20 瘴気の浄化は朝飯前です。
「本当は、このまま一人ぼっちで死んでいきたくない……! お願い、だれかボクを助けて……!」
けれどその願いは、暗闇にむなしく吸い込まれていく。
(はは……バカだなボクは。助けを求めたって意味なんかないのに)
――だれも、こんな状態にまで追い込まれたボクを助けてくれるわけがない。そんな力を持っている者はこの世界には存在しないだろうから。
と絶望していると。
とつぜん真っ暗闇の世界から細長い腕が伸びてきて、一人ぼっちのボクをぎゅっと優しく抱きしめた。
(誰!? さっきのニンゲンじゃない……)
ボクを抱きしめているのは、頭から黒いレースカーテンをすっぽり被ったような、幽霊みたいに不気味な女の人。でも、お化けのような見た目に反し不思議と彼女の腕の中は穏やかで温かい。
すると彼女が耳元でこう囁いた。
「承ったわ」
その呟きが聞こえたその時、体に纏わりついていた瘴気が凄い勢いで引き剝がされていくのを感じた。そしてこれまで生きてきた中で感じたことのない巨大な魔力がボクの体を押しつぶす。身動きが取れないほどの質量だ。
(な、なにが起きてるんだ!?)
抵抗もできず、わけがわからないままじっとしている間にも、ボクの体にしつこく絡みついてた汚れはどんどん浄化されていく。そしてそれらは、なんと目の前の女の人の体へどんどん吸い込まれていっているではないか。
あんな量の瘴気を一度に取り込んだらただでは済まない。
「ダメだ、止めて! それじゃあキミが命を失ってしまう……!」
必死に声を絞り出して制止するが、彼女は瘴気を取り込むのを止めようとしない。
「ふふ、心配しなくても大丈夫よ。この瘴気は私の中で魔力に変換されるからまったく問題ないわ。そうねこれはいわば――食事のようなものよ」
「食事、だって……!?」
一体何を言っているんだ? と心で独り言ちる。だがその言葉を証明するかのように、彼女は平然とした様子でどんどん瘴気を吸い込み続けていった。
――そしてボクを苦しめていた大量の瘴気はいつのまにか、跡形もなく綺麗さっぱり消え去っていたのだった。
暗闇に包まれていた世界が元へ戻る。同時に洞窟の天井の隙間から、明るい日差しが差し込んだ。温かい光が僕たちをキラキラと照らし出す。
陽光が彼女の姿をよりくっきりと浮かび上がらせ、ボクの瞳に映り込んだ。
白い肌に金の瞳。夜空みたいな髪に真っ赤なドレス。この場所に似つかわしくない綺麗なニンゲン。その背後に薄っすらと、先ほどボクを助けてくれた幽霊のような何者かの姿が見える。
この女の人の中に潜んでいる『ナニカ』が、ボクを助けてくれたのだ――。
「し、信じられない! あんなに凄い量の瘴気を取り込んで平気だなんて、キミは――いえ、あなた様は一体何者なのですか?」
ボクは女の人越しに、その『ナニカ』へ恭しく問いかけた。
「大した者じゃないわ。だからどうか敬語なんて使わないで。あなたの助けを求める声が聞こえて、助けに来ただけの通りすがりの誰かよ。……それより、あなたの体ずいぶんボロボロね。よければ私に治させていただけない?」
「え……は――う、うん」
はい、と言いかけて敬語を止める。この方の言う通り、ボクの体は瘴気の影響による爪痕がくっきりと残されていた。毛皮はボロボロに剥げ落ち、ところどころに大きな傷が残っている。
よければ治させていただけない? だなんて簡単に言うけれど。ボクの体はかなり大きいし、神獣であるボクを治すとなれば膨大な魔力が必要になる。
(人間が持つ魔力量ではとてもボクを治せない。でも、このお方ならもしかしたら……)
固唾を呑んで成り行きを見守っていると、かの方がこちらへ手をかざし声を発した。
「修復」
その瞬間。想像を遥かに超えた物凄い魔力が、ぶわっとボクの体を包み込んだ。
(す、凄すぎる……! やはりこのお方はただ者じゃない!)
体中の細胞が活性化され、みるみるうちに鱗や傷が修復されていく。そして、ボクの体はかつての誇り高い神獣フェンリルとしての姿を完全に取り戻したのだった。
*
【カミラSIDE】
(まぁ……! なんて美しいワンちゃんなのかしら!)
光を浴び輝く白銀の、艶やかで豊かな毛並み。堂々として、それでいて凛とした立ち姿。
彼の姿を一言で言い表すとするならば、巨大な白い狼。
瞳は私と同じ金色だ。鋭い牙と爪は見る者を思わず委縮させるが、恐ろしいのに目を離せないような美しさを放っている。
狼の立ち姿に見惚れていると、突然彼の瞳からボロボロと涙が零れ始めた。
またもや誰かを泣かしてしまうカミラさん。




