36 『おばけちゃん』。
「え……?」
思わず顔を上げる。するとそこには私を抱きしめるルーナが居た。驚いて言葉を失っていると、ルーナは少しだけ微笑んでこう言った。
「おかーしゃま、ありがとう。ルーナを、まもってくれて」
「ルー、ナ」
夜に雪が降り積もるよりも静かで、ひどく優しい声が私に降り注ぐ。
「ルーナ、しってたよ。おかーしゃまが、おばけちゃんってこと。だから……こわがらないで、いいんだよ。なかないで、いいんだよ」
「……!」
小さく息を呑む。
ルーナは、とっくに気がついていたのだ。私の正体が悪魔であるということに――。
(魔王の瘴気を浄化したあの力。ルーナは聖女の資質を持っていたんだわ。だから私の正体が悪魔であることにとっくに見破っていた……)
けれど彼女は、私のために口をつぐみ続けてくれたのだろう。こんな小さい子にずっと重荷を背負わせてしまっていたなんて。罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。
「ごめん、なさい、ルーナ……っ。私はずっとあなたを騙していた。本当はあなたのお母さまじゃないし、人間ですらないの。本来ならば、あなたの傍にいるべき存在じゃない……。でも、それでも、私はあなたを心から――」
愛しているわ。
そう伝えたいのに喉が詰まって言葉が出てこない。するとルーナが私を抱きしめる力を強めた。
「ルーナはおかーしゃまだいすきだよ。どんなおかーしゃまでも、いいよ。それに、ルーナは……」
彼女は一拍置いて、いたずらっ子のように笑いながらこう告げた。
「おばけちゃん、だいすきだから、だいじょうぶ」
「ルーナ……!」
その言葉に胸がいっぱいになって、私は思わずルーナをぎゅっと抱きしめ返した。
(あぁ神様! たとえこれからルーナの傍にいられなくなっても、今この瞬間だけは、愛しいこの子の母親でいさせてください)
「あなたのことを、この世界で一番愛しているわ……っ」
「ルーナも……っ!」
ルーナは私にとって光そのもの。まるで牢屋の窓から紛れ込んだ儚い粉雪。
抱きしめあう私たちを和やかな空気が包む。だが、次の瞬間――。床で倒れていた魔王の体がピクリと動くのが目に入った。
「! いけない」
慌ててルーナを引き寄せ背に庇う。同時に魔王がゆらりと立ち上がり、憎々し気にこちらを睨みつけてきた。瘴気の元となる魔力を吸い果たしたと思っていたが詰めが甘かったのだ。
「この俺をコケにするとは……カミラ! 許さぬ、許さぬぞおおお!」
長い黒髪を振り乱しながら魔王が襲い掛かってくる。とっさのことに身構え、魔法を発動させようと手を伸ばしたその時、目の前に大きな背中が割り込んだ。
アレクシスだ。彼が私たちと魔王の間に立ちはだかったのである。
「往生際が悪い……! さっさと消えろ!」
そう叫び、アレクシスが剣で魔王を斬りつける。すると魔王の体は真っ二つに引き裂かれ、サラサラと黒い粒子になってどこかへと消え去っていった。どうやら、今度は完全に力が付き消滅したらしい。
(良かっ、た)
思わず肩の力が抜ける。
アレクシスは魔王の消滅を見送ると、剣を鞘に戻し私の方へと振り向いた。真っ直ぐな目で射抜かれ、ドキリと心臓が跳ねる。でも今は彼を怖がっている場合じゃない、きちんとお礼を伝えなければ。
「魔王を倒してくれてありがとうございました、旦那さ……いえ、公爵閣下」
するとアレクシスはムッと眉間にしわを寄せた。
「なぜそんなによそよそしい呼び方をするんだ? 今まで通り旦那様と呼んで欲しい。貴方は、俺の大切な妻なのだから」
「えっ……」
(大切な、妻って……)
その言葉に驚きつつ赤面すると、アレクシスの頬もまた赤く染まっていた。
「正直、貴方の正体を知って驚きはした。今まで夫人を装い人間として振る舞っていたことは、許されるべきことではない。だが貴方はルーナを慈しみ、領民のために力を尽くしてくれた。そして俺のことも、魔王から身を挺してかばってくれた。……貴方がたとえ悪魔であっても、貴方――カミラが、俺にとっての救いの女神であることに変わりはない」
「……旦、那様」
救いの女神だなんて。
「俺もルーナと同じ気持ちだ。貴方に変わらず今まで通り傍にいてほしい――と、思っている。貴方の正体は決して口外しない。この命にかけて誓う」
そう言ってアレクシスはゆるやかに微笑んだ。その青い瞳に静かな決意を宿しながら。
「――っ!」
聖騎士団長という立場であれば、悪魔の私は倒すべき仇敵なはず。それなのに彼は騎士の掟を破ってまで、私に傍にいてほしいと誓ってくれたのだ。
その決意に触れ、ついに抑えていた感情が堰を切ったようにあふれ出してしまう。
「本当に、私……。二人の、傍にいてもいいの……?」
おずおずとそう尋ねると、傍にいたルーナが私の人差し指をぎゅっと握りしめた。
「いっしょじゃなきゃ、やだよ!」
「あぁ、もちろんだ」
「ルーナ、旦那様……っ!」
そうして、私たち三人家族は、お互いをぎゅっと抱きしめあった。嬉しくてフフッと微笑むと、ルーナとアレクシスもまた笑い返してくれた。あぁ、なんて。
なんて――愛おしいのだろう。
これ以上ないと思えるほどの幸福をかみしめていると、ふいに近くで誰かのうめき声が聞こえた。




