1 意地悪な継母になりました。
──私のメンタルは、とうに限界を迎えていた。
「……もう働けない。もう無理!」
そんな嘆きの声が、魔王城の広い執務室に虚しく吸い込まれていく。
机の上には書類。近くのティーテーブルの上にも書類。机に置ききれず、床にも書類が高く詰みあがっている。
どれも「急ぎ」「至急」「至急中の至急」などという文言がこれ見よがしに大きな赤文字で書かれていて、見るとズキズキ頭が痛くなる。まさに地獄絵図だ。
私の名はカミラ。かつてこの魔界を統べていた始祖の魔王陛下、直々の任命によって、3000年前から宰相を任されている上級悪魔である。見た目は、うんと背の高い人間の女性が、黒いレースカーテンを頭からすっぽりかぶったような幽霊のような姿をしている。
――宰相という肩書は聞こえがいい。とてもいい。
だが実態は薄暗い古城の一室に幽閉され、ありとあらゆる仕事を全部回され、それを粛々とこなすだけの影のお役目だ。とても肩書を自慢できる状況じゃない。だって幽閉されているから、自慢するための他者にそもそも会えないのだ。
「……4代目魔王陛下。私は感情のない便利なからくり人形ではないのですよ? ですからどうか宰相の任を解いて私を自由の身にしてくださいませ……」
この3000年で魔王は4度代替わりした。
だが、誰ひとりとして私を開放しようとしてくれない。
今代の魔王は、今日もきっと夜会で愉快に葡萄酒をあおっていることだろう。書類の山や、魔界の維持に必要なあれこれはを全部私に押しつけたまま。
3000年だ。
3000年ずっと、休みなし。
もうなんのためにこの執務をし続けているのかもわからない。今私の頭を満たしているのは「解放されたい」という願いだけ。
「消えたい……誰でもいいから私を今すぐこの世界から消してちょうだい、おねがいよ……」
その呟きは弱音というより、祈りにも近かった。
そんなか細い呟きが口から漏れ出たその瞬間。
突如として空間がねじれ、私の体をまばゆい光が包み込んだ。
「え、な、なにこれ――」
焦る間もなく、私の意識はプツリと途絶える。
そして広い執務室には、詰みあがった書類だけが残されたのだった。
*
意識を取り戻しハッ目を開くと、そこはふかふかの寝台の上だった。
やわらかい。
花の香りがする。
あたたかい陽の光が頬に当たって、心地いい。
「日の光に当たるなんてずいぶん久しぶりだわ……。ここは、一体どこなのかしら?」
きょろきょろ周りを見回しながらベッドから降り立つと、見慣れない紫色の髪が肩からさらりと滑り落ちるのが見えた。
「えっ、この方はいったい誰なの?」
部屋に置かれていたドレッサーの鏡を覗き込む。するとそこにはネグリジェ姿の、見知らぬ美女が映っていた。
陶器のように滑らかな白い肌。吊り上がった大きな猫目には、美しい金色の瞳が嵌め込まれている。腰まで伸びた濃い紫の髪は緩やかにウェーブしていてとても艶やか。鼻は高く顎はスッと細い。――まさに絶世の美女である。
「……っ」
鏡の中の女性と目が合うと、突然ズキリと頭が痛んだ。その痛みと共に、この体の持ち主である女性の記憶が頭へなだれ込んでくる。
――この体の持ち主は、カミラ・ローゼンナイト公爵夫人。種族は人間で、奇しくも私と同じ名。
歳は19歳。半年前、このローゼンナイト公爵家へ嫁いできたことで若き女主人となった。実家はとても裕福で、蝶よ花よと甘やかされて育つ。そのせいで手の付けられないほどワガママな性格になり、実家の使用人たちからはひどく嫌われていた。
それは嫁いでからも変わらない。まだ半年しか経っていないのに、この家の使用人からももれなく嫌われている。しかし本人は彼らを見下しているので、まったく気にしていなかったようだ。
カミラは絶世の美貌を持つ夫、アレクシス・ローゼンナイト公爵に恋煩いしている。だが夫からはこの性格のせいもあり見向きもされていない。アレクシスには1人だけ娘がいるが、カミラは自分が愛されないのはその娘のせいだと嫌悪している――。
そしてある日、階段から足を滑らせて頭を強打し――ここ1週間ほど、意識を失っていたようだ。頭を強く打った影響なのか、今はそのくらいの断片的な記憶しか思い出すことができない。
「魂の気配はないし、夫人はすでに亡くなってしまっていたようね。そしてその空になった体に、たまたま私が入り込んだという感じかしら……」
はた、と佇みあることをひらめく。
公爵夫人=貴族=不労収入。
(待って。これってもしかして自由の身になれるチャンスじゃない!? このまま夫人に擬態していれば、あの地獄な労働の日々に戻らずに済むわ……!?)
私は深く息を吸い、天へ向かい両手を広げた。
「…………神よ、この幸運に心より感謝申し上げます…………!」
上級悪魔だけど思わず神に感謝を捧げてしまう。何かに感謝せずにはいられなかったのだ。でも魔王さまには間違ってでも感謝したくなかったため、祈りの捧げ先が神になった。
(このまま悪魔であることをひた隠して、人間界で自由を思いっきり満喫するのよー!)
そのためには今後はできるだけ敵は作らず、味方を増やしていった方がいいだろう。
断片的な記憶しか把握できていないため、カミラがどの程度周囲から嫌われているかはわからない。けれどこれからは身の振り方を考えていかなければ。自由を満喫するための、脱・悪女計画の始まりだ。
と意気込んでいると、お腹から突然ぐぅ、という音が鳴った。
「あ、人間は空腹を感じるとお腹が鳴る生き物なんだったわね。……食べるって、いったいどんな感じなのかしら」
悪魔である私は、生まれてからこのかた食事というものをとったことがない。なので人間の『食事をする』という行動には以前から興味を持っていた。わくわくが止まらず、口の端が吊り上がる。
「貴族だし、食事はメイドに運んできてもらうのよね?」
とサイドテーブルに置かれていた呼び鈴を手に取ろうとした瞬間、扉からノック音が鳴った。
(どなたかしら……?)
おそらく長編としては3作目です!緊張します!
働き疲れた最強人外継母が義娘に癒されるスローライフを送りつつ、娘のために時々無双する話です。
そして公募にも挑戦しようと思っています(;'∀')
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