆光に包まれ、輪郭だけがくっきりと浮かび上がっていた。


 私の姿に気づいた彼が椅子から立ち上がる。


 だが逆光のせいでその表情はうかがえない。足がすくんでしまい立ち止まっていると、再び低く冷たい声が響いた。

 

「――何をしている、早くこちらへ」


 ひどく冷たい声だ。


 声色だけで、お前のことが世界一嫌いだと告げられている気分になってしまう。そしてその声でやっと、私は『ある重要な事実』を思い出した。


(あああ! やっと思い出したわ! 夫であるアレクシスの職業は『聖騎士団長』……! 聖騎士だなんて、悪魔にとって大の天敵じゃない! こんな重大なことをなんで今頃になって思い出すのよ私っ!)


 もし正体がバレでもしたら、とんでもないことになるのは目に見えている。

 

 素直に呼び出しに応じてしまったのが後の祭り。アレクシスはもう目の前で今更逃げ出すことはできない。やがて私は覚悟を決めた。


「し、失礼いたしますわ」


 緊張しつつ中へ足を踏み入れると、光に目が慣れてその人の姿がはっきりと浮き彫りになった。


(…………!!)


 思わず息を呑む。なぜなら彼の容貌が、あまりにも美しかったからだ。


(彼が、アレクシス・ローゼンライト。公爵家当主であり、このサンクティア王国の聖騎士団を率いる長――)


 白皙の頬。烏の濡れ羽色の短い黒髪に、鮮やかなライトブルーの瞳。だが視線は刃物のように冷え冷えとしいて鋭い。見つめられていると、まるで心臓にナイフを向けられているようなそぞろ寒い心地になった。


 顔立ちは神々が施した彫刻かのように完璧に整っており、どこか人形的でもある。


(カミラを初めて見た時『絶世の美女』だと思ったけれど、アレクシスの美しさはそれを上回っているわね)


 彼の美貌に感心してじっと観察いると、アレクシスがひどく不快そうに顔を歪めた。


 ――美人が起こると怖いっていうのは本当みたい。


 私は慌てて礼を取ると、早く話を進めるべく口を開いた。


お久しぶりです(・・・・・・・)、旦那様。本日は私に、何か至急の御用がおありだとか」


 作り笑いを貼り付けながら事務的に告げると、アレクシスは信じられないといわんばかりに大きく目を見開いた。


(えっ、何? 何か私変なこと言ったかしら?)


 いや、言っていない。至極普通な発言だった。まだ悪魔だってバレていないはず、大丈夫よカミラ! と自分へ前向きに言い聞かせる。だが体は緊張しているのか、額からつうと嫌な汗が伝った。


「ふむ…………。普段なら、呼ばずとも部屋にずかずかと入り込み、勝手に体を密着させてくる貴方が……一体どういう風の吹き回しだ? それに『旦那様』とは。いつもなら『アレク様アレク様』と、許可もしていないのに愛称で呼んでくるのに……頭でも打ったのか? それとも何が企んでいる?」


「えっ」


(ちょっとカミラさん!? 性格があれな上に、明らかに嫌われている相手へまで堂々と迫っていたなんて……! どれだけあなた心臓が強いお方なの……!?)


 アレクシスの疑わしげな視線に耐え切れず、動揺で口の端がひくついてしまう。


「あっ、ええと、その。実はそうなのです! 先日、階段で足を滑らせて頭を強く打ち付けてしまい……。その影響で記憶喪失になってみたいでして! ですから旦那様のこともあまり思い出せない状態なのでございます」


「何? 記憶喪失だと?」


 アレクシスが眉間にしわを寄せる。


 それきり顎に手を当て、彼は押し黙ってしまった。沈黙が重くてだらだら汗が噴き出て止まらない。ややあって、アレクシスはこちらへ胡乱げな視線を向けてきた。


「信じない。どうせ貴方のいつもの虚言だろう。俺に相手にされないからといって、ついに『記憶喪失』など言い出すとは……まったく呆れて物も言えない」


 信じてくれないんですけれど。


「だがまぁ大人しくしてくれるなら、こちらとしてはどうでもいい。――そろそろ本題に入らせてもらおう」


 ……でも何とかなったんですけれど!


 カミラの悪女っぷりに密かに感謝していると、アレクシスが執務机から何枚からの羊皮紙を手に取った。


「これが何かわかるか?」


 その紙を掲げられたので、まじまじと眺めてみる。


(何やら0(ゼロ)がたくさん書かれた数字が載っているわね)


「なにかの請求書、でございますか?」


 見たまま素直に答えると、アレクシスがハッと馬鹿にしたように私を鼻で笑った。


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