4 義娘が「おかあしゃま」と呼んでくれました。
「どうぞ」と返事をすると、侍女のミアと丸眼鏡をかけた老医者が部屋へ入ってきた。焦った様子のミアが私へ尋ねる。
「奥様、お嬢様のご様子はいかがですか!?」
「大丈夫、今は落ち着いているわ」
「あぁ、良かった……!」
ミアがホッと胸に手を当てて表情を緩める。
(呪いは解けたのだし、もう目を覚ましてもいいはずだけれど)
じっと天使の寝顔を見つめていたら、突如としてルーナの瞼がピクリと動いた。
「う、うぅん……?」
「!」
その場にいた一同がハッとした顔でルーナへと視線を向ける。
「ルーナ! 目が覚めたのね!」
思わず反射的に彼女の手を握りしめる。とても柔らかくて小さいおてて。強く握ったら壊れてしまいそうで怖くなる。するとルーナはパチパチと瞬きをして、私と目が合った。――とても綺麗で吸い込まれそうな紫水晶の瞳。
「……おかあ、しゃま?」
「!!」
鈴を転がすような可愛らしい声に、またも胸を撃ち抜かれる音が聞こえた気がした。
(い、今この子、私のことを『おかあしゃま』って呼んだのーー!?)
そういえばカミラはこの子の継母という立場だった。だから母と呼ぶのは自然なことだ。わかってはいるはずなのに、胸がポワポワとした未知の感情で満たされ落ち着かなくなる。
「ルーナ、こわいゆめ、みた……」
「そうだったの、怖かったわね。でももう大丈夫よ……!」
恐らく悪魔がルーナを弱らせるために、悪夢を見させていたのだろう。だがもう呪いは解けているので、これからは悪夢は見ないはずだ。不安そうなルーナを安心させるためそっと頭を撫でると、彼女は夢から覚めたように目を丸くして、サッと布団へもぐりこんでしまった。
(あ。そういえばカミラってルーナのことをずっと嫌ってたのよね。そんな私が突然頭を撫でたりしたら怖がられて当然ね……!)
医者に診察もしてもらった方がいいだろう、とルーナの傍からそっと離れる。察した医者が入れ替わりでルーナの診察を始めた。それを横目に私は音を立てず寝室を後にする。
廊下を歩いている間、ルーナの『おかあしゃま』という呼び声が頭から離れなかった。
胸が温かくなって、ずっと孤独で痛んでいた心が、癒されていくような――。
私は心に決める。
(そうよ、偽りとはいえ私はあの子の『お母さま』になったの。だからこれからは今までみたいにじゃなく、ルーナにはできるだけ優しく接していきましょう!)
そう決意を新たに廊下を歩いていると、突然背後から声がかけられた。振り向くとそこには見知らぬ使用人の姿。
「奥様、至急のご伝言です! 旦那様が、いますぐ執務室までお越しくださるようと仰せでございます」
「え? 旦那さまって……」
カミラの夫である、アレクシス・ローゼンライト大公のこと?
(至急って、一体何の用なのかしら)
至急という言葉は嫌い。
そう言えば意識を取り戻した時、アレクシスはチラリとも顔を見せなかった。それだけカミラを嫌っているということだろう。なのに呼び出すなんてよっぽどの用事に違いない。
突然の呼び出しに驚きつつも、私は使用人の案内で大公の執務室へと足を運ぶことにしたのだった。
*
(なにか、とっても大事なことを忘れている気がするのよね……?)
使用人の案内で私はアレクシスの執務室らしい扉の前へたどり着いた。
(それにしても、ここにたどり着くまでかなり長い距離を歩い気がするわ。なんて広いお屋敷なのかしら。置いてある家具も高級そうだし、公爵家ってずいぶんとお金持ちなのね)
と考えていると、使用人がこちらへ一礼して扉の前から去っていった。
一人になった私は深呼吸し、重厚なブラウンの扉をノックしようとした。――すると。
「入れ」
ノックする寸前、扉越しにくぐもった低い声が聞こえた。その声に、思わずびくりと肩を揺らしてしまう。今の声の彼が、アレクシス・ローゼンライト大公? ずいぶん冷たい声だった。
(な、なぜか緊張で手に汗が?)
本能が警鐘を鳴らしている感覚に、ごくりと喉が鳴る。
首を振り、ふたたび深呼吸する。大丈夫、ただ夫に会うだけじゃないの! と。
(いざ)
と心の中で唱えながら、私は意を決しドアノブに手をかけた――。
次はいよいよ夫との初対面です!
めちゃくちゃ嫌われているはずですが、果たして!?




