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19 神獣フェンリル。


【SIDE ???】


 ――瘴気が体を蝕み、そのせいで全身が膿んでひどく痛む。かつて自慢だった美しい白銀の毛皮は、今では醜く黒ずみ変わり果てた姿となってしまった。


 ボクは昔、この国を護る神獣フェンリルと呼ばれていた。


 けれど人々を守るため幾度も魔物と戦う中で、いつしか魔物の瘴気にボクの身は侵されてしまう。

 やがて理性が蝕まれ、守るはずの者たちに牙を剥いたあの日に、ボクは自らを封印しようと決意した。


 暗い洞窟へ身を隠し、ただ、死神が迎えに来るのを待った。


 しかし悲劇は訪れる。


 ボクは死ねなかったのだ。そしてさらに最悪なことに、周囲に膨大な量の瘴気をバラまいてしまう、神獣とは真逆の存在へと化してしまう。かつては肥沃で豊かだった大地。それを守るのがボクの誇りだった。それなのに、今では――。


 死にたかった。けれど瘴気に体を乗っ取られて、自ら死を選ぶことも叶わなかった。


 生き地獄とはまさにこのことだろう。


(ボクが死を恐れたせいで、取り返しのつかない悲劇を招いてしまった。――どうか。瘴気に完全に意識を乗っ取られ人々を滅ぼしてしまう前に、誰かボクを殺してくれ!)


 死ぬのは恐ろしい。けれど、ボクのせいで誰かが傷つくのはもっと恐ろしい。


 しかしどんなに願っても、この声が誰かに届くことはない。


(助けて……タス、ケ……テ)


 ――限界が近づいていた。


 手のつけようもないほどに育った瘴気が、今にもボクの意識を塗りつぶそうと襲いかかる。必死に抑えてきたけど、そろそろ本当に限界だ。もしこの瘴気が大量に外へ漏れ出すことになれば――この国には想像を絶するような惨劇が訪れることとなるだろう。


(もうどうすることもできないんだろうか……?)


 視界が完全に黒く染まろうとした、その時である。


 瞬きした次の瞬間、音もなく突如として一人の人間の女の人がボクの前に現れたのだ。一瞬の出来事で、幻かと自分の目を疑ってしまう。

 

 紫の髪に金色の瞳。綺麗な顔立ちを際立たせる真っ赤なドレス。――この洞窟にあまりにも場違いすぎる存在。


「キ……キミ、どうやってここに? ここはキミみたいな人間が来るような場所じゃない、来た道を、今すぐ引き返すんだ……っ」

 

 理性を必死に保ちながら、唸るような声でけん制する。


 けれど女の人はじっとこちらを見つめるばかりで、ボクの前から一向に立ち去ろうとしない。もうひと吼えして怖がらせるべきかと口を開きかけたその時、彼女は思いもよらぬことを言い放った。


「助けを求めていたのは、あなたなのかしら?」


「え……?」


 その言葉を聞き女の人の背後に視線を向けた途端、雷に打たれたような強い衝撃がボクを襲った。大型の魔物がことごとく彼女の後ろで転がっているのだ。あれらの魔物は、凄腕のミスリル級冒険者が束になっても叶わないほどの強さを持っているというのに。


(まさか、この人がやったというの!?)


 もしそうなのであれば――。ボクは今にも溢れ出しそうな瘴気を抑えながら、必死に声を絞り出した。


「……どうか、お願いだ。……キミに頼みがある、どうか今すぐボクを殺して欲しい!」


 ボクが誰かを傷つけてしまう前に。叫ぶと同時に、大量の瘴気が堰を切ったように体から溢れ出していく。


 間に合わなかったのだ。


(あぁ、とうとう始まってしまったんだ。終わりの始まりが……)


 するとむせ返るような濃い瘴気が充満した洞窟の中で、声がした。――鈴を転がすような、凛とした清らかな声。


「私が聞きたいのはそんな悲しい願いじゃないわ」


 その声を皮切りに、ボクの世界は完全な黒に染まった。光の届かない海の底に沈んだような世界が広がる。


 孤独と静寂に包まれる中ボクは密かに死を覚悟する。そして……薄れゆく意識の中で、心に秘めていた本当の願いが口から零れ出た。


「本当は、このまま一人ぼっちで死んでいきたくない……! お願い、だれかボクを助けて……!」


もふもふは助けなければ!

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